第14話 心の芽吹き
「お手」
翌日ーーー。
晴明の屋敷の庭で、緋眼はぬりかべに向けて手を出す。
すると、ぬりかべはちゃんと片手を緋眼の手の上に乗せる。
「お座り」
次いで緋眼が指示を出すと、ぬりかべは腰を伏せる仕草をした。
「もふもふ~」
ぬりかべの仕草にたまらず緋眼は、ぬりかべを抱き締めてもふもふした。
ぬりかべもそれに嬉しそうに頬を擦り付ける。
「…何をしている?」
それを遠巻きに見ていた董禾は呆れ顔で告げた。
「あっ、董禾様」
「躾、躾。犬ミタイ、犬ミタイ」
ロトが緋眼に代わり彼に応える。
「……。ぬりかべは犬とは違うんだぞ」
「済みません…つい……」
このぬりかべの容姿が犬に酷似している事と可愛さも相俟って、犬を飼った事のない緋眼はついついお手をしたくなってしまった。
そんな緋眼に董禾は呆れて溜め息を吐く。
「じゃれ付くのは結構だが、仕事は抜かるなよ」
「はい!きっちり致します!」
そう告げて仕事を始めようとするも、彼に伝えようとした事を思い出し彼の元へ向かう。
「董禾様、この子がこれを持っていたんです」
緋眼は手拭いに
それはぬりかべが持っていたらしく、昨晩寝る前に緋眼に差し出してきたのだ。
一見普通の種に見えるそれは、何となく不思議な感じがした。
だから彼にも見てもらおうと思い、こうして持ってきたのだ。
「何かの種の様だが…」
「不思議な種か何かではありませんか?」
「その不思議と言うものが何を指すのかは知らぬが、ただの種だろう」
「そう…ですか…」
目を輝かせた緋眼ではあったが、彼からの言葉に気を落とす。
不思議な感じがしたのは緋眼のただの勘違いであったのだ。
「だが、そのぬりかべが持っていたものとなると少し気になるな。何か意味があるのか。それとも単に拾っただけなのか」
董禾は一度ぬりかべを見遣るが、種を手拭いに包み直すと緋眼に返した。
「あの…育ててみても良いですか?」
何の種かは分からないものの、育ててみたら何かの花が咲くかもしれない。
実が成るかもしれない。
そう思うと楽しくて楽しくて仕方がなかった。
「庭の向こうにでも植えておけ」
「え?」
「なんだ?」
「いえ…あの…」
董禾に聞いてみたものの、勝手にしろだとかいつもの素っ気ない返事しか聞いた事がなかった事もあり、彼から返ってきた言葉にーーー、それも此処の庭に植えて良いと言う思いもしなかった返答に、緋眼は言葉に詰まってしまう。
しかし、直ぐに嬉しい気持ちが湧き上がると笑みを浮かべる。
「ありがとうございます、董禾様」
「…礼を言われる理由がない」
「嬉しいからです。何が咲くのかな、さくもち」
彼に素直な気持ちを伝えると、しゃがんでぬりかべを撫でる。
「さく、もち…?」
緋眼の次いだ言葉を聞いた董禾は、眉間を寄せて緋眼を見る。
「あ、この子の名前です!何も名前が無いのは寂しいと思いまして、昨日考えて付けてみました」
「既にぬりかべと言う呼び名があるだろう」
「それは、この子自身の名前とは違うので…」
ペットに名前を付ける様に、個々の名前があった方が良いと緋眼が思っての事だ。
けれども、董禾はその考えに理解出来ないと言いた気に呆れた視線を向けてくる。
「何故“さくもち”なんだ?」
「桜餅」
「ち、違うよ!違います!」
董禾の問い掛けにロトが口を挟むも、ロトに否定してから再度緋眼は彼に違う事を告げる。
「その…、この子と出会った昨日は綺麗な満月でしたから。それに月蝕も重なって新月とは厳密には違いますが、数刻の内に月の満ち欠けが見れた様なものかなと…。なので
「サクモチ ダト桜餅ミタイデ美味シソウダッタカラ」
「それは可愛いって」
「言ッテタ」
「う…言ったけど…」
ロトに突っ込まれ、緋眼は反論出来ずに項垂れる。
そんな緋眼の様子を気にする事なく、隣ではぬりかべが体を擦り寄せている。
「……ぬりかべは食えぬぞ」
「承知…しているつもりです…」
「由来は兎も角、そいつが喜んでいるのであれば構わないんじゃないか」
「董禾様?」
董禾はまた一つ溜め息をこぼすが、ぬりかべの様子を見て告げる。
「種を植えるのであればさっさと植えろ。日が沈んでからも仕事をしたいのであれば、ボサッとしているのを咎めはしないが」
「あっ!直ぐに致します!」
