応援コメント

第16話 今日、誰のために生きる?」への応援コメント

  • ぐっはぁぁぁぁぁぁ!?
    胸が痛い。痛すぎる。心に突き刺さる言葉の数々に、私の人生は粉々に砕け散りました。「幸せの三か条」・・・おうふ。そんなものはない。死のう。(T T)

    『抱きしめるようにして話すんだよ』・・・ああ、なるほど。よくわかります。自分の人生にはないものでしたからね。そうか、そういうことなのですか。色々腑に落ちました。良い言葉を聞かせて頂き、感謝です。




    さて、最新話まで追いついたので、ここで一旦お星様を入れておきますね。それと、以下長くなりますが、第10話のお返事です。適当に読み流してやって下さい。

    まずは例のアンケートにご回答頂き、深謝申し上げます。

    【選択肢】
    ①読者様を裏切らないためにも、確実に完結(ないし目標地点まで投稿)できるだけの見通しを持ってから公開すべき。

    ②趣味の世界なのだから、自分が書きたいものを好きに投稿すればよいのであって、甘い見通しで書き始めたからといって文句を言われる筋合いはない。途中で投げ出したとしても、それは素人作者の特権である。

    ③趣味の世界であったとしても、公開してしまったからには根性入れて最後まで続ける。途中でやめることなどありえない。ただし、最初から完結までの見通しを立てておく必要などはないと考える。

    ④それ以外


    > 私の場合、初めてweb小説を書いたときは、物語のコンセプトも方向性も、ストーリーすらもざっくりした状態でとにかく書き始めました。
    > 書きながら考えていた、という感じです。構想も何もあったもんじゃなく、キーボードを叩きながら考えていました。
    > その結果、投稿してから修正しまくるという事態に……まあ誰も読んでいなかったのでそんなに迷惑はかけてなかったと思うのですが……←はい、いいわけー

    ああ。とてもよくわかります。私も似たようなものでしたので。そうやって執筆の世界に入るキッカケとしては、web小説ってとてもよく出来たシステムなんですよね。功罪ありますが、功の部分だと思います。

    > もちろん書き始めたからには最後まで書きたい!と思っていたのですが、途中で削除したものが1つありますし、投稿した後でストーリーごと大幅変更したこともあります。

    これまたまったく同じような道を(なろうで)辿っております。割とどなた様にもあるあるな経験なのではないでしょうか。私はここで、webでは作品をまとめられないと考え始めて、公募に力を入れ始めたことが特殊かもしれません。字数制限がないからこそwebで小説を書き始めたはずなのに、字数制限がないことによって作品をまとめることの難しさを痛感しました。

    > 今は、最後まで完成したものしか投稿しない様にしようと思っています。自分で読み返した時の修正があまりにも多くなってしまって終わりがないので、全部納得してから投稿した方がいいなぁと今更ながら思い至った次第でして。

    なるほど。投稿(作品発表)を創作活動の最終段階と位置づけ、その時点で未練を残さないようにしておこうというお立場ですね。これも私の考え方に近いと思います。(だから長編すぎる作品は投稿できなくなっちゃったんですけど)

    ついでで恐縮ですが、投稿前にご家族に読んで頂くなど、自分以外の方の評価を受けることはございますか?

    > 趣味みたいなものなんだから自分の好きな様に好きな事を書けば良い、とわかっているのですがどんどんそれが出来なくなりました。どうしても色々考えてしまうのです。そして考えれば考えるほどつまらない物語になっていく……はぁ(。-_-。)

    これまた身につまされることを・・・。私は大和成生様の作品でつまらないと思ったことがないので、どういう部分でお悩みなのか、具体的にはわかりかねるのですが・・・「つまらない」というお言葉の実際は、作者様目線で物語への解像度が向上し、練り込みが足りない部分に気付いてしまうとか、つながりの悪さに気付いてしまうとか、そういったことなのではないかと勝手に拝察しました。それは多分、読者目線では面白くなっているんじゃないかなと感じられます。いや、あくまで私の個人的感覚なんですが、そうでないと出てきた作品が面白いこととの整合性がとれません。

    > これって①でしょうか?②?③?④?

