第20話 陰陽寮(後編)

帰り道は来た道を戻れば良いだけなので、迷う事なく真っ直ぐ道長と晴明の待つ建物に向かう。

すると、進行方向から見覚えのある姿が歩いてきた。


「あっ」

「あれ?」


貴族の中でも一際目立つその姿に見間違える筈もない。

鎌成は緋眼と目が合うなり刹那何かを思案する素振りを見せたが、その足を緋眼の方へ迷いなく進めた。


「ご、ご無沙汰致しております」

「君、何で此処にいるの?」


開口一番、鎌成からは質問が飛んでくる。


「その…私は晴明様と」

「まあいいや。文の返事はないし、てっきり逃げ出したのかと思ったんだけど、まだいたんだね」

「あっ…」


文と聞いて、まだ鎌成に返歌を送っていなかった事を今更ながら思い出す。

怪我をして董禾に暫く文を返す必要はないと言われ、そのまますっかり忘れていた。


「ずっとずっと待っていたのに返事をすっぽかされて、磨呂はどんなに傷付いたと思う?よくも平気な顔をして、こんな所に来れるものだね」

「申し訳ございません!」


怪我やその他諸々でそれどころではなかったとは言え、忘れていたのは事実だ。

謝って済みそうな相手ではなさそうだが、緋眼は思いっきり頭を下げて謝罪を示すしかない。

すると、頭上で僅かな衣擦れの音と共に動く気配がした。

緋眼が恐る恐る顔を上げると、鎌成は懐にでも常備しているのか短冊に何やら筆で認めている。

筆が止まったかと思うと、歌を詠みながら緋眼に短冊を差し出した。


「うっ…」


和歌は間抜けで礼儀知らずの緋眼を責めるものだった。

事実であるので返す言葉もない。


「なにボサッとしてるの?早く返歌」

「へ?」

「二度も返歌しないつもり?どう言う神経してるの?全く晴明はどう言った躾をしているのかな」

「お返しします!お返ししますから、少しお待ちください!」


和歌に続いて目と言葉でも責められ、慌てて緋眼は鎌成に渡された短冊に目を向ける。

本人が目の前に居る事と急かされている事の圧力で、散漫する思考を集中させるのにも一苦労だ。


「まさかとは思うけど、筆も紙も持っていないのかな」

「え…はい…」

「いつでも歌を詠める様に筆と紙を持ち歩くのは常識だよ。ホント、知識も教養もない田舎者の低俗さが際立っているね」

「申し訳…ございません…」

「今日は優しい磨呂が貸してあげるから、早く詠んでよね。磨呂が出来た人間で良かったね」

「はい、ありがとう…ございます…」


筆と短冊を受け取るも、緋眼はこの場から逃げ出したい思いで一杯だった。

泣き出したい気持ちを抑えながら、鎌成に詫びと許しを請う返歌を詠む。


「まさか、これで許せとでも言うつもり?」

「今の私に出来る事は、これで精一杯です…」


直ぐ様鎌成は次の歌を詠む。

緋眼は次々と詠まれる己を責める歌に、持てる知識を以て全力で謝罪するしかなかった。

何度かそれが続いた後、鎌成から詠まれた歌に耳を疑う。

そして、渡された短冊を何度も見直した。


「どうしたの?まさか、歌の意味が解らないなんて言わないよね」

「あう、いえ…えと…」


何度も和歌を見る。

其処に綴られた歌は、見間違いではなく紛れもなく愛を囁く歌だった。


「あの…これは…」

「返歌を詠んでくれない?磨呂と君は、今歌を詠み合ってるんだよね。それとも本当に意味が理解出来ないのかな」

「意味は…理解出来ていると思います…」


鎌成の表情は扇で口許が隠れている為窺い知れないが、目は意地悪な色を帯びている。

きっと緋眼を困らせる為に、敢えて和歌の方向性を変えてきたのだ。

緋眼は一度深呼吸をして気持ちを落ち着けると、改めて筆を握り直す。

そして、愛の歌には応じられない事を慎重に詠んだ。


「この磨呂の好意を受け入れられないと?」

