第9話 怨霊の行く末

「寝坊でもしたら破門してやろうかと思ったが、起きてきたか」

「はい」


日が昇り身支度を整えてから広間へ向かうと、既に朝餉の用意まで終わらせていた董禾が緋眼を見て告げる。


「朝餉が済み次第、依頼主の屋敷に行く。お前は今日は付き人として同行するが、必要以上に話す必要もなければ接しようとするな。私の仕事振りを黙って見ていれば良い」

「はい」


起きてきた晴明と三人で朝餉を取ると、にこやかな晴明に見送られながら牛車に乗り込む。

今日の服装はいつもの水干と違って、董禾が用意してくれた彼や晴明が着ている狩衣に近い術師風の小綺麗な着物な事もあって、緋眼は浮かれた気持ちを抑えるべく胸に手を当てる。


「相手は末端ではあるが、かの藤原一族だ。絶対に粗相を起こすなよ。ロトとリネットも見せぬようにしろ」

「かしこまりました」


緋眼がロトとリネットを見遣ると、二体は光の屈折を変えて周囲に擬態する様に姿を隠した。


「それから、私の事は今後董禾と呼べ」

「え?でも…」

「源、平、藤原、橘。この四つの氏名を持つ者は腐る程いる。依頼主が橘の場合もある。そして、お前は此処では晴明の母方の遠縁の親戚の娘と言う立場を演じろ。晴明がお前の術の才に気付き、一時的に引き取っている事にする事になった。そうすれば不要な詮索は避けられる」

「えと…かしこまりました」


董禾から一通りの説明を受けながら牛車に揺られていると、暫くして牛車が止まる。

董禾が先に降りたので、緋眼も荷物を持ち彼の後を付いていく。

目の前の屋敷からはどことなく嫌なものが感じられた。


「緋眼、私の傍を絶対に離れるな」

「は、はい」


董禾もそれを感じたのか緋眼に釘を刺す。


「これはこれは橘殿。朝早くから済みませぬ」


雑仕の案内で玄関先まで行くと、来客を知らされたこの屋敷の主と思われる男がやって来た。


「お構い無く。先にご紹介致します。此処にいるのが、先日より新たに弟子入りした十六夜緋眼と申します。今日から私の付き人として同行しますが、術師としてはまだまだ修行の身故お許しを」


