第10話 黄昏の色
それから緋眼は、董禾の付き人をしつつ家事の合間などの空いた時間には座禅を組んだ。
初日と違うのは座禅を見る相手が董禾ではなく、彼の式神が請け負っていると言う事だろうか。
「っ!」
座禅中、その日初めての警策を受ける。
式神は董禾とは違って、テレビで聞いた通りの警策の打ち方だった。
董禾のあれは私怨でも籠っているのかと思う程厳しいものだったが、これくらいならば難無く堪えられる。
緋眼も次第に雑念を捨てるコツを掴み、日に日に警策を受ける回数が減っていった。
「今日は一度のみか。だが、一度でも警策を受ける時点でまだまだだ」
「はい。もっと精進します」
座禅を終え、式神から結果を聞いた董禾が告げる。
「明日は大内裏に参内する」
「大内裏ですか?」
「そうだ。多くの貴族や皇族、そして帝がいる。今回、帝のいらっしゃる内裏には行かないが、それでもこれまで以上に気を引き締めておけ」
「はい」
「それから、着物はこれを着ろ」
董禾が式神に合図を送ると、一式の着物が緋眼の目の前に置かれる。
彼の付き人として遣えた日からも狩衣の様な着物を用意してもらっていたが、今回のはまた違った術師風の小綺麗な着物だった。
「お前はまだまだ術師の門口にすら立てていない訳だが、身嗜みくらいはきっちりしてもらわないとな。恥を掻くのは連れ歩いている私と、師である晴明だ」
「はい。ありがとうございます」
「大内裏に参内すると言っても、いつもの様に黙って私の傍に控えていれば良い」
「かしこまりました」
大内裏と言えば、現在の御所に当たる。
今までも董禾の付き人として身分の高い貴族達に会う事はあったが、皇族や天皇の控える大内裏となるとまた話は別だ。
董禾が用意してくれた着物を抱き締めると、緋眼は緊張と好奇心が織り交ざった感情を抱きながら家事に戻っていった。
翌日ーーー。
緊張と期待から若干寝不足になるも、いつもの様に晴明の屋敷に向かった緋眼は、早朝から牛車の準備をしていた董禾と合流してそのまま大内裏へと赴く。
牛車から降りると、何人もの貴族達と擦れ違いながら門を潜る。
今までも色んな貴族達を見てきたが、貴族の者達は緋眼の世界の資料で見られる様に麿眉で白くてなよっとしている。
頼光達は武士なだけあって鍛えている分ガッチリとしているが、頼光達を見慣れている緋眼にとっては、なよなよとした貴族や姫達はどこか頼りなく、不安にさせる。
「あまりキョロキョロするな」
「済みません…」
貴族達を観察していた緋眼を董禾が注意する。
そう言えば、董禾は武士ではないけれどなよなよしていないし凛としていて、どちらかと言うと格好良い方だ。
顔立ちも中性的で綺麗であるので、おかっぱな事も相俟って一見すると性別の判断に困るかもしれない。
緋眼の世界に彼がいれば、きっと男女問わずモテモテなのではないだろうか。
今までそんな余裕もなく董禾について考えていなかったので、彼の事での新たな発見に急に落ち着かなくなる。
「…だからと言って私を見るな」
「えっ?あっ、済みません…。そんなつもりは」
董禾の事について考えていた緋眼は、無意識の内に彼を見ていたようだ。
緋眼は慌てて視線を逸らすと、目のやり場に困り視線を落とす。
「おお、董禾ではないか」
大内裏内の一つの屋敷に上がると、急に声を掛けられる。
董禾は相手を確認するなり一礼したので、緋眼も同じ様に一礼する。
「今日は此方に来ていたのだな」
「ええ、依頼で参りました」
そう応える董禾から貴族の男の視線が緋眼へと移る。
「ご紹介致します。新たに晴明の弟子となった十六夜緋眼です」
「ほう、晴明の新たな弟子とな」
いつもの流れながら紹介を受け、緋眼は頭を下げる。
「女弟子とはまた変わり種を持ってきたな」
「まだまだ未熟の身ですが、根性だけは他の者に引けを取りません」
「はっはっ、それは楽しみだな。一人前になった時は依頼を回そう」
「ありがとうございます。それでは急ぎますので」
「うむ」
董禾は再び一礼すると男の横を通り過ぎる。
緋眼もまた同じく一礼してから急ぎ足でその後に続いた。
心做しか、色んな方向から値踏みをする様な舐める様な視線を感じる。
「今のは
少し歩いてから董禾がそう告げる。
「あれが藤原道長…」
