第2話 心の火

原動機のレポート、お前どうする?

次の日の昼休み、俺はまた颯太と剛に協力を求めた。しかし、赤点を回避していたのは誰もいなかった。

どうするって、俺が聞きたいくらいだよ。颯太が言った。とりあえず、赤点じゃなかったやつの回答を写させてもらうしかないかな。それはコミュ力があるお前だからできるんだろ。と俺は突っ込んだ。俺みたいなコミュ障が他のやつの回答見せてもらうなんて、到底できねえよ。まあ、黒川はそうだよな。俺ら以外につるんでる奴いないし。そういえばそうだ。剛はどうするの?

俺は、ウィキかな。ウィキとかやめとけよ、国宮はめんどいじじいだぞ。颯太が言う。あいつ、ウィキの文章とかYahoo知恵袋の文章とか全部網羅してるからな。バレたら再提出喰らうぞ。はあ?めんどいやつだなー。早く定年でいなくならないかな。剛がため息をつく。そこに、ガラガラ、と教室の引き戸を開ける音がして、こんちは。せつなが入ってきた。最近気温が下がってきたせいか、白いシャツの上に濃いグレーのカーディガンを羽織り、ブラウンを基調としたタータンチェックのロングスカートを履いている。髪はシンプルにサイドポニーにしていた。図書館の司書みたいだった。

せっちゃん、どうしたの?颯太が聞く。あー、次の授業の現文の先生、急な用事で学校出なきゃいけなくて、あんた達自習になるんだよね。その自習の監督。俺たちの席の近くに来た。何やってんの?原動機のレポート。と颯太。ああ、国宮先生の。そうそう。せっちゃん、原動機分かる?原動機って言われても、どこかによる。これなんだけど。颯太が自分の答案用紙をせつなに渡した。

21点?ブスッとした嫌そうな表情を浮かべたが、せつなは一通り颯太の答案用紙を見た。流体の基礎と、エンジンの論述、熱力学の第一法則ね。何とか教えられるかも。せつな、原動機持ったことあるの?颯太が聞く。うん、あるよ。去年の2年生で受け持ってたし、エンジンに関してなら、ここに来る前の学校で自動車科だったから、実習で教えたこともある。

え、せっちゃんってここ来る前に自動車科だったの?うん。大学出てすぐの頃ね。1年しかいなかったけど。

じゃあ、俺の代わりにやってよ。と颯太がゴマをする。はあ?ばっかじゃねえの、アタシがやったら文が大人過ぎてバレるっての。そこをなんとか、せっちゃん、頼むよー。やなこった。アタシ他にも仕事あるし、これ以上増やすなって。予鈴のチャイムが鳴った。せつなは教卓に向かった。それを合図にするかのように、周りの奴らも昼休みの体制を片付ける。教卓から教室をぐるりと見渡して、せつなが俺たちの席のある方とは反対側の島に足を踏み入れた。反対側の島で、他の奴らの様子を伺っているようだ。そして、話をしていた。時折笑顔を見せ、楽しそうに談笑している。せつなは誰とでも話せるからいいよな。

やがて、授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。せつなが教卓に戻った。

さあ、始めよう。起立、気をつけ、礼。お願いします。席に座った。

やあ、みんな。こんにちは。何人かがこんにちは、と返す。本当は今日、現代文の授業だったけど、現文の先生が急な用事で帰らなきゃいけなくなって、急遽自習になりました。その言葉に、颯太や他のお調子者のキャラがどよめいた。なのでこの時間は自習にする。まあ、立ち歩かずにちゃんと勉強してよ。立ち歩いたら、即設計の授業にするからな。手ぶらで来たやつが即興で設計の授業なんてできるの?といささかの疑問は抱いたが、自由時間を奪われるのは嫌だから、指示には従う。