「申し訳ございません…」


そう言いつつも、鎌成は再度愛の歌を緋眼に詠む。

緋眼もまた丁重に断る歌を詠むだけだ。


「ふうん。恋愛ごっこに無縁そうなのに、随分経験があるようだね。この磨呂を差し置いて、一体誰と恋文のやり取りをしているのかな」


鎌成の指摘に緋眼は一瞬固まる。

悲しいかな。

勿論、緋眼には想い想われる相手もいなければ、恋文をやり取りする相手もいない。

しかし、緋眼が愛の歌へ返歌が出来るようになったのは、董禾がそう仕込んだからだ。



あれは、緋眼がまだ怪我をする前の時の事。

毎日続く鎌成からの嫌がらせの文を自分で開封する前に、董禾に見てもらうのが日課になっていた。


「今日の文も何の問題もない」

「ありがとうございます」

「お前の歌も日に日に良くはなっている。今日は恋文が来た場合の返歌の練習をする」

「えっ!?恋文ですか!?」


董禾からの突然の言葉に緋眼は大きな声を上げてしまう。


「なんだ、そんなに驚いた声を出して」

「え…だって、恋文なんて私には無縁です」

「無縁だろうと何であろうと、いつ如何なる時も何が起こっても良い様に備えるものだ。それとも、いざと言う時に恥を晒したいのか?」

「いえ…晒したくないです」

「ならば、四の五の言わずに勉学に励め」

「かしこまりました」


緋眼が返事をしている間にも、董禾は筆と短冊の用意をしていた。


「いいか。これから私が詠む歌には全て断りの返歌をしろ」

「え?」


董禾の言葉の意図が解らずに緋眼は首を傾げる。

そんな緋眼を気にする事もなく、彼は筆を進めながら歌を詠み上げた。


「っ!」


それは、普段の冷たい彼からは想像も出来ない程繊細で、その中にも情熱を強く感じるものだった。

緋眼は顔だけでなく、全身の体温が急激に上昇するのが分かる。


「何をしている。早く歌を返してこい」

「え…はっ…」


歌とは打って変わって無情な董禾の声。

歌はただの練習の為の題材であり、彼が緋眼に特別な感情を抱いて愛を囁く歌を詠んだ訳ではない。

それは分かっている筈なのに、鼓動が高鳴るのを抑えられなかった。

緋眼は蚯蚓の様な文字を短冊に連ねながら返歌を詠んだ。


「何を言っているのか解らない。やり直せ」

「は、うぅっ…」


混乱している頭はやはりまともには働いておらず、自分でも何を言っているのか分からない日本語とも言えない悲惨な内容だった。


「歌にすらなっていない。寝惚けているのか」

「うえ…」


続けて詠んだつもりの歌も、自分でも何をどう詠んだら良いのか分からないのが反映されたものだった。

董禾は新たに愛の歌を詠んでくる。


「うっ…くっ…」


緋眼にとっては地獄だった。

何故、愛の歌なのか。

何故、それに応えてはいけない返歌なのか。

これはただ単に練習なのだ。

董禾が緋眼に何か特別な感情を抱いて歌を詠んでいる訳ではない。

その事実と、あまりに情熱的過ぎる歌との落差に、緋眼は悲しいような虚しいような複雑な思いが胸を占めていった。


「此方の気持ちを受け入れたいのか受け入れたくないのかハッキリしないな。やり直しだ」

「う…ううっ…」


緋眼は項垂れながら震える手で筆を握る。


「どうした。ただ単に断れば良いだけだぞ。何故そこまで錯乱する」

「だって…こんな歌を詠まれたら…」

「お前は好きでもない男に愛を告げられたら簡単に応じるのか?」

「そんなっ、それはないです!」


董禾の言葉に緋眼は慌てて否定するも、彼は不可解そうな視線を緋眼に向ける。


「ならば何故ハッキリ断らない」

「それは…董禾様だから…」

「私だからなんだ?私は断りの返歌をしろと言っている。何故それが出来ない」

「はい…」


ただの練習だと頭では分かっているつもりだ。