    当初は②だったけど、経験を積んでいるうちに際限のない修正に見舞われ①へシフト。しかしそのことによって、今度は考えすぎることが増え、現在は筆が進まなくなってしまったという感じでしょうか(昨晩より新作投稿が始まったようで、狂喜乱舞しております)。投稿前の完成を目指す余り、考えすぎ症候群に陥ってしまって執筆が楽しめなくなってしまったとか、物語が面白いと思えなくなってしまったとすれば、それはそれで問題だと思うのです。

    以前、公募反省会で書かせて頂いたことなのですが、①の考え方で執筆に取り組むのは、シナリオ主義に近いです。漫画の連載で言えば、連載開始時にプロットが完全に仕上がっていて、あとはひたすらそれを絵にしていくようなもの。②と③はランダム進行に近く、その場その場で次の展開を考えながら勢いで突き進むパターンです。伏線回収には失敗する可能性もある一方で、作者ですら予想していなかった方向性が見えてくることもあり、一長一短かと思います。

    > なんの参考にもならないと思いますがそんな感じ(どんな感じ⁉︎)でございますです、はい。

    いえ、大変参考になりました。具体的には、「面白い作品を書いておられる作者様が、自分と同じ悩みを抱えていらしゃった」とわかったことで、自信がついたと申しますか。(おい
    重ね重ねありがとうございました。m(_ _)m



    これは脱線ですが・・・

    > 私は杜若さまの文章力がうらやましい……というか憧れております。自分には無理ともはや諦めておりますので…今世では。

    私は別に文章力があるタイプではないので、一体ナンノコトやらという感じなのですが・・・知識量のことでしょうか?それとも本当に文章的なナニカ?

    いずれにせよ、自分が身につけてきたものであれば、どのようにすれば身につけられるのかは大体説明できると思いますので、ご質問があればお答え致します。ただ、本エッセイに記されていた「幸せの三か条」などとは縁遠い人間ですので、自分は大和成生様のような暖かい文章にこそ憧れておりますと。同時に、それは自分では絶対に身につけられないものなのだと、現実を突きつけられてしまったのがこの第16話でございました。(笑)

    作者からの返信

    杜若さま♡
    私は説明がとにかくニガテで、文章に限らず話をしていても「お前の話はサッパリわからん」と家族に言われて育ってきました。
    兄曰く「お前は話の流れが前後左右にブレ過ぎんねん。そのうち酔ってゲロ吐くわ」

    聞いて聞いて〜めっちゃ面白いことあってん、何々がな、あ、何々って前にこんなことあった時にこんなことした子でな、そんで何々がその時こんなこと言うてめっちゃ笑ってんけど、その何々がさっきドコソコに行ったときに、あ、ドコソコにはコレするために行ってんけどな、そんで……
    「もうエエわ💢」
    と話の途中で相手にキレられる。

    とにかく筋道を立てて話すということが出来ず、まず自分が面白いと思ったことが優先で相手に理解させようという気持ちが欠けているようです。

    杜若さまの文章は相手に理解させようとする力がスゴくあるように思うのです。
    きっとコレはわからないだろうから、ココを最初に説明してからこうなってこういう事が起こったのだよ、と丁寧に話の道をならしてくれてから「さあ、どうぞ先へ進んで下さい」みたいな感じでしょうか。
    もうこの時点で「感じ」とか「みたいな」とか言ってるあたり私の話に乗り物酔いする人が出てきそうなんですが……

    相手に理解させることよりも、自分が喋りたいだけの私の話し方(もしくは文章)はやっぱり思いやりに欠けている気がします。というか我が強い。
    しかしコレばっかりは性質の問題でもあるので矯正が難しく、またそれはそれですっかりなくせば良くなるもんでもない様な気もします。

    今後は少しでも相手に伝わるように、でも自分の言いたいこと、楽しい気持ちを損なわないように話したり書いたり出来る様精進していく、それが目標です。

    あ、あと私は自分が書いた作品を家族に見せたことはありません。
    6歳からの親友にだけ「こんなん書いてんねん」とカクヨムを紹介したことはありますが……
    何か書いていることは旦那さんを含め、家族は全員知っていますが読もうとする人は皆無です。きっと乗り物酔いするのが嫌だから……笑笑