董禾に紹介されて緋眼は頭を下げる。


「なんと、あの晴明殿に新しいお弟子さんが。これはこれは将来が楽しみですな」

「それで、今回は如何されました?」

「それがなあ…」


董禾と緋眼が客間に通されると、男は言いにくそうに告げる。


「姫が数日前より熱を出して寝込んでおるのだ。診てはもらえぬだろうか?」

「承知しました。では、その姫の元へ案内していただけますか」

「…こっちだ」


姫が居るとされる間へ近付く程、禍々しい念が強くなっていった。

御簾の外からも姫の呻き声が聞こえる。


「これは怨霊の仕業ですね」

「なんと!怨霊だと!」


姫を直接見る前に董禾は述べる。


「皆様はどうかお下がりを。緋眼」

「はい」


董禾に呼ばれた緋眼は、姫の元へ行く彼の後を追う。


「っ!」


苦しみ呻く姫の左半身は紫色に変色し爛れていた。


「怨霊に憑かれると大抵はこうなる」


董禾は姫の傍で片膝を付くと、人差し指と中指を姫の額に当てる。


「生き霊だな。それも女か。差し詰め男絡みだろう」


董禾がそう言い終えると同時に、姫は女性のものとは思えない雄叫びを上げる。


「ひいぃぃっ」


外で待機している女房達は怯えた様に身を寄せ合っていた。


「来るか。緋眼、少し下がっていろ」

「わかり…ました…」


目の前の出来事に圧倒されつつも、緋眼は彼の指示に従う。

すると、姫は黒いオーラを纏い起き上がった。


「あああぁぁぁ……なんだ…お前は……」

「女、今すぐその姫の体から出ていけ」

「おおおぉぉぉっ!」


姫が咆哮を上げると、たちまち嵐の様な風が巻き起こる。

董禾は直ぐ様印を結び、姫を結界術で封じた。


「邪魔ををををするなあああぁぁ!!」

「これが最後の忠告だ。姫から出ていけ」

「この女はああぁぁ!私からあのお方をををを奪っ」


尚も暴れて襲おうとする姫に、董禾は呪符を張り呪文を唱える。


「ぎやあああぁぁぁぁぁぁぁ!!」


姫は再び雄叫びを上げると、その場に倒れた。


「姫!」


男や女房達はまだ怯えた様子ではあるものの、倒れた姫を見遣る。

董禾は倒れた姫に近付くと意識のない彼女の状態を確認した。

すると、紫色に変色し爛れていた肌は元に戻っていた。


「もう大丈夫です」

「おおお!橘殿、ありがとう」


もう危険はないと判断したのか、男も姫に近付いてその様子を見ると董禾に礼を述べる。


「姫も直に目を覚まされるでしょう」

「本当に感謝する、橘殿。礼は追って屋敷に届けようぞ」


董禾は始終表情を変える事無く一礼すると踵を返す。

緋眼もその後に続いた。




「怖かったか?」

「え?」


牛車の中で、董禾は何気無く問い掛けてきた。


「山蜘蛛などの妖に動じぬお前が随分しおらしい」

「えと、まあ…ああ言うのは初めて見たものですから…」

「妖も此方の世界で初めて見たのではないのか?」

「あの時は身を守る為もありましたから、怖いと言うよりは何とかしないとと思って」

「陰陽師はまつりごとに関わる仕事もあるが、妖関連では化け物よりも怨霊を相手にする事が多い。今回は生き霊だったが、死霊である場合も厄介だ」

「………」


緋眼は紫色に変色し爛れた肌の姫の姿と、怨霊が取り憑いた際の姫の様子を思い出し僅かに体を震わせる。


「お前が何故修行を受ける気になったのかは知らぬが、妖や怨霊に対抗する為などと言う浅はかな考えがあるのならば今すぐ捨てろ。奴等はお前が思っている程生易しくはない」

「は…い…」


確かに緋眼が晴明の誘いを受けようと思ったのは、少しでも彼等の力になったり、彩耶香が危険に晒された時に助ける力になるかもしれないと考えたからだ。

それを見透かされた上、妖達の事について詳しいであろう董禾に指摘され緋眼は身を縮込める。


「…生き霊の場合はあれで終わりではない」

「何かあるのですか?」

「本体が残っている。今からそちらに向かう」

「場所は分かるのですか?」

「見くびるな。僅かな霊痕から場所など割り出せる」

(流石…なのかな)