なのに切り替えが出来ない自分が非常に情けなく腹立たしい。


「全く…。いいか、今から私を鎌成だと思え」

「え?」

「お前は鎌成から恋文を貰った。これは鎌成からの歌だ」


そして、彼は愛を囁く歌を詠む。


鎌成からの歌。

鎌成からの歌。


そう頭の中で何度も繰り返す。

すると不思議な事に、あんなにも愛おしい程の情熱が、何だかネチッこく纏わり付く鬱陶しさに変わる。

自然と緋眼の中に、断りの返歌を詠む負い目も引け目も未練もなくなっていた。


「やれば出来るじゃないか」


緋眼の詠んだ断りの返歌に董禾は一息吐く。


「初めからこの歌を返せば良かったんだ。このおかしな歌の数々は何だ?」

「済みません…」


ダメ出しされた返歌の短冊を出され、緋眼は身を縮こめる。


「私の歌を聞いて、お前は何を思ったんだ?」

「っ!?」


不意に董禾が耳元で囁く様に訊ねてきた。

やっとの思いで抑えた熱が一気に広がる。


「どうなんだ、緋眼」

「……」


再び混乱を極めた緋眼の思考回路など機能する筈もなく、ただ口をパクパクさせるだけだ。

そんな緋眼を見て董禾はふっと口許を緩める。


「お前は魚か」

「う……」


緋眼はこれ以上ないくらい恥ずかしくなり俯く。

すると、董禾が綴った愛を囁く歌が目に入る。

普段の彼からは全く想像も出来ない程の情熱と繊細さを秘めた歌。

今、目の前にいる彼がこんな歌を詠むのだ。

きっと毎日の様に届く数多の恋文の姫達の中にいる本命と、この様な甘くて熱い言葉のやり取りをしているのだろう。

そう思うと、たかが練習の歌で舞い上がっていた自分が馬鹿らしく、熱が引くのと同時に更なる虚しさが広がった。


「今度は何だ?コロコロと表情の変わる忙しい奴だな」

「え?いえ、何でもありません…」

「まだ答えを聞いていない」

「答え?」

「私の歌を聞いて何を思ったんだ?」

「うえっ!?」


いつもならダメ和歌の添削か新たな課題を出していそうなのに、董禾にしては珍しく食い付いてくる。

緋眼は視線を漂わせながら少し間を空けると口を開いた。


「羨ましいと…思いました」

「何をだ?」

「董禾様にこんな素敵な歌を贈られる女性は、とても幸福しあわせなんだろうなと…」


言葉にしてから、緋眼は自分が顔も名前も知らない相手に嫉妬している事に気付く。

何故嫉妬なんてしているのか。

その先を考えるのが怖くなって、かぶりを振って考えないようにした。

その先を考えてはいけない。

もし考えたら、きっと今のこの状況がーーー関係が壊れてしまうから。

それは嫌だと瞬時に本能が判断する。


「お前はいつも変な事を考えるな」

「……」

「私は今、緋眼、お前に歌を贈ったのだぞ」

「へ?あ…え…?」

「この歌は他の誰でもないお前に詠んだものだ」


今日何度目か分からない混乱が緋眼を襲う。

この歌は緋眼に詠んだ。

確かに彼はそう言った。

だが、それはきっと緋眼の期待している意味とは違う筈だ。

返歌の練習の上で、返歌をせねばならない緋眼に対して詠んだと言う事だろう。

そこには何の意味も感情もない。

緋眼はそう結論付けて自分を落ち着かせる。


「えと、はい。そうなのですけれど、そうではなくてですね…」

「何を言っているんだ?」

「これは私の練習に必要だったから詠んでくださった歌ですけれど…、その…」


その先を言葉にする事に気が引けた。

彼に愛され、彼から愛の歌を囁かれる相手。

それを思うだけで、胸が苦しくなった。


「私は他にこんな歌を詠むつもりはない。詠もうとも思わぬ。お前が言った通り、これはお前が断りの返歌をする為に詠んだに過ぎん。言っておくが、飽きもせずに送り付けてくる文にこんな歌を綴った事は今の一度もない。今後もない。変な勘違いをするな」

