第11話 角持つ来訪者
翌日ーーー。
董禾との修行の中で、緋眼は晴明の指南を受けて召喚した式神を彼に見てもらう。
「なんだ、これは?」
「
緋眼が召喚した式神は、その名の通り雑面を付けたヒトガタのものだった。
緋眼としては、より式神に近いだろうと昨日の可愛い式神達より自信を持って召喚したのだが、彼の反応はと言うと昨日とあまり変わらない様に見える。
「あの…」
「良いだろう。見た目に囚われぬお前の式神で、私を倒してみろ」
「はい!」
彼が召喚したのは、昨日と変わらず水龍だ。
緋眼は気合いを入れて雑面さんで仕掛けるが、結果は惨敗だった。
「負けました…」
「当然だな。これが実力の差だ。その身に刻んでおけ」
「はい」
その時初めて緋眼は彼の不敵な笑みを目にする。
緋眼は惨敗してボロボロになったものの、その彼の表情の変化を見て何故だか嬉しくなる自分がいた。
「続きは未一刻に行う。それまでに自分の仕事を終わらせておけ」
「かしこまりました」
董禾は自室に戻り、緋眼は玄関先を掃除しようと箒を持って門を出た。
「此処は安倍晴明殿の屋敷で間違いありませぬか?」
「はい、そうですけれど」
「では、これを橘董禾殿に渡してくだされ」
屋敷に訪れた男は文を渡すと、そのまま去って行く。
どうやら董禾宛に手紙の様だ。
大事な用件かもしれないと思い、緋眼は掃除を中断して屋敷に上がる。
「おや、どうしましたか?」
董禾の部屋に向かう途中、晴明が緋眼の持つ文に気付いてか声を掛けてくる。
「董禾様に文が届いたので、お渡しに行こうかと」
「そうですか。ほう、
「姫君ですか?」
「私がどうかしましたか?」
話が聞こえたのか董禾もそこへ現れる。
「あ、董禾様。文が届けられたのでお渡しに向かうところでした」
「そうか。済まないな」
緋眼は董禾に文を渡す。
差出人の名前を見た彼は、その顔から色を無くした様に見えた。
「てっきり、もう縁を切ったのかと思っていましたが、まだ続いていたんですねえ」
「…何がです?」
「それは恋文でしょう。色恋沙汰に全く興味が無いものだと思っていましたが、安心しましたよ」
「恋文ですか!」
緋眼は恋文と聞いて目を輝かせる。
恋文は言わばラブレターだ。
それも恋文なんて文献の文字に見るくらいで、実際に目の前にそれが存在すると言う事に緋眼のテンションは上がる。
「お断りしていますよ。それも何度も。ですが、こうしてしつこく送ってくるんです」
淡々と話す董禾の表情は、恋文を貰ったとは思えない程“無”そのものだ。
「董禾様は、やはりモテていらっしゃるんですね」
「は?」
緋眼のその言葉には彼は明らかに不快そうに眉を顰める。
「董禾様は頭も良いですし、陰陽道も極めていて格好良いですから、惚れない女性はいないでしょうね」
「緋眼もそう思いますか?私も師ながら自慢の弟子ではあるのですが、
「私は貴方の弟子になれど子になった覚えはありません。それに何度もお断りしていると申し上げた筈。こんなものは迷惑でしかない!」
董禾は不快そうに声を荒げると、そのまま部屋へと戻ってしまった。
「おやおや」
「董禾様…」
董禾にとって姫君との秘め事は触れられたくない事だったのかもしれない。
修行を本格的に付けてもらうようになってから次々と見えてきた彼の姿に、恋文が届いた事でやはりモテるのだなと深く考えずに口を衝いてしまった。
そんな自分の迂闊な発言で彼を不快にさせてしまったと思い、緋眼は今更ながら後悔した。
午後の修行の時間となり、恋文の件もあってもしかしたら董禾は修行を付けてくれないのではと心配したが、何事もなかったかの様に修行は再開された。