おのおの、思い思いの勉強用具を出して勉強にかかった。英語の予習をする奴もいれば、数学の問題を関数電卓で解こうとするセコい奴もいる。中には文庫本を出して読んでいる奴もいるし、危険物取扱者乙種の問題集をやったり、実習のレポートに取り掛かる奴もいる。みんな何かしら追い詰められていた。俺が見る限りだと、高校生ってみんな一見暇そうに見える。でも、実は何かしらの締め切りというものに、いつも追われている。追われ続けて、はっと気づいた時に卒業、なのかな、学校って。まるでリアル鬼ごっこか脱出ゲームみたいだ。時々交渉術がいるから、ちょっとライアーゲームかもしれないけど。俺も原動機やらなきゃな。やっかいなおっさんが出した課題をちゃっちゃと終わらせなきゃ。原動機の教科書を開いて、まずは回答の直しから始めることにした。しかし。そうだ、俺には何も分からないんだ。どうしよう。せっかく原動機を片付けられるチャンスだったのに。あーあ、俺のバカ。しょうがないから、実習のレポートでもやろうかな。マシニングのレポートの期限が迫ってるし、それを・・・。リュックに手を伸ばし、実習のフラットファイルを探った。実習のフラットファイルは、忘れないようにいつもリュックに入れっぱなしにしてあるのだ。しかし。無い。あれ?この間の実習から、俺ずっと入れっぱだったよな?どうした?どこやった?そして、前のマシニングの実習のとき、伊丹が俺の持ち物をパクってたことを思い出した。ああ、そうだ。あれからパクられるのが嫌で、機械科の棟の更衣室のロッカーに鍵をかけて置いてたんだ。行動が裏目に出てしまった。あーあ。と、うなだれたその時。

黒川。声がして前を見た。原動機のレポートやってんの?せつなが席の前に立っていた。

うん。

あんたもやらかしてんの?やらかしてんの、ってまあそりゃ原動機意味分かんないから。どれどれ、見せて。せつなが床に膝をついて、俺と向き合う形で座った。

確か、流体の基礎からだよね?うん。ベルヌーイの定理か。はーん、これは懐かしい。教科書でベルヌーイの定理のところ見せて。うん。教科書を開くと、せつなは言った。ベルヌーイの定理ってのは、エネルギー保存則のこと。設計でやったでしょ?エネルギー保存の法則。うん。設計では、位置エネルギーと運動エネルギーが主だったけど、原動機はそこに圧力のエネルギーも入ってくるの。水や風が管を流れるとき、管には水や風から圧力を受けるから。うん。圧力のエネルギーの式がこれ。せつなは教科書の式を指差した。ポジションによって、立てる式が違うのはいい?うん。それぞれのポジションで、エネルギーの式を立てて。うん。せつなに言われるがままに、式を書いた。で、この左右のエネルギーのトータルは等しく、さらにこの2つの数値は常に一定の値を取る。これがベルヌーイの定理の原形。あとは、すべての項に質量mがついてるからこれを削ぎ落とす。俺はmに斜線を引いた。これがベルヌーイの定理だ。設計と同じだ。

うん。

ちょっと式がややこしくなっただけ。ほーん。これでテストの問題は解けるし、レポートの問題もイケるでしょ?・・・どうだろう。やってみる。うん。せつなは頷いた。


放課後、俺はまた機械科の職員室の棟に向かって、歩いていた。一人でやってみる、と言ったものの、やっぱり俺にはできなかったからだ。

別に、せつなが好きとかじゃなくて、今頼れるのはせつなしかいないから、こうして会いに行く。まったく、勘違いとかされたら嫌だなあ。とつくづく思う。

機械科職員室の前に着いて、肩からリュックを下ろし、職員室のドアをノックしようとしたその瞬間、トン、と何かにぶつかった。辺りを見渡すと、あ、ごめん。

俺の前に、ちょっと大柄な体つきをした、丸顔でベリーショートヘアの男子生徒が立っていた。同じクラスの東山優樹だ。体はデカいけど、声はそんなに大きくなくて、いつもちょっと落ち着きがないし、挙動不審な動きをする変な奴。それに、基本人の話をあまり聞いてなくて、クラスでは有名なトラブルメーカーだ。けど、ソーシャルゲームにはめっちゃ強くて、歯が立たない。それに、ライトノベルやアニメにめちゃくちゃ詳しくて、俺が知らないアニメも質問すればすぐ答えてくれる。まあ、厨二病めいた話し方がウザいのを除けば、だけど。

東山、どうしたの?

あ、ああ、せつなに原動機聞きに来た。

は?お前が?さっきの自習のとき、せつなに原動機教わったけど、全部やったわけじゃないから。

お前もか。お前もかって、黒川も?うん。そうか。じゃあ、俺がせつな呼ぶ。と東山が一歩前に乗り出して大きくノックした。はい。誰かの声がする。ドアを開けると、国宮と東崎がドア近くのデスクの椅子にけだるそうに座ってこっちを見ていた。

失礼します。2年機械科の東山優樹です。と言って職員室を見渡した。せつなはいなかった。東山が焦っているのが伝わってくる。あ、え、えーっと。またキョドフってる。

何だ、用件は?東崎が聞く。予想外のことに、東山はテンパっている。あ、あ、あの。お前、用件も言えないとかそれでも2年生か?東崎が言う。東山はパニック寸前だった。埒が明かない。俺が行こう。

失礼します。と言って東山の横に並んだ。

2年機械科、黒川瑞貴です。牧口先生に用があって来ました。入室してもよろしいでしょうか?