「は、い」


緋眼が口ごもった事に対して的を射た様に言い切った彼に、呆気に取られてしまう。

緋眼に対しても誰に対しても愛の歌を詠まないと断言された訳だが、何故か不思議と先程まで胸に支えていたものが取れた気がした。


「理解が出来たのならば、今の気持ちを歌にしてみろ」

「ええっ!?」


早速、いつもの様に突拍子もない課題が振ってくる。

緋眼は自分が勝手に一喜一憂しているだけの状況に疲弊するのを感じながら、次々と与えられる課題を熟すのに必死だった。




そんなこんなで緋眼は愛の歌に対して断りの返歌を詠める様になった訳だが、董禾は鎌成が嫌がらせで愛の歌を詠む事を見越して緋眼に仕込んだのだろうか。

だとしたら、彼の先見の明には脱帽だ。

お陰で今、何の混乱もなく返歌を詠めているのだから。

そう鎌成の言葉で董禾を思い浮かべた時だ。


「緋眼!」


ロトにパラメトリックモードで呼び掛けられてハッとする。

短冊を見ると、無意識の内に愛を受けるどころか、相手を好きな気持ちをどうしようかなどと綴った内容になっていた。


「あっ!」

「なに?」


書き直す間も与えられずに鎌成に短冊を奪われてしまう。

和歌を見た鎌成は口許を扇で隠しながら肩を震わせていた。


「はっ、急にどうしちゃったのかな?」

「それは違」

「まあ良いけどさ。生憎、磨呂は教養のない愚鈍なお莫迦さんは大嫌いなんだけど、可哀想だからこれは貰っておいてあげるね」

「待ってください。違うんです」

「磨呂も君にこれ以上構ってあげられる程暇じゃないからさ。じゃあね、マヌケちゃん」

「待ってく」

「しつこい奴はもっと嫌いだよ」

「う…」


追い掛けようとした緋眼の動きをそれだけの言葉で制する。

満足した様子で鎌成は緋眼の言葉も聞かずに、緋眼の返歌が綴られた短冊を持って行ってしまった。

ちゃっかり自分の愛の歌まで回収している。

うっかりとは言えとんでもない相手に、一番渡したくない内容の和歌を持って行かれてしまった。

追い掛ける事も出来ない緋眼は、自らの失態に膝を突いてガックリと項垂れた。


「緋眼!」


そこによく知る声が緋眼の耳に入る。

その声は心做しか随分と慌てた様子な気がする。


「緋眼!何があった!?」

「とうか…さま?」


顔を上げると董禾が血相を変えて駆け付けてきた。

そのまま彼は膝を突いて緋眼の襟元に手を伸ばす。


「奴に一体何をされた?」

「なにも…」

「ならば何故倒れた」

「緋眼、鎌成ト歌ヲ詠ミ合ッテタダケデス」

「歌?」


ロトから返ってきた言葉に董禾は訝しむ様に眉間を寄せる。


「緋眼、詠ム歌シクジッタ」

「うっ…」

「………」

「心此処ニ有ラズダッタ。何考エテタ」

「言わないで…」


ロトと緋眼の様子に董禾は溜め息を吐いて緋眼の襟元に添えていた手を引く。

しかし直ぐに眉を吊り上げた。


「何故、お前が此処にいる。屋敷から出るなと言った筈だ」

「それは…晴明様とご一緒に道長様に会いに来て…」

「ならば、その晴明は何処だ。何故一人でいる」

「道長様の指示を受けて内蔵寮に行った帰りに、藤原鎌成様に出会しました…」

「………」


緋眼の話にも、まだ彼は厳しい表情を浮かべたままだ。


「晴明の元へ送っていく。立てるか?」

「え?一人で」


そこまで緋眼が言いかけると、董禾はいつもの睨みを利かせてきた。


「済みません…。宜しくお願い致します…」

「……。だがその前に…陰陽寮へ寄らねばならない。直ぐに終わらせるから待てるか?」

「でしたらそちらを優先なさってください!私の事は良いので、一人で」

「また鎌成や道満に会いたいのか?」

「…会いたくないです」

「ならば大人しく付いて来い」

「はい…」


立ち上がった董禾は身を翻して歩き出した。

緋眼も急いで立ち上がりその後に続く。

そう歩かない内に、彼が一つの建物の前で止まった。


「此処が陰陽寮。其処が内裏だ。直ぐに戻るから此処で大人しく待っていろ」

「かしこまりました」


緋眼の返事を聞いてから、董禾は建物の中へと入っていった。

どうやら、内蔵寮からの道程の途中にあった大きな中隔垣に囲まれた場所が内裏であったらしい。

陰陽寮の建物も、董禾が入っていった入口の他にいくつか出入口があるようだ。

色んな人が出入りする出入口を見ながら緋眼は董禾を待つ。

すると、何人かの男が此方に近付いてきた。


「おい、お前」

「私、でしょうか?」


男の一人が掛けてきた言葉に、緋眼は恐る恐る返事をする。


「お前以外に誰がいるんだよ」

「お前、橘董禾と一緒にいたな。そんな洒落た格好しやがって…。まさかとは思うが、お前みたいな女が安倍晴明様の新弟子とか言わないよな」