緋眼は折を見て恋文の件を謝罪しようとしたが、彼はそんな隙すら与えず、いつも以上にスパルタに緋眼を追い詰めていく。
「どうした?お前の自慢の根性はその程度か?」
「ま、まだ…いけます!」
息を切らせながらも緋眼は応える。
ところが緋眼の返答を聞き終えるより前に、董禾の式神により怒涛の攻撃が降り注いだ。
「ううっ…」
いつも以上のスパルタ振りに、ついに耐え切れなくなった緋眼はその場に倒れる。
「緋眼!緋眼!」
倒れた緋眼にロトとリネットが駆け寄った。
「……。今日はここまでだな。」
倒れた緋眼を見遣った董禾は式神を仕舞おうとする。
「ま、まだ…まだ…いけます…」
緋眼は歯を食いしばりながら上体を起こした。
「とてもそうは見えないが?」
「いきますっ!」
緋眼は印を組み直し、雑面さんに攻撃命令を下す。
しかし彼はそれよりも早く水龍に命令し、水で出来た刃が雑面さんに炸裂して勝負が付いた。
「はあ…はあ…」
「今日はここまでだ。後はいつもの仕事に戻れ」
式神を仕舞った董禾は、それだけを告げて自室に戻っていった。
「手加減無しとは、彼も
様子を見ていた晴明が廊下から呟く。
「いえ、手加減は不要です。単に私の修行が足りないだけですから」
緋眼は何とか立ち上がって着物に付いた砂埃を払う。
「貴女は本当に逞しいですねえ。見ていて安心します」
「私などまだまだです!明日はもっと出来る様に頑張ります!」
気合いを入れ直してから、緋眼は書類の整理をすべく屋敷に上がった。
それからも、姫君からの恋文は続いた。
「董禾様、文が届いていま」
「………」
彼は緋眼が全てを言い終えるより先に文をぶん取る様に奪ってそのまま部屋に戻っていく。
また別の日もーーー。
「董禾様、ふ」
「……」
更に別の日もーーー。
「と」
「…」
日に日に彼の態度は普段以上に素っ気なく、近寄らせない雰囲気を強めていった。
修行の助言以外は一切口を利いてくれない。
無論、修行内容も苛烈を極めていった。
「………」
緋眼は箒で掃きながら一つ溜め息をこぼす。
少し以前より董禾との距離が近付いた気がしたのに、それが幻想だったかの様な日々に戻った。
それどころか、弟子入りした頃に戻った様な。
もしかしたら、その時よりも関係が劣悪かもしれない。
自分の言動の迂闊さが本当に嫌になった。
そこへ、いつもの男が現れる。
例の姫君の遣いの者だ。
「精が出やすね。また、これをお願いしやす」
「あ、はい。お届けしますね」
男とはすっかり見知った仲にはなったものの、渡された文を董禾に渡す事に気が引けた。
「董禾様、董禾様」
「ロト、か?」
珍しい来客に、董禾は自室の御簾を上げる。
「どうした?」
「董禾様ニ文、届イテマス。オ届ケ、オ届ケ」
ロトが差し出した文を彼は受け取る。
「そうか、ありがとう。……緋眼はどうした?」
「掃除シテマス」
「…これをお前に任せて掃除とは…偉くなったものだな」
緋眼が初めて自分への用件を放棄した様に思え、董禾は眉を顰める。
「自分触ラナイ方ガ良イッテ、ロト、任サレタ」
「なに?」
「董禾様ノ大事ナモノ、気安ク触ルノ良クナイ、良クナイ」
ロトは羽をパタパタさせながら話す。
「そう、あいつが言ったのか?」
「言ッテタ、言ッテタ。董禾様、傷付ケタッテ」
「……」
ロトの言葉を受けた董禾は、ロトを撫でながら何やら思案する様に顎に手を添えた。
「今日もありがとうございました。それでは、お暇させていただきます」
「気を付けて帰ってくださいね」
緋眼は夕餉の片付けを終えると、いつもの様に挨拶をしてからロト達と玄関に向かう。
門を潜ろうとして、急に声を掛けられた。
