第5話 memory
気がつくと俺は硬いコンクリートの床の上に仰向けになっていた。
ここはどこだ…?起き上がるとそこには旋盤が並んでいた。そして、1台の旋盤に周りに人だかりがあった。
旋盤実習だ。
立ち上がって、近くによって見る。
一年生の実習だ。国宮が教えている。そして、その一年生の中に俺がいた。
ああやって先生がやってるのを見てから、各自の作業に移ってた。
やがて生徒が一斉に散り、それぞれの旋盤を動かした。すでに何度か授業を受けているからか、スムーズに動いている。
でも、俺は…。
ハチマキをつけるのが先だっけ?ゼロ点合わせが先だっけ?ゼロ点としても、どうやるんだっけ?
電源を押したくてスイッチをつけても、つかない…。どうしよう。周りが作業している音や、国宮の声が響く。
困った。
黒川。
どこかから声がした。振り返るとそこには、グレーの作業着にダークグレーのワーカーキャップを被った伊丹がいた。
大丈夫ですか?削る前には、どこまで削らなくてはならないのか印をつけなければいけませんよ。まずはハチマキを付けましょう。
どうやってつけるの?
スケールを材料に付けましょう。伊丹が隣に来た。
スケールを材料の側面にぴったりくっつける。どこまで削ればいいか、ご存知ですか?
29.5mm。
なぜ29.5mmなのか分かりますか?30.0mmちょうどではなく、こんな半端な数字なのか。
ええと、何でだったかな…。分からない。
削ったあと、仕上げをしますよね?その時はこういった端面も仕上げをしなければなりません。
伊丹は材料の端面を指で触った。触ってみて。
ざらついてる。では、最初の授業で行った端面削りの際に仕上げたこの端面はいかがですか?
つるつるしてる。でしょう?このような仕上げを、ここでも行う必要があります。そのときにも材料は削れる。
ってことは、今ここで全部削るのは良くなさげだね。ええ、そのとおり。なので残しておく必要がある。だから30.0mmから0.5mm余分に取っておくのです。
そうすれば後で仕上げのときいい感じに寸法も合ってくるね。ええ。それではハチマキを付けましょう。
バイトを29.5mmのところに移動させて…。
俺、伊丹にすごいマンツーマンで教えてもらってる。
景色が変わった。ここは教室だ。颯太も剛も優樹もいる。
伊丹が入ってきた。先生。俺たちは待っていたとばかりに伊丹を囲った。
先生、情報が分からないよ。このプログラムってどういう意味なの?
問題集を見せる。これなんだけど…。
これは、イフ文と言うものでしてね。説明しましょう。
イフ文というのは、数ある情報のうち、こちらがほしい情報のみを見たいときに使います。
例えば、今回の情報のテストは、何人が30点未満だったかを調べるとか。
黒川今回ヤバかったよな。颯太が笑う。うるせえ。何点だったっけ?黙れや。
久屋、人の失敗や点数をけなすのは良くありませんよ。あなただってこの間の実習で、旋盤のチャックハンドルをチャックから抜き忘れたまま電源を入れようとして、牧口先生にこっぴどく叱られたでしょう。
え、お前せつなに叱られたの?ああ、めっちゃキレられとった。優樹が言う。
色々バタバタしてたからって言ってたけど、どこがバタバタしてたんだよ、急ぐ用事あったのかよ、って言われてたしな。
しかもその後の言い訳がさ、せっちゃん見るのに忙しくてとか言っててさ。
伊丹が笑った。苦し紛れの口説き文句ですか。久屋らしい言い訳ですね。
せつなにぞっこんだもんな。と俺。颯太は顔を赤くしながら、うるせえんだよお前ら。と呟いた。
まあまあ、久屋の恋バナは置いておいて、イフ文ですね。
数ある情報のうち、自分が見たいものを抽出させるものです。
伊丹の説明は驚くほどにシンプルで面白かった。
英語と同じですよ。
でも、俺はなかなか情報の理解が遅くて、旋盤みたいに手こずっていた。
情報技術検定という検定の直前、なかなか目標点の70点が取れず、補習対象者になってしまった。
その時の補習担当が伊丹だったんだけど、そういえば愚痴ってたな。
先生。俺、情報無理や。検定受からんよ。先生の話を聞くと分かるんだけど、その後自分で解こうとしても解けなくて…。
黒川、焦らない、焦らない。私の説明が理解できるなら、必ず合格を勝ち取れます。あなたに足りないのは落ち着きと、自信です。
落ち着き?
妙に砕けて笑えてきた。ええ、実力はあるはずです。解こうとする際に迷いが生じるだけでしょう?心を見透かされているみたいだ。
では、これをやってみましょうか。
新しい過去問を出された。
時間は計りません。やってみて。
ひとつひとつ問題に向き合う。時間は無制限だから、思うままに解ける。
終わりました。
どれ、見せてください。伊丹は答案をチェックした。
できていますよ。70点あるではないですか。
そうなの?