牧口先生なら、今いないぞ。と国宮。まだ定時前だから、校内にいるとは思うがな。今日は写真部も活動が、と言うと国宮は立ってせつなのデスクまで行き、写真部は活動がないみたいだから、校内のどこかにはいるだろう。分かりました、ありがとうございます。そして、すっかり硬直した東山の肩をポンポン、と叩き、出るぞ、と小声で囁いた。

失礼しました。2人で頭を下げて、ドアを閉めた。

あ、ありがとな。お前キョドりすぎなんだよ。それぞれのリュックを肩に背負い、俺達はせつなを探しに職員室をあとにした。俺、急に予想外なことが起こるとパニックになるんだ。それは俺もだ。けど、お前ビビりすぎなんだよ。しょうがないじゃないか、俺はADHDなんだから。何それ?ADHD。注意多動性障害ってやつ。何だその厨二病っぽいやつ。厨二病じゃねえよ。肩を叩かれた。お前力ありすぎなんだよ。もっと別なことに使えよ。うるせえな。東山がブスッとした表情で言った。

せつな、どこにいると思う?聞いてみた。うーん、写真部が無いなら、図書館かもしれない。前、俺ラノベ返しに図書館行ったら、あいつ何か本探してるの見たことあってさ。

ふーん。じゃあまずは図書館に行こう。

機械科の棟を出て、図書館のある本館へ向かう。うちの学校は結構大きくて、機械科以外にも学科が複数あって、俺達が普段座学の授業を受ける本館と機械科の職員室のある棟は、結構離れている。おまけに、機械科の工場は、機械科職員室のある棟の後ろにこれもまた1軒の平屋で立っているから、毎回移動が面倒くさいのだ。

図書館にせつな、いるといいな。東山が言った。うん。本館に入って、1階の隅にある図書館に入った。すると、窓際の大きなテーブルに数冊本を広げ、ノートに何やら書き物をしているせつなが目に入った。

ビンゴ。東山が指を鳴らしながら言った。こいつ、こういうカンは冴えてるな。

せつな。俺たちは、せつなが座っているテーブルに近寄って声をかけた。せつなはシャープペンシルで書き物をしている手を止めて、顔を上げた。あ、黒川、と東山?うん。どうしたの?

俺ら、原動機教えてほしい。

マジ?せつなは驚いた顔をした。

このままだと国宮のレポートやばいんすよ。と東山。さっきの続き、教えて下さい。えー?せつなは首を傾げながら困った表情をした。さっきは自習だったから教えたんだけど・・・。ちゃんと国宮先生に質問したほうが良いと思うよ。いや、それじゃあ分からないんだ。あんまり分からないと、国宮もうんざりするし気まずいだろ。えー?せつなは、頬杖を付きながら、嫌そうな顔をする。まじで、今の俺たちにはせつなが良いんだ。教えてよ。教えて下さい。まったく、またせつなに頭下げるなんて。俺も、教えて下さい。東山も頭を下げた。そこまでお願いされたら仕方ないなあ。せつなは、ふう、とため息をついた。

国宮先生には内緒よ?アタシが国宮先生に代わって原動機教えた、なんて言ったら失礼だもん。そこ座んな。せつなは自分の向かい側の席を俺たちに勧めた。

あざっす。俺たちはリュックを床に置いて、席に座った。そして、リュックから答案用紙やら原動機の教科書やらレポート用紙を出し、臨戦態勢に入った。

さて、あんた達はどこまでやったの?まだだめだ。ベルヌーイの定理からやれなかった。と東山。俺も。続いた。

そう、分かった。と言うと、せつなはまた解説を始めた。俺たちは一言も聞き漏らすまいと、少し身を乗り出しながら話を聞いた。

国宮の、長ったらしくてつまらなくて、よく分からない理論の説明とは違って、せつなの説明は要点を絞り、スピーディーなものだった。

そんなイチから理論追ってたら、流体なんて大人でも歯が立たないよ。未だ解明されてないことも多いんだから。要は、問題に使われている用語でどんな作業をするか察して、あとは公式に当てはめるだけ。その後は数学の方程式よ。はあ。と俺は返した。

問題を読んで、今何をすべきか、それを想像する想像力が必要なのよ。設計でも言えるけど。物事の構造を見抜く、心の眼が重要なの。

心の眼?東山が聞く。

うん。数学とか、理学だとよく使う。難しい問題と向き合うときは、どうやって答えまで歩いていくか、道筋を立てなきゃいけない。その道がどんな道でどんなトラップがあるか、とかさ。道の構造、すべてを見抜く心の眼が必要なの。

