石油王

 少し遅くなってしまった。

 

 今夜も虫や蛙の声がよく聞こえる。緑化が急速に進んだことで地上の浄化も進み、今や昆虫、植物、動物たちの天下だ。

 破れた水道管から湧き出た水が泉を作り、川や海と混じり合う。地下鉄は排水機能を失いあっという間に水没した。


 明日持って行くものを考えながら、ふと見上げた夜空に流星が尾を引いて走る。

 ロマンを感じないでもないが、あれは制御を失った人工衛星が大気圏で燃え尽きているだけだ。


 かつて道路だったものの上に埃で薄汚れた車やオートバイが放置されている。キーは差しっぱなしになっている物もあるから動かせないこともない。

 しかしそのほとんどは雑草に覆われ、中には車の天井を突き破って生えている木もある。

 

 最初のうちこそガソリンをいただいたこともあったが、そのうち面倒になってやめた。

 その気になれば使い放題だけど、サービスステーションのタンクは地中に埋まっているし、他の車からいちいち抜いて回るのも大変だ。

 仮に地下タンクの掘削に成功したとしてもちょっとしたことで引火したら私の肉で盛大なバーベキューパーティーができるだろう。


 石油王になるのも楽じゃない。


 ああ、そうだ。ジンさんにあまり火を使わないように言っておかないと。地中のガス管も根に侵食されてどこか破れているかもしれないし。

 夕飯を食べようとしたら花火になって打ち上がるのはよろしくない。


 私は家の車庫にバイクを乗り入れてエンジンを切った。うん。電動にして正解。


 小さな庭から家の中に入る前に、並んで立っている両親と妹にそっと抱きついた。硬い樹皮がチクチクと頬を刺す。


 ゴトゴト、ゴボゴボ、ガサガサ。ザザザ。耳を押しつけると耳殻を伝って聞こえる音。


 水分を吸い上げる音だとむかし聞いたことがある。でもそれは違う。

 地下を流れる水の音。地中で動く虫や葉擦れの音。小さな生き物が歩き回る音が、根を伝って聞こえてくるのだ。


 抱きつくなんて、人として動いている時はやらなかった。


 心の中で「ただいま」と言うと、葉のざわめきが「おかえり」と言っているような気がする。


 わかっている。ただの感傷だ。植物の鼓動だの大地ガイアの記憶だのと言い始めたらキリがない。そも誰が作った概念よ。


 でもとりあえず文明の名残りをかき集めて人らしく過ごしていないと、せっかく進化した大脳新皮質が退化してしまうと思うの。


 私は縁側から家の中に入り、電気をつけた。

 太陽光発電設備と蓄電池完備、オール電化の家である。


 元々はこの街に住む独身の叔母の家だが、海外渡航で家を空ける期間と、兄である父の転勤と勤務地の都合が重なって、家の管理がてら住むことになった。


 叔母さんは今ごろどうしてるかな。もし無事だったとしても、船も飛行機も動かないから帰国もできないだろう。

 私に似ている、いや、私が似ているらしい叔母は、ある日突然勤めていた大手の建設会社を辞めて海外に井戸掘りに行ってしまった。


 親戚一同「なんでやねん」と総ツッコミする中、私だけは「叔母さんカッコイイ」と思ったのは良き思い出。


 叔母さんもボッチになりがちな私の話を真剣に聞いてくれた。技術を身に着けておくことを勧めてくれたのも叔母さんだ。


 彼女なら体が動く限り自分で飛行機でもなんでも操縦方法を習得して、大西洋横断単独飛行に成功したアメリア・イアハートみたいに飛んで帰って来そうな気もする。


 そんな期待もあるから、ここで待っていようと思うのかもしれない。

 今日、ジンさんに出会ったことで、その希望も少し大きくなった。


 私は冷蔵庫から取り出したペットボトルの水を飲み、残りを使って手や顔を洗った。


 しかし、叔母さん行く前に井戸も設置してって欲しかったな。

 電気はまかなえても水が出ないのは地味に辛い。

 給水車はそうそう転がってないので、地道に汲んできた水を濾過してお風呂に溜めて乗り切っている。

 排水機能もイかれてるから使った水捨てるのもポンプ頼み。


 そんな訳で洗濯はあまりできないから、近隣の店を巡って多めに服を用意した。

 夏はその辺の川や泉で水浴びすれば済むんだろうけど。


 うーん……お風呂に入りたい。湧き出るお湯につかりたい。風呂好き日本人の血が騒ぐ。


 ジンさんも日記に書いてたけど。確かに温泉……行きたいかもなあ。


 終末石油王の小さな悩み。

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