第2話 魔王令嬢と地下牢の外に出る





「すぅー、はぁー、すぅー、はぁー!! 」


「あの、怖いので近寄らないでください」



 僕は生まれて初めて、自分を囚えている牢屋に感謝していた。

 このアシュタロトという女性魔族、とても綺麗だと思う。


 でもなんというか、ちょっと言動が無理かも知れない。


 僕の成分を吸うって何ですか。普通にキモイ。



「あの、すみません。助けてくれたのは感謝しますけど、お姉さんを生理的に受け付けられません。お引き取りください」


「ダイジョブ!! 私、弁えてるから!! だから少しだけ吸わせて!!」


「……最近は布で身体を拭くことも許してもらえていなかったので、臭いと思います。やめた方が良いですよ」


「むしろ臭う推しのショタエルフとか存在がご褒美だからグッジョブ!! ぐひっ、でゅふふふ!!」



 なんだろう? この人、話が通じない。


 アシュタロトが鉄格子を開こうと、男エルフの死体を漁って鍵を手に入れる。



「やった、開いた!! すぐに手足の枷を外してあげるわね?」


「……それは、ありがとうございます」


「すんすん。んほおっ!! こ、これが、これが推しの香り!! やっべ、エロい!! もう匂いがエロい!!」



 僕の手足の枷を外すフリをして、脇や首の匂いを嗅いでくるアシュタロト。


 うん、キモイ。近寄らないで欲しい。



「いや、もう囚われのイケメンショタエルフという時点で存在がエロいのでは? そうだ、そうに違いない!!」


「……」


「あっ♡ そ、そんな、ゴミを見るような目で見られたら興奮しちゃう♡」



 やばい、この人。とにかくやばい。あとキモイ。



「ぐふっ、そ、そうだ、せっかくだし、誰もいないうちにお楽しみしたり――はっ!! だ、駄目駄目!! 私は推しと愛し合いたいわけじゃない!! そう、あくまでも推したいだけ!! エッチなことは……に、匂いを嗅ぐだけならセーフ!! もう少しだけ!! あと少しだけだから!!」



 この場にいない誰かへ言い訳するように、アシュタロトが興奮しながら叫ぶ。


 そして、手足を未だ枷に繋がれている僕に抵抗することはできず、アシュタロトは顔を近づけてきた。


 やはり、とても美しい女性だ。でも怖い。言葉で言い表せないけど、とにかくキモイ。


 その時だった。



「アシュタロト様!! エルフの里の制圧が完了しまし――」



 おそらくは、アシュタロトの部下であろう魔族。


 大柄で2mはあるであろう、トカゲのような見た目の魔族であった。


 もしかして、あれはリザードマンだろうか。


 今まさに僕へ手を伸ばそうとしていたアシュタロトは、報告に来たそのリザードマンと視線がバッチリ交差して手を止める。



「……」


「あ、いや、えっと。これは違うの、ボーマン」



 どうやらあのリザードマンの名前は、ボーマンというらしい。


 ボーマンの目が、スッと鋭くなる。



「アシュタロト様。我々は今回の襲撃で、多くのエルフを奴隷にすることが出来ました。これは大きな功績です。しかし、少なからず犠牲が出ています」


「そ、そうね」


「そんな中、部隊を率いるアシュタロト様が幼い少年エルフを牢に繋いでお楽しみというのは……。少し見損ないました。色々な意味で」


「ま、待って!! 違うの、ボーマン!! 牢に繋いでいたのは私じゃなくて!!」


「まあ、自分は止めませんがね。アシュタロト様には今まで浮わついた話の一つもありませんでしたし、この際です。相手が奴隷でも、魔王様はきっとお許しになるでしょう」



 魔王が許す? 魔王って、たしか全ての魔族を統べる偉い人だったはず。


 もしかして、アシュタロトはかなり高位の魔族なのだろうか。



「そこのエルフ」


「あ、はい」



 ボーマンが不意に僕へ声をかけてくる。



「その御方には色々と問題があるが、責任は取ってくださる御方だ。まあ、君のような幼子を牢に繋いで致す趣味があるとは知らなかったが……。逆らわなければ悪いようにはならん。だから抵抗はしない方がいい」