  • なんて不思議なお話! 縄文人ですってー!
    でも、しっくりきます。わかるわかるーって思います。

    3歳の女の子が大切なことを知っている村、いいですね。「抱きしめるようにして話す」って表現、すっごく素敵です。こういうコメントでも、思いの乗っている言葉かどうかって、相手に伝わりますよね。それがたとえどんなに短くても。

    人のために生きても何にもならない、むしろ有害ですらあると私が思い始めたのは、いつからだったっけ。

    書いて公開することは自己表現であり承認欲求の一つでもあり、研鑽するために人目を気にするのは当たり前のことでもあると思うんですけど、そこに楽しさがなくなったら終わらせた方がいいなと思います。
    自分のために書いて読む。これができずに不幸になってしまう方って意外と多いんだなと、カクヨムに来て発見したことの一つです。

    成生さんが自分のために書かれたお話は、本当に面白いですよ!
    昨日の近況ノートでご紹介したハヤシダさんが、実は成生さんのお話も紹介されているんです。良かったら探してみてください(^^♪

    作者からの返信

    こよみさん♡
    おはようございます☀
    そうなんです!縄文なんですよー♪
    この村の村長さんが縄文式土器のあの炎の様な形が何故なのか教えてくれたそうです。
    土器の口の部分って丸いですよね、あれは井戸端会議をする女性たちなんですって。そしてあの炎はそれを守る男性を表してるんですってー(≧∇≦)トキメクー!!
    土偶もアクセサリーも土器も、縄文人の女性リスペクトの凄さったらレディーファーストどころじゃないですよねー
    縄文男と付き合いたいです♡

    私がこよみさんのお話を愛しているのは、こよみさんがご自分の作品を丁寧に愛しんで書かれているからこそなんだなぁ……とわかりました。だからあんなに読んだ後楽しくなったり幸せになるんだなぁと。いつもありがとうございます😊

    ハヤシダ様ですか!何と何と!!
    またぼーっとしてて気がついてなかったです( ; ; )
    教えて頂きありがとうございます!
    直ぐに向かいます!

    いつも素敵なコメントありがとうございます♡

  • そうか、そうですね。
    日本人のいい所って「日本人こそが世界を真の幸せに導ける人たち」なんですね。
    最近、不思議に思っていたことがあるのです。
    最近のイスラエルとハマスの問題なのですが、古代イスラエルの歴史を知っている
    身としては、それは何千年も続く問題で宗教だけでの問題ではなく、土地、経済、政治が絡み合った複雑な問題だと思います。それにしても根が深いなって思います、

    一方、日本はもっともっと悲しい歴史がありますよね。広島や長崎。
    なのに、戦争を忘れることに思いを傾けて、復讐心や恨みに思う気持ちが他国民より少ないと感じるのです。それは真の幸せって何かを知ってるからなのかなって。

    自分らしく生きる、こちらも大事ですね。
    書くことは何のため? 生きてるのは何のため?
    大和さまの苦悩、分かります。最初は楽しくて書いていたのに、苦痛になったり
    これでいいのかって自問したり……自己評価と他人の評価の違いに戸惑ったり。
    やはり、自分が楽しいってなることが大事ですね。
    私もそう思います。大事なことに気づかせてくださりありがとうございます🥰



    作者からの返信

    ハナスさん♡
    虫の音が心地良く聴こえるのは、日本人とポリネシア人だけなんだそうです。
    日本人は言語として左脳で虫の声を聴きますが、普通は右脳のノイズを聞く部分で聴こえるそうです。
    日本人が虫の声が聞こえなくなった時が、世界が破滅する時らしいですよー笑
    あと、日本の料理は「和える」で世界の料理は「混ぜる」なんだそうで。
    日本の料理は素材をミックスするのではなく、ハーモニーとしてそれぞれの魅力を活かしながら美味しくするんですってー。なるほどです。
    恨んだり憎むよりもまず、どうすれば同じ悲劇が起こらないかを考えること、時間は後ろではなく前に進んでいきますもんね。どうすれば未来の子供達が幸せに笑って暮らせるかをまず考えるのが、大人の仕事だと思うのです。
    いつも真摯なコメント、本当にありがとうございます。

    編集済