「緋眼」
「っ!董禾様!?どうかされたのですか?あっ、何か不備でも」
「違う」
いつものつっけんどんな態度で彼は緋眼に近付いてくる。
「……」
「……」
「…送っていく」
「え?」
「送ってやると言っている。一々聞き返すな」
「済みません…」
董禾は緋眼を追い越して門を潜る。
「ではなくてですね!大丈夫です!董禾様に送っていただく様な事では」
そこまで言って彼に睨まれる。
「勘違いするな。私はただ、同じ方向に用があるだけだ。そのついでに送ってやると言っている」
「そ、そうですか…」
「解ったのならば早くしろ。置いていくぞ」
「は、はい」
ロトを胸元に抱いて董禾より少し斜め後ろを緋眼は歩く。
そう長くはない道程ではあるのだが、無言な事も相俟っていつもの帰り道が長く感じられた。
戻り橋に差し掛かった所で、彼は足を止める。
「あ、あの、送っていただいてありがとうございました。明日も宜しくお願い致します。それでは失礼い」
「傷付いてなどいない」
「え?」
唐突な彼の言葉に、緋眼は下げかけた頭を上げて彼を見る。
「私は何も傷付いていない。それに、あんなものは全くもって大事なものではない」
「えっと…」
突然の言葉に何の事か繋がらなかった緋眼は言葉に迷う。
「恋文、恋文」
緋眼の理解力を助ける様に、ロトが羽をパタパタさせる。
「あっ」
「前にも言った筈だ。あんなものは、ただの迷惑だと」
「えと、はい」
急に何故董禾がこんな話をするのか疑問に思いながら、緋眼は次いで湧いた疑問に眉尻を下げる。
ならば、どうしてあれからあんなにも不機嫌だったのだろう。
緋眼の視線からそれを感じたのか、彼は視線を漂わせながら言いにくそうに口を開く。
「ただ、その事でお前に……八つ当たりした」
「えっ?」
「私はお前に対して苛立っていた訳ではない。しつこく自分を押し付けるしか能がない、自分勝手で理解能力の無い、あの女に対して腹を立てていた…だけだ」
董禾は苦虫を噛み潰した様な表情で吐き捨てた。
あの女とは、話の流れからして例の姫君だろうか。
「だが、私も身勝手だ」
「え?そんな事は」
「自分の事で腹を立て、お前に八つ当たりして要らぬ不安を仰いだ。その……済まなかった」
「い、いえ!私が勝手に勘違いしただけですし!それに…私も恋文について触れなければ、こうはならなかったのではないかと」
晴明や董禾の話から、姫君からの恋文が届いていたのは今に始まった訳ではない。
自分が余計な口出しをしたが為に、ただでさえ快く思っていなかった董禾の気持ちを拗れさせてしまった一因を作ってしまったのではないか。
だとしたら、全く自分に非が無い訳ではない。
「…そうだな」
「う…申し訳ございません…」
改めて彼に肯定され、緋眼は力無く頭を垂れる。
「私は…色恋沙汰などに
「董禾様?」
董禾はどこか遠くを見ながら、まるで自分に言い聞かせる様に呟いた。
その姿がとても儚げで、切なくて、緋眼は胸を強く握り潰された様に苦しくなる。
「!」
「!」
その時、南都の方角から多量の瘴気が流れ込んできた。
「これは…」
「緋眼、お前は屋敷に戻れ」
「いえ、ご一緒させてください」
「お前は」
「足手纏いには絶対になりませんから」
緋眼は懇願を込めて強い眼差しで彼を見詰める。
「無理だと思ったら引け。それを約束しろ」
「はい」
董禾と緋眼は瘴気が流れてくる方へと走る。
妖気に近付くにつれ、瘴気も強く濃くなっていく。
瘴気の流れ出る中心に、それは居た。
「おや?この瘴気を物ともせずに近付いてくる人間がいるとはね」
立派な二本の
「命知らずの莫迦でしょう。どうします?