怨霊を払う彼の姿を思い出し、恐れも迷いもなく凛とした一連の動作に、それだけで彼が陰陽師としてどれ程の腕を持っているのか、素人の緋眼でも想像に難しくない。

今までは理不尽に厳しい姿しか見る事がなかった事もあり、彼について新たな一面を見れた気がした。


暫く牛車に揺られて着いた先は、都から外れた場所だった。

其処には朽ちた平屋があるだけだった。


「住人に感化され建物もこの様か。緋眼、油断するなよ」

「はい…」


扉を開けると其処ら中から呻き声が響いている。

負の波動に覆われたその場所に、思わず足が竦んでしまう。


「怯えるな。取り込まれるぞ。無理ならば外で待っていろ」

「付いて…行きます…」


逡巡するも、こんな所で董禾に置いていかれたくない思いが沸く。

何より彼の元で修行すると決めたのだ。

この程度で臆していては、とてもではないが修行など熟せない。

緋眼は己を奮い立たせて彼の後に続いた。


朽ちた屋敷に入るなり、異形のモノ達が此方に襲い掛かってきた。

董禾は瞬時に呪文を唱え、それらを排除する。


長い様で短い廊下を進んだ突き当たりに、一層瘴気の強い一角があった。


「あそこに本体がいる。覚悟は良いな?」

「はい」


緋眼はロトを胸に抱き締めながら首を縦に振る。

董禾が御簾を薙ぎ払うと、その間の中央には一人の女とおぼしき姿が蹲っていた。

女は弱々しく呻いているだけだ。


「人を呪う事はそれなりの力を要する。そして、その力を跳ね返された時の代償は大きい」


董禾は蹲ったままの女を見遣りながら告げるが、その表情は変わらず色を帯びていない。


「緋眼、目を背けずによく見ておけ。これが、己の感情を制御しきれなかった人間の末路だ」

「………」


董禾が呪文を唱えると女の周囲が輝き出す。

女は最期の雄叫びを上げると、ピクリとも動かなくなった。


「この人は…」

「もう人ではなかった。このまま放っておいても永遠に苦しむだけだ。僧侶には知らせておいた。直に弔いに来るだろう」


董禾はそう述べてから廊下に向かう。


「何をしている。置いていくぞ。それとも此処に居たいのか?」

「いえ…」


何とも言えない複雑な感情が緋眼に芽生えるのが分かった。

女が息絶え瘴気の無くなった屋敷は、ただの朽ち果てた建物になり、今にも崩れそうだ。

緋眼は一度屋敷を振り返ると、董禾が先に乗った牛車に戻る。


「晴明の言った通り、確かに感性は良いようだ。だが、それだけでは取り込まれるだけだ」

「?」

「感じるだけでは駄目だと言っている。己を防御するすべを身に付けていなければ、簡単に怨霊などに取り憑かれ意のままだ」

「……」


そう言えば、緋眼は既に一度怨霊に取り憑かれてしまっている。

記憶がないとは言え、それで彼等の足手纏いになったのは言うまでもない。


「現にお前は一度取り憑かれ暴走した」

「え?」


しかし、次ぐ董禾の言葉に耳を疑う。

取り憑かれただけではなく、暴走と言う聞き捨てならない言葉が聞こえたからだ。


「覚えていないか?お前が晴明に弟子入りする前、清水に行った時の事だ」

「取り憑かれた事はお聞きして把握していますが、あの時は…記憶が……」

「そうか。あの時お前は霊と感応し己を見失い、あそこに居た全員を襲った」

「おそっ…」

「まあ、私と晴明が捩じ伏せたから事なきを得たが」


記憶が無かったとは言え董禾から発せられる言葉の数々に、信じられない思いと申し訳ない思いが綯い交ぜになる。

襲ってしまった事にはもう合わせる顔もない気持ちになるが、自分程度の身体能力では晴明達に軽くあしらわれたに違いない。

だから、あの後身体中が痛かったのだろう。

自分が本当に情けなくなると同時に、何故そんな大事な事をロトとリネットは言ってくれなかったのか。

緋眼はちょっとした抗議を込めて二体を見る。


「箝口令、箝口令」


それに気付いた二体は羽をパタパタさせる。


「己を守る術を身に付けていなければお前だけではない。周りの者にも危害が加わる」

「もうしわけ…ございませんでした…」

(特に、こいつの場合はかなり厄介だ。普段は意識的か無意識か、加減をしているのかそんな素振りは全く見せん。だが、こいつの意識が無くなったあの時の力は紛れも無くこいつ自身のもの。扱いを間違えれば身の破滅だけではない。それ程までに危険なものだ)


董禾は俯く緋眼を見遣る。


「お前にやる気が残っているのならば、これから特別に少しだけ修行を付けてやろう」

「!」

「無理強いはせん」

「是非ともお願い致します!」


突然の申し入れながら、緋眼は先程までの沈んだ気持ちとは打って変わって嬉しくなり頭を下げる。

そして、そのまま牛車が向かったのは東寺だった。

西寺と対をなす立派な五重塔が聳え立つその下で、篷蝉が箒を持って掃いていた。


「これはこれは董禾殿に緋眼姫。董禾殿のご依頼には別の者を向かわせました」

「ありがとうございます。助かります」

(依頼ってさっきの人の事かな)