さすがはリケジョ。高校生の頃、数学好きだったって言ってたもんな。俺はふーん、と相づちを打った。東山は、妙に納得した表情でうんうん、と頷いていた。


せつなの説明を聞いて、俺は何となく計算問題を理解することができた。でも、問題はそれだけじゃなかった。エンジンの種類について、また、構造についての記述問題が残っている。百歩譲って計算問題は何とかなっても、記述は自信がない。しかも伝家の宝刀Wikipediaを取り上げられてしまったら、俺にはなすすべもない。

せつな。一通り解説が終わったところで、俺は言った。論述、なんだけどさ。何かおすすめのサイトとかある?

サイト?

うん、エンジンの種類について、詳しく書いてあるとこ。ウィキ以外で。

はーん、なるほど。大手自動車メーカーや、航空機メーカーのサイトを見てみると良いよ。会社が紹介してるのだと、機械を買ってもらうお客さん向けに分かりやすく紹介してあるから、一般人でも見やすい。あとはJAXAのホームページとか。日刊工業新聞社が出してる本も良いな。と言うと、せつなは机に置いてあった本を見せてくれた。

この絵ときシリーズは学生におすすめ。図書館だし、借りることだってできる。まあ、そんなもんかな。自動車科にいた時、よく自動車メーカのサイト見てたな。自動車整備のの雑誌とか、カタログも。

見て分かるんすか?東山が聞く。うーん、あんまり分からなかったかも。と言うと、せつなは、あはははっと笑った。

大学出てたってそんな知識があるわけじゃないから。職員室で実習とかの勉強しながら、パソコンでしょっちゅう調べてたわよ。それに、職員室内でも訳わからない用語が飛び交ってたから頭痛くて、少しでも意味が分かるようにって思ってたら、こうなっちゃった。知ることと、理解することは、全然違うんだけどね。

同じだと思ってた。

ううん、物事への関心の深さが違う。知るってのは、見るのと同じでさ。理解するってのは、構造を見抜くってこと。ちなみに、国宮先生の論述は、ちゃんと構造がわからないと書けないようになってるよ。そうなの?うん。去年の2年生のレポートを見たことがあったんだけど、あれは骨が折れるわね。アタシも頭を使った。

じゃあ、教えてよ。いやいや、参考文献はさっき教えたし、まずは黒川が自分でやってみてよ。東山もさ。えー、むしろこれからの方が教えてもらいたいんだけど。ダメダメ。と言うと、せつなは窓を指差した。窓の外はもう日が落ちて、薄いブルーの空が静かに暗闇を増そうとしているのが見えた。校庭の灯りが灯っていた。

もう外暗くなってきたし、あんまり遅くなると図書館の先生たち帰れなくなっちゃうし、あんたたちも遅くなるといけないじゃん。今日はここまで。

ええー。

そして、せつなはテーブルに置いてあった本とノートとペンケースを持って立ち上がり、本棚に本を返しに行った。

マジかよ。せっかく、あと少しのところだったのに。

本を返し終わると、じゃ。と言って、せつなが図書館を出た。

マジかよー、俺一人で調べなきゃいけないの?優樹は?と俺は東山に聞いた。

文献が分かれば、あとは何とかなると思う。やべえなこいつ。できないのはいつも俺か。まあ、やばかったら俺にLINEくれよ。ちょっとだけなら見せるし。マジ?助かるよ、ありがとう優樹!都合の良い時だけ名前呼びするなよ。東山が肩を叩いた。分かった、じゃあこれからはお前のこと優樹って呼ぶよ。いい?

まあ、いいけど。ちょっとこそばゆそうにしながら優樹は言った。とりあえず俺のこと厨二病呼ばわりしなければ。しないしない!ホントか?疑わしそうな眼で見られた。

しないから!絶対しないから!・・・分かった。ぶすくれた表情をしながら優樹は言った。

じゃあ、お互いにLINEで進捗状況見せ合おうよ。そうすれば、俺も優樹もレポートとかすぐ終わらせれるし、Win-Winじゃん。そうかな。あ、あと颯太と剛も混ぜて、グループLINEにしようぜ。久屋と桜山?うん。あ、お前はあんまり絡んでなかったっけ?いや、桜山は1年の時クラス一緒だったし、ゲーム仲間。あ、そっか。優樹も剛もゴリゴリのゲーヲタだったな。ネット廃人だし。廃人じゃねえよ。優樹が眉間にシワを寄せた。桜山なら言えるかもしれないけどな。

じゃあ、あとで俺が優樹と他の2人にグループ招待するから、入ってくれ。うん。優樹が頷いた。じゃ、帰る。テーブルの上の荷物を片付けてリュックにしまった。

黒川、お前文献とかいいのか?