彼の指摘により、仕事の開始時間を過ぎてしまっている事に気付く。
急いで緋眼は庭の端に種を植えると、ロトが水を生成してサイドに付いている宝珠から出し、土を濡らしてくれる。
それを見届けてからロト達とさくもちを連れて、掃き掃除をするべく門へと向かった。
「可愛いですねえ」
今までの様子を見ていたのだろう。
晴明がゆっくりとした足取りで、董禾の方へ歩いてくる。
「…ぬりかべが、ですか?」
「じゃれ付いていたぬりかべも可愛いですが、緋眼も可愛いではありませんか」
「老眼になるには少々早いのでは?」
「おやおや」
相変わらずの董禾の態度に、晴明もいつもと変わらない笑みを携える。
「今日は私は一日屋敷を空けます。貴方は非番でしたね」
「ええ。今日は橘にも行きませんので留守はお任せを。刹鐃の事ですか?」
「そうです。昨夜の報告を含めて、頼光殿とも合わせて今後の対応を検討してきます」
「昨晩は結局現れませんでしたからね」
「彼処での目的を達成した後であれば、わざわざ私達の前に出る必要もなかったのでしょう」
「道満達が狙っていた宝珠についても調べる必要がありますね」
「その通りです。刹鐃の目的の手掛かりに繋がるかもしれませんしね。では、留守を頼みます」
「承知しております」
玄関に向かった晴明を董禾は会釈して見送る。
「あ、晴明様。お出掛けですか?」
「ええ。董禾も居ますが留守は頼みますね」
「はい!お気を付けて行ってらっしゃいませ」
「行って参ります」
緋眼は門を出て晴明を見送った。
それから門周辺の掃き掃除を続けていると、一人の男がやって来る。
「十六夜緋眼殿ですか?」
「え?はい、そうですけれど」
「これを」
男が差し出してきたのは一つの文の様だ。
緋眼はそれを受け取る。
「確かに渡しましたよ。では」
「あ、はい。ありがとうございます」
直ぐに去っていく男の背中を不思議に思いながら見遣るも、手元の文に視線を落とす。
「恋文カ?」
「そんな訳ないよ。彩耶香ちゃんなら兎も角、誰とも接点もないし」
とは言え、自分に手紙とは誰からだろう。
そう考えながら緋眼は手紙を確認する。
手紙の差出人とおぼしき名前は、藤原鎌成と記載されていた。
「ふ、藤原鎌成?」
昨晩会った相手の名前に緋眼は驚きを隠せない。
鎌成とは昨晩の様子からも対立しているのは明白だ。
そんな相手から晴明でも董禾でもなく、自分に手紙とは一体何が記されているのだろう。
昨晩、邪魔をしてしまった事に対する文句だろうか。
緋眼は急いで掃き掃除を終わらせてから、手紙の中身を確認するべく屋敷に上がる。
「えっと…」
早速手紙を開いてみると、そこに書かれていたのは和歌の様だった。
和歌のみで他には何も記されていない。
しかし、緋眼には和歌の意味が分からなかった。
古典の勉強を真面目にしておけば良かったと今更後悔しても遅い。
「ロト、どう言う意味?」
ロトとリネットには様々な情報が詰まっている。
スーパーコンピューターなど比ではないそのAIは、どんな計算も一瞬でしてしまう程だ。
当然、和歌の知識も詰まっているので、緋眼はロトにこの和歌の意味を訊ねる。
「知ラナクテモ良イ事モアル」
「へ?」
ロトから返ってきた言葉に、それが和歌の意味かと一瞬思うが、明確には解らずとも明らかに書かれている内容とは違う。
緋眼はロトに詰め寄った。
「何で?意味を教えてよ」
「知リタカッタラ勉強シロ」
「うっ…」
ロトに尤もな事を言われ緋眼は押し黙る。
それはそうなのだが、今直ぐにでも意味を知りたい緋眼は此処で引く訳にはいかない。
「リネットー」
「勉学ファイッ」
リネットに目を向けるも、リネットも表情モニターに(p`・ω・´q)の顔文字を表示するだけでロトと同じく教えてくれそうにない。
そんな二体に負けじと何度も詰め寄っていると、董禾が歩いてきた。
「五月蝿いぞ。何をしている」
「うわっ、申し訳ございません」
彼にサボっていると思われたかもしれない。
緋眼は慌てて頭を下げる。
「それはどうした?」
緋眼の持っている手紙に気付いた董禾は問い掛ける。
「あの…これは…」
「緋眼ニ文、届イタ。デモ緋眼、和歌ノ意味解ラナイ」
「わか?」
「
「なんだ?歌の知識もないのか?」
「う…申し訳ございません……」
