第40話 最悪で最高の誕生日
「ほら、わざわざ来てあげたんだからお茶ぐらい出したらどうなの?」
「……」
宇野さんのお母さんは玄関とは逆の方にタバコを吸いながら座った。
僕はどうしたらいいのかわからないので、震える芽衣莉ちゃんと部屋の隅に居る。
お母さんの相手は宇野さんが黙ってしている。
鏡莉ちゃんと悠莉歌ちゃんはロフトに上がり、梨歌ちゃんはお母さんと机を挟んで座っている。
「それで何しに来たの?」
梨歌ちゃんがお母さんを睨みながら聞く。
「別に。ちょっとあんたらの顔を見てやろうって親心だよ。感謝しな」
「あなたにそんな心はないでしょ」
「親の心子知らずだねぇ、産んでやったことへの感謝もないの?」
「産んで放置してる人の気持ちなんか知らないけど? それにあなたは快楽を求めてるだけでしょ」
梨歌ちゃんが一歩も引かずに言い返す。
その姿に僕は素直にすごいと思った。
(僕もああ出来たら……)
そうしたら少しは家も楽しくなるのかもしれない。
ただ悪化する可能性の方が高いから行動はできない。
「誰のおかげでここに住めてるのかちゃんとわかって言ってんの?」
「姉さんだよ」
「はっ、それだから子供なんだよ。高校生がアパートを借りれる訳ないでしょ」
僕もそれは気になっていた。
最初は何か事情があって姉妹で暮らしているのかなとは思っていたけど、お母さんとの関係を見て、契約をどうしたのか少し気になった。
宇野さんが未成年である以上は、保証人が必要だ。
「だからあんたの姉は私に逆らえないんだよ」
それが宇野さんのお母さんに逆らえない理由。
お母さんの前では黙って言うことを聞くことしか出来ない。
もしも逆らって怒らせたらここには住めなくなるから。
「どうせ何も知らないで私に色々言ってんだろ? いいの? 私を怒らせるってことは、ここに住めなくなって住む場所が無くなるってことだけど」
「……」
さすがに梨歌ちゃんも言い返せなくなったようだ。
多分、従うのが一番正しいのかもしれない。
もしここに住めなくなったら、お母さん達とところに戻ることになるのだろうけど、それがいいことだとはどうしても思えない。
「もちろんうちには戻さないからな。出てったのはあんたらなんだから」
何かが切れそうになったけど、隣の芽衣莉ちゃんが僕の腕をぎゅっと抱きしめたので思い留まれた。
「うちとか言ってるよ」
「勝手に住み着いたのは自分なのにねー」
空気が重くなってきたところに、上から楽しそうな声が聞こえてきた。
「言いたいことがあるなら隠れてないで出てきて言え」
「年増だから目が悪くて見えない? 出てるけど」
「まぁゆりかとるかお姉ちゃんの年の差は十歳もあるからね。歳もそれだけ取ってるってことだもん」
ロフトから顔を出した鏡莉ちゃんと悠莉歌ちゃんが煽るように言う。
「下りてこいって言ってんだよ」
「暴力女の居るとこには下りたくなーい」
「そもそもタバコ臭い人嫌い」
お母さんの機嫌がだんだん悪くなってきた。
「そんな態度取っていいのか? ほんとに──」
「正直に言えばいいじゃん。私が子役を辞めたから拗ねてるって」
「あの歳で拗ねられてもかわいくないのにね」
「ゆり、言うな。あれでも自分は若いって思ってるんだから」
最初に「年増」と言ったのは鏡莉ちゃんな気がするけど。
「私が拗ねてるって?」
「そうでしょ? 私からの仕送りがなくなって遊んでるだけじゃ駄目になったから私達に嫌がらせをしてるんでしょ? どっちが子供だよ」
「……」
お母さんが初めて黙った。
気になる言葉があったけど、多分それは鏡莉ちゃんしか知らないことだろうから黙って続きを待つ。
「私達がみんなで暮らす条件でもあったもんね」
「そうだよ。なのにあんたは勝手に子役を辞めて、私達への貢ぎをやめた」
「貢ぎって……、仕送りね。相当送ってたけど、どうせ毎月使い切ってたんでしょ?」
「だからなんだよ。その代わりに保証人になってやったろ」
「別にあんたがなってる訳じゃないでしょ」
鏡莉ちゃんの視線がとても冷たくなった。
それに対してお母さんが少し怯えたようにビクついた。
「なってんのはあんたのペットでしょ」
「そ、そうよ。つまり私がなってるようなもんでしょ」
「あのクズはまだ……」
鏡莉ちゃんが目元を手で覆った。
「私が言えばなんでも言うことを聞くからね。それで、まだ何かあるの?」
急にお母さんが強気になった。
「今ならあんたら全員で土下座して今まで通り貢ぎも寄越せば許してやらなくも──」
「ねぇおばさん」
未だに芽衣莉ちゃんに腕を押さえられてはいるけど、身体が駄目なら口を出してみた。
芽衣莉ちゃんは慌てているが、止まれそうにない。
「今誰をおばさんっつった?」
「わかってるから反応してるのでは? それより、灰が落ちるからどうにかして」
おばさんの持つタバコが短くなってきて、灰が長くなってきていた。