んー、分からない。でも、とりあえずネットがあればなんとかなるだろ。

そうか。じゃあ借りなくていいな。うん。2人でそれぞれのリュックを背負って、俺達も図書館をあとにした。外はすっかり暗くて寒い。そろそろ冬服を出す時期だ。

寒いな。俺は体を縮こませながら最寄り駅までの道を歩いた。そうか?と優樹が聞く。俺は平気だよ。は?お前やばくね?俺、1月生まれだから、昔から寒さには強いんだ。生まれた月って関係ある?俺も11月生まれだけど、寒さはそんなに強くないよ?じゃあ、何なんだろ。他愛もない話をしながら、並んで歩く。

そういや、さ黒川。ん?お前、何か最近アクティブだよな。桜山たちと昼休みに勉強したり、さっきもすごく積極的に質問してたじゃないか。何かあったのか?

うーん、どうしようかな。伊丹とのことを言ったら、こいつ、どうなるんだろう。・・・し、信じるか信じないかは優樹次第だけど。うん。

俺、伊丹って先生に、課題出されてんだ。原動機のレポートと、追試で8割。

どういうこと?優樹が怪訝そうな顔をした。

俺にもわからない。でも、この間急に俺の前に現れて、俺の態度がダレすぎだからあと24時間で俺の友達みんなから俺の記憶を消す、それが嫌なら課題をやれって言った。だから、この間の定期考査で設計8割って言われて、そこから勉強しだした。

原動機もそれか?うん。変な話だな。そんなラノベとかに出てきそうなシチュエーションが、この世に現れるなんて。転生したとかじゃないよな?そりゃないよ。

夢じゃないよな?この世界。これが現実だよ。だとしたら変だよな。幽霊が化けて出てきたのか、誰かの闇の呪いで操られてるのか、それとも・・・。

そういうところが厨二病っぽいよな。しかも真面目に考えてるし。厨二病って言うなって約束しただろ。また優樹が俺の肩を叩く。

痛いよ。もっと力加減考えろって。え、そんなに力入れてないぞ。俺ってそんなに力あるのかな。手や腕を動かして首を傾げる。まあ、重い荷物は割と持てるけど、そういうのじゃないしなあ。優樹が、うーん、とまた考え込む。

そうそんなに深く考えるなよ。俺は苦笑いした。そんなに真面目に考えなくていいと思う。そうか?うん。

優樹は結構、馬鹿正直なのだ。

最寄り駅について、改札をくぐるとちょうど電車が来た。2人で乗り込み、一緒に岐阜駅に向かった。車窓から見える景色は、日中と違って、病院やショッピングセンターやビルの灯りが目立った。同じ街でも、時間によって見え方が全然違った。多分、岐阜市内の夜景を見たのは初めてかもしれない。

岐阜駅に電車が止まると、俺達は電車を降りて改札をくぐった。駅構内は、帰宅途中なのか、足早に歩くサラリーマンや、ブランドバックを肩に掛けたスーツ姿の女性、まだ話足りないのかその辺で2,3人で固まって喋っている高校生たちや、大学生っぽい人たちでいっぱいだった。塾の休憩中なのか、財布を片手に制服姿で歩く中高生の姿もあった。

エスカレーターでバス停のある下に降りると、自転車で構内を突っ切っていく老人を見た。

ちゃんと降りて歩けよな。あれじゃあ危ない。優樹がつぶやいた。

確かに。家の最寄りに向かうバスが止まる停留所まで歩くと、ちょうどバスが来た。何か今日タイミング良い。じゃあ、俺帰る。うん。優樹は?俺は名鉄だから。ふうん、じゃ、また連絡するわ。制服のズボンのポケットに入れた定期入れを出し、ICカードを機械にかざして、バスに乗り込んだ。また長い1日が終わった。まあ、帰ってからも課題をやらなきゃいけないんだけど・・・。ふう、とため息をついて、リュックの中からスマホを取り出し、電源を入れる。うちの学校では、生徒は、学校に登校したらスマホの電源を切って、それぞれのクラスにあるスマホの保管庫にスマホを預けなければならない。保管庫は、日中は担任が鍵を掛けて管理している。スマホが返却されるのは、帰りのショートホームルームが終わってから。まあ、こすい奴は、以前解約した古いスマホを預けて、今使っているスマホを自分で隠し持ってるけど・・・。そこまでしてスマホをいじりたいかといえば、そういうわけでもないんだよな。俺だって人並みにSNSやソシャゲはやるし、動画サイトで動画を見るし、音楽だって聴く。だけど、そんな隠れてやるってレベルではない。何かがすごく好きだ、とか、何かに熱中してるってわけでもない。俺はすべてが中途半端なんだ。いつからだろう、こんな無気力で中途半端になったの。てか、俺って何か好きなものあったかな。はー、つら。と思ったその時、スマホのバイブが鳴った。

ん?電話?