「あの…そうです」


緋眼が肯定の言葉を述べると、男達の雰囲気が険悪になる。


「お前が安倍晴明様の弟子だぁ!?寝言は寝て言えよ!」

「済みません…」

「陰陽道はなぁ、お前みたいな女が極められる程生易しくはないんだよ!」

「あれじゃね?橘董禾も所詮男だったって訳だ」

「え?」


男の一人が放った言葉に、他の男達も鼻で笑う。


「ああ、納得。女だから弟子にしてもらえたんだろ。女は良いよな。体売りゃあ優しくしてもらえんもんな」

「何を仰って」

「毎晩橘に優しくしてもらってんのかあ?楽しませてやってんのかあ?ああ?」

「橘董禾も大した事ねえな。こんな女で満足出来るのかよ」

「いっつも女には興味ねえみたいな澄ましたツラしやがって。夜はやる事やってたって訳だ」

「何を仰っているのか存じませんが、董禾様を侮辱しないでください」


下品に笑う男達の言葉に不快感と許せない感情が湧き上がり、緋眼は抗議の意を込めて男達を見る。


「はっ。お前ら聞いたかよ?トウカサマを侮辱すんなだってよ。なんなら橘なんかより俺達が可愛がってやるぜ?」

「こんな美人でもねえ女とやるのか?」

「穴があれば同じだって。俺らが気持ち良けりゃ良いんだよ」


下品な笑みを浮かべる男の一人が緋眼の腕を掴んできた。


「離してください!」


緋眼は勢い良くその手を振り払う。


「テメェ」

「俺達に楯突いて無事で済むと思ってんのか?」

「……」


先程まで下品な笑みを浮かべていた男達の表情に怒りが混じる。

緋眼は数歩下がって男達から距離を取った。


「何を騒いでいるのかね?」


そこに、新たな男の声が割って入る。


光栄みつよし様!」


男達はその人物を見るなり、慌てた様子で一斉に頭を下げた。


「この小娘はなんだね?」

「は、この女は安倍晴明様の弟子だと言っておりまして」


光栄と呼ばれた男は、その鋭い眼光を緋眼に向ける。

この男達も光栄も、董禾や晴明と同じ服装をしている。

もしかしたら陰陽寮の人間で、この光栄も晴明と同格かそれ以上の立場なのかもしれない。

緋眼は一つ息を吸ってから頭を下げた。


「十六夜緋眼と申します」

「弟子とは言っても陰陽寮の所属ではないらしいな。そんな余所者がこの場所で何をしている」

「橘董禾様を待っております」

「橘が女連れで遊び呆けてる証拠であります!」

「違います!董禾様は」

「五月蝿い」


光栄は男と緋眼に睨みを利かせる。

違うと弁明したいのに、光栄から放たれる威圧はそれを許そうとはしなかった。


「此処は陰陽寮所属ではない余所者が気安く来て良い場所ではない。晴明も橘も随分おふざけが過ぎるようだ」


違うと口を開きかけた緋眼を、光栄は尚も睨みで制する。


「だが、そうだな。そんな調子に乗っている晴明にお灸を据えてやろう」

「……」

「二日後、豊楽院ぶらくいんで宴が開かれる。当然そこには大勢の貴族と皇族、そして帝もお出でになる。そこでお前の実力を見せてもらおうか」

「っ!」

「晴明の元で真面目に修行に励んでいれば、何も臆する事はなかろう。それとも自信がないか?」

「いえ…自信は」

「お待ちください、光栄殿」


董禾の声が聞こえたかと思うと、直ぐに彼が緋眼の横に並んだ。


「橘か。お前には失望したぞ。お前は晴明と違い真面目で実力もあったから高く評価していたと言うのに、この場所へその様な小娘を連れ込むとは」

「この件の責は全て私にあります。この者は関係ありません。ですから」

「その小娘の実力を見せたくないか?否、見せられぬのか?まさか、弟子とは名ばかりではあるまいな」

「緋眼は立派な私の弟子ですよ」


この場の重苦しい空気を壊す様に、朗らかな声が響く。


「晴明様…」

「晴明か。随分とふざけた真似をしてくれるな」

「ふざける?私がいつふざけたのでしょう」


いつもの笑みを携える晴明とは対照的に、光栄は忌々しげな表情を浮かべる。


「陰陽寮所属ではない名ばかりの弟子の小娘にこんな場所を彷徨うろつかせて、どこがふざけていないと言えるのか」

「緋眼は今日、私と共に道長殿への所用があったのです。ですが私と離れ、道に迷ったところを董禾が保護したのでしょう。何かおかしなところでもありますか?」

「口では何とでも言えるな。ならばその小娘の実力を見せてもらおうか」

「構いませんよ」

「晴明様!」

「そんなにも私の可愛い緋眼の実力が見たいのでしたらお見せしますよ。貴方が先程仰っていた宴の場でね。そこで、我が一番弟子である董禾が鍛えに鍛えた、二番弟子の緋眼の実力をとくとその目に焼き付けてください」

