第5話面会
真澄が、来た。わざわざこんな東濃の山奥まで来なくたって、LINEや電話でいくらでも話せるじゃないか。
それに、私が入院しているのは精神病院。本当は面会なんか来て欲しくない。まだ若くて希望がたくさんある青年に、この中身は見せるべきものではない。精神病院は普通の病院ではないのだ。いくら閉鎖病棟に危ない患者が隔離されているからと言って、あんまりオープンにしたいものじゃない。特に今は、新型の感染症も徐々に国内に広がりつつあるから、ウイルスをお互いに移したくない。特にこの病院は、長期的に入院していて高齢の患者さんも多い。私が罹らなくても、迷惑にはなるかもしれない。だから。だけど、それで真澄を追い払うのは教師冥利につきる。やはり私はどこかで真澄が心配だったし、ようやく自分のことが分かった今、次につなげるための指導をする責任感みたいなものも、私は持っていた。それが自分の生きる指針なら。
やがて、待ち合わせの時間になり、真澄が入り口の自動ドアをくぐってきた。その姿は、高校生だった頃よりぐんと爽やかになっていた。身長も少し伸びたかな。見た目だけなら、どこにでもいそうな活発な大学生みたいだけど。こいつはもう一端の社会人なのだ。
「先生」懐かしい声だ。
真澄、久しぶり。元気だった?病人の私が聞く質問ではないけど。
うん、元気。先生は、大丈夫なの?何とか、ね。
一緒に病院の中に入った。今日はすごく良い天気で、5月の新緑の芽吹きも著しく、外の木々の葉が枝に立派に葉を巡らせていた。
風も心地良い温度で、外のベンチで話がしたかったが、昨日は雨が降っていて、ベンチ周りが水浸しになっていたので、そういうわけにもいかなかった。
遠かったでしょ?岐阜から東濃の端っこなんて。そうでもなかったよ。高速使えばすぐだったし。
え、今日車で来たの?すごいね。うん。
先生は、中津川に住んでいるの?ううん、私は多治見っていう東濃の入り口あたりの所に住んでる。夏はくそ暑いよ。
ああ、ニュースでよくやってるよね。
他愛もない会話をしながら、フロアの端っこにある憩いのスペースと言うかラウンジみたいなところまで真澄と並んで歩く。ここなら売店も近いからお腹が空いたとか言われても大丈夫だろう。テーブルと椅子もあるので、ゆっくり話はできる。まだこの前のうつ期から回復して間もないので、私はゆっくりとしか歩けない。それに、真澄は歩幅を合わせてくれた。ごめんね、ゆっくりとしか歩けなくて。病人なんだから仕方ないでしょ。生意気言って。私は苦笑いした。
一式のテーブルに着くと、私は真澄と向き合って、椅子に座った。
どうして、わざわざ会いに来たの?
話をしたかったから。話?
俺、最近仕事うまくいかなくて・・・正直発達障害のたぐいな気がするんだ。ネットとか見ると、当てはまること結構あるし。自閉傾向、ってやつかもしれない。
ビンゴ。私の心の中でそんな声が響いた。知ってた。私は、真澄と色んな活動をしていく中で、そういう気を感じていた。
それに、最近うちの会社で休職したり辞めたりする人が増えてきて、結構仕事大変になってきてて。どうすればいいか分かんなくなってきちゃった。だから、今休職してる先生の話を聞きたくて。
話って?
どうして病気になっちゃったかとか、今どう過ごしてるかとか、そういうやつ。
結構、あからさまなこと聞くね。私は苦笑いした。どうして病気になったかって、それは・・・職場の不一致とトラウマの再発だよ。
不一致?中津川、そんなにやばかったの?
うん。それなりにね。私は、あれから電子機械科に配属になったんだけど、中身はほぼ電子科って感じで、機械が専門の私には何のことやらさっぱりだった。まあ、仕方ないんだけどさ。でも、生徒は分かると思って聞いてくる。それがプレッシャーになった。あと、学科職員が意地悪だったね。全く初めてのことを、教えて下さいってお願いしても、「自分でやらなきゃ」って言われてさ。こっちは分からないし、やったことないから仕事にならなくて困ってるのに突き放された。前の学校ではそんなことなかったのにね。しかも、課題研究だって、ようやく付けた知識を使って、私と生徒とで計画練り上げても、出張でいない時に勝手に割り込んできて計画壊すし、それでいて何も報告しないのよ。思いつきで動いてるって感じで、でも周りはそれを誰も止めないの。そういう変な人たちに振り回されてたら、具合悪くなっちゃった。
トラウマってのは?
