第13話 仲良くなる為のあだ名

「ただい……ま?」


「……」


 宇野さんにお昼のお弁当を届けた僕と梨歌ちゃんは、玄関で違和感を感じて止まった。


 最初に気になったのは、アパートを出て行った時にはなかった可愛い靴が置いてある事だ。


 そしてとても静かな事。


「お客さん?」


「なんであいつがこんな時間に来るんだよ」


 梨歌ちゃんが少し怒った様子でそう言った。


「知り合い?」


「知り合いたくなかった奴だよ」


 梨歌ちゃんはそう言って靴を脱ぎ、部屋にあがった。


 僕も一緒にあがり、後に続く。


「あ、おか〜」


 僕と梨歌ちゃんが部屋に入ると、机の隅で静かに俯いている芽衣莉ちゃんと、頭を撫でられている悠莉歌ちゃんがいた。


 そしてその頭を撫でていて、挨拶をしてきたのは──


「なんであんたが居んのよ、鏡莉」


「え〜、家族なんだから来てもいいじゃーん」


 とても可愛らしい声で返事をするのは、昨日の帰りに見た女の子、鏡莉ちゃんだった。


「あんたが休日のこんな時間にここに居るのが変だって言ってんの」


「別に梨歌には関係なくない? 私は来たいから来ただけだし」


 梨歌ちゃんの機嫌がだんだん悪くなっていくのがわかる。


「そんな事よりさ。なんで当たり前のように男の人を連れ込んでんの?」


 そう言って鏡莉ちゃんが僕を指さした。


「え、もしかして梨歌の恋人? ゆりの教育に悪いから外でやってよ」


 そう言って鏡莉ちゃんは悠莉歌ちゃんに「ね〜」と言った。


 多分「ゆり」とは悠莉歌ちゃんの事だと思う。


 だけどその悠莉歌ちゃんは気まずそうな顔を返すだけで終わった。


「だからあんたには関係ないでしょ」


「うそ、マジで梨歌の恋人なの? へぇ、そういう地味目がタイプなんだ」


「は?」


 梨歌ちゃんの顔が今までに見た事のないぐらいに怒っている。


「おぉ怖。そんなんじゃ彼氏に嫌われるよ」


「何も知らないあんたが勝手な事言ってんじゃないよ!」


 梨歌ちゃんの叫びに、俯いている芽衣莉ちゃんと、どうすればいいのかわからなくなっている悠莉歌ちゃんの肩が震えた。


「……知らないね」


 鏡莉ちゃんが真顔になり「どっちがだよ」と、呟いたのが多分僕と、隣に居た悠莉歌ちゃんにだけ聞こえた。


 そしてしばらく沈黙が続いた。


「これって僕、もう話していいやつ?」


「いいよ」


 何故か悠莉歌ちゃんから許しを貰えたので、言いたい事を言う事にした。


「鏡莉ちゃん、まずだけど、僕は梨歌ちゃんの恋人なんて恐れ多いものじゃないよ。僕はただ、家に居たくないからここに居させて貰ってるだけ」


「違うでしょ! 篠崎さんは姉さんの恩人で、私達に色んな事を教えてくれてる。むしろ私達の方が篠崎さんに居て欲しいって思ってるのに」


 梨歌ちゃんがさっきまでとは違い、悲しそうな顔で言った。


 正直、そう思ってくれていたなんて嬉しい。


「ありがとう、梨歌ちゃん」


「た、ただ事実を言っただけだし」


 梨歌ちゃんに笑顔でお礼を言ったら、頬を少し赤くしてぷいっとそっぽを向かれてしまった。


「篠崎? 下のお名前はなんと?」


 今度は鏡莉ちゃんがさっきまでとは違い、不思議そうな顔で聞いてきた。


「篠崎 永継です」


「なつ……、ふーん」


 鏡莉ちゃんが芽衣莉ちゃんにジト目を向けてから僕の方を見た。


「永継ならなっつって呼んでいい?」


「は?」


(あ)