傍に付き添っている女が男に訊ねる。
「お前達の様な者が、こんな所で一体何をしている?」
「それを君が知る必要はないかな」
「
言うなり女は黒い蛾の様なものを大量に召喚し、董禾と緋眼に向かわせる。
董禾は即座に印を組むと、その蛾達を消し飛ばした。
「ほう。君は術師と言うものかな?」
「都に害を為す者と語る気はない」
「目的を言わなかった事が気に触ってしまったのかな?」
刹鐃と呼ばれた男は余裕の笑みをこぼす。
対して董禾は緋眼から距離を取り、
「良いだろう。相手をしてあげよう」
刹鐃は言い終えると同時に地面を蹴った。
抜刀した太刀を手にし、一気に董禾との距離を詰める。
董禾は素早く印を結び、結界を張って刹鐃の剣擊を防ぐ。
「董禾様!」
「貴女の相手はこっちよ」
緋眼が董禾と刹鐃に気を取られていると、女は緋眼の近くまで来ていた。
「っ!」
緋眼が覚えたての結界術で女の黒蛾の群れを退ける。
「術は使えるようだけど、動きが心許ないわね」
女は自身の腕を刃に変えると緋眼に振り上げた。
「緋眼!此処は引け!」
董禾が刹鐃の相手をしながら叫ぶ。
「随分余裕だね。でも、残念ながら彼女とは此処でお別れの様だ」
刹鐃は金属に体を変える董禾の式神に斬り掛かりながら告げる。
「リネット!」
「了解!」
緋眼が指示を出すと、リネットから棒の様なものが射出される。
緋眼は射出された棒を振り返る事無く受け取ると、それで女の刃を受け止めた。
「なっ!」
リネットから射出されたのは十手だった。
清水の一件でボロボロになってしまった警棒に代わり、頼光がお詫びの品として彼の
十手と共に何故か飛び道具の暗器もプレゼントしてもらったが、緋眼は頼光の気持ちと共に受け取って大切にしている。
刃を受け止めた事は、女にとって予期せぬ行動だったのだろう。
油断が生じた女に、緋眼は遠慮無く蹴りを入れる。
「ぐうっ!」
続け様に桃の式神を召喚し、花弁の嵐で女を吹き飛ばした。
「ほう。面白い
それらを横目で見ていた刹鐃の意識が緋眼に向けられる。
その事が危険だと察知した董禾はまた叫んだ。
「逃げろ!緋眼!」
「そうはいかないな」
刹鐃は多量の妖気を太刀に纏わせ、金龍ごと董禾に斬り掛かる。
董禾は結界を張ったが、刹鐃は結界ごと董禾を思い切り斬り飛ばした。
「董禾様!」
「来ルゾ、緋眼!」
ロトの言う通り、次の瞬間には刹鐃は此方に向かって地面を蹴っていた。
緋眼は十手を構え、至近距離まで来た刹鐃の薙いだ太刀を受け止める。
しかし太刀は受け止めたものの、妖気と覇気によって発生した風圧が鎌鼬の様に緋眼を傷付けていく。
「くうっ…」
更には体格の差も、力量の差もあるからだろう。
力負けして押しやられていく。
「っ!」
前に出たロトが展開させたドリルとナックルで刹鐃を押し返す。
すかさずリネットもレーザー光線を放った。
刹鐃は回避も兼ねて一旦下がって緋眼達と距離を取る。
そこへ
刹鐃は咄嗟に避けるも、放たれた雷は男の肩を掠めた。
「なかなかの連携だね」
雷の軌道の先には、札を構えた董禾が立っていた。
「董禾様!」
「これ以上、好きにさせる訳にはいかん」
董禾は刹鐃を睨み付ける。
「よくも…」
緋眼の式神に吹き飛ばされた女も、よろめきながら戻ってくる。
しかし、その体は先程までのヒトガタとは違い、半分歪な異形のものへと変わっていた。
「よくも…刹鐃様の前で恥を掻かせてくれたわね!」
女の怒りは緋眼へと向けられる。