二人のやり取りに、先程董禾が来ると言っていた僧侶の事だと考える。


「続けてのお願いで申し訳ないのですが、部屋を一つお借りできませんか?」

「そんな事でしたらいくらでも。堂内の西の間が空いておりますので、ご自由にお使いください」

「ありがとうございます。ではお借りします」


董禾は篷蝉に会釈すると、そのまま建物の一つへ歩いて行く。

緋眼も同じ様に篷蝉に会釈すると、急いで彼の後を付いて行った。


「座れ。座禅を組む」

「はい」


一つの広い部屋に入るなり董禾が言い放つ。

緋眼が適当に座蒲の上に正座すると、董禾は警策を持ってきた。

緋眼の座る姿を見て彼が一つ息を吐く。


「全く…。座禅を組んだ事はないのか?」

「済みません…。初めてで…」

「座り方はそうではない」


董禾は一度手本として座って見せる。

緋眼もそれを見て座禅を組み直した。


「手の組み方はこうだ。肩の力を」


そう言いかけて緋眼の肩に触れた董禾の言葉が途切れる。


「たち…と、董禾様?」


不思議に思った緋眼が呼び方を訂正しつつ声を掛けると、彼はハッとしてから続けた。


「いや…、お前は意外と華奢な体つきをしているのだと思ってな」

「そうですか?」

「妖達をぶん殴っているくらいだから、もっとゴツイものだと思っていた」

「ゴ…ゴツイ……」

(尤も、こいつの場合はただの莫迦力ではなかったか。恐らくは気功の応用。物理的な攻撃ではなく、体内から力を放ちそれを妖に当て攻撃していたのだろう。それならば、碓井殿の霊刀・石切丸の鞘にヒビを入れたのも納得がいく。それもこいつは無意識にやっている可能性が高いな)


ゴツイと言われショックを隠せない緋眼を見詰めながら董禾は思案する。


「ほら、肩の力を抜け。未だ入っている。頭の中心に軸を取り背筋を伸ばせ。そうだ」


緋眼が指示通り姿勢を正すと、董禾は改めて立ち上がり警策を握る。


「では始めるぞ。余計な事は考えずに自分の心と向き合え。少しでも乱れが生じたり居眠りをするようならば、私がこれで肩を叩く」

「宜しくお願い致します」


座禅はテレビでは見た事があるものの、実際に緋眼がやるのはこれが初めてだ。

少し緊張するものの、仮に警策で肩を叩かれても痛くないとテレビで言っていた。

兎に角瞑想して集中すれば良いのだと思い緋眼は目を閉じる。


「気が乱れている!」


パシッーー!


「いっ…!」


開始してそう経たない内に、堂内に軽快な音が響く。

それと同時に緋眼の右肩には激痛が走った。


(痛い!痛い?何で?)


警策は軽く肩を叩いて、警告や激励をするものだとテレビで説明されていた。

なのに董禾は明らかに思い切り叩いてきた。

それも事前の合図も何もなく。


「何をしている。警策を受けたら両手を合わせて礼をしろ」


董禾に指摘され緋眼は慌てて礼をする。

しかし、今ので精神は大分乱れが生じていた。


「かなり精神が乱れているな。今ので乱れる様ならお前はまだまだ未熟。早く整えろ」

「は、はい…」


緋眼は深呼吸して落ち着こうとする。

ところが、落ち着いてからも直ぐに董禾の容赦ない警策が炸裂した。


「乱れている!」

「はいっ!」

「何を考えている!」

「済みません!」

「邪念だらけだな!」

「そんなっ!」


何発か分からない回数の警策を受ける。

終わる頃には痛みで肩の感覚が無くなっていた。


「この程度も出来ないとは話しにならんな」

「ふみ…ふみまへん…」

「ふみ?ちゃんと人の言葉を話せ」

「はひ…」


座禅がと言うよりは、董禾の警策によって疲弊した緋眼は、覚束無い足取りで外に出る彼の後を追う。


「ありがとうございました」

「いえいえ。また、いつでもいらしてください」


篷蝉への挨拶を済ませると、董禾と緋眼は待機させていた牛車へと戻る。


「精神統一も出来ぬ様ならば術の修得など夢のまた夢だ」

「申し訳ございません…」

「これから毎日座禅を組め。修行を付けてやるのはそれからだ」

「かしこまりました…」


そのまま晴明の屋敷へと戻ると緋眼は夕餉の準備をし、いつもの様に三人で夕餉を取った。

そして昨晩は自分の失態とは言え晴明の屋敷に泊まったので、一日振りとなる頼光の屋敷に帰宅する。


「只今戻りました」


先に足を洗ってから屋敷に上がる。

すると廊下で弥彦に出会した。


「お帰りなさいませ、緋眼殿」

「只今戻りました。あの、弥彦様」

「はい」

「ご報告が遅れる形になってしまったのですが、昨日無事試験に合格出来まして、今日から董禾様の付き人をさせていただける様になりました。これも弥彦様のお陰です。本当にありがとうございます」


弥彦が激励してくれなかったら、きっとここまで頑張れなかっただろう。

合格を貰えた事をいの一番に弥彦に告げてお礼を伝えようと思っていた緋眼は、ちょうど出会えた彼に頭を下げる。


「おめでとうございます。でも、僕は何もしていませんよ。緋眼殿の頑張りが実っただけです」

「そんな事はありません!弥彦様に激励してもらえなかったら…、お話を聞いてくださったり差し入れをしてくださらなかったら、ここまで頑張れませんでした。弥彦様の優しさとお気遣いに、とても救われました」