あー、それ?トラウマっていうのは、岐阜に勤める前にあったことだよ。私、出身愛知県で、岐阜に来る前は愛知の学校で働いてたの。
機械科?ううん、自動車科とか建設科。
それって、無理な話じゃん。うん、無理よ。ど素人だもん。それに、それぞれに変な文化があったんだよね。
変な文化?
新人はいじめて育てるとか、できの悪いやつは人柱にしていじめる、ってやつ。
は、何それ。そんなことやってて「いじめをするな」って俺たちに言って、まじ矛盾してるじゃん。
そうだと思う。
中津川もそうだったの?
ううん、そこまでではなかった。でも、私が出してるSOSを無視してるのは感じた。仕方なかったのかもしれないけど。
彼は、中津川での勤務歴が長いゆえ、自分勝手で、子どもみたいに思いつきのままに動くのを止める人は誰もいなかった。いや、過去には咎める人もいたかもしれない。それでもそのスタイルが崩れないということは、みんな諦めてしまっているのだろう。
あんな大人、初めて見た。それに、人の状況とか何も考えない人でね、私は電車通勤をしてたんだけど、始発で着くよりも前に仕事に来てくれって言われて、無理ですって言ったんだけど聞かなくてね。この人は、人の家庭とか色々考えない人なんだなって思った。それに、本当に思いつきで動く人だから、行動が予測できなくて、前にこうするって言ったことが、後になって急に変わってたりね。誰にも報告せずによ。
協調性とか、常識が無いんだね。でも諦められてるってことは、前にも被害受けた人がいるってことかな。
そうかもしれない。
でも、愛知にいたときとは状況は違うよね?いじめはなかったわけだし。
生徒からのいじめはあった。え、生徒?
私が色々初めてでできないのを、ベテランの先生たちと寄ってたかっていじめてきたのよ。何もできないじゃん、とか、こいつバカじゃんとか言われた。初めてのことって、なかなか上手くいかないし緊張するし、ましてや誰かがサポートしてくれる環境でもなかったからできないことのほうが多かった。急に訳分からない質問投げて、答えられなかったらバカにしてきたりね。
中津川もそうだったの?
部活がそうだった。私、吹奏楽部の顧問になったのよ。吹奏楽?あのブラックで有名なやつ?思わずクスッと笑ってしまった。真澄、それは偏見だよ。
必ずしも全部がそうじゃないけど、まあブラックといえばそうかも。土日も練習あったし、さっきの自分勝手な先生が主で動いてたから。
ってことは、その人がやりたい放題やってたってこと?
そんな感じかな。でも、性格が子どもっぽかったから生徒には人気だったの。でも私は・・・。
吹奏楽部―実はこれこそ中津川での元凶だった。私はもともと中学生の時吹奏楽部に入っていた。しかし、そこで私は顧問からさんざんな理不尽をされた。また、同級生から激しいいじめを受け、3年生の始めで私は退部した。
理不尽された、ってどういうこと?
私ね、その時歯並びが悪くてワイヤーの矯正をしてたの。そのせいで、管楽器をやらせてもらえなかったんだ。一生懸命練習して、合奏にもついていけるようになって、オーディションで一番上手く吹いたのによ?しかも、のちに歯列矯正は木管楽器なら吹いても支障がないことが判明し、私は部顧問に不満をつのらせた。そして、当時の私はクラシック音楽に傾倒しており、かつての真澄がそうだったように、他の同級生とソリが合わなかった。
だからいじめられたの?そう。
訳分かんないよね。真澄が言った。無知だったり、自分たちと違うからって爪弾きにしてさ。どこかで折り合いつけるとかそういう知恵無いのかな。
無いからいじめるんだと思う。私は言った。
中津川で、日々その人の暴走に振り回されるうち、私はパニック障害を引き起こすようになってしまった。通勤電車の中で過呼吸を何回も起こした。
吹奏楽部の練習に行けば、当時のことを思い出してめまいを起こし、倒れそうになった。しかし、生徒たちにはそれが面白かったようだった。
やがて、私はこの病院の市橋先生に掛かるようになり、部活へ行くことを止めてもらった。それで部活に行くのをやめていたある日、学科の生徒が私に言った。
「何で来れないの?」病気だから。と私は言った。病気って何?さすがに精神疾患とは言えないので、あまり言えない病気だと答えると、彼女は「痔ですか?」と言った。勘違いにも甚だしいものだ。あなたがたのせいで病気になったというのに。それは違う、というと、彼女は、ふーん、と言ってどこかへ行ってしまった。
その後も私は更に学科に振り回され、パニック発作がひどくなって、学校で安定剤のオーバードーズを図り、そのまま意識を失ってしまったのだ。
それで入院したってこと?
