第4話解脱

デイケア室の本棚には、ところ狭しと本が詰まっていた。うつ病や発達障害に関する本、双極性障害についての資料をまとめたファイル、自律神経失調症の対処療法の本、アドラー心理学に基づく自己啓発書など、精神疾患を持つ人たちが足りないものを補うための補給スタンドのように、ぎっしりと。

私は、病室でただ過ごすところから、日中はデイケア室で看護師さんたちが提示する課題をやるリハビリ期に移った。とはいえ、リハビリ課題は私にとって日中の暇な時間を潰すためには、あまりにもお粗末すぎた。とにかく日中の活動量を増やすために、デイケア室の机に向かって小学生レベルの漢字ドリルや計算ドリル、塗り絵、パズル本をこなすだけだ。それが私にはつまらなさすぎた。せっかく知能検査やら心理検査を受けたのに・・・。その結果に基づいたレベルの課題を出せば良いものを、ここの病院のデイケアはそこまで深く考えていないらしい。まあ、私よりもっと重い、幻覚や幻聴に悩まされて長く入院している人や、少し目を離したすきにリストカットや自殺未遂をしかねない患者さんも入院している病院だから、リハビリ期となるとそこまで重要度は高くない。したがって、そこまで力を入れる必要はない、という解釈なのだろう。

しかし、処方箋が一人ひとり違うように、リハビリの内容も違っていなければ、治療の効果は薄かったり濃かったり、そっちの方が面倒くさくないだろうか?

本棚の本を吟味しながら、私は考えにふける。やる前から答えがわかる計算ドリルをやるより、こういう専門書を読みふけったほうがよっぽど治療になるのではないか、と思って。それに、いずれ職場に戻った際、役に立ちそうな本もたくさんあった。パニック障害、発達障害、認知行動療法に関する本は、授業や生徒指導で使えそうだ。

真澄や結月がそうであるように、発達障害を抱える子どもは年々増加している。また、子どものメンタルは大人が想像しているものより遥かに繊細だ。ちょっとしたことで動揺してしまう。その時、落ち着いて対処できる大人がいれば、子どもの安全は速やかに守られる。守ることも教員の役目なのだ。

今日はパニック障害の本でも読もうかな。

そう私が思って、本に手を伸ばしたときだった。ふと、「愛着障害」と書かれた本に目がいった。

愛着障害―この前、市橋さんが診察の時、私に言った言葉。

「あなたには、愛着障害もあるような気がするの」

自分の生い立ちを見れば、いつも何かの不安を抱えながら生きていたのはそうだけど。その不安というものも、生命維持ができなくなるかもしれないレベルから、取越し苦労のレベルまで様々で、でも年齢的に見ると持たざるを得なかった不安もある。

でも、その不安が、いつの間にか自分を前向きに生かす力を奪い、私に消えない恐怖心を植え付けた。見えない暴力による心の痣は、思っていたより深かった。

しかし、その「愛着障害」が何なのか、正直私は知らないでいた。主治医の市橋さんに言われるまで、そのワードさえ知らなかった。

本を取って、机に戻る。椅子に座って、ページをめくった。

その本は、愛着障害が発生するメカニズムから説明があって、説明の内容は、だいたい私の生い立ちのような感じだった。でも、説明はそれで終わりではなかった。

何と、愛着障害は、私のようなタイプ「不安型愛着」だけではなく、「回避型愛着」というものも存在するという。

それは、他人との間に親密な関係を求めようとせず、親密な信頼関係や、それに伴う持続的な責任を避ける傾向があるようだ。その記述を見て、私はハタと気がついた。

これってまさか・・・岩崎さんのこと?

さらにページを読み進めてみると、回避型愛着を持つ人は、愛情を求められるようになったり、依存が深くなるとその人が重荷になるらしい。また、仕事や趣味、スポーツなど、ある特定の領域の興味や関心を共有する仲間とその部分だけで付き合いを求めるそうで。要は、情報交換や、そのジャンルに関することのみの相談相手として人を「使う」ために付き合うのだという。

岩崎さんのことを考えてみた。確かに、彼は趣味のプラモデルやクラシック音楽、写真、ゲームやアニメや漫画の話の時はすごく食いついてきたし反応が良かった。それなりに話ができていたし、楽しそうにしていた。そして、私も岩崎さんと話す時は、主にそういう話を持ちかけるように心がけていた。だって、そうしないと、沈黙が怖かったから。

でも、私が決意表明して、岩崎さんに「これからも、もっといろんなこと教えて下さいね」って言ったときのリアクションは―どうだっただろう。

その後は―何か急に潮が引いたように、岩崎さんは私の声かけに応じなくなった。話しかけても相槌を打つだけで、深みに入ろうとはしなかった。

別れた後は―LINEを送っても既読スルーだった。さらに、彼の生い立ち。たまに話してくれた内容を寄せ集めると、親が転勤族で、しょっちゅう転校を繰り返しており、人と深い友情を培ったことがない。別れも、寂しいと思ったことがなかった。社会人になってからも、転職を繰り返したり契約社員で色んなところに行かされたりして、人間関係なんてまともに考えたことがなかった。つまり、独りで殻に閉じこもっていた方が断然楽だし、趣味や嗜好は、どこにいても続けられるからそっちに逃げてしまえば時間は過ぎる―私なりの解釈だけど。

