第30話 最初で最後の好き
「なに震えてんの? そうやって男の腕に抱きついて無駄にでかい胸を押し付けて守ってくださいアピール?」
芽衣莉ちゃんのお母さんが、震えながら僕の腕に抱きついている芽衣莉ちゃんをあざ笑いながらそう言った。
「いやだいやだ、すぐ男に色目を使って。ほんとあんたは初めて会った時から気に入らなかったんだよ」
今のでなんとなくわかった。
みんなの関係性が。
「そこのサルだって、あんたの胸がでかいから鼻の下を伸ばしてるだけなんだよ」
「篠崎さんはそんな人じゃ──」
「あ? 口答えすんの? ほんとに嫌だよ、自分の父親にも色目を使う痴女女は」
「痴女女って、頭痛が痛いみたい」
ちょっとむしゃくしゃしだしてきたから、思わず口を出したら、芽衣莉ちゃんのお母さんに思いっきり睨まれた。
「調子に乗んなよサル」
「僕は人間ですけど?」
「話にならない」
芽衣莉ちゃんのお母さんは呆れた様子で帰って行った。
「芽衣莉ちゃん、帰ろ」
「……」
僕はやっと落ち着いてきた芽衣莉ちゃんに声をかけるが、芽衣莉ちゃんは反応がない。
芽衣莉ちゃんのお母さんが帰った後に芽衣莉ちゃんは泣き出し、呼吸を乱していた。
それが少し落ち着いてきたので、とりあえず安全なアパートに帰りたいけど、芽衣莉ちゃんはうずくまって動かない。
「歩けないならおんぶするから乗って」
「……置いて行ってください」
僕が芽衣莉ちゃんに背中を向けてしゃがんで待つと、芽衣莉ちゃんがそう言ったので、少しイラッとした。
「なにそれ? いいから乗って。拒否権とかないから」
こんな状態でなくても、芽衣莉ちゃんを一人で置いて行くことなんてありえない。
だからか少し、低い声が出てしまった。
「もう嫌なんです。篠崎さんは優しいから何も言わないですけど、あの人の言ったことは全部が嘘という訳でもないんです」
「そう、じゃあ帰ろ」
正直そんなのはどうでもいい。
今はとりあえず芽衣莉ちゃんを安心させるのが一番だ。
「私はもう少しここに居ます」
「そう?」
それならと、僕は立ち上がり芽衣莉ちゃんの隣に腰を下ろした。
「え?」
「ん? 芽衣莉ちゃんが居たいなら僕も居るよ? それとも邪魔?」
邪魔なら少し離れた場所に行くが、芽衣莉ちゃんがブンブンと首を振るのでそのままにする。
「篠崎さんはあの人に言い返せてすごいですね」
芽衣莉ちゃんが細々と喋りだした。
「言い返すって言うか、ちょっと機嫌が悪くなって、言葉が出ちゃっただけだよ?」
「それでもですよ。私は結局最後までは言えませんでしたから」
「僕は芽衣莉ちゃんが僕の為に怒ってくれたのは嬉しかったよ」
あれだけ震えていたのに、僕のことを悪く言った時には反論しようとしてくれた。
僕はそれが嬉しかった。
「反論なんて初めてです。……もうわかってると思いますけど、私はあの人の本当の子供ではありません」
「うん」
「多分これは流歌さんが話したかったことなんだと思いますけど、後で謝るので言っちゃいます」
その時は僕も一緒に謝る。
きっと宇野さんなら許してくれるはずだ。
「これも知ってると思うんですけど、私と流歌さんは血の繋がりがありません」
「あるのは鏡莉ちゃん?」
芽衣莉ちゃんの呼び方的に、鏡莉ちゃんは実の姉妹なのはわかる。
「わかりますよね。後は悠莉歌ちゃんも一応そうです」
「つまり、宇野さんと梨歌ちゃんがお母さんの方の連れ子で、芽衣莉ちゃんと鏡莉ちゃんがお父さんの連れ子ってこと?」
「はい。そしてその二人の子が悠莉歌ちゃんです」
少しこんがらがりそうだけど、なんとなくわかった。
「悠莉歌ちゃんが大人びてるのって家庭環境なのかな?」
「どうなんでしょう。でも確かに悠莉歌ちゃんは大人の汚いところを赤ちゃんの時から見ているので、その可能性はあります」
「もしかしてなんだけどさ、悠莉歌ちゃんを育てたのって宇野さん?」
「……そうですね。少なくとも私が知る限りではあの人がそういうことをしてるところは見たことがありません」
悠莉歌ちゃんは五歳だから、宇野さんが小学五年生の時にはお世話をしていたことになる。
「名前からもわかりますよね」
「それはわかるかも」
宇野さんの流歌と梨歌ちゃんの名前は二文字と『歌』という字で似ている。
芽衣莉ちゃんと鏡莉ちゃんも『莉』という字が入っているから姉妹感がある。
そして悠莉歌ちゃんはその二つが入っている。
「ちなみにわかるって言うのは適当さがですよ?」
「あ、そっちね」
芽衣莉ちゃんと鏡莉ちゃんは考えられているけど、宇野さんと梨歌ちゃんの方はら行に歌を付けただけに見える。
悠莉歌ちゃんに関しては、莉と歌を合わせて、頭に悠を付けただけ。
そして梨歌ちゃんと似ている。
「双子とかなら似てる名前もあるけど、さすがに似すぎ?」
「私と鏡莉はいいんですけど、流歌さんと梨歌ちゃんと悠莉歌ちゃんはどうなんですか? ちなみに付けたのはあの人らしいです」
