第2話 ロイター辺境へようこそ

◇◇◇


「見渡す限りの草原なんて初めて見ましたわ。まだ王都から一日も離れていないのに、こんなにも自然が豊かな場所があったなんて」


「何も無いところでしょう?疲れていませんか?少し休憩しましょう」


 俺は従者たちを下がらせ、いそいそと彼女のために場所を整えた。木陰のできる樹の下にふわふわの敷物を敷きつめ、火をおこして沸かした湯で暖かい紅茶を準備する。用意していたバターたっぷりのクッキーも添えて。疲れたときは甘いものが一番だよな。紅茶にはたっぷりと蜂蜜を入れて飲むのが美味い。


「アレクシス様は一人でなんでもおできになるのね。わたくし、これまでなんのお役にも立てていないわ」


 肩を落とす彼女に微笑んで見せる。俺たちの婚約は慌ただしく結ばれ、ロイター辺境で暮らす両親の元に向かっていた。俺が現在住んでいる屋敷は王都寄りにあり、王都から馬車で三時間ほどのところだが、両親はそこから更に数日ほどかかる本邸で暮らしている。


「辺境で育てば誰でもこうなります。ロイターでは、男は五歳になれば冒険のひとつや二つこなすようになるんですよ」


 まあ、辺境では、女性も十分過ぎるほど強いが。むしろ女性の方が強いかもしれないが。


「ここは、とても自由な土地なんですね」


 柔らかな髪を風に靡かせる彼女に思わず見惚れる。


「ええ。ここでは誰もが自由で、自分の心の赴くまま行動しています」


 ───だから君もそんなに悲しい顔はやめて、微笑んで欲しい。


 セシルはそっと目を伏せた。


「私は、ロイターで上手くやっていけるでしょうか」


「セシル嬢?」


「私は淑女になるために様々な教育を受けてきました。妃教育もそう。でもそんなもの、貴族社会を離れたらなんの役にも立たないわ。アレクシス様、私に、ここでの生き方を教えていただけますか?」


 その言葉を、あなたとともに生きたいと言っていると、俺は都合よく解釈することにした。


 ◇◇◇


「こ、これは本当にロイターでの礼儀ですの?本当に!?」


「間違いありません」


 俺はセシルを膝に乗せると真面目な顔で頷きクッキーを口元に差し出す。


「ロイター辺境は危険な土地です。魔獣や隣国からの侵攻にも備えて、いついかなるときも油断は禁物です。夫は愛する妻を守るため、外では妻を自分の膝の上に乗せて食事をとります」


「そ、そうなんですか。で、でもわたくし自分で食べられますわ」


「夫婦は信頼の証としてお互いが差し出したものを食べるのがマナーです。ほら、口を開けて?」


「信頼の、証……」


 セシルは真剣に悩んだ後、恥ずかしそうに俺が差し出したクッキーをぱくりと口にした。


「お、おいしい!」


 ぱあ~と顔を輝かせるセシル。


 くっっっっっそ可愛い。ナニコレ、こんな可愛い生き物今まで見たことある?普段の凛とした彼女ももちろん死ぬほど好みだが、俺の手から直接クッキーを口にするセシルの可愛さたるや、筆舌に尽くしがたいほどだ。今この瞬間を永久保存したい。網膜から脳裏に焼き付けておこう。


「あ、あの、アレクシス様もどうぞ。あ、あ~ん?」


 今度はセシルが俺の口元にクッキーを差し出してくれる。俺は遠慮なくセシルの手からクッキーを食べた。


「お、おいしいですか?」


 上目づかいで真っ赤になるセシルが可愛すぎてもう。


「今まで食べてきたクッキーで一番甘く感じます」


 神様。今までろくに祈ったことがなくて申し訳ありませんでした。俺は今ほどあなたに感謝したことはありません。俺の嫁が可愛すぎて辛い。


 幸せを噛み締めながらわざと遠回りして屋敷に到着すると、俺達の到着を今か今かと、待っていた両親と、屋敷の皆に出迎えられた。


「父上、母上、今戻りました!そして手紙で知らせた通り、最高に素敵な婚約者ができたのでご紹介します!セシル・アルティメス侯爵令嬢です!」


「おお!あなたがアレクシスの心を射止めたお嬢さんか!これは美しい!ロイターへようこそ!」


 熱烈に歓迎する父上の横では、穏やかな顔で母上が優しく出迎えてくれる。うちの両親はまさに美女と野獣の組み合わせで、いまだになぜ父上が母上と結婚できたのか分からない。