「じゃああんたの手で消せば?」
「灰皿を用意出来もしないのに外でタバコを吸うのはどうかと思う」
「灰皿ならここに五人も居るだろ?」
おばさんはそう言って梨歌ちゃんの腕を掴んだ。
その先の光景が目に浮かんだ時には一瞬緩んだ芽衣莉ちゃんの拘束から抜け出していた。
「あんまり調子に乗んないで」
僕はそう言ってタバコを握り潰した。
「口は悪いけど灰皿としては才能ある──」
「黙れよ」
「っ!」
いじめや体罰をしている人はされている人の気持ちなんか理解しないし出来ない。
だけどされている人はされる気持ちがわかってしまう。
「火傷ってそう簡単に治らないんだよ。ちゃんと対応しないと痕が残る。僕は男だからまだいい。だけど梨歌ちゃんや他の子は女の子なんだから、火傷なんてさせていい訳ないだろ?」
今自分がどんな顔をしているのかわからない。
横目に入る梨歌ちゃんがとても驚いているのが見えるから、変になっているのかもしれない。
目の前のおばさんなんかは少し怯えているように見える。
「あなたはなんなの? 戸籍上だけでも親なら、娘の鏡莉ちゃんからお金をたかって恥ずかしくないの? 鏡莉ちゃんがどれだけ苦しんだのかだってあなたは何も知らないでしょ?」
宇野さんは言っていた「鏡莉が居たから私達は一緒に暮らせてるし、楽しく暮らせてる」って。
それが家賃のことだけを言ったのかはわからないけど、きっと宇野さんは鏡莉ちゃんが裏で色々とやっていたことを知っていた。
そして実際鏡莉ちゃんはみんなが楽しく暮らせるように、おばさんにお金を渡してこの生活を手に入れた。
「これ以上みんなから何も奪わせない」
こんなことを言ったら火に油なんだろうけど、言い出したら止まらなくなってしまった。
もしもの時は宇野さんがなんとかしてくれる。
「全部あんたが……ちっ、帰る」
おばさんは僕を睨んでから立ち上がった。
「……そこのクソガキに腹が立ったから保証人もやめてやるよ」
おばさんはそう言って立ち去った。
僕はその背中を見送り、みんなに謝ろうとしたらお腹の辺りに温かさを感じた。
「ごめんなさい」
梨歌ちゃんが泣きながら僕に謝った。
「どうして梨歌ちゃんが謝るの? 謝るのは僕の方なのに」
「わた、しが連れてきたんだよ。そろそろめい、りにちょっかい出すのを、やめさせ、たかったから」
「だから釣り?」
さっきまで梨歌ちゃんと芽衣莉ちゃんは釣りに出かけていた。
それは魚ではなく、おばさんを釣りに行っていたらしい。
「でも、結局、私はみん、なに迷惑だけかけた。本当にごめ、んなさい」
梨歌ちゃんが泣きじゃくりながら言う。
僕はそんな梨歌ちゃんの頭を優しく撫でる。
「あの人別にめいめいにちょっかいかけてた訳じゃないよ」
鏡莉ちゃんがロフトから下りてきて、僕の右手をいじいじしながら言った。
「え?」
「あの人はなっつんが気に食わなかったんだよ」
「僕?」
「そ。だって私が子役を辞めた理由ってなっつんとの溺愛報道がきっかけでしょ?」
鏡莉ちゃんが何故か嬉しそうに言う。
「でも僕だってことは隠されてたよね?」
「それでもこの部屋に出入りしてたらわかるでしょ」
「それもそっか」
だから鏡莉ちゃんが子役を辞める原因になった僕に絡んできていたみたいだ。
僕が外に出るのは基本的に芽衣莉ちゃんとばっかりだから、芽衣莉ちゃんが巻き添えになってしまったようだ。
「ほんとはさ、あの人達には変わらず仕送りしようと思ってたんだよね」
「そうなの?」
「それを含めてギリだったからさ。でも必要なくなって余裕できた」
鏡莉ちゃんは嬉しそうに「これで新作を我慢しなくて済む」と言った。
「それに……、まぁいいや。それより私の誕生日なんだからもっと楽しもうよ」
「そうそう。難しい話は大人に丸投げしよ」
ロフトからおりてきた悠莉歌ちゃんが固まっていた宇野さんを連れてきてそう言った。
「るか姉。今考えてるのは私の誕生日よりも大切なの?」
「……違うね。今は鏡莉の誕生日をお祝いしよ」
「めいりお姉ちゃんも」
悠莉歌ちゃんが震えは止まったが、動けない芽衣莉ちゃんの手を引いて連れてくる。
「鏡莉ちゃんの誕生日だけを考えよう。他のとこはまた後日で……って僕が言えた義理じゃないけど」
「なっつんはいいことしかいてないんだからいいの」
「今日の主役がこう言ってるし、気にしないでいいよ」
鏡莉ちゃんと笑顔になった梨歌ちゃんにそう言われたので、一旦忘れる。
そしてみんなで鏡莉ちゃんの誕生日をお祝いした。
僕と芽衣莉ちゃんで買い足したかぼちゃを使った小さいケーキを食べたり、誕生日プレゼントの『なんでも言うことを聞く券』を五枚渡したりした。
鏡莉ちゃんは笑顔で「ありがとう」と喜んでくれた。
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