平安時代と同じく、この世界でも和歌は一つの嗜みだ。
それは相手の教養を見定める一つの材料となる。
いくら緋眼の時代では趣味程度のものでも、この世界では大事な文化の一つだ。
自分はこの世界の人間ではないとは言え、和歌が分からない自分が急に恥ずかしくなり緋眼は頭を垂れる。
「それで、誰から貰った?」
「えっ…それは…」
「藤原鎌成、鎌成」
「なにっ!?鎌成からだと!?」
差出人の名前を聞いた董禾は、血相を変えて緋眼から文を奪い取る。
「………」
「………」
文の内容に目を通した彼は、難しい表情を浮かべながらも緋眼に目を移す。
「呪詛は仕込まれていない様だが」
「呪詛!?」
緋眼は彼の言葉に耳を疑いながらも思わず声を上げる。
「奴は術師ではないが、ああ見えて呪術の手練れだ。中でも呪詛を得意としている。奴の呪詛にかかり殺された奴等も少なくない」
「えぇ…」
「奴からのものは迂闊に触るな」
「は、はい…」
今回は無事だったものの、おっかない人物からおっかない物を受け取ってしまった事に、緋眼は身震いする。
「あの…それで、その和歌はどう言う意味なのでしょうか?」
「………」
「董禾様?」
恐る恐る董禾に和歌の意味を聞いてみるが、彼は一度瞼を閉じると無言で文を緋眼に返すだけだった。
「心デ感ジロ」
「そんな…」
ロト&リネットからも董禾からも答えを貰えず、緋眼は肩を落としながら改めて和歌を見てみる。
「あの…もしかして、これって馬鹿にされてますか?」
「もしかしなくても莫迦にされている」
「うっ」
「良かったじゃないか。奴から愛の歌を詠まれなくてな」
「それは…そうなんですけれど…」
複雑だ。
鎌成からの呪詛でも恋文でもない事に喜ぶべきではあるのだが、わざわざ馬鹿にした手紙を送り付けられると言う事に素直に喜べない。
鎌成が緋眼の事を良く思っていないのは初対面の言動で分かってはいるものの、まさかこんな嫌がらせをされるとは思っていなかった。
これなら、まだ呪詛の方がマシかもしれないと思ってしまう。
「内容はどうであれ、贈られた歌には返さねばならない」
「え?」
「それが礼儀だ。それも早く返す必要がある」
「でも私、和歌なんてさっぱりで…」
「解らないのであれば学べば良い。お前は陰陽道を三日足らずで覚えただろう。その根性は何処へ行った?」
「董禾様…」
「奴を見返せるくらいの歌を返してやれば良い。それだけの事だ」
「はい!」
彼の言葉に嬉しさが溢れ、緋眼は大きく頷いた。
「あ、でも…どうやって勉強しよう…」
「来い」
董禾は立ち上がり歩き出したので、緋眼も慌ててその後に続く。
その先は彼の部屋だった。
緋眼が廊下でロト達と共に董禾を待っていると、彼はこれまた山積みの書物を持ってくる。
「これは…」
「歌集だ。歌は人が詠んだものを見て覚えていくしかない」
董禾から歌集を受け取り、そう言えば季語なんかもあったな、と思いつつ溜め息を吐く。
それにしても、これだけの歌集を持っている董禾は、和歌が好きで得意なのかもしれない。
恋文を貰うくらいだし、確か恋文にも和歌のやり取りがあった筈だ。
あれから例の姫君以外からも、董禾には絶えず恋文が贈られている。
単に緋眼に余裕がなかっただけで、彼は緋眼が気付く以前から沢山の恋文を貰っていたのだ。
緋眼には内容は分からないものの、その一つ一つに彼は丁寧に歌を返しているのだろう。
普段の董禾からは想像し難いその姿に、緋眼は無意識の内に目の前の彼をじっと見ていた。
「…また変な事を考えているだろう」
「へっ?」
「念の為に言っておくが、歌を詠む事は教養の範囲だ。寧ろ、歌の一つも詠めない様ではただの恥晒しだ」
「はい…」
「今回の様に急に歌を贈られた時にも即座に返せるくらいの知識は身に付けておけ」
「かしこまりました」
緋眼は歌集を持ったまま、自分に割り当てられた部屋へ入る。
歌集を一枚一枚捲るも現代語訳の無いままでは、まるで異国語の様にさっぱり分からない。
此処はロト達も協力してくれて、一つ一つの意味を読み含めながら理解に勤しんだ。
「緋眼、入るぞ」
それから、どれくらい時間が経っただろうか。
董禾の声がして御簾が上げられる。
「董禾様?」
「返礼の菓子だ。一息入れると良い」
「あっ!