 僕の本気のキレにみんなを驚かせてしまった。


「ごめん。なっつって嫌いなの」


 僕の名前は父親が付けた。


 名前の理由はその時にピーナッツを食べていたから、ナッツから永継。


 だから僕はなっつと呼ばれるのが心から嫌いだ。


「そ、そっか。呼ばれたくない呼び名とかあるよね。えっと、じゃあ……、だめだ、なっつんとかしか思いつかない」


「なっつんならいいよ」


「いいんかい!」


 僕が嫌いなのはなっつだけだ。


 他は別になんでもいい。


「でもなんであだ名で呼ぶの?」


「私は、仲良くなりたい相手はあだ名で呼ぶの」


「僕は許されたの?」


「なんの事?」


「あれ? 不純物って僕の事だと思ってたんだけど」


 昨日の帰りになんの事か考えたのと、梨歌ちゃんとのやり取りから、僕が不純物で、それを取り除く、要は追い出したいのかと思っていた。


「聞こえてたのね。そのつもりだったけど、なっつんは無害認定されたから大丈夫だよ」


 鏡莉ちゃんはそう言って、左手の親指と人差し指で丸を作って僕に向けた。


「そうなの?」


「最初はほんとに追い出すつもりだったけど、その必要もないって言うかしたくなくなった」


「どういう風の吹き回し?」


 梨歌ちゃんが鏡莉ちゃんを睨みながらそう聞く。


「え〜、梨歌には教えたくなーい」


「一発殴る」


 そう言って歩き出した梨歌ちゃんのお腹に腕を回して止める。


「止めないで」


「だめ。人を殴るのは最低だよ」


「……ごめんなさい」


 殴られるのは痛い。


 あれはどんな理由があってもやってはいけない。


 もちろんボクシングとかは話が違うけど。


「梨歌ちゃんは素直さんだからす……」


 好きと言いたかったけど、なんだか芽衣莉ちゃんを思い出して素直に言えなかった。


「篠崎さんの可愛いところ見れたから満足。だから離して」


「うん」


 僕は梨歌ちゃんを離してから、手を握った。


「何故に?」


「保険?」


「なっつんはわかってるよ。離したら絶対飛び蹴りでもしてきてたから」


「ちっ」


 否定の代わりに舌打ちをしたから、離していたら本当に飛び蹴りをしていたのかと不安になった。


 そして不機嫌な梨歌ちゃんに手を強く握られた。


 少し不満そうだけど、梨歌ちゃんはその場に腰を下ろした。


「一つ聞きにくい事を聞いてもいい?」


「なに? 私のスリーサイズ? めいめいと比べられると貧相だから期待しないでよ。成長期なんだからね。上から──」


「篠崎さんはそういうの苦手なんだからやめろ」


 そういう話はどう反応すればいいのかわからなくて困る。


 そして聞にくい事が更に聞きにくくなった。


「照れちゃったなっつん。それでなに?」


「えっと、なんで梨歌ちゃんは呼び捨てなの?」


「え? だって私があだ名で呼ぶのは仲良くなりたい相手だけだから」


「そういう事。私も鏡莉と仲良くする気はないから別に気にしてもないし」


 二人とも本当に興味がなさそうに言う。


「そうなんだ……」


「なっつん良い奴過ぎでしょ。私が貰っていい?」


「あんたは一番駄目でしょ」


「別に好きになっちゃったら仕方なくない? という訳でアプローチを始め──」


「だめ」


 僕と梨歌ちゃんが帰って来てからずっと俯いていた芽衣莉ちゃんが初めて顔を上げて喋った。


「別にめいめいのものじゃないんだから、アプローチぐらいいいじゃん」


「だめ、篠崎さんは流歌さんと結婚するから」


「あ、めいめいじゃないんだ。めいめいは好きとかないの?」


「好きだよ。でも私は二番目でもいいから」


 おそらく冗談なんだろうけど、芽衣莉ちゃんの表情が変わらないから本気に見えてしまう。


「恋するめいめいとかスーパーレアじゃん。いや、ウルトラ? それともミラクル?」


「鏡莉。本気じゃないなら篠崎さんにちょっかいかけるのはやめて」


「本気になっていいの?」


「……」


 芽衣莉ちゃんが何かを言おうとしてやめた。


「ほんとにかわいいなぁ。なっつんは是非めいめいと結婚してね」


「芽衣莉ちゃんは僕にはもったいないよ」


「へぇ、めいめいの気持ちなんて興味ないって?」


 鏡莉ちゃんが少し怒ったように言う。


「ううん。もし芽衣莉ちゃんが本当に僕の事を好きになってくれたのなら、芽衣莉ちゃんに見合うようになる」


「やば、そんな人と私も結婚したい」


「篠崎さんはだめ」


「わかってるって。でもなっつんが私を好きになったら仕方ないよね」


 そう言って鏡莉ちゃんは嫌な笑顔を浮かべた。


「なっつんを私の部屋にご招待するね」


「は?」


「え?」


 鏡莉ちゃんの発言に、梨歌ちゃんと芽衣莉ちゃんが驚いたように声を漏らした。


「ゆりかも行っていい?」


「今日は駄目。いきなり襲ったりはしないから安心して。ちなみにめいめいはもう襲った?」


「……ノーコメント」


 芽衣莉ちゃんの半ば肯定したコメントに、鏡莉ちゃんが「手が早いなぁ」と嬉しそう言った。


「ちょっと私を知ってもらうだけだから。先に行ってるから、五分ぐらいしたら来てね」


 そう言って鏡莉ちゃんは立ち去った。


「別に行かなくていいからね」


 梨歌ちゃんが握った手を更に強く握りながら言った。


「そういう訳にもいかないよ」


「多分なんですけど、鏡莉、何かあったんだと思うんです」


「ゆりかもそう思う。きょうりお姉ちゃん、入って来た時、少し怯えてたの」


 鏡莉ちゃんが怯える姿なんて、今見た限りでは想像がつかない。


「どうせいつものでしょ」


「梨歌ちゃんもわかりますよね。鏡莉に何かあったら私達も大変だって」


「……そうだけど」


 宇野家の話に首を突っ込む訳にもいかないけど、とにかく鏡莉ちゃんのお誘いは受ける。


 鏡莉ちゃんから仲良くなるチャンスをくれるのだから断る理由がない。


 僕は五分間の沈黙の末にお隣の鏡莉ちゃんの部屋に向かった。

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