「知っているのか?」
「一応、私達の世界では歴史の教科書に載るくらいには有名な史実の人物です。藤原の名を持つ者の中でも、一番栄華を極めたと」
「そうか。晴明との付き合いの上、今後も頻繁に顔を合わせる事になるだろう。覚えておけ」
「はい」
そのまま彼は一つの間に入ると緋眼に向き直る。
「お前は此処で待っていろ。私が戻るまでは絶対に此処から出るな。声も出すなよ」
「はい…」
連れていってはもらえない事に残念に思いながらも緋眼は返事をする。
「それから念の為に言っておくが、自衛には気を抜くな」
「え?」
「お前は未だ術師ではないが、仮にもあの晴明の弟子。女の術師は此処ではお前しかいない」
「はい」
「人間と言うものは珍しいものには手を出したくなる。特に男は欲に忠実だ」
「はあ…」
「貴族の男共は権力と女とやる事しか考えていない。弄ばれたくなければ自衛しろと言っている。ただでさえ、お前は変わり者の晴明が選んだ、珍しい女術師だからな。奴等の恰好の餌食だ」
そこまで言われ、緋眼は先程まで纏わり付いていた視線の正体ではないかと悟り顔を強張らせる。
「解ったのならば気を抜くな。大人しく待っていろよ」
「…かしこまりました」
そう返事をしたものの、此処まで連れて来て何故自分も連れていってくれないんだと思いながら董禾の背中を見送る。
取り敢えず彼が戻るまでは誰にも会わない様にしようと、緋眼は几帳の裏へと回り座り込む。
ただ、彩耶香ならば兎も角、いくら珍しいとは言え自分にそう言った方面で興味を持つような物好きはいないだろう。
そう高を括って自分を落ち着かせる事にした。
董禾を待つ間、特にする事もなく手持ち無沙汰だ。
ロト達と話をする訳にもいかないのでコロコロ転がすも別段面白い訳でもない。
何人もの足音が前を通り過ぎていくが、どれくらい経っただろう。
一つの足音がこの部屋の前で止まり、此方に近付いてきた。
(えっ?こっちに来る?)
ロトを抱いて身を強張らせていると、几帳の向こうからひょっこり顔が出てきた。
「君、こんな所で何してるの?」
(麿眉!)
麿眉と言う事は貴族だ。
なるべく息と気配を殺していたつもりだったが、いとも簡単に見付かってしまった。
その焦りから緋眼の頭は真っ白になる。
「ねえ、聞こえてる?」
「は、はい!」
特徴的な二本の触覚の様な阿呆毛を揺らしながら、相手は少し機嫌を損ねた様に見えた。
「で?何してるの?」
「あの、その…人を待っておりまして…」
「こんな所で?てっきり隠れん坊でもしてるのかと思ったけど」
「それは…」
確かに人に見付からない様に息を殺して隠れていたのだから、隠れん坊と言う指摘は強ち間違いではない。
「見ない顔だね。誰を待ってるの?」
「橘董禾様を…」
「あ、もしかして君って晴明のところの新弟子?」
董禾の名前を聞いて閃いた様に相手は述べる。
「あ、はい。十六夜緋眼と申します。以後、お見知りおきを」
そこで緋眼は立ち上がると頭を下げた。
「ふうん。君が」
「どうした?」
「あ、見てよ、道満。晴明の新弟子だってさ」
声のした方を見遣ると、部屋の入口に新たに男が立っていた。
風貌から貴族ではなく、術師の様に見受けられる。
「……」
「十六夜緋眼と申します」
新たに現れた男にも、緋眼は同じ様に自己紹介する。
術師風の男はとても厳格な雰囲気を纏っていた。
「君、どこの人間?貴族の出って訳じゃなさそうだよね」
「えっと…あの、私は晴明様の遠縁の…親戚です」
出自を聞かれた事に内心焦るも、董禾に言われた事を思い出しそれを口にする。
「晴明の?身内を弟子にしたって事?」
「あの……呪術の才能があると言われまして…」
二人からの探る様な視線。
中でも術師風の男からは鋭い視線を向けられ居たたまれなくなる。
どうにかしてこの場から逃げる事が出来ないかと思案するも、今の緋眼にはそこまで頭が回りそうにない。
「失礼致します。その者は私の妹弟子です。何かご無礼を働いてしまったでしょうか?」
そこへ聞き慣れた声が降り注ぐ。
その声を聞いた途端、緋眼は気持ちが和らぐのが分かった。
「ああ、董禾だね。今、この子からも聞いていたところだよ」
董禾は男達の横を通って緋眼との間に割って入る様に立つ。