「許さないっ!」
「
緋眼に突進しようとした女を、刹鐃が静かな声で制止する。
「私はその娘に用があるから、君はこの邪魔な男の方を抑えてくれ」
「し、しかしっ」
「やるんだ」
表情こそ穏やかだが、刹鐃の言葉と共に放たれた威圧に、凰娥は身を畏縮させる。
「は…はい…」
「私を差し置いて、そいつに手を出そうとはいい度胸だな」
「止めるかい?君如きに止められるかな?」
「
董禾は札から焔を操り刹鐃に攻撃する。
刹鐃はそれを片手で抑制すると、凰娥が董禾の背後から斬り掛かった。
「董禾様!」
董禾はそれを紙一重で避けると、零距離から札を使い雷を解き放つ。
「うぐぅっ!」
雷を受けた凰娥は為す術無く弾き飛ばされ倒れる。
「緋眼!今の内にお前だけで」
「そうはさせないと言っているよ」
董禾の元へ駆け付けようとした緋眼を制止し逃げるよう促すが、同時に刹鐃が緋眼の元へ駆けて行く。
しかし、董禾は空で陣を描き男の動きを封じた。
「成る程。君もなかなか厄介だね。ならば先に君を片付ける事にしよう」
刹鐃は己の身を封じた陣を覇気を放ち壊すと、改めて董禾に向き直る。
「私と出会った事を、あの世で後悔するんだな」
「その言葉、そのまま君にお返ししよう」
刹鐃は太刀を握り直し、構えを取った。
「っ!」
突如、刹鐃に無数の矢が降り注ぐ。
刹鐃が後ろへ避けると、そこに杭の様な暗器とリング状のレーザーが放たれ、ロトもドリルで仕掛けてきた。
刹鐃は太刀で防御を取るが、すかさず董禾が雷を放つ。
そこで初めて刹鐃は眉を顰め、飛び上がって近くの建物の屋根の上に降り立った。
「動くなっ!」
北都の方角からは、弓矢を構えた季武達が走ってきた。
「やれやれ。邪魔者が増えてしまったね」
季武達を一瞥し、刹鐃は溜め息と共にこぼす。
「凰娥、立てるかい?」
刹鐃は董禾の雷擊を受けて倒れたままの凰娥に声を掛ける。
「は、い…。申し訳ありません…」
凰娥は痛みに体を震わせながらも立ち上がった。
「さて、緋眼、と言ったかな」
次いで刹鐃は緋眼に目を向ける。
緋眼は咄嗟に暗器を構えた。
「その続きは次に取っておこうか。それまでは達者でいるんだよ。では、また会おう」
緋眼は迷う事無く暗器を放つが、次の瞬間には刹鐃は消えていた。
「女もいなくなっていますね」
貞光の声に凰娥の方へ目を向けるが、刹鐃に気を取られた隙に姿を眩ませた様だ。
「董禾様!お怪我は」
緋眼は董禾に駆け寄る。
すると董禾は緋眼の両肩を掴んだ。
「っ!」
「何故逃げなかった」
「え?」
「奴の標的はお前に変わった。奴は危険だった!逃げろと言った筈だ!」
董禾が普段以上の剣幕で詰め寄る。
そんな彼の様子に緋眼は次ぐ言葉が出てこない。
「おい、董禾。そう怒鳴んなよ。緋眼だって戦えんだろ?」
「貴方は口を挟まないでください。戦える戦えないの問題ではありません。今回は奴が引いたからこれで済んだ。だが、あのまま戦いが続いていたらどうなっていたか」
そう告げる董禾の体が僅かに震えている事に、彼の手が触れる肩を通して伝わってくる。
「…二人とも怪我をしているじゃないか。早く手当てをしないと」
「ええ。此処に居ては新たな妖も集まってくるかもしれません。早く屋敷に戻りましょう」
緋眼だけでなく、董禾も刹鐃に斬り飛ばされた時に怪我を負ったのだろう。
所々から血が滲んでいた。
そんな二人を見た季武の言葉に貞光も後押しする様に続ける。