はい、大丈夫ですか。ですからあなたに足りなかったのは時間内に解くということに関する落ち着きと自信です。しかしあなたは私の解説無しで、できるようになった。大丈夫だ、と確信のもとで精いっぱい解けばいいのですよ。
そう?
ええ。では今度は時間を計ります。新しい過去問を渡された。
よーい、スタート。
俺は解き始めた。相変わらず、時間が決まっているのはプレッシャーに思えて緊張が高まる。でも、何も分かんなかった時より問題に思うことはある。それなら大丈夫だ。
はい、解答をやめてください。
俺は答案を渡した。伊丹がチェックする。
大丈夫ですね、時間内に解くこともできるようになった。
ホント?!
ええ、できるようになった。誇らしいことだ。俺に答案用紙を見せながら言う。
あなたは、落ち着きさえすれば何でもできると思います。
俺、こんなに励まされていたの?
また情景が変わった。
職員室の前の廊下で、すれ違った時。先生、俺昨日、先生が好きなバラエティー番組観たよ。
観られましたか。まじヤバかったよね、あの芸人の対応。確かに、私も大笑いしましたよ。
あと、アニメも観たよ。なかなか弄ってあって面白かった。でしょう?それがあのアニメの魅力なのです。
友達みたいに話してる。こんなに、俺たちは仲良かったのか?
また情景が変わった。工場の流し台で手を洗っている。
その後、旋盤についているエアーで水を飛ばすんだけど、あ。手元が狂って、伊丹の作業着に空気が当たってしまった。
ごめんなさい。
いいえ、お気遣いなく。というと、伊丹はちょっと笑いながら他の旋盤についているエアーから空気を当ててきた。
先生。可笑しかった。2人で銃撃戦みたいにエアーをぶつけ合って遊んでる。
俺、伊丹とこんなに仲良かったのか。
また情景が変わった。
今度は…。ここはどこだ。真っ白な廊下に俺は立っていた。床も天井も壁も真っ白だ。
窓に近づくと、冷たい雨が降っている岐阜の景色が見えた。
遠くに金華山が見える。霧がいい感じにかかっていて、なんとも言えない美しさがあった。
普段は何もない田舎町だと思っていたけど、よく見ると古いビルや建物が新しい建物と混ざって建っていて、東京や名古屋とは違った、ガチャガチャしていない、歴史が息づいていそうな古き良き街って感じがした。俺が住んでいる岐阜って、こんなにきれいだったのか?そしてここはどこだ。
窓を離れて廊下を進むと、次第に周りが見えてきた。壁にところどころドアがついていて、ドアの近くには何かのボトルがある。近寄ってみると、ああ消毒薬だ。ということは、ここは病院?でも、どうして?
しばらく歩いていると、中途半端にドアが開いているところがあった。何か呼ばれてるみたい。
そっと忍び込むように入ると、そこには。母さん?ベッドに母さんぽい人が座っていた。
えっ?母さん、どっか悪いの?慌てて近寄ると、違った。母さんは、小さな赤ちゃんを抱いていた。
誰?と思ったとき、弾けるような笑い声が響いた。辺りを見渡すと、すぐそばに父さんが座っていた。
そしてその横には、え、伊丹?何でいるの?
無事に生まれて良かったね、駿。伊丹が父さんに話している。
ありがとう、亮。お前より先になっちゃったけど…、なっちゃんももうじきだろ?
いやぁ、まだ8ヶ月になったとこ。だけど、楽しみだね。ひょっとしたら俺達みたいに友達になるかもしれない。えっ、俺達は親友じゃないのかよ、寂しいな亮は。また笑い声が弾ける。
そうだ亮、父親になる練習で、抱っこしてやってくれよ。父さんが言った。
そうね、今慣れておけば、生まれたときに焦らなくて済むかもよ。母さんも言う。
名前は?瑞貴って付けたの。え、この赤ちゃんって、俺?!
しかも俺、伊丹に抱っこされてる。グズったりとかするかな。と思ったけど、俺はグズるどころか伊丹の腕の中ですやすや眠っている。伊丹も愛おしそうに俺を見つめている。
どういうこと?俺、生まれたときから伊丹と接触あったって、え?えええええ?!
状況がよく分からなくて焦る。今までのことも、今起こっていることも、いったいどういう事だ、そんな、俺は覚えてない、俺は一体何を…と思ったとき。
?!
いきなり地面がグラグラ揺れて、その場に立っていられなくなった。とっさの判断で床に伏せたその時、俺はまた意識を失った。
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