目からウロコが落ちる、とは、このことを言うのだろう。今まで霧がかかって何も見えなかったのが、一気にクリアになったように、心が晴れた。

自分に縛り付けていた重りがドスンと音を立てて落ちた。

私は悪くなかった。私のせいで岩崎さんが離れたんじゃない。すべては、それぞれの生い立ちや環境によるものだった。

不安型と回避型、相反するもの同士で向き合っていたから、上手くいかなかった。水と油が交わらないのに、無理やり撹拌してるようなものだった。

誰のせいでもない。それが、私の心の痛みを幾らか和らげてくれた。

その後しばらくの間、私は比較的落ち着いて穏やかな日々を過ごすことができた。デイケアは相変わらず退屈だし、認知行動療法は一度自分の中でこうすればいい、と解決してしまったからこれ以上進めない。

なぜ自分が病気になって休職したか考察する作文課題も始めたけど、大体の理由は分かっている。

「周りの人に振り回されすぎて疲れてしまった」からだ。アサーショントレーニングに参加して、私は、自分が自己表現したり、自分の意思で動く権利が自分にもあることを知って目から鱗が落ちた。アンガーマネジメントの講義を受けて、人に怒っていいことを知って、励まされたような気がした。

危ない時、誤解された時、傷つけられた時・・・、よくあるヒステリックに怒るのではなく、自分は人からこう言われて何を思ったかを言って良い、いやむしろ言わなければならない。

私はどれだけ無知な中で頑張っていたんだろう。自分にも人権があることをいつの間に忘れていたのだろう。いじめられすぎて、そんなものさえ無いと思考が歪んでいた。

でも・・・、どれだけそれが分かっていたとしても、現実世界でそれをすぐ発動できるかといえばそれは別問題である。

私が負ったトラウマは、そんなすぐに解消されるものではない。ましてや戻るところがあんな強烈な場所なのだから。

「自分勝手」そのワードが一番よく似合う学科だ。こっちがどれだけ一生懸命貢献しても、ちょっとの気まぐれですぐに壊される。そして、管理職に注意してもらえば嫌な顔をされる。子どもがそのまま大人になったみたいな人がたくさんいるし、私より精神科にかかってほしいと思う人ばかりだった。

でも、退院したら私はそこに戻らなくてはならない。

何のための「適応障害」なんだ。何のための治療なんだ。勿論、認知行動療法をやって、学科外の人に色々聞いてみるとか、自分勝手なことされたら「悲しい」「どうしてそういうことをしたんですか?」と自分の感情を表現するという策はできた。でも、策ができてもそれでいいという訳でもない。

慣れ親しんでなんかいないのに、上は勝手に、「異動しても他の学校に迷惑かかるし、それなら今慣れ親しんだ場所でやったほうが良い」という。

慣れ親しんでたら病気なんかならないのに。

それに、私には入院中もう一つ辛いことがあった。

実家に帰って来いと親に言われたのだ。あの毒親と一緒に暮らすなんて、考えただけでもゾッとする。私の病気を、「根性がない」とか「管理職に甘えすぎ」「発達障害だなんてそんなの嘘、お前は普通だ」「お前なんか使いものにならないってみんな裏で言ってるぞ」と散々誹謗中傷したあの親だ。休職と入院が決まったあと、私が病室で持ち込んだ安定剤を使ってオーバードーズし、こっそり持ってきた靴紐で首を吊って死にかけた原因だというのにー親は何も分かっていない。原因の片棒を担いでいるのに。

だから、私は決めていることがあった。退院したら死ぬ。誰がなんと言おうと、私は実家の自室で死んでやる。そして、今まで私を傷つけた人すべてを呪ってやる。勿論、親だって今の職場の人だって。だけど、岩崎さんは呪えなくなった。だって、離れてしまったのは彼の特性であって誰のせいでもない。ひょっとして、その他の人たちもー本当に無自覚な人や傲慢な人を除いてーはそんなに私のこと気にしていなかったのかもしれない。だとすれば、だとしてもー結局最後は行き詰まってしまう。

自分勝手な人たちに振り回されたトラウマや、職場自体に持ってしまったトラウマは、私がどう頑張っても消すことができない。トラウマには勿論本人の努力も必要だが、それ以前に周囲が、トラウマがあることを理解した上で受け入れることも必要だ。

でも、私の職場は学校。生徒が一番大事な所だ。職員ばかりにケアを入れる余裕なんかない。

そう思うと、私なんかいなくなってしまった方がみんなのためだと思う。私のせいで、やりたくない仕事をさせられている人がいるし、キャパを超えてしまっている人もいる。しかし私は病人で、思うように使えない。それなら、いなくなってしまった方が良いに決まっている。私が死んだあとのことは知らないし、寧ろ私がどれだけ苦しめられていたか周りに示す良い方法だとも思う。やっぱり、死ぬしかないのだ。それに、私がいなくても職場はちゃんと動くし、「あなたにしかできない使命がある」とか綺麗事言われたって、現実私がいなくても社会は成り立ってるんだから、そんなの嘘に決まってる。