「ご無礼を働いたのでしたら代わりに謝罪します」
「いや、違うよ。見ない顔だったから話してただけ。まさか、晴明の新弟子だったとはね。噂には聞いていたけど、どんな
麿眉の男は堪えきれないと言った様に扇子で口許を覆い肩を震わせている。
「君も大変だね。こんな
男は扇子で口許を隠したまま笑い続けている。
「ご用件がないのでしたら、これで失礼致します。行くぞ、緋眼」
「はい…」
董禾は始終顔色を変える事無く、再度男達の横を通り過ぎる。
「ああ、董禾。晴明の元が嫌になったら、いつでも磨呂の元へ来ると良い。君の席はいつでも空けてあるからね」
「それは永遠に訪れる事はないと何度も申し上げた筈。それでは」
投げ掛けられた言葉にも素っ気なく返すと、董禾はその場を離れたので緋眼も後に続いた。
「……。で、あの女、どうなの?」
「底知れぬ力を感じた。晴明の親戚であると言いよったが…晴明め。あの小娘を弟子にして一体何を考えておる」
「あの間抜けが?とてもそうは見えなかったけど」
「人は見掛けによらぬ。いずれ分かる時が来る」
「ふうん。磨呂は董禾が来れば十分だけどね。此処に張ってあった結界は董禾のものだ。あんな価値の無い間抜け女、何で隠してたのか分からないけどさ」
麿眉の男は緋眼の居たこの部屋について述べる。
実は董禾は、他の人間がこの部屋に入らない様に結界を張っていた。
それに気付いた男が結界を破り、緋眼を見付けたのだ。
「晴明などに横取りされなければ、今頃は董禾は我が弟子であった。あやつの野心と黒き念は晴明の元では腐らせるだけだ」
「計画さえ実行すれば、董禾は案外乗ってくれるかもしれないよ?」
「事は慎重に運ばねばならぬ。お主とワシの悲願達成の為にもな」
男達は一度董禾達が去った方を見遣ると、それとは逆の方へと歩いていった。
「あいつらには出来るだけ近付くな」
男達と別れた後、早足で廊下を歩く董禾に置いていかれない様に必死に付いて行くと、突然彼からそう告げられる。
「何故ですか?」
確かに二人と董禾の雰囲気から仲が良さそうには見えなかったが、その理由を問うてみる。
すると、彼はまた突然に立ち止まり振り返った。
緋眼は早足だった事もあり、勢い余って彼にぶつかってしまう。
「も、申し訳ございません!」
慌てて緋眼は数歩下がってから頭を下げる。
ドジを踏んだ事にいつもの如くお怒りの声が降るかと思いきや、意外にも董禾からは何もない。
緋眼は恐る恐る顔を上げた。
「小柄な奴が
「……」
「もう一人の男が
「術師…」
「こいつはこいつで、いつも晴明と対立し突っ掛かっている。つまり、二人とは対立し合っている仲だ」
「そうだったのですね」
「奴等は常に晴明や道長の足を掬おうと画策している。だからこそ、弟子である私達は必要以上に注意せねばならない。弟子の失態は師の失態になる。そうなれば、簡単に失脚させられるだろう」
「はい」
「奴等は良からぬ事を企んでいる。邪魔な晴明を失脚させるのに、此処の事に無知で弟子に成り立てのヒヨっ子であるお前は良い標的だ。今まで以上に気を引き締めろ」
「かしこまりました」
緋眼の返事を聞くと、董禾は踵を返して再び歩き出す。
鎌成達が董禾を勧誘していたのは、晴明を困らせる為に引き抜こうとしているのだろうか。
先程のやり取りを思い出し不安が過るも、緋眼はまた彼の背中を追った。
それからまた数日が経ち、緋眼は漸く式神の扱いについて教えてもらえるようにまでなる。
そして、今日生まれて初めて緋眼は式神を召喚したのだ。
「なんだ…これは?」
緋眼が召喚した式神の姿を見た董禾がこぼす。
無理もない。
緋眼が召喚した式神の姿は、鬼やよく創作物で見られる様な姿ではなく、桜餅に顔が付いたもの等可愛らしいものばかりだったのだ。
「ふふふ、可愛いではありませんか」
晴明は縁側で白湯を啜りながら微笑んでいる。
「貴方は黙っていてください。何だ、これは?!ふざけているのか!」
「いえ、ふざけてなんて…」
「これのどこがふざけていないと言える!真面目にやり直せ!」
声を荒げる董禾に緋眼は渋々召喚した式神を札に戻し、新たに式神を召喚する。
しかし、現れたのは桃に顔が付いた可愛らしいものだった。
「……」
「……」
「滅ぼしてくれる」
「え?」