母さんからだった。しかし、今はバスの中だ。流石に今ここで電話するのはまずい。でも、スマホのバイブはひっきりなしに鳴っている。やばい、ずっと電源を切ってたから、連絡とか何にもしてなかった。怒られるのは分かってるし、すでに決定事項だけど、スルーするしかない。最寄りのバス停に着くまで、俺はずっとバイブの鳴り止まないスマホを両手で包み込んで抑えていた。うるさいとか言われたらマジでやばいし。

母さん?瑞貴(みずき)、どこにいるのよ。もう真っ暗なのにどこほっつき歩いてるの?!明日も学校でしょ!!最寄りのバス停でバスを降りて電話に出ると、母さんの怒鳴り声がスマホから爆音で響いた。

が、学校だよ。図書館で勉強してたんだよ。嘘ばっかついて、どうせショッピングモールのゲームセンターか、カラオケでも行ってたんでしょ?普段の俺だったらそうだったけど、今回は違う。マジで違うのに。違うって、学校の宿題を先生に教えてもらってたんだ。

そんな言い訳したって無駄よ。

俺は母さんと、電話で口論しながら家に向かって歩いた。俺の課題は家にもあった。

家に着くと、俺は電話を切って、玄関のドアを開けた。

ただいま。あんまり帰りたくないけど。

リビングに入ると、不機嫌そうな母さんが洗濯物を畳んでいた。

遅いわね。どうせ遊んでたんでしょう?また口論の始まりだ。

違うよ、本当に勉強してたんだって。じゃあ何の勉強してたの?!ヒステリックに聞かれた。

何の勉強って、それは・・・。原動機、と言おうとしたところで、俺は思いとどまった。原動機って言えば、赤点の答案を見せなきゃいけなくなる。そうすればもっとキレられる。え、えっと何てごまかそう。

すぐ出てこないってことは、やっぱり遊んでたんじゃない、嘘つき。

嘘じゃない、ちゃんと勉強してきた。

もう知らない。勝手にすれば?

こうなると、母さんはどうしようもなくなる。本当のことなのに、普段ダレすぎてるとこんなに信頼を無くすのか。重い後悔の念が押し寄せた。

リビングにいたくなくて、俺は2階の自分の部屋に上がった。部屋に入って電気をつける。でも、その部屋に伊丹はいなかった。漫画もちゃんと本棚に収まっている。いつもの俺の部屋だった。リュックを床に下ろし、原動機のレポートの用具を取り出した。デスクの備え付けの椅子に座って、レポートの用具を机に出した。

ちょっとでも気を抜くと、母さんが怒っていることについて考えてしまうので、レポートと回答の直しに集中しよう。

さっきせつなに教えてもらった問題を、最初から解き直す。テストの時より、何とかできるようになった。次は論述だ。スマホでGoogleの検索アプリを出し、思いつく自動車メーカーのサイトを開いた。でも、売ってる車の一覧とか、購入見積もりについてのことしか出ていなかったので、検索ワードを増やしてもう一度検索する。確かにエンジンの話はあったけど、難しい。じゃあ、これでどうだ。俺の検索履歴は芋づる式に伸びていった。ふーん、掘り下げると結構出てくるんだな。出てきた資料をスクリーンショットして、また検索をかける。

結構、面白いじゃないか。

一つ一つ、論述は書けていった。これが、レポートってものなんだな。実習のレポートもあるけど、あれはぶっちゃけ感想を書いて終わりだから、学術めいたことはないな。


ふう、だいたいこんなもんか。

時計が真夜中を指す頃、俺は原動機のテストの解き直しとレポートを終わらせた。長かったなあ。

うーんと伸びをして椅子から立ち上がった。座りっぱなしだったから、首と肩がこった。勉強したあ、とあくびした。すると、俺の腹がめっちゃでかい音で鳴った。そりゃあそうだよ、遅くまで勉強して、そこから深夜まで勉強したんだもん。腹も減る。しかし、問題はどうやって食料を手に入れるか、だ。下に降りて、母さんがいると、また喧嘩になりそうで嫌だ。でも、腹は減ってる。何か食べなきゃ、てか風呂も入らなきゃ、マジでやばい。怒られるのを覚悟で降りるしか方針はなさそうだ。