董禾はまだ何かを言おうとして、それを飲み込む様に一度目を閉じると緋眼から手を離した。
緋眼は董禾がただ怒っているだけではない事が分かったので、何と返して良いか分からずに口を噤む。
「兎に角間に合って良かったよ~」
険悪な空気を壊すかの様に、屋敷に向かって歩きながら季武が明るく声を出す。
「皆、何故此処ヘ?」
口を閉じたままの董禾と緋眼に代わり、ロトが訊ねた。
「弥彦がヤバい瘴気が溢れてるってんで、綱殿と弥彦を屋敷の護衛に残して俺達が様子を見に来たんだ」
「本当にヤバそうな相手だったね。緋眼ちゃんと董禾くんが無事で良かったよ~」
「来てくださって…ありがとうございます」
緋眼は辛うじてそう返した。
「二人とも、無事でしたか」
頼光の屋敷の前では頼光の他に晴明も待っていた。
「晴明様…」
「嫌な気配があったので心配していたのです。その様子だと、皆で退ける事が出来た様ですね」
「厳密には逃がしちまったんだけどなあ」
「だとしても良くやった。何も被害を出さないのが一番だ」
「あと、二人の怪我の手当てをしないとね」
「私は屋敷に戻り自分でします。なので、緋眼を」
「まあ、董禾。そう
「……」
晴明の言葉に董禾は眉を顰める。
「ロト、敵ノ情報記録シテル。見セル事出来ル」
「なんと、その様な事が?」
「出来ル、出来ル」
ロトは羽をパタパタさせながら告げる。
「それは頼もしいですね。では、一旦頼光殿の屋敷に上がらせてもらいましょう。董禾」
明らかに乗り気ではない董禾に中に入る様に晴明が促す。
董禾は気乗りしない様子ながらも、屋敷へ入っていく皆の後に続いた。
屋敷に上がると、先ず董禾と緋眼の手当てを済ませてから広間に皆が集まった。
「緋眼!」
緋眼が手当てから戻ると、彩耶香が駆け付けて来た。
「彩耶香ちゃん」
「緋眼、大丈夫なの?無理してるんじゃないの?」
彩耶香は切り傷がある緋眼の頬をそっと触れる。
「大丈夫ですよ。もう痛みはありませんから」
「女の子なのに顔に傷なんてダメよ。化け物なんて見たら逃げなきゃ」
「姫、緋眼殿もお疲れでしょうからお座りに」
話を続ける彩耶香を制止する様に、弥彦が二人に座る様に促す。
「あ、そうよね。ゴメン、緋眼」
「いえ、大丈夫ですから」
弥彦に促されるまま二人は茵に座る。
「先ずは董禾に緋眼。そして季武、貞光、公時。よくぞ無事に帰ってきてくれた」
頼光は妖に立ち向かった面々に労いの言葉を掛ける。
「僕達は何も出来なかったんですけどね」
「そんな事はないですよ。皆様が来てくださったから、逃げたんだと思いますし」
「それで、どの様な妖だったのでしょう」
晴明の言葉に、ロトは額に当たる部分に付いている宝石からプロジェクターの様に映像を映し出す。
「なんだ、こりゃ」
「ロトから見た視点の様ですね」
「ロト凄いじゃない。プロジェクター機能まで付いてるのね」
「ロト凄イ、ロト凄イ」
初めて映像を見て驚く面々の中、ビデオ等で見慣れている彩耶香は投影された映像を見てロトを撫でる。
「私達の世界では機械と言う精密な
「便利なのだな。これがあれば、その場に
「はい」
「ロト監視カメラね」
そうしてロトにより、董禾と緋眼が刹鐃の元へ駆け付け、刹鐃が撤退するまでの映像が流れた。
「なにこれ。あいつ、緋眼を狙ってるって事?」
「この記録を見る限りでは、その様に見受けられますね」
「ご丁寧にまた会おうなんて挨拶しちゃってますからね」
晴明の言葉に、季武も肩を竦めて告げる。