「そんなふざけたモノは滅ぼしてくれる!」
言うなり董禾は自身の式神を召喚する。
それはとても雄々しい水龍の様だった。
「この私との修行でふざけた事と、己の不甲斐なさを後悔するがいい!」
「と、とうかさ」
「行けっ!」
董禾は問答無用と言う様に式神に攻撃命令を送る。
水龍は口から渦の様な水を放った。
「っ!」
緋眼は反射的に避ける事を頭の中で考えると、桃の式神にそれが伝わったのか、桃はギリギリでそれを避けた。
「まぐれで避けられても、後は続かんぞ」
董禾は続けて水龍に突進させる。
それも桃はギリギリ回避した。
「ちょこまかと」
董禾は桃の回避する軌道を読み取り、其処に渦巻きを発生させるよう指示する。
咄嗟の事に避けきれなかった桃は渦巻きに捕らわれた。
「あっ!」
「勝負あったな。滅べ!」
水龍は先程とは比べ物にならないくらいの渦を吐き出す。
「避けて!」
緋眼は式神に大量の霊力を送り込むと、桃は自らの分身を作り出す。
そしてそれを身代わりに残すと渦巻きを脱出出来た。
渦巻きに捕らわれたままのダミーの桃は渦を受け、木っ端微塵になる。
「お前に似たしぶとさだけは褒めてやる。だが、それで私に勝てると思うな!」
董禾も式神に大量の霊力を送る。
すると、水龍を中心として大量の水が渦を巻き竜巻の様になった。
こんなものに巻き込まれたらただでは済まないだろう。
緋眼も再度式神に霊力を送って相手の攻撃に備える。
「覚悟しろ!」
「はいっ!」
水で出来た巨大な竜巻となった水龍が、桃を貫こうと接近する。
緋眼は桃に多量の花弁を纏わせそれを迎え撃った。
ドーーンッーーー!
激しい衝撃音と共にその衝撃で発生した風が辺りを撒き散らす。
緋眼は暴風から身を守る為に、反射的に腕で顔を隠し目を瞑った。
「…ば…莫迦な……」
驚きの混じった董禾の声が漏れる。
緋眼がゆっくり目を開くと、地面には水龍と桃、両方が倒れて転がっていた。
「これはこれは。引き分けですね」
尚も白湯を啜りながら、一部始終を傍観していた晴明が暢気な声色で述べる。
「こんな莫迦な事が…」
「結果は見ての通りです。董禾、貴方は見た目に惑わされ、慢心しましたね」
晴明は落ち着いた声で冷静に指摘する。
「緋眼の式神のその可愛らしい見た目も、相手を油断させるには良いかもしれませんね」
「………。今日の修行はこれで終わりだ」
董禾は吐き捨てる様に述べると、式神を札に戻し自室へと戻っていく。
「董禾様っ!」
「そっとしておきましょう。董禾はああ見えて、人一倍負けん気が強いのです。今回のこの読み違いを反省し、きっと次に繋げてきますよ」
「はい…」
「そして生真面目過ぎるところもあるんですよ。さて、緋眼。可愛らしい式神の他にも式神を作ってみましょうか。多様性があった方が使い勝手も広がります」
「はい!」
自室に籠ってしまった董禾に代わって、初めて晴明が緋眼に指南を始める。
晴明の言葉を真剣な面持ちで受けながら、緋眼は新たな式神を召喚する事に集中した。
夕餉の時刻になっても董禾は自室から出てこなかった。
今日は引き籠りっぱなしかもしれませんね、と言う晴明の言葉を受け、緋眼は高杯を持って董禾の部屋を訪れる。
「董禾様、夕餉をお持ちしました」
緋眼が声を掛けるも、董禾からの返事はない。
彼に限って眠ってはいないだろうから、ただ返事をしてくれないだけだと緋眼は諦める。
「召し上がられましたら廊下に出しておいてください。後で片付けに参ります。それから、あれから晴明様に修行を見ていただいて、その…他にも式神を召喚出来る様になりました。ですので、董禾様が宜しければ、また修行を付けていただけると幸いです」
緋眼はそう告げると彼の部屋の前から離れる。
「緋眼」
すると、中から声がした。
緋眼は急いで部屋の前まで戻る。
「はい、何でしょうか?」
「………」
問い掛けるも、董禾からは直ぐに次の言葉が返ってこない。
「昼間は私も熱くなり過ぎた。その……済まなかったな」
少しして彼から返ってきた言葉は意外なものだった。
彼と出会ってから今まで詫びの言葉など聞いた事もなかった緋眼は、口を開けたまま固まった。
「怒って…いや、呆れているのか?こんな兄弟子に」
緋眼から返事がなかったからだろう。