「分かりました。ご心配してくださって、ありがとうございます」



 僕がそう言ってお辞儀をすると、ボーマンは驚いたように目を瞬かせた。



「なあ、少年。俺が怖くないのか?」


「え? いえ、別に。青っぽい鱗が、とても綺麗だと思います」


「……こんないい子を犯そうとするアシュタロト様を、俺は心底軽蔑しますよ」



 ボーマンの言葉にアシュタロトが「!?」と驚いた反応を見せる。


 見たところボーマンはアシュタロトの配下みたいだけど、そんな物言いをして怒られないのかな。

 なんて思ってたら、アシュタロトは慌てた様子で弁明を始めた。



「ち、ちが!! 言い訳をさせて!! これは違うの!!」


「では何をしようとしていたので?」


「……す、少し、吸おうかなって。ヴァイスきゅんの匂いというか、成分を、ちょっぴり……」


「……」


「や、やめて!! そんな目で私を見ないで!! これは画面の向こう側にいる推しが、目の前で動いて話しているという現実に遭遇したオタクの当たり前の反応なの!! 私は、断じて、変態じゃない!!」



 いえ、変態だと思います。でも、オタクって何だろう?



「いえ、変態でしょう。もう貴女様が何を言っても変態の戯れ言ですよ」


「だから違うってばあ!!」


「……まあ、済ませるなら早くしてくださいね。部隊の連中が待ってるので」


「くっ、わ、分かったわよ。先に仕事を終わらせます。取り敢えずヴァイスきゅんの枷を外してっと……」



 ガチャッ。

 という音と共に僕の手足を繋いでいた鎖が外れる。


 ……外れた。


 僕を今まで縛っていた鎖が、こうも簡単に。



「あら、枷のせいで痣ができてるじゃない。どうしよう、うちの部隊には治癒魔術が使える者がいないし……」


「これくらいなら、自分の魔法で治せます」



 僕は魔法を使って、手足の痣や細かい傷を癒やす。

 それにしても、魔術とは何だろうか。魔法と似たようなものかな。



「す、凄い魔法……。流石はハイエルフね」


「はいえ……?」


「ふふ、それも含めて後で話すわ。さ、こんなじめじめした場所はとっとと抜け出して地上に出ましょう!!」


「あ、え? わわっ!!」



 アシュタロトが僕の手を握り、地上へと続く階段を登る。


 僕は一瞬、足取りが重くなるのを感じた。

 多分、今まで見たこともない場所へ出ることを怖がっているのかも知れない。


 しかし、アシュタロトは僕の心情などお構いなしで僕の手を引く。


 すると不思議なことに、心の中から恐怖心が消えていくのが分かった。



「ここが外の世界よ!!」



 僕がアシュタロトに連れられて、初めて見た世界の景色は。



「一面焼け野原、ですね」


「……」



 灰と炎と黒い煙で満ちた、恐ろしい世界だった。


 アシュタロトが慌てる。



「うっ、ちょ、ちょっとボーマン!! どうなってんの!? 誰がこんなことを!?」


「エルフの里は森の奥にあるから木々を焼き払う作戦を立案したのはアシュタロト様ですが。我々が下で騒いでいるうちに火の手が里まで及んだのでしょう」


「私かああああああああああああああああああああああああいッ!!!!」



 アシュタロトが絶叫し、ボーマンが肩を竦める。


 ……ふふっ。



「ふふ、あはははははっ!!」


「ん? どうした、少年。気でも狂ったか?」


「いえ。違います、ボーマンさん。ただ、ちょっと面白くて」



 ずっと地下牢で育った僕が初めて見た光景が、ずっと僕を虐げてきたエルフたちの里が焼け野原となった跡なんて……。


 なんだろう、僕は性格が悪いのかも知れない。


 ちょっぴりスカッとした。



「変な子供だな。俺を怖がったりしないし、故郷を焼け野原にされて笑うなんざ」


「ふふ、そうですね。でも、そっちでニタニタ笑ってる人よりは変じゃないかと」


「……そうだな」



 僕とボーマンはちらりとアシュタロトの方を見た。



「んはあっ!! 推しの笑顔っ!! ッ! イケメンショタエルフの笑顔が眩しくて日焼けするぅ!! 撮らなければ。私の眼球と脳に焼き付けなければ!!」


「……僕、この人ちょっと怖いです」


「安心しろ。俺も怖い」



 これが僕とアシュタロトの、いや、アシュタロト様との出会いだった。




――――――――――――――――――――――

あとがき

平日は夜七時頃、土日は昼十一時頃に投稿します。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る