「今後も緋眼はあやつに狙われる可能性があると言う事か」
「しかし、一体都へ何をしに来たのでしょうね」
「それは聞き出せませんでした。申し訳ありません」
綱の問い掛けに董禾は頭を下げる。
「いえいえ、董禾。追い払っただけでも大したものですよ。彼等の目的が達成されていないのであれば、また必ず都に現れるでしょう」
「警戒を強める必要がありますね」
「そうですね。この件、道長殿にも報告した方が良いでしょうね」
「うむ。明日報告をし、警備の強化も図りましょう」
「ええ」
頼光と晴明は真剣な面持ちで頷く。
「それから、緋眼」
「はい」
「そなたは暫くの間、一人での行動は控えよ」
「え?」
「頼光殿の言う通りです。刹鐃と言う男は、必ずまた貴女を狙いに来るでしょう。その時、一人では危険過ぎます」
「私は平気です。ロトも」
「平気な訳があるか!」
突然、董禾が声を上げる。
皆は驚いた様子で彼を見遣った。
「お前はあいつを甘く見過ぎている!今日殺されていても、おかしくなかったんだぞ!」
「……」
「董禾、少し抑えなさい。気が高ぶり過ぎていませんか?」
晴明の指摘を受け、董禾はバツが悪そうに顔を歪め立ち上がる。
「何処へ行くのです?」
「頭を冷やしてきます」
そう言い捨てて、董禾は広間を出ていった。
「何よ、あいつ。感じ悪」
「董禾くんって、あんな風に怒鳴るんだね。さっきも驚いたよ」
「ええ。彼のあの様な姿は初めて見ますね」
「いつもは冷静そのものだからな」
彩耶香に続き、季武、貞光、綱も驚いた様にこぼす。
「緋眼、気を悪くしないでくださいね。彼は彼なりに貴女を心配しているのです」
「はい…」
「あいつは兎も角、緋眼、ストーカー野郎は一番気を付けないといけないんだから」
「すとおかあって何だ?」
「可愛い女の子をしつこく付け狙う気持ち悪い奴の事よ」
「しつこいのは嫌われるもんねー」
「兎に角だ。緋眼、この件が落ち着くまでは、必ず誰かと行動するように」
「では、暫くの間、私が晴明殿のお屋敷に通う道中の護衛を務めましょうか?」
それまで静かに聞いていた弥彦が声を挟んだ。
「それは良いですね。弥彦殿ならば、安心して預けられます」
「僕達が交代で緋眼ちゃんの護衛に付いても良いしね」
「うむ。時々によって護衛も考えよう。緋眼、
「済みません…。皆様、ありがとうございます」
「大事な事なんだから、こう言う時くらい皆に甘えなさいよ」
「彩耶香姫の言う通りだ。もっと我等を頼れ」
「ロト モ リネット モ、緋眼、守ル」
「皆様、ありがとうございます」
皆の言葉に温かい気持ちになりながら、緋眼は頭を下げた。
話が一段落すると晴明は皆と別れ董禾の姿を探す。
少ししてから、玄関先で佇んでいる彼を見付けた。
「怪我の具合はどうですか?」
「…こんなもの、怪我の内に入りません」
董禾の背中に声を掛けるも、彼は振り向く事無く吐き捨てる。
「当面の間、弥彦殿が緋眼が通う、私達の屋敷間の道中の護衛をしてくれる事になりました」
「…そうですか」
「緋眼を住み込みにしても良いんですけれどね」
冗談っぽく付け加えた晴明の言葉には、董禾は何も反応を見せない。
「そう自分を責め過ぎるのは良くないですよ。貴方は立派に緋眼を守ったではありませんか」
「…あのまま戦いが長引けば、どうなっていたか分かりません」
「貴方はあの刹鐃と言う男に、全く引けを取っていない様に見えましたよ」