緋眼は菓子と聞いて、間食の時間だとハッとして立ち上がる。
「今日は私がする。たまには休息も必要だろう」
「済みません…」
「謝る事ではないだろう。ほら」
「わあ、梨ですか」
董禾が持ってきたのは一口サイズに切られた梨だった。
梨の甘い芳香に緋眼は口許を綻ばせる。
彼はさくもちの分も用意してくれた様で、別の器に盛られた梨をさくもちに差し出すと、さくもちはそれを美味しそうに頬張る。
「勉強は進んでいるか?」
「う…。それが、分かるようで分からないような…分からないような分かるような…」
進み具合を聞かれ、緋眼は身を縮こませる。
「何が解らない?」
「季語の事を考えると、上手く文章が組み立てられなくて」
「そう難しく考える必要はない。思った事、感じた事を、そのまま言霊に乗せれば良い」
董禾は簡単に言うが、それすらも出来ないのだ。
緋眼は歌集と睨めっこする。
「歌は考えるより実際に詠み合った方が身に付く。私の歌に返してみろ」
「えっ!」
「なんだ?私が相手では不服か?」
「いえ…、そう言う事ではなくてですね…」
緋眼はドギマギした。
と言うのも、歌集に載っている歌は情景や心情を詠んだものも多いが、恋の歌も多く載せられていた。
緋眼は真っ先に、恋の歌を詠み合う事を考えてしまい落ち着かなくなる。
そうこうしている内に、彼はスラスラと短冊に筆を走らせていた。
「ほら」
董禾は短冊に綴った歌を詠み上げながら緋眼に見せる。
「……。これ、私を馬鹿にしてますか?」
「ほう、それは解るのか?」
彼が詠んだ歌は詳しい意味は分からないものの、先程の鎌成の歌と同じく何となくニュアンスが緋眼を馬鹿にしている様に感じるものだった。
緋眼は恋の歌を想像してドギマギした自分を恥じると同時に、そんな愚かな自分を悔やんだ。
「さあ、お前のその無い頭を振り絞って返してみろ」
「………」
どこか楽しげな様子の董禾に何となく悔しくなり、緋眼は真剣な面持ちで筆を取る。
緋眼は彼の和歌に対して思った事を言葉にしてみる。
まだ和歌としての言葉の組み合わせを理解しきれていないが、思いの丈を綴ってみた。
「出来ました」
恐る恐る緋眼は董禾に短冊を差し出す。
「まあ、初めてにしては悪くはない」
「!」
「が、まだまだだ」
「ですよね…」
次ぐ董禾の言葉に緋眼はガックリと項垂れる。
「ここはこう、この言葉はこうしてみろ」
董禾は緋眼の綴った歌に筆を入れていく。
彼に返された緋眼の歌は、歌集に載っていても遜色無いくらいの変貌を遂げていた。
「わあ…」
「こうすれば、お前の稚拙な歌も少しは見れたものになる」
「流石、董禾様です」
「次だ」
間髪入れずに董禾は次の歌を詠む。
その歌も決して緋眼を褒めたものではなかったが、彼の添削した例を見ながら新たに返歌を綴る。
梨を摘まみながら、それは夕餉前まで続いた。
「最初の歌よりは幾分かマシにはなったな」
緋眼の歌に目を通しながら董禾が呟く。
「これならばお前らしさも出ているし、鎌成に送っても問題ないだろう」
「ありがとうございます!董禾様のお陰です!」
満点ではないものの董禾からお墨付きを貰い、緋眼はホッと一息吐く。
「とは言え、自慢出来る出来ではない。これからも勉学を怠るな」
「はい!ですが、董禾様。今日はずっと付き合わせてしまって申し訳ございません」
「手が空いていたから付き合っただけだ。そうでなければ、お前の相手などしない。それに晴明の弟子が歌も詠めぬとは、とんだ恥晒しだからな」
「う…精進致します。本当にありがとうございました。直ぐに夕餉の支度をしますね」