「初めまして。アレクシスの母のエレシアよ。こちらはアレクシスの弟のダニエル」


「ダニエルです!いやぁ~まさか兄貴にこんな綺麗な婚約者ができるとはなぁ。俺も王都で花嫁を探そうかな。セシル姉さん、ここは田舎ですが良い所ですよ!後で色々ご案内しますね」


 ダニエルは俺の二つ下の弟だが、ロイター騎士団を率いているためまだ王都に出たことがない。俺が綺麗な婚約者を連れて帰ってきたことが心底羨ましいようで、しきりにセシルを褒めていた。あまり見ると減るので今度絞めておこう。留守の間ロイター辺境の警備を一身に担ってくれたことには感謝しているが、それはそれ。これはこれ。美しすぎるセシルに懸想すると面倒臭いので、早めに王都に送り出してやるとするか。お前も運命の人が見つかるといいな!まぁ、セシル以上の令嬢はいないがな!


「セシルです。ロイターに骨を埋める覚悟で参りました。どうぞよろしくお願いいたします」


 きりっと真面目な顔で古風な挨拶をするセシル。埋まるときは俺も一緒に埋まることを許してくれるだろうか。


「まぁまぁ、そんなにかしこまらないで。ここはむさ苦しい男ばかりであなたのような可愛らしいお嬢さんが来てくれて本当に嬉しいの。ぜひ仲良くしてね」


「はいっ!」


 母上も、セシルが来て嬉しそうだ。何しろ野暮ったい男ばかりだからな。俺以外は。


◇◇◇


 セシルは少しずつ辺境での暮らしに馴染んでいった。ひと月もすると、やたら声は大きいが真面目でよく働く使用人たちや、領主に対して気さくに話し掛けてくる領民達にもすっかり慣れたようだ。


「アレクシス様!ほら、こんなに大きなかぼちゃを頂きました!」


「これは凄いな。今夜はトムに言ってかぼちゃのスープにしてもらおう」


「まぁ素敵。トムの料理はどれもとても美味しくて、わたくし太ってしまった気がするわ」


 トムはうちのお抱え料理人で、元は大国で宮廷料理人をしていたのでその腕は確かだ。昔母上に助けてもらったことがあるらしく、俺が小さいころから仕えてくれている。


「セシルは細すぎるくらいだよ。もっと沢山食べたほうがいい。今日のティータイムはマイヤーおばさんから貰った木苺のジャムを使ったパイを焼いてもらおう」


「まぁ、それはお断わりできませんね」


 顔を見合わせてクスクスと笑い合う。ああ、幸せってこういうことだったんだなぁ。結婚式の準備も着々と進み、結婚式は王都の大聖堂とロイター辺境の両方で大々的に執り行う予定になっている。心配していたセシルの実家の被害も、ロイターから食糧支援と技術支援部隊を送ったら早めに回復したらしく、早いうちに政務に復帰できそうだと手紙が届いた。


 母上ともすっかり打ち解けて、何かとお茶会を開いたり一緒にピクニックに出かけたりしているらしい。俺が辺境伯としての地位を引き継いだ後、父上と母上は気ままな隠居生活を送っているが、可愛い娘ができたと喜んでいる。


 純白のウエディングドレスに身を包んだセシルを想像するだけで顔がにやけて止まらない。セシルは絶対に俺が世界一幸せにしてみせる!


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