そう、そんな感じ。
ひどいよね。でも、もっとひどい例はたくさんあるよ。じゃなきゃ今、教員の自殺は増えてないからね。
職場や生徒が殺してるみたいだよね。これから頑張ろうとしてる若い先生たちをわざと殺してるみたい。後でなり手がいない、教えてくれる先生がいない、って困るのは自分たちなのに。そうね。
何か、これじゃあ私の愚痴になってしまってる。真澄の相談事が手を付けられていない。
真澄。私は言った。
相談事があったんじゃないの?
まあ、あったけど・・・、俺のことより先生のほうが深刻そうだからいい。クスッと笑ってしまった。
いいの?
だって、そんなエグい体験してるのに、誰もかばったりねぎらったりしてないんでしょ?俺の悩みが小さく見える。
そうかな。実は、さっきの会話の中に、ヒントはあったんだよ。
そうなの?
うん。だって、私も自閉傾向だもん。
入院して、状態が落ち着き始めた時、私は知能検査や性格検査など、色んな心理検査を受けた。
その結果、知能指数が健常者より少し高く(ギフテッドほどではないが高く出た)、軽度の自閉傾向も認められた。
親が私を激しく非難しているのは、実はこのこともあった。知能が高いことを誇れば良いものをと思ったが、「普通」という枠にはまっていないことが嫌な親たちは私を非難した。まあ、そのことはさておき。私は真澄に言った。
急な予定変更に弱い、曖昧な表現が分からない、こだわりが強い。これが自閉の代表的な例よ。真澄はどう?
あと、私は音声記憶が強いけど、空間認識能力が弱いの。だから、車の運転はきついかな。
俺は平気ですよ。あと、製図得意でした。そうだね、結月のテクニカルイラストレーション、手伝ってたもんね。
製図は私の担当ではなかったが、岩崎先生が時折私に話してくれた。真澄は空間認識能力がすごい、みんながなかなか受からない製図検定をほぼ満点で受かったし、描くスピードも速い。と。それに、真澄の写真は明るさにすごく思い入れがあるようで、自分の目で見たものと同じものになるまで、撮影は粘っていた。
そういったことを思えば、真澄は空間認識能力や視覚の記憶が強いということだろうか?
真澄、自閉は活かせるものだよ。私は言った。もし、自閉傾向であることをつらく思っていたら、と思った。
活かせるの?
もちろん。あんたは1つの物事に対して粘りが強いし、私ができないことができる。それだけでもすごいと思う。というか、自閉傾向やADHDは病気や障害じゃなくて、性格みたいなものだから、悪化することはないし、要は考え方。自閉傾向を使ってもっと自分に合った仕事に就くとか、趣味にそれを活かすとかね。反対に、合わない環境にいれば、自閉が足を引っ張って私みたいになっちゃうけど・・・。
先生は、転職するとかはしないの?
今んとこ無いかな。それも自閉のこだわりのせいかもだけど。まあ、こんな体調だし。またいつ寝たきりになるかわからないから、今んとこ無理。
うつってそんなにダメージが大きいんだ。うん。今日は運が良かった。明日は今日の反動で、寝たきりになってしまうかもだけど。苦笑いした。
何か、許せないよね。真澄が言った。寝たきりになるまで一生懸命生きてるのに、それをバカにする人がいるとか。
多分、そういう状態になったこと無いし、絶対そういう苦しい、って感情が分からないんだと思う。そういう人たちって、諦められちゃって甘やかされてるから。
ふうん、と真澄。まあ、分かってくれる人がいるのは嬉しいよ。それに、頼ってくれるのも。あんたが頼ってくれなかったら、私今頃死んでたかもしれない。私は言った。
そんなにひどかったの?まあね。
どうして、もっと早く俺とか結月とかに言ってくれなかったの?岩崎先生は?