「あいつはあれで本気を出していなかった。遊ばれていただけです」
董禾は拳を震わせる。
「それでも、貴方と緋眼の連携は見事なものでした。二人で力を合わせれば、勝てない相手ではないと思いますけれどね」
「奴の狙いは緋眼です。あいつは緋眼が持っている力に気付いた。だから緋眼を狙ったんです」
「董禾、貴方は妹弟子である緋眼を信頼していないのですか?」
「どう言う事です?」
「緋眼は貴方の地獄の様な修行に堪え、日々力を付けています。それは、修行を付けている貴方が一番分かっている筈です」
「それでも、今のあいつでは奴には勝てない」
「そうでしょうか?それは術師としては、力及ばず勝てないでしょう。ですが、彼女には例の力があります。私が彼女を弟子に迎えた目的を覚えていますね」
「…力を制御させる為」
「そうです。あのままでは、簡単な切っ掛けで力を暴走させてしまう虞がありました。彼女が己の持つ力と其れの使い方を全く理解していなかったからです。ですが貴方との修行を経て、彼女も力の制御の仕方を体で覚えてきています」
「その力で奴と戦えと?」
「董禾、貴方は余程彼女とあの者を戦わせたくない様ですね」
晴明は董禾の様子にクスクスと声を漏らして笑う。
「それも一つの方法です。彼女自身を守る方法の一つ。それを覚えておいてください」
「……」
「不服そうですね。貴方が彼女の身を案じている様に」
「案じてなどおりません」
「おや、そうですか?」
間髪入れずに応える董禾に晴明は首を傾げる。
「一人の陰陽師として、力の無いものを戦わせる訳にはいかない。無駄死にさせる訳にはいかないと言うだけです」
「それは失礼しました。でも、何故彼女はあんな顔をしていたのでしょうね」
「顔?」
「見ていませんか?刹鐃と戦っている最中も先程も、泣きそうな顔をしていたではありませんか」
「それは怖かったからでしょう」
「何が怖かったのでしょう」
「何を言わせたいんです?奴に決まっています」
董禾は少し苛立たし気に言い切る。
「本当にそうでしょうか?ならば何故、先程も泣きそうだったのでしょう」
「私が怒鳴ったからでしょう」
「董禾、貴方は陰陽師としてはとても優秀ですが、人としては未熟以下ですね」
「陰陽師として優秀ならば、私は満足です」
「いけませんねえ。彼女が来て少しは成長したと思ったのですが、私の思い過ごしだった様です」
「ご期待に添えず申し訳ありません」
言葉とは裏腹に全くその様な態度ではない董禾に、晴明は一つ息をこぼす。
「全く…。断言しましょう。彼女の想いを理解しようともしない貴方に、刹鐃は絶対に倒せません」
「は?今さっき引けを取っていないと言ったばかりではありませんか」
「それは、貴方の心身が万全な状態での事。今の貴方の心持ちでは簡単に足を掬われるでしょうね」
「ならば、今よりもっと強くなれば良いだけの話です」
「それです。先ず、それがいけません。私が話している意味が理解出来ない様では、貴方は強くなれないでしょう」
晴明の言葉に董禾は睨み付ける様に彼を見遣る。
「貴方も新たな段階に来ています。本当に強くなりたいのであれば、大切なものを守りたいのであれば、己の心、そして他者の心にきちんと向き合う事です」
晴明はそう告げると門へと向かう。
董禾は黙ったまま、僅かな間を置いてからその後に続いた。
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