「ありがとうございます。そう仰っていただけると、僕も貴女を応援した甲斐があります。今日はどうでしたか?」


弥彦は穏やかに微笑むと今日の事を訊ねる。


「はい…。董禾様は凄いお方でした。私は始終圧倒されっぱなしで…」

「董禾殿は晴明殿の弟子ですが、今やその晴明殿の横に並べる実力を持った方です。厳しい部分は確かにありますが、それは陰陽師をやっていく上では大切な部分でもあります」

「はい。今日一緒に過ごしてみて、ただ厳しいだけではないのだと何となくですが思いました」

「董禾殿の指南を仰げば、緋眼殿もきっと立派な術師になれます。ここまでやってきた貴女ならば大丈夫です。どうか、心を強く持ってくださいね」

「弥彦様…」


尚も激励してくれる弥彦に緋眼は胸が熱くなる。


「はい!これからも頑張って一日でも早く立派な術師になってみせます!」

「ええ。僕はいつでも貴女を応援していますから」

「本当にありがとうございます!それでは、明日の準備もあるので失礼しますね」

「はい。お休みなさい、緋眼殿」

「お休みなさいませ、弥彦様」


緋眼は一礼してから自分の部屋に戻る。

弥彦も緋眼を見送ると、その足で彩耶香の部屋に向かった。


「緋眼、戻ってきたの?」

「はい。今日一日董禾殿の付き人をされていた様で、もうお休みになるそうですが」

「そっかー。昨日は帰ってこなかったし色々話したかったけど、疲れてるもんね」

「またお暇な時にでもお話しされては」

「うん…。でも緋眼、修行を始めてから忙しそうだから…」


修行を始めてからの緋眼は早朝には出掛け、夕方に夕餉を済ませて帰ってくる。

ロトの一体が彩耶香の傍に付いてくれているとは言え、それまでいつでも話が出来た唯一心許せる相手である緋眼が居ない事に、彩耶香は日々寂しさを感じていた。


「修行は半端な気持ちでは出来ませんからね。落ち着くのはもう暫く先になるのではないかと思います」

「………」


あの日、緋眼が怨霊に取り憑かれてボロボロになって帰ってきた翌日、尚も彼女を利用しようとする晴明や頼光に食って掛かろうとしたがロトに止められた。

そしてロトは彩耶香に言うのだ。

この世界に来て緋眼には、とてつもない力がある事が分かったと。

このままではその力によって緋眼の身が危険であると。

だから、晴明達が緋眼が力を制御出来るように修行を付けるのだと。

ロト達の言う緋眼の力について彩耶香にはさっぱり分からない。

当然そんな訳の分からない事は反対した。

しかし、ロトは言うのだ。

緋眼は自分にとって大切な人だと。

何に替えても守り抜くのだと。

だから、このまま力に飲まれてしまうのは見過ごせない。

今、彩耶香には分からなくても、修行する緋眼を後押しして欲しいと。


訳が分からない。

早くこんな所から帰りたい。

ただそれだけなのに、どうしてこんなにもそれが叶わないのだろう。

悪夢ならば早く醒めて欲しい。

例え五年後、十年後でも良い。

一日も早くかんくんの顔が見たい。

変な夢を見たのだとその胸に抱き付いて愚痴りたい。


すると、あの日の緋眼は言うのだ。

曇りのない真っ直ぐな瞳で。

元の世界に戻れる方法を探すと。

絶対に元の世界に帰ろうと。

化け物に襲われたあの時、手を差し伸べてくれた時と変わらぬ瞳で。

それを見た彩耶香は、何故だか泣きたくなった。

それが悲しいからなのか、嬉しいからなのか、自分でも分からない。

ただただ泣きたくて仕方がなかった。


彩耶香は一つ息をこぼす。


「姫も、そろそろお休みになられてはいかがでしょう」

「そうね。もう寝るわね」


弥彦に言われ、彩耶香は眠る準備をする。

それを確認した弥彦は一礼してから部屋を出た。


見慣れつつある電灯のない部屋。

高灯台と呼ばれる火を灯す器具には、火がゆらゆらと揺らめいている。

暫くその火を見詰めていたが、また一つ息をこぼすとロトに火を消してもらい、彩耶香は褥に横になった。

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