「言うではないか。では、その場で亀井かめいと術を競ってもらう。異論はないな」

「えっ?」


光栄の言う亀井と言う人物なのだろう。

男の一人が状況が飲み込めていない様子で声を漏らした。


「良いでしょう。陰陽寮所属ではなくとも、立派な陰陽師の教えを仰げば立派な呪術師となれる事を証明致しましょう」

「亀井も陰陽得業生とくごうしょうとしての意地を見せよ」

「は、はい…」


光栄は晴明を一睨みしてから踵を返す。

亀井達も緋眼に絡んでいた勢いとは打って変わって、そわそわと落ち着きのない様子でこの場を離れた。

董禾は改めて晴明を見遣る。


「晴明様、何故」

「緋眼、帰りが遅いので心配しましたよ。まさか、董禾に拉致られているとは思いませんでしたが」

「晴明様!緋眼を大内裏に連れて来た事もそうですが、何故あの様な挑発をお受けになったのです!」


声を荒げる董禾に晴明は不思議そうに首を傾げる。


「何か問題がありましたか?」

「緋眼を皇族や貴族の前で見世物にするおつもりですか!?」

「見世物…ですか。董禾、貴方はその様に受け止めるのですね」

「違いますか?」

「私は貴方と緋眼に変な難癖を付けられるのに堪えられませんでした」

「は?」


晴明の言葉に董禾は不可解そうに眉を顰める。


「緋眼は貴方の指導の元、もう陰陽寮では陰陽師に匹敵する程の知識と実力を持っていると思います。今の陰陽寮と言うぬるま湯に浸かっている陰陽生など、足元にも及ばないと思いますよ」

「話になりませんね。だからと言って、緋眼を見世物にする理由は何ですか?」

「董禾、それは秘蔵っ子を隠しておきたいと言う心理ですか?それとも、緋眼を誰の目にも届かぬ場所に秘めておきたいと言う心理ですか?」

「仰っている意味が解り兼ねます」

「皆が緋眼に対して強い関心を持っている事は私も承知しています。ですが、閉じ込め隠しても何も解決しませんよ。緋眼の実力が認められれば、邪な思いで彼女に近付こうと考えていた小心者はいなくなるでしょう。それで全てを排除する事は無理ですが、私と貴方の目の届く範囲で緋眼に手を出そうなどと思う不届き者はいないでしょう。そうすれば緋眼は堂々と大内裏を歩けますし、貴方とて変な言い掛かりを付けられる事もありませんよ」

「私はその様なつまらぬ事を気にした覚えはありません」

「そう言うのでしたら、緋眼の事も兄弟子として自信を持って背中を押してあげるくらいしてあげたらどうですか。今にも泣きそうな顔で倒れそうですよ」


その言葉に董禾は緋眼に目を移す。

緋眼は事の重大さに顔からはすっかり血の気が引き、立っているのもやっとだった。


「申し訳…ございません…。私がいなければ…こんな事には…」

「緋眼、決して貴女のせいではありませんよ。皆、貴女の事が気になって仕方がないのです。陰陽寮に所属していない私の弟子。どれ程の実力者なのか、どの様な女性なのかと」

「……」

「大丈夫ですよ。いつもの貴女らしく振る舞えば良いのです。董禾の地獄の鍛練に比べれば、帝の前での術の披露など屁でもありませんよ」

「み…かど……」


自分の世界の今生天皇とてテレビでしかそのお姿を拝見した事がないのに、この世界の今生天皇にお会いするだけでなく、術の披露をしなくてはならない。

それを考えただけで気が遠くなった。


「…やはり緋眼には荷が重過ぎます」

「董禾、緋眼が可愛いからと言って甘やかしたい気持ちは分かりますが、甘やかしてばかりではいけませんよ」

「は?その様な訳の解らぬ事を思った事はありませんし、甘やかしているつもりもありません」

「いいえ、甘やかしです。可愛い子には旅をさせよと言います。私は可愛い緋眼を皆に見せびらかしたいのです」


もうこれ以上晴明と話す事は無意味だと判断した董禾は、大きく溜め息をこぼして片手で頭を抱える。

そんな二人の様子など全く頭に入らない緋眼は何とか気が遠くなりそうな意識を繋ぎ止めようとするも、それ以降の記憶はハッキリしなかった。

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