その言葉に、私はぐさりと来た。真澄には言わなかったが、実はトラウマとは岩崎さんのことも指していたからだ。
あの決意表明以来、避けられてしまったこと、私のせいなのかと自分を責め続けたこと、そのこともあった。そして、会いたいと遠回しに連絡しても無視されることも、入っていた。
岩崎先生は、連絡しないの?その質問に罪はない。真澄は知らないだけだから。真澄に罪はない。それ故に、つらいことだった。
うん、連絡しても返事がないの。そう私が返せるまでに、若干の時間を要した。そのことに、真澄は、私の体調がまた悪くなったのかもと思ったらしい。
私がうずくまっている間中、大丈夫?誰か呼ぼうか?と聞いてくれた。ううん、大丈夫。と何とか返したけど。
俺、何か悪いこと言った?ううん、大丈夫。外の人と会うのが久しぶり過ぎて、ちょっと疲れただけ。嘘をついた。本当は、まだ心のどこかで岩崎さんを想っていた。
最近、またよく夢に岩崎さんを見る。また、というのは、岐阜にいた時も夢によく岩崎さんが出てきたからだ。特に何をするわけでもなく、何かを語り合っていた。淡墨桜を目の前にして。そして今また、同じ夢を見る。2人で寄り添い、手を繋いで何かを語り合う。そこに流れているのは、ゆったりとした安心感と幸福感だ。やがてうっとりしながら目が覚めて、独りの現実を見て悲しくなる。最近の私の朝の目覚めは、だいたいこんなものだった。思い出すとまた切なさや悲しみが蘇ってくる。私は話題を必死で変えた。
そういえば、着いてから何も食べてないじゃん、お腹空いてないの?私は少し話題を変えた。あ、そういえばそうかも。と真澄が言った時、真澄のお腹が鳴った。
ほらね、と私はほくそ笑んだ。そこに売店があるし、お菓子でもなんでも良いから食べよ。うん。
自分の怪我の状態や体調、空腹の状態に気づきにくいのも自閉の症状の1つなんだよ。へえ、それならもっと自分を慎重に見なきゃ。
あんまり慎重になっても難しいと思うけどね。私は苦笑いした。
売店で思い思いに好きなものを買って、私達は再びラウンジに座り直した。
真澄はチョコレートビスケットとお茶、私はシリアルバーと温かい紅茶を買った。先生、まだ紅茶好きなんだね。真澄が言った。
私は、土日の写真撮影会の折に、必ず水筒に紅茶を入れてきたほど紅茶が好きだ。そして撮影会の後、こっそり岩崎先生や真澄、結月と岐阜駅のカフェでお茶をした時もホットティーを頼んだ。覚えてたんだ。まあ、ね。よぼどお腹が空いていたのか、真澄はバリボリとビスケットを食べ始めた。真澄も、チョコレート好きなの相変わらずだね。真澄は学校にいたときからずっと、リュックにチョコレート菓子を忍ばせていた。私は部活の際、時々真澄がくれた菓子を結月と食べたことがある。その時と同じものだった。変わらないものもあるもんだ、と思った。しかし、変わってしまったものもある。例えば―
そういや、淡墨桜見に行くって随分前に約束してたのに、無くなっちゃったよね。ビスケットを食べ終わると、真澄が言った。
うん、異動しちゃったからね。そういえばそんな約束をしていた。そして忘れてしまっていた。思い出の場所なのに。
今度は、4人で行きたい。と真澄。岩崎先生も誘って、4人で。無理なんじゃない?岩崎先生はまだ飛騨だよ。
結月と協力して、何とかやってみたい。結月と?へえー、あんたたちあれから随分仲良くなったんだね。
仲良くなったというか、写真部での居場所がそこしかなくなったから。そうなの?うん。
先生たちがいなくなってから、俺は結月といる時間がぐっと増えた気がする。お互い、仲間を失った者同士、傷を共有するような、シンパシーみたいな不思議な感情が芽生えた。土日の課題撮影も、2人で行くようになった。山登りだってよく一緒に行ったし、先生たちはいなかったけど薄墨桜を撮りに行ったりもした。そして結月は、他にも友達がいっぱいいたけど、俺との時間を重要視するようになり、俺がどこか行きたいといえば、そいつらとの約束を蹴って一緒に来てくれた。
お前は見てないと、本当に沈んじゃいそうで、そのまま出てこなくなるかもしれないのが不安なんだ、と言われた。