なるべく怒りを買わないように、こっそりと、静かに下に降りた。忍び足でリビングのドアの前に立つと、電気はついてなかった。もう寝た・・・かな?いや寝るだろ、深夜だもん。そっとドアを開けてリビングに入り、電気をつけて、奥の台所へ向かった。冷蔵庫を開けた。すると、そこには夕飯のおかずが乗った皿がいくつかあった。本当はレンジで温めて食べたかったけど、そんなことしたら音でバレる。一人で冷めた夕飯を食べた。喧嘩してるからか、あんまり食欲がない。ちょっと食べただけで胸がいっぱいになる。

家族で飯食ったの、いつが最後だったっけ?

実は俺、父親がいないんだよね。いつからか分からないけど、父さんは消えた。母さんとずっと2人暮らし。母さんは、岐阜市内の大きな病院で、看護師をしている。夜勤もあって、その時は俺は一人で家にいる。夕飯は、コンビニで何か適当に買ってきて済ませる。でも、何か最近夜勤の回数が増えた気がする。多分俺と顔を合わせたくないんだろう。実際、休みとかで家にいても、さっきのように些細なことですぐ喧嘩しちゃうから。この関係、どうにかならないかな。

せつなはどうなんだろう。てか、教員にも家族っているのか?優樹は、剛は、颯太は、どうなんだろう。そういや、俺あんまり人と深い話をしたことがないな。友達から、俺の記憶を無くす、と伊丹に言われてもどうとも思わなかったのは、表面上の付き合いしかしてこなかったからだろう。だって、あんまり深い話をする機会なんてないし、SNSやソシャゲのくだらない話をしてれば時間は過ぎていくし。黙っていても、スマホで適当に遊んでれば何とかなってきたから。

でも、本当に困ってる今、友達がいるって思うと何か心が軽くなる。伊丹が言いたかった友達の重要性って、こういうこと?

それなら、友達を奪われるのはごめんだ。あとの課題が何か分かんないけど、ちゃんとクリアしよう。何かがポッと俺の中で灯った気がした。


ふむ、良いでしょう。

翌日の夕方、俺は伊丹にレポートを提出した。相変わらず俺の部屋でゴロゴロされるのはウザいけど、まあ出題者だし。出さなきゃいけないものは出さなきゃいけない。

これくらいであれば、国宮先生にお咎めを受けることはないでしょう。

それなら良かった。では、あとは金曜日の追試ですね。うん。だけど、本当に8割取れるかな?自信がない。ちょっと不安。

不安、ですか。だって、どんな問題が来るか分からないじゃん?追試とはいえ、テストと同じ問題が出るとは限らない。

それは、回答を丸暗記しようとしている人の言うことですね。

確かに。だって、追試だもん。範囲は同じだし。

それでは、なぜ国宮先生に、テストの解き直しとレポートを課されたと思いますか?

システムの問題?クスッと伊丹が笑った。俺の学校は、赤点を取るとその教科の追試と追加課題を課されるシステムになっているからだ。

そう捉えますか。

そうじゃないの?もっと深いところに意味があるとは思わないのですか?

どういうこと?

範囲が同じで、本試験の内容を解き直し、調査した。試験の内容について本試験より深く勉強されたのではないでしょうか?

確かに、勉強はしたな。ということは、内容を理解すれば、数値さえ違っていてもやることは同じです。あなたは、これまでの原動機の授業で学ぶよりもっと深く勉強して良い、と学ぶ権利を与えられたのです。

自分の周りで起こることには、すべて意味があります。意味のないことは、起こらないと思います。

うん。

それに、この原動機の課題に取り組んで、東山や久屋、桜山とより深い友好を築くことができたのではないですか?それで、少しは友達に忘れられることの恐怖を感じることができたのでは?

まあ、確かに。ぼっちになったら、また原動機で赤点取ってもこんなに前向きに頑張ることはできないだろう。

ですから、あと少しのところまで来られています。ゴールは目の前です。と言うと、伊丹は、コホンと咳払いをした。

ささやかながら、励ましをお送りしましょう。励まし?