「なくはないんだろうけど、子供の名前なんて、その時の親のノリで決まることが多いんじゃない?」
実際僕の名前だって、父親がピーナッツを食べてたから永継になった訳だし。
「それに僕はみんなの名前は嫌いじゃないよ。付けられた理由は安易なのかもしれないけど、僕は流歌も芽衣莉も梨歌も鏡莉も悠莉歌も大好きだよ」
(名前が)
付け忘れたから心の中でだけ思っておく。
芽衣莉ちゃんだってわかるはずだから。
「……」
「芽衣莉ちゃん?」
芽衣莉ちゃんが僕の方を見ながら固まっている。
「嬉しさのあまりに意識が飛んでました」
「大丈夫?」
「駄目です」
芽衣莉ちゃんが真面目な顔でそう言う。
「なのでなんでも言うことを聞く券を使わせてください」
「紙とペンがない」
「そこはこだわるんですね。じゃあ、券じゃなくて権利をください」
それなら紙もペンも必要ないから助かる。
僕が頷くと芽衣莉ちゃんがモジモジしだした。
「じゃ、じゃあですね。……もう一回名前で呼んでください」
「芽衣莉ちゃん?」
「私が言葉足らずでした。よ、呼び捨てで」
「そんなことでいいの?」
お金のかかることは困るけど、名前を呼ぶぐらいならいつでもするのだけど。
「前は黙っててだったけど、別に言ってくれたらするよ?」
「こういう状況じゃないと頼めないんです。だからお願いします」
そういうことなら断る理由はない。
「芽衣莉……ちゃん」
「おや?」
「芽衣莉……ちゃん。言えない。なんで?」
どうしても「ちゃん」が付いてしまう。
顔も熱くなるしでよくわからない。
「ふむふむ。これが鏡莉の言っていたやつですか。狙ったことをするよりもこういうやつの方が効果があると」
芽衣莉ちゃんがじーっと僕の顔を見てくる。
それがなんだか恥ずかしくて顔を逸らしてしまった。
「見つめるのはできるけど見つめられるのは苦手。じゃあ」
今度は芽衣莉ちゃんに手を握られた。
しかも指を絡めるやつ。
どうしたらいいのかわからなくなり、あわあわしてしまう。
「慌てる篠崎さん。これはあれですね、程々にしないと篠崎さんが私を止められなくなるから、私の痴態が公衆の面前で晒されることになりますね」
そう言って芽衣莉ちゃんは手を離した。
「あ、次いでだから話しておきますね。昔ここで篠崎さんをいじめてた子は私です」
「そうなの?」
驚きからか、顔の熱が引いた。
「篠崎さんって感情の切り替わりが早いですよね」
「イメージないや」
「あの頃は元気な子でしたから。篠崎さんの前から消えたのは、両親の離婚があったからですね」
「そっか、こういうこと言うのあれかもだけど、嫌われた訳じゃなくて良かった」
「嫌わないですよ。私の最初で最後の『好き』なんですから」
芽衣莉ちゃんが頬を赤くしながら笑顔でそう告げる。
僕の顔もまた熱くなっている。
「か、帰りましょうか」
「あ、うん」
僕は立ち上がろうとした芽衣莉ちゃんの手を握った。
「ひゃえ」
芽衣莉ちゃんが力が抜けたように座り込んだ。
「ごめん。汚しちゃった」
「そ、それは大丈夫です。でも、て、手は立ち上がってからにしてください」
「えっとね、違くてね」
とても言いづらいことだから濁してしまう。
「なんだか可愛いです。それで理由が『握りたくなっちゃって』とかなら完璧です」
「『今握らなくちゃ』とは思った」
芽衣莉ちゃんが耳まで真っ赤になった。
「そ、それはどういう?」
「足がね、痺れたの」
ずっと屈んでいたら自力で動くには少し辛いレベルで足が痺れた。
だから芽衣莉ちゃんに立たせて貰おうと思い、完全に立ち上がる前に芽衣莉ちゃんの手を握った。
「ふふっ」
「笑わないでよ。いいもん、頑張るから」
芽衣莉ちゃんに笑われて少し拗ねたので、頑張って立とうとするが、足は動かない。
無理やり立とうと手を地面につけたら、痛みが増してきた。
「ごめんなさい、馬鹿にした訳ではないんです。かわいくて」
芽衣莉ちゃんはそう言って僕に手を差し出してきた。
「……ごめんね」
「いいんですよ」
「昔の方。結婚の約束した時も、僕って同じことしてたよね?」
「あぁ、してますね。結婚してくれるって言った後に『あししびれた』って言って私が手を取りました」
あの時は結婚の意味も、なんでしたいのかもよくわからなかったから、話を終わらせて立ちたかったのだと思う。
「あれは子供の約束ですからね。今度ちゃんと返事をくれたらいいですよ」
芽衣莉ちゃんはそう言って僕の腕を両手で持って、立たせてくれた。
「私のこと好きなんですもんね」
「……うん」
「認められるとそれはそれで……」
お互い顔を赤くして気まずい雰囲気になった。
だけど、どちらがとかはなく笑いあって、手を握りながら帰路に着いた。
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