珍しく不安げな声色の彼に、我に返った緋眼は慌てて首を振る。
「そんな!そんな事は一切ないです!断じてないです!怒っても、呆れてもいないです!」
「そんな訳がないだろう。私は今までお前に暴言ばかり吐いているし、酷い事も散々やってきたんだ」
「え…?」
次々と出る意外な言葉。
御簾に隔てられている為表情までは読み取れず、董禾が今どんな表情をしてこんな事を話しているのかは分からない。
「それはまあ…へこみますけれども…」
「……」
「でも、もう慣れましたし」
「慣れ、か」
「それに、だからこそ今まで頑張って来れました」
「何を言っている?」
「私は今まで董禾様だから頑張って来れました。どんなに理不尽で酷い事を指示されようとも、董禾様に認めてほしくて…、ただそれだけを目標に頑張って来ました。今もまだ認められたとは言えませんが、董禾様がいなかったら私はここまで頑張れませんでした」
「……」
緋眼は自分の想いを、ただ董禾に認めてほしかった事を言葉に乗せてみる。
ついうっかり理不尽で酷いと口走ってしまった事に、もう来るなと言われてしまうのではないかと焦るが、彼の言葉を待つ。
自分の言動を案の定、理不尽で酷いと言われた董禾は黙り込むが、それが事実であるので言い返す言葉もない。
初めは辞めさせる為、追い返す為に自分でも理不尽で滅茶苦茶だと解っていながら、無理難題を押し付けていた。
今までの弟子志願者の様に続ける根性もなく、軽い気持ちで来る様なチャラチャラした奴等に、自分の貴重な時間を食われるのが本当に嫌だった。
しかし、それでも文句も言わずに挫けず食らい付いてくる緋眼に驚き、どこまで出来るのか試す日々でもあった。
注意した事はその後二度としなかったし、出来なかった事も次の日には出来る様になっていた。
弥彦から彼女が夜な夜な一人で泣いていると聞かされた事もある。
それでも董禾が態度を変えなかったのは、彼女が本当にどれだけやれるかと言う興味本意だ。
それで、それまでの奴等の様に辞めて離れていくのであれば、それでも構わない。
これまでと何等変わらないと思い続けていたが、今も尚彼女はこうして修行に来ている。
「お前は本当に莫迦だな」
「えっ…、済みません…」
「謝るな。褒めているんだ」
その言葉と共に御簾が上げられる。
黄昏の色に照らされた董禾の表情は、初めて見る程穏やかに見えた。
単に緋眼の見間違いかもしれない。
しかし、緋眼は彼の表情から目が離せなかった。
「明日からも変わらず修行を付けてやる。だが、今日みたいに上手く行くと思うなよ」
「っ!はい!」
董禾の言葉に緋眼は胸を高鳴らせて笑顔で応える。
「片付けは自分でする。お前はもう帰れ」
「え、ですが…」
「もう直日が暮れる。それとも、此処に泊まる気か?」
「あ、いえ。帰ります」
董禾に指摘され緋眼は渋々承諾する。
頼光の屋敷と晴明の屋敷はそれ程離れていない。
しかし、この世界では黄昏時は危険な時刻となる。
それ以降の逢魔ヶ時ともなれば魑魅魍魎が跋扈する時間帯となり、誰も外へは出ない。
そう言う世界なのだ。
緋眼は挨拶をしてから彼の部屋を離れた。
自室で夕餉を済ませた董禾は、片付けをする為に広間の前を通る。
「緋眼が作った食事には手を付けるのですね」
「何です?」
「こう言う時、私が作っても一切口に入れてくれなかったではありませんか」
「貴方の作るものは、どれも食べられたものではないでしょう」
広間に居た晴明が茶々を入れる様に話すも、董禾もいつもと変わらない態度で返す。
「そうですねえ。貴方や緋眼が居ないと、私は餓死してしまうでしょうねえ」
「……」
董禾はその言葉に反応する事なく、そのまま歩を進める。
「今日の貴方はよくやっていましたよ。緋眼は霊力の他に、例の力を使っていました。無意識の内に。それがなければ、貴方の方が圧倒的に
「あいつが別の力を使っていようといまいと関係ありません。それを見抜けず力量を見誤った私の敗けです」
董禾はそう返し、
「もう切り替えていましたか。流石ですね。それとも、彼女のお陰なのでしょうか」
晴明は董禾の様子に、楽しげに笑みをこぼすのだった。
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