昔々、鎌倉時代の頃のことです。日蓮、という一人の僧侶が、新潟県の佐渡から弟子にお手紙を贈りました。仏法の世界では、四条金吾殿御返事、と呼ばれています。

そのお手紙の中に、こう書かれています。法華経の信心を・とをし給へ・火をきるに・やすみぬれば火をえず。

何それ。

昔は、今のようにガスや電気がありません。火を起こすなら、木材を擦り合わせることによって生じる摩擦を利用して火を起こしました。あなたも、小・中学校の野外学習や、キャンプなどでご経験されたことはあるかと思いますが。

うーん、どうだったかな。俺は苦笑いした。

ともあれ、昔は火を起こすのに大変な労力を要したわけです。手を止めれば、摩擦熱は弱まり火は点きません。ですから、最後の最後まで諦めずにやり抜くのです。2つ目の課題クリア、という火を目指すのです。無気力だった最初の頃より、だいぶ前向きになったではありませんか。その調子です。

人から褒められるって、何か久しぶりだな。ちょっと照れくさい。

健闘を祈ります。消えた。

あんな変人に励まされるなんて、俺としたことかと思う気持ちもあるけど。あと少し、その調子、と言われると、今自分がどれだけ課題を遂行できてるのか目安が立ったから、気は軽くなった。ちょっと気持ちに余裕が出てきて、俺は優樹たちとのグループLINEに自分が使った資料のスクリーンショットを送った。


追試当日、俺はちょっとだけ緊張していた。颯太や剛は、早く帰りてえ、と文句を垂れていたが、俺は特に気にならなかった。あんまり家に帰りたくないのもあったし。

放課後、機械科職員室のある棟の空き教室に、原動機の赤点対象者が集められ、追試が始まった。

国宮の、始め、の合図とともに、恐る恐る問題用紙を裏返して、一通り問題文を見た。確かに範囲は同じだった。けど、問題の内容が本試験と違う。

えっ・・・どうしよう。

せっかく対策したのに。母さんには信じてもらえなかったけど、ちゃんと勉強したのに・・・。まただめか、と俺が心折れそうになったその時だった。

もっと深いところに意味があるとは思わないのですか?自分の周りで起こることには、すべて意味があります。意味のないことは起こらないと思います。伊丹の声が聞こえた。

俺は、ハッと気がついた。問題がどういう意味を持って出題されているのか、そこだけを見よう。

一通り問題文を眺めてみると、序盤に公式の証明ができればあとの計算問題はそのまま当てはめるだけで解けるようになっていた。要は合法カンニングできるようになっていた。

そこまでレベルを落とさないといけないテストって、俺たちどれだけできてなかったんだろう。

ここ数日に蓄えた記憶すべてを総動員して、俺は問題と向き合った。式の証明を書き、必死で関数電卓を叩く。カチカチという関数電卓を叩く音が空き教室に響く。

けど、俺の電卓以外でカチカチ言ってるやつはなかった。俺が問題を解く音だけが響く。いける!

はい、やめ。終わりの合図が聞こえた。周りからは、絶望に満ちたため息や、疲労感漂う声が聞こえた。でも、俺は、いけたかも、という高揚感に溢れていた。

無事に火が点いた、と思いたい。思っても、いいかな?

国宮に答案を提出して、俺は床に置いたリュックを持って廊下に出た。すると、後ろから、おーい黒川、と声がした。

振り返ると、国宮がいた。黒川、答案に名前書いてないぞ。え?慌てて空き教室に帰ると、国宮が教卓の上に俺の答案用紙を出して見せた。

やばっ。急いで筆記用具を出して名前を書いた。

黒川、お前名前書いてなかったの?颯太がクスクス笑った。だっせえ。剛も笑った。あんなにキチガイみたく電卓やってたのにな。2人で顔を見合わせて笑った。

うるせえな。書き終わると、俺はレポートも合わせて提出した。そういや、追試のあとレポートも出さなきゃいけなかった。危なかった。

それにしても、こんなスリルをあと4回も味わわなきゃいけないの?だるいなあ。先が思いやられる。さすがに今日は、家でゆっくりしよう。

リュックを持って、今度こそ廊下に出ると、黒川、と横から優樹が声をかけてきた。

おつかれ。と俺は返した。

うん。黒川、資料ありがとう。

LINEのあれ?うん。めちゃ助かった。それなら良かった。おかげでレポートが早く終わって、ソシャゲやれた。

はあ?ソシャゲとか。クスッと俺は笑った。

いいじゃないか、やることやれたし、さっきの追試も何とか解けたし。そうなのか?うん。お前は?優樹が聞く。

俺?まあ、できたと思いたい。

できてると思うぞ、俺。何で?俺たちのこと助けてくれたから。人のために火を灯せば我が前明らかなる如し、って言うじゃないか。

何それ?ことわざ?聞いたことないけど。仏教の言葉。

またお前厨二病発動するの?

厨二病扱いするなって言っただろ。優樹はうんざりした顔をしながら俺の肩を叩いた。

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