第6話 反転

岩崎先生からの突然の連絡に、俺は戸惑った。というのも、連絡が入ったのはかつての土日撮影会のグループLINEからで、まさかそれが先生の中で生きていたこと自体が驚きだったからだ。だって、結月や西島先生はとっくにグループを抜けていたからだ。俺はグループの存在自体を忘れていて、退会するのを忘れていた。ある意味奇跡に近い連絡だった。訃報であることを除けば、だけど。

そこから俺は岩崎先生と一対一でやりとりして、中津川で会う段取りを整えた。先生も、俺に連絡がついたのは奇跡だと思ったらしい。でも、もしこれが訃報でなければどんなに良かっただろう・・・と。

冬の冷たい雨が降り、真昼だというのに薄暗い11月、俺は中津川の学校に、先生に会いに行った。

正面玄関で出迎えてくれた先生は、もともと痩せていたのがもっと痩せて頬が少しこけていた。黒かった短髪にも白髪が混じって、少し老けたような気がした。

「久しぶり、元気にしてた?」何か気遣われてる気がする。あの穏やかな岩崎先生とは違って、気丈に振る舞っているようにも感じる。

はい、元気ですよ。と俺は返した。

JET STREAMは今でも聴いてる?はい、聴いてます。昨日の夜も…聴いてました。それから、夏に眠れない時、NHK見てたんですけど映像の世紀って番組も見てました。

相変わらずだね。パリは燃えているかって曲、好きです。ああ、あれね。僕も好きだよ。それからしばらく音楽の話をしながら、俺は2階の小会議室に通された。

小会議室は、「会議室」と呼ぶにはあまりにもお粗末すぎた。何かの資料や段ボールが色んなところに置いてあって、どちらかといえば「倉庫」と言った方がしっくり来る。

その中に、長机と椅子が何脚かあって、俺はその中の一脚をすすめられた。

「どうぞ」ありがとうございます。

連絡に出てくれて、ありがとう。向き合うと、先生は俺に丁重に礼を述べた。自分こそ・・・まさか異動した後に会ってくださってありがとうございます。俺は一礼した。

いや、このことは、どこかのタイミングで言わなきゃいけないと思ったんだ。真澄は特に西島先生を慕っていたし、土日の撮影会だってよく来てたからね。

てか、先生飛騨だったのに、今年中津川に異動ってことは、もし西島先生が普通に働いてたら、会えたってことですよね?

そうかもしれない。

あと少しだったかもしれないのに、どうして死んじゃったんだ先生。

先生、どうして西島先生が亡くなったって知ったんですか?

職員会議で言われたんだ。前から休職されていた西島先生が亡くなられました、って。あ、そうか。同じ職場だから情報が入ってくるわけか。

そう。それから、先生は、淡々と西島先生の情報を話した。


西島先生が亡くなったのは、俺がお見舞いに行ってから2ヶ月くらい経った後のことだったそうだ。あの後、新型感染症が病院内で蔓延し、感染者が続出したそうだ。西島先生もその1人で、感染したらしい。医師や看護師たちは懸命に治療を施したが、オーバードーズやうつ状態で体が弱っていた先生はそれに抗う力がなかった。それで治療も虚しく、ということだったらしい。らしいというのは、岩崎先生からの情報だった。だけど、俺は何となく察していた。

西島先生は感染症で亡くなったんじゃない。安楽死したんだ、と。お見舞いに行った後、俺はしばらく先生と連絡を取り合っていたが、それも1ヶ月くらい経った時、急に連絡が途絶えた。電話しても出ないし、どうしたんだろうと思ったけど、そこから俺も仕事が忙しくなってなかなか先生に連絡を入れる暇も無くなった。まるでそれを見計らっていたかのような死に方だった。

本当に、残念だった。と岩崎先生は締めた。けど、何かその言い方が俺には嫌だった。本当に心がこもっていない。本当に悲しいと思っているのか、疑わしかった。本当にただ情報を伝えて終わり、って感じがして。

先生。俺は言った。先生は、悲しくないんですか?西島先生が死んで。だって、一応は同じ職場で働く仲間だったわけじゃないですか。写真部も学科も同じで。寂しいとか、つらいとか・・・、無いんですか?

それは、もちろんあるよ。岐阜で一緒に働いた仲だし、離れても同じ岐阜県で働く者同士だったからね。残念だとは思っている。

それなら・・・、俺は手が震えた。それなら、何で・・・。声が震える。何で連絡したり会いに行ってあげなかったんだよ。先生は、ずっと死ぬまで病院の中で一人ぼっちだったんだぞ。それって、かわいそうすぎるだろ。だって先生、俺がお見舞い行った時、岩崎先生の話ししたら、急に苦しそうにしてさ・・・。きっと、西島先生は岩崎先生のこと大切な仲間だって思ってたんだよ。会いたかったと思う。だって、じゃなきゃあんな悲しそうな顔しなかったもん。どうして、俺たち、仲間じゃなかったのかよ。仲間なら、弱ってる時は一緒にいるのが普通じゃないのかよ。西島先生は、きっと、何回もSOSを発信してたよ、先生が仲間だって信じてたから。それなのに、どうしてそれを無視したんだよ。ふざけんなよ・・・。俺は涙がぼろぼろ溢れた。