独りじゃないぞ、お前は。俺がいるからな。何か、陽キャの結月にしては気持ち悪かったけど、本当は結月だって寂しかったと思う。結月も、部活の中で独りになるのが怖かったんだと思う。だから。就職試験の時も、一緒に履歴書を書いたり志望動機を考えたりした。テスト前も一緒に勉強して、結月のグループのメンバーに入れてもらったりして俺も少し交友関係が広がった。それで最後の一年間は乗り切ったけど、やっぱり寂しかった。
そっか、そんなに、寂しかったんだね。ごめんね。でも、私も寂しかった。写真部なかったし、逃げ場がどこにもなくて、追い詰められてるような気がしたんだ。真澄や結月みたいに話せる生徒もそういなかったし。でも、子どもじゃあるまいしあんた達にそれは言えなかった。変な風に誤解されるのも嫌だったから。
誤解されても、つらかったら言える人に言ったほうが良いと思う。俺、先生に比べればガキだけど、分かるんだ。さっきの話だって、俺同じようなこと経験してるから分かる。自分、趣味おかしいんじゃないかって、好きだけどコンプレックスになってた。だけど、それは先生もだった。だから俺のことパワポ実習の時分かってくれたじゃないか。あれがなかったら、俺は全然プレゼンなんかできなかった。だから、話すことって大事なんじゃないかな。特に、つらかったこととか、悲しかったこととか。特に今こんな風になってるなら尚更、抱え込んで欲しくない。
そう?ありがとう。私は微笑んだ。でもその笑みは、嘘の笑みだった。だって、失恋のことまで教え子には話せない、というか話したくない。
私が病んだ理由は、仕事だけじゃなくて岩崎さんとのこともあったのだ。しかしこの子は岩崎先生のことも慕っている。だから、がっかりさせるわけにはいかない。私なりの愛情だった。
それから先は、今やっているデイケアのことから、自閉傾向のことを色々話した。真澄の仕事の悩みを聴いて、できるところはアドバイスを入れた。それが私の務めだし、もともとデイケアだってこういう時のために役立てたいと思っていたからだ。
一通り話し終わると、日が傾いていた。そろそろ帰ったほうが良いでしょ?と聞くと、うん。と真澄が頷いた。
病院の外に出て、見送った。ありがとう、来てくれて。
ううん、俺だってありがとう。こんなに体調悪かったのに会ってもらって。それに、岐阜の病院とか発達障害者支援センターとか教えてもらって、視野広がったし。
それなら良かった。東濃だったら、この病院の私の主治医に見てもらえたんだけど。
結月は今東濃の自動車部品メーカーにいるよ。学園生終わったみたい。あ、そうなの。今度は結月と来るね。え、やめたほうが良いよ、今新型感染症とか出てるし、移したら大変。
大丈夫だよ、俺らバカだし。バカだったら2人とも評定の高い企業入れないわよ?私はクスッと笑った。
それは運が良かったからだよ。真澄が笑う。屈託のない笑顔だった。
じゃあ、気をつけてね。私は言った。
うん、また来る。だから同じこと言わせないでよ。こんな風にいつまでも話せていたら、どんなに幸せだろう。
そう思ったのは、きっと私だけでなく、真澄もそうな気がする。真澄の笑顔に、私は何となく陰りを見つけた。
どうしたの?えっ、何が?
真澄、何かつらそうに見えた。やっぱり何かまだ不安?
ううん。いや、あのさ。俺ここ来る前に調べたんだけど、ここって安楽死病棟あるんでしょ?最近できた「死ぬ権利」の試験的用途で。だから…先生死んじゃうんじゃないかって思ったんだ。
それはないよ。私は言った。確かに、1回死のうとしたけど、あんたが色々思い出させてくれた。私の生きる意味を。そうなの?
うん。真澄が私に色々話してくれたから、私はまだあんたやあんたに似たような子を支えなきゃいけないって思い出したの。真澄、すごいんだよ。人の命助けたから。
そう?うん。ありがとう。だから私は死なないよ。死なないで。真澄が言った。そして、真澄は私に抱きついてきた。生きてね。俺がいるから。そう言われてるような気がした。でもそれは真澄だってそうだよ。と私は心の中で返す。抱え込まなくていい、私がいるからね。
共依存、と罵られても構わなかった。それくらい今の私達はお互いを欲し、仲間たちを欲していた。それが生きる意味だからだ。私達はしばらく何も言わずに抱き合っていた。
そのお見舞いから半年くらい経ったある日、急に俺に連絡が入った。
西島先生が亡くなったそうです、と。しかもその連絡は、岩崎先生からだった。
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