五、一か月以上が経ちました
文字を教わり始めて一か月が経った。
慣れない筆で、奇麗な字はまだまだ書けない。でも子ども用の教本のようなものを
「翠麗、これはこう読めばいいの?」
「はい、そうです」
翠麗の表情は相変わらず動かないが、これは竜王の眷属特有なのだと聞いた。母もそうだけど妹も文字を習い始めたと聞いて嬉しくなった。(直接は聞けないが翠麗が教えてくれる)文字を覚えることでできることが増える気がする。計算のしかたなども教えてもらえていろいろ楽しい。
「……読める字は書けていますね」
「ありがとう。翠麗のおかげだわ」
「……読めないよりはいいです」
口も悪いけれども、翠麗のことは大好きになった。疲れてきたなと思えばお茶を淹れてくれたりするし、お茶菓子も用意してくれる。ここに来てから初めてあんなに甘いお菓子を食べた。それだけでも黒竜王に嫁いでよかったと思った。現金かもしれないが、貧しかった私としてはそれだけで十分である。
もちろんそれは、この頬の火傷のおかげなのだけど。
今は薄くなっているであろう火傷の跡にそっと触れる。
読める字を書けることが多くなったことで、字をもっと書きたい欲が生まれてきた。
休憩時にお茶を啜り、字を書く張り合いがもう少しほしいと考える。
「それならば、
「信、って……どなたに……」
と言ってから母や妹の顔が浮かんだ。そして村にいるだろうお世話になったご夫婦。でもあの夫婦が文字を読めるとは限らない。母や妹もまだそこまで文字はまだ読めないだろう。
としたら。
黒竜王の美しい姿が浮かんで、頬が熱くなるのを感じた。
でも王とは毎日会っているし、朝は朝食を一緒にいただいてから夕方には帰ってきてくれる。信を書く相手としてはあまり適任とはいえないように思えた。
翠麗はため息をついた。
「……書きたい方に向けて一言でも二言でも書けばよろしいではありませんか。その想いが大事なのではないかと思います」
翠麗にはお見通しだった。
「え……」
更に頬が熱くなった。私は火傷の跡にまた触れた。
夕方に戻ってきてからの王を思い出してしまったのだ。
本当に王は私と離れることが嫌なようで、朝はしぶしぶだし、夕方も飛ぶように戻ってきてくれる。そうして私を横抱きにし、私が昼間何をしていたかを聞くのだ。その間額や頬に優しく口付けられるからもう甘くてしかたがない。
最初の晩は違ったけれど今は入浴も一緒で全然慣れない。毎日美しい旦那様に胸の疼きが止まらないのである。
話を戻そう。
信のことだ。
「その……黒竜王様に書いてもいいのかしら……」
「とても喜ぶと思います。一言でも二言でも、間違ってもかまいませんから書きましょう!」
翠麗の勢いがすごくて少し驚いた。黒竜王の眷属は、王が好きでたまらないというのは本当らしい。
「わ、わかったわ……」
しかし何を書いたらいいのだろうか。目の前に置かれた紙を見ながら、何を書こうか考える。
「……習っていない文字でも、教えてくれる?」
「はい、もちろんです」
翠麗の声には力が入っていた。苦笑する。
「じゃあ……」
月並みな言葉かもしれないけど、私は一言だけこう書かせてもらった。
バババババッと聞き慣れない音がして、顔を上げた。
「何かしら?」
「お戻りになられたのでしょう」
「え?」
翠麗がしれっと答えたが、なんのことだかわからなかった。
お戻りになられた? 誰が?
まだ明るい時間である。ここへ戻ってくるというと……。
室の扉がバッと勢いよく開かれた。
「梅玲!」
「
こんなに早い時間に戻られるなんて、何があったのだろう。今日の仕事は早く終わったのだろうか。それなら嬉しいのだけど。
王は私を抱き上げきくつ抱きしめた。
「あのような信をもらってはじっとしてなどいられぬ! 梅玲……」
頬がカーッ! と熱くなった。書いたばかりの、字も全然奇麗ではない信は黒竜王に無事届けられたらしい。
「あ、ああああのっ……」
「夕食の前に、よいか?」
顔をじっと見つめられて確認された。王の美しい
「なりません」
王を止めたのは翠麗だった。
「政務がまだ残っているはずです。早く終わらせてお戻りください」
「……梅玲を連れていくのは……」
「中書令(宰相)にまた梅玲様を見せたいのですか?」
「……わかった」
王も翠麗にはかなわないらしい。
以前どうしても一緒にいたいと王に執務室へ連れて行かれた時、中書令に挨拶はしている。あの時王はとても不本意そうだった。
「仕事など、すぐに終わらせて戻ってくる。梅玲、待っていてくれるか?」
「は、はい……」
だからその美しい顔をそんなに近づけないでほしい。なんでも言うことを聞いてしまいそうになるから。
王はまたバババババッとすごい音を立てて廊下を駆けていった。あの音は王が廊下を駆ける音だったのだとやっと知れた。基本的に王が歩く際は音がしない。それなのにあんな音を立てて駆けてきてくれたのだと思ったらたまらなかった。
「はぁ……」
王が素敵すぎて困る。熱くなっている両頬を手で挟んだ。
なんて書いたのかって?
―黒竜王様、私と結婚してくださり、本当にありがとうございます。
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はーーー、砂が吐ける(ぉぃ
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