俺、西島先生が亡くなったって連絡受けてから、ずっと・・・泣いてました。すごくつらくて悲しくて。だって、先生がいたから俺は独りで色々抱え込んだりせずにすんだ。自分の好きなものを胸を張って好きだと言えるようになったし、物事の視野だって広がった。いつでも自分を受け止めてくれる人がいるって分かってたから、退屈だった高校生活がすっごく楽しかった。それに、この前だって病気でしんどいのに俺の悩みにすごく親身に寄り添ってくれてさ・・・。普通の先生だったら俺のこと見過ごすのに、あの人は違った。自分が経験してたから人の痛みが分かるし、どこまでも一緒にいてくれた。その人が、もういないってどれだけ悲しいか分かる?話したくてももう話せないんだよ?ついこの前まで一緒にいた人が、もう2度と会えないって、どれだけ寂しいか分かる?それに、先生がどんな気持ちで死んでいったか、分かる?俺はしゃくりあげながら言った。

岩崎先生はずっと下を向いたまま目を閉じていた。

新型感染症が本当か分かんないけど・・・いずれにせよ先生は独りで死んだんだ。会いたかった友達とか、ひょっとしたら彼氏だっていたかもしれない。でも、そういった人たちとの別れを諦めて、俺にまた会えたかもしれない希望も捨てて、行っちゃったんだ。俺、悲しいけど同時にめっちゃムカついたよ。だって、年下だけど、ガキンチョだけど、先生のこと分かるなって思ったもん。大人に比べたら全然頼りないけど、つらいことは共有したかった。それなのに、何で行っちゃったんだよ。俺たち仲間じゃなかったのかよって、裏切られたようにも感じた。そういう気持ちが・・・先生にはないの?どうして苦しんでいる人を無視できるんだ?ただの通りすがりの人だからか?もう会うこともそう無いって思ったからか?だとしたら卑怯だよ。自分だけ逃げて、まるで関わったことないかのように記憶とか消して、ふざけんなよ。俺がどれだけ・・・。と言ったその時だった。岩崎先生が立ち上がった。

真澄。

ひっぱたかれるか、怒鳴られるかと思った。しかし、岩崎先生は、俺を抱きしめた。

ごめん・・・ごめんな。許してくれ。先生は肩を震わせていた。真澄がまさかそんなに西島先生を慕っていたなんて、思ってなかった。だとしたら、俺は、取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。

どういうこと?

さっき真澄が言っただろ?連絡を無視したって。実は僕も、入院したってのは知ってたんだよ。連絡をもらっていたから。

それなら、何で返さなかったんだよ。

仕事で忙しかったから。ありきたりな言い訳だった。それで真澄が俺から逃げるように離れて、激怒したのは言うまでもない。そんなの、本当に言い訳だったからだ。本当は、西島さんと話すのが怖くて、何とかして避けたかったからだ。西島さんのあの決意表明の後、俺は彼女への責任を感じて、近づくのが怖かった。しかも、中津川への勤務が決まってから彼女は嬉々としてその準備を始めたため、そこまでのフォローもいらないかなと、自分の忙しさを使って俺は完全に存在を消した。だけど、彼女の想いの火は消えていなかったのだ。

でも、怖かった。いつか俺にまた教えを乞うてきても、責任は取れないし取りたくない。中途半端だと人に言われたこともあるがその通りで、俺は人間関係さえ中途半端だった。だから、彼女が病気になって入院したと連絡が来た時も、どうすればいいか分からなかった。でも、教員のブラックな環境は、やっぱり彼女には合わなかったと思う気持ちもあった。しかし、自分は過ぎ去った人だ。散々無視した挙げ句今になって「大丈夫?」なんて言えなかった。彼女に怒られるかもしれない、それが怖かった。それに、病気の原因のひとつに、もしかしたら俺が無視してしまっていたからかもしれないという、恐れもあった。俺は弱い。いつもいつも、人間関係を壊してしまうし、結局自分さえ良ければいいという考えで、正面から人とぶつかってみるということをしなかった。だから、夢で西島さんは訴えてたんだ。「離れないで」と叫んでいたのは、そういうわけだったんだ。でも、俺の勇気がないせいで、彼女は俺と分断されてしまっていた。

そして、今、本当に分断され、更にその切込みは俺達だけじゃなくて、真澄にまで及んでいる。

真澄・・・。真澄は泣きながら、静かな怒りを見せていた。お前が殺したも同然じゃないのか?そりゃあ、きっと西島先生は仕事のこととか色んなことで病んでしまったんだと思う。だけど・・・それだけじゃないだろ?仲間に無視されたら、誰だって悲しいだろ。どうしてそういうことしたんだよ、それも忙しいからか!

ごめん、ごめんな真澄。俺は謝るしかできなかった。今更償おうにも無理があった。償われる人はもういないのだから。

ふざけんなよ、ふざけんなよ人殺し!そう言って真澄が長机を拳でドン!と叩いたときだった。

急に俺は激しい頭痛がして、その場にうずくまった。頭をバットで殴られたような、ものすごい痛みだった。遠のく意識の中、突然のでき事に真澄が青ざめうろたえているのが見えた。

いいよ、真澄。と俺は思った。誰も呼ばなくていい、これは俺の罰だ。今まで西島さんや色んな人を苦しめてきた罰だ。俺が死ぬのなら相応しい。色んな人の苦しみを味わえというものなのだ。どうせこの世で贖罪できないのなら、思いっきり苦しませてくれ、地獄に落ちたって構わない―

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