「あなた、死のうとしてない?」私の死の決意は見るも無残に市橋さんに見破られた。

言動がやけっぱちになってる気がするんだけど、どうかしら。最近の作文課題も、何かやる気が失速してるわね。診察の時、私が出した作文のノートを見て聞かれた。

分からないんです、質問の内容が。それに、死にたいって気持ちも日増しに強くなってます。どうせ私が生きてたって必要とされたことはないし、誰にも影響ありませんよ。

市橋さんはしばらく考え込んでいた。そして、彼女は私の予想に反する質問を投げかけた。

「安楽死病棟へ移ってみる気はない?」「安楽死病棟?」私は驚いた。どうせ掛けられる言葉は、「あなたにだって救ってきた子たちがいるでしょう」「今自殺したらいつか後悔するわよ」だと思っていたから。

まだあまり知られていないんだけど、今国が、密かに治療の一環に入れようとしてるのよ。ここ十数年、精神を病んで色んなところで自死する人が増えてるし、海外へ安楽死に行く人も増えてて、安楽死は決してこの国でも見過ごすことのできない問題なのね。中でも多いのが若い人の自死。ちょうど社会に出始める20代から30代辺りが多い。そして特に教員の自死が。ハラスメントや長時間労働、不慣れな環境で色々抱え込んで心を病んで、そうして亡くなってしまう。そういった人達が増えて、教職員へのカウンセリングが義務化されたり、休職の期間が伸ばされたり、復帰前のリハビリ施設でのリハビリが必須化されたり策は色々打ってきたけど、それでも環境が良くならずに、賢くて真面目な人がどんどん潰されていく。親ガチャとか言って、家庭環境の悪い家で育って、生きたくないのに生きなくちゃいけないって思ってる人もいる。それならせめて死ぬ権利だけでもと思って、まずは試験段階だけど、公務員や教職員限定で安楽死が認められたの。だから、実験台にするわけじゃないけど、一度入ってみたほうが良いかもよ。かえって死が現実的になると、見えるものがあると思う。見えるもの?

自分が持っていた本当の思いとか、今の自分の悩みとか・・・、はっきり見えると思う。

海外だとね、自殺志願者を集めて、実際に棺の中に入ってもらうイベントがあるんですって。そうすると、大体の人は今自分が何に悩んでいるのかはっきりして、まだ死ぬのはやめようって思いとどまる人が多いみたいよ。それに、書くだけが認知行動療法じゃないと私は個人的に思ってる。話し合ったり、触れてみたり、色々感じてみることが大切だと思う。認知行動療法は、自分を客観的に見つめることだから。

半分は、死ぬことを引き止めているんだと思う。それが医者だ。でも、患者の苦しみを取り除くことも医者の務めだ。本当に今の私の心を理解したくて出した結論だろう。決して、悪意はないと思う。だけど、その答えに私は動揺を隠せなかった。確かに死にたいと思ってはいたけど、本当に「死になさい」と言われるとためらってしまう・・・。

弱いな、私。ため息を吐いた。


その後、私は安楽死病棟へは移らなかった。やはり死を目前にした時、ここまでではないと思ったからだ。その代わり、死ぬこと以外でどうやって今後の苦しみと向き合っていこうか、私は悩んだ。もちろん、デイケア室の本を読みふけったり、認知行動療法のネタにするために色々悩みを紙に書いてみたりしてみたけど、悩みは解決できなかった。

そのことが原因で、私はまた具合を悪くしてしまった。急性期に戻ることはなかったが、重いうつ状態が続き、ベッドから起き上がることが困難になった。食事もあまり喉を通らず、経口栄養剤や点滴に切り替わった。

あんまり悩まんでいいよ、と看護師さんや市橋さんに言われたけど、私は負のループにはまってしまった。

死ぬこと以外で今の職場で安全に生きるには、とどうしても考えてしまう。夜も眠れなかった。ただ、ぼーっと横になっていることしかできなかった。

そんな、負の日々が一転したのは、真澄からの連絡だった。

「先生、今度の土日に会えませんか?」いきなりすぎるなと思ったけど、どうしたの?と返した。

「先生に相談したいことがあるんです」相談したいこと?私の体が、何かを取り戻したかのように急激に力が入っていくのが分かる。

「最近、仕事で上手くいってないのと、自分発達障害があるかも知れない」頭の回線が、急激につながっていく。そして、ようやく私のやってきたことが実を結びそうだ。

真澄に発達障害があることは、写真部にいたときから分かっていた。今こそ教えるときだ。真澄がどんなタイプかを。そして、どうやって今後の社会を生きていくべきかを。

私に必要だったのは、死ではなかったかもしれない。私に必要だったのは、誰か大切な人の心に寄り添い、支えることだ。例え傲慢、エゴと言われても、私を必要としている人がいる限り、私は生きなければならないのだ。


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