「ああ」
短冊を整理していた董禾だったが、不意に緋眼を見遣る。
「お前には縁がないとは思うが、恋に関する歌が詠みたければ、その相手をしてやっても良い」
「へっ!?」
緋眼は立ち上がろうとして、董禾の突然の言葉に動揺のあまり裾を踏んでしまい前につんのめってしまう。
「全く…。何をやっているんだ、お前は」
「す…、済みません…」
呆れた様子で董禾は溜め息を吐く。
緋眼はつんのめって座り込んだまま、速くなった鼓動を抑える様に胸に手を当てる。
彼は一体何を考えて恋の歌などと言ったのだろう。
緋眼はチラッと董禾を見遣るが、彼は表情一つ変えずに立ち上がった。
「鎌成には私から送っておく」
「え?ですが」
「お前は鎌成が何処に住んでいるかも知らないだろう」
「はい…」
「それから、今後も鎌成や道満から何か送られても直ぐには開封せずに私か晴明に渡せ。良いな」
「かしこまりました」
董禾はそのまま部屋を出ていく。
まだ鼓動の速まりが収まらないものの何度か深呼吸をすると、夕餉の支度をするべく厨に向かった。
夕餉を終え帰る支度をしていると、そこへ晴明がやって来る。
「今日は董禾の機嫌が良いですね。何かありましたか?」
「え?」
突然の晴明の言葉に緋眼は首を傾げる。
そもそも緋眼には董禾の機嫌が悪いのは分かる様になったものの、機嫌が良いかなんて分からなかったのだ。
「あんな様子の彼は初めて見ますよ」
「そう…なのですか?」
よく分からない緋眼にとっては首を捻るしかないのだが、晴明がこう言うのだからそうなのだろう。
とは言え、何かあっただろうか。
緋眼は己の記憶を巡りに巡らせ、可能性があるとすればあの一つの出来事ではないかとハッとする。
「どうかしましたか?」
「い、いえ…」
もし、董禾の機嫌が良い理由があるとすれば、歌を詠み合った際に緋眼を散々貶したからだろうか。
確かに歌を詠んでいる時の彼は、どこか楽しそうではあった気もする。
それならば、あまりに酷いとは思うものの、緋眼の知らないところで何か良い事があったのかもしれない。
そう思い直し、その事を口にするのを止めた。
「緋眼、私の元に弟子に来てくださり、本当にありがとうございます」
「そんな!私の方が晴明様の様なお方の弟子としていただいて、とても光栄です!ありがとうございます!」
「貴女の事、彩耶香姫の事は何があっても私達が必ずお守りします。ですから、どうか可能な限り共にいてくださいね」
「ありがとうございます。私も皆様のお役に立てるよう、日々精進に励みますので宜しくお願い致します」
頭を下げた緋眼に、晴明は柔らかな眼差しを向ける。
「本当にありがとう。貴女がいてくだされば、今後どの様な苦難が待ち構えていようとも立ち向かえる気がします」
「私なんて大したことありませんよ。でも、晴明様や董禾様、皆様の力があれば絶対に大丈夫です」
「ふふ。ああ、あまり長話をしては弥彦殿を待たせてしまいますね。では、お気を付けて」
「はい!今日もありがとうございました!それでは失礼致します」
緋眼は晴明に一礼してから、さくもちとロト達を連れて玄関へと向かった。
「来るべき厄災に対抗出来る姫君。それがどの様なものなのか、私にも分かりません。ですが、貴女がいてくれたらーー、貴女の力があれば、きっと厄災に対抗出来る筈です。それにきっと、貴女は董禾を良い方向へ導いてくれます」
晴明は緋眼が去った方を見詰めながら、呟く様に述べた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます