第5話 力の片鱗
朝、御簾の隙間から射し込む光で目が覚める。
聞こえてくる雀の鳴き声も目覚まし代わりの様なものだ。
身支度を整えてから井戸で水を汲み顔を洗う。
スッキリした顔に笑みを乗せて緋眼はロト達と共に
雑舎は厨等の炊事関係のものや、雑具置き場であったりトイレやお風呂も設備されている所だ。
何より下働きをしている雑仕等の使用人達の屯場となっている。
緋眼は屋敷の清掃等の雑用をする為にそこに向かったのだ。
綱には姫にそんな事をさせるわけにはいかないと猛反対されたが、体を動かした方が気も紛れるし健康にも良いからと頼光に懇願すると、頼光は渋々と言った様子で許可をしてくれた。
着物も動きやすい水干を貸してくれた。
緋眼は雑仕達に挨拶をすると、指示された場所に行き庭の手入れを始めた。
朝餉を終えて片付けをしようと立ち上がったところで頼光に呼び止められる。
どうやらこの後晴明が来るそうなので、此処で待っていてほしいそうだ。
彩耶香と話していると、そう経たない内に晴明と董禾がやって来た。
「ご気分はいかがでしょうか?」
着席した晴明は、緋眼と彩耶香を見て告げた。
「はい、今は」
「いつ戻れるのかしら?」
それに答えようとした緋眼を遮って、彩耶香は凛とした態度で返した。
「姫達としては、それが一番の気掛かりかと思います。今、篷蝉殿が様々な文献を調べてくださっています。私達も過去にこの様な出来事が無かったかを含めて調べております。ですが、まだ姫達が故郷へ戻る方法を申し訳ありませんが見付けられておりません。ご不満も沢山おありでしょうが、今はどうか堪えていただくほかありません」
「そもそも勝手に巻き込んでおいて堪えろだなんて滅茶苦茶じゃない。そんなよく分からない非現実的な事に協力なんて出来っこないわ。私も緋眼も普通の女の子なの。化け物退治は貴方達が他所で勝手にやってよね」
「でも緋眼はさ、山ぐ」
公時が口を開いたが、彩耶香に睨まれてその口を閉じた。
「姫達に妖を退治していただきたいのではありません。初めにお話ししたように、この世界に訪れる最悪の厄災を回避する為に力を貸していただきたいのです」
「その厄災って何よ?」
「それは…現段階では私達も何が起こるのかは分かりかねています」
「話しにならないわ。何も分からないのにどうしろって言うの?自然災害なら私達がどうにか出来るわけないじゃない。むしろ災害に備えて被害を最小限に抑える方法を取った方が現実的じゃないの?」
「自然災害以上に恐ろしいもの…それだけは言える事です」
晴明は神妙な面持ちで告げた。
「何それ?だったら尚の事よ。私達に出来る事はないわ」
言い切る彩耶香にその場が静まり返った。
「晴明様」
「ええ。姫達にどの様なお力があるのかはまだ分かりません。ですが、今朝の占術で少し動きが見られたのです」
「何か変化が?」
晴明の言葉に頼光が問う。
「ここ数日、清水寺周辺で怨霊が出る被害が報告されています。今宵、陰陽寮からの指令もあり調伏に参ります。そこへ、姫達にも同席願いたいのです」
「え?」
「何それ。さっき、私達は化け物退治しないって言ったじゃない」
彩耶香は睨みながら晴明を見やった。
「無論、姫達に怨霊を調伏していただくわけではありませんよ。そこへ同席していただく事によって、今後の事が見える可能性がある。そう、占術で出たのです」
「今後の事…」
「な、何が見えるのか知らないけど怨霊なんて…外に行くなんて嫌よ」
今まで強気だった彩耶香の声色が変わった事に彼女の方へ目を向けると、彼女は両手を握って震えていた。
山蜘蛛や獣の妖の事を思い出したのかもしれない。
「彩耶香ちゃん…」
「我々も出向き、姫達の事は命に替えても守り抜く。怖い思いは拭えぬだろうが、安心してほしい」
「信じてはいただけないでしょうが、私と董禾は都ではそこそこの術師なのです。姫達に危険が及ぶような事にはいたしませんよ」
「晴明さんと董禾くんは、そこそこどころじゃないでしょう」
「嫌よ…」
俯いたまま呟く彩耶香に、緋眼は一度深呼吸をしてから前を見た。
「私一人では意味はありませんか?」
「緋眼?」
緋眼の言葉に全員の視線が集まる。
「私だけが行っても、何も変わらないでしょうか?」
そもそも自分は姫ではないのだ。
そんな自分が行っても何も変わらないかもしれない。
「彩耶香姫が無理そうでしたら、貴女だけでも来てくだされば助かります」
「緋眼!危ないわよ…。外はあんなだし…化け物だっていっぱいいるんだから」
彩耶香は震える手で緋眼の手を取った。
緋眼もそんな彩耶香の手を握り返す。
「皆様がいてくださいますし、ロト達もいます。私は姫じゃないから何も進展はないかもしれないけれど、もしかしたら戻れる方法に繋がるものが見付かるかもしれませんし」
「緋眼…」
緋眼の言葉を聞いて、彩耶香はまだ何か言いたそうにしていたが、手を握ったまま視線を落とした。
「出来ましたら彩耶香姫にも来ていただきたいのですが、無理強いはしません。では、緋眼。貴女の事は必ずお守りしますので来ていただけますね」
「はい」
緋眼は晴明を見つめ返して、しっかりと頷いた。
その日、日の暮れる頃に清水寺に着くように馬を走らせた。
屋敷に残った彩耶香には、分身体のロトと弥彦が傍に付いている。
清水寺が遠目に見えるところまで来ると、皆馬を止めて降りた。
「緋眼ちゃん、危ないから僕達の傍から離れないでね」
「はい」
季武の馬に乗せてもらった緋眼は、返事をしながら彼の手を借りて馬から降りた。
一応念の為に警棒を腰に挿しておいた。
日も暮れてきて薄暗くなってきたからだろうか。
何とも言えない寒気に、緋眼はロトを胸に抱き締めた。
足元にはリネットもいてくれている。
「霊が集うには絶好の環境ですねえ」
「ええ、空気が淀んでおりますね」
晴明と董禾は辺りを見回しながらこぼした。
「頼光殿達は緋眼の傍から離れないでください。私と董禾は少し先を見てきます」
「承知しました」
晴明達が数歩進んだ時だ。
ーーウラメシイーー
「!」
ーーナゼ、アンナオンナヲエランダノ…?ナゼ、ワタシヲオトシメタノ…?ーー
突如、心臓が止まりそうな程の悪寒が緋眼を襲った。
「しまった!」
「そちらでしたか!」
董禾と晴明がハッとして振り返る。
頼光達も晴明達の視線を追って振り返った。
その先にいた緋眼からは、禍々しい気が発せられていた。
「緋眼から離れてください!」
晴明が叫んだのも束の間、緋眼は周囲にいた季武と公時を蹴り飛ばした。
蹴られた季武と公時は、いつぞやの山蜘蛛の様に吹っ飛んでいった。
「くっ…!」
呪符を取ろうとした晴明にすかさず緋眼は腰の警棒を投げ付ける。
警棒は晴明の手と呪符に当たり、警棒が突き刺さった呪符は青い炎をあげて燃えてしまった。
「一体、緋眼に…」
「頼光様!」
頼光に殴りかかろうとした緋眼との間に貞光が入り、鞘で拳を受け止めるが鞘にはヒビが入った。
「ちっ…!早いっ!」
董禾が呪符で
そして、その足で綱を吹っ飛ばすと同時に太刀を奪うと、取り押さえようとする頼光と貞光を霊気で吹き飛ばしてから董禾との距離を一気に詰めた。
「なっ…」
董禾が印を組み終えるより先に、太刀が薙ぎ払われた。
「緋眼カラ出テイケ」
太刀を生成したドリルで受け止めたロトは、緋眼ーー
彼女に取り憑いたモノに言い放つ。
しかし、取り憑いたモノはロトを太刀で弾き飛ばすと、再度董禾に太刀を振り下ろした。
「董禾!」
太刀は天を仰いだまま振り下ろされる事はなかった。
晴明が印を組み、緋眼の動きを封じたからだ。
その隙に董禾は呪文を唱えながら印を組み直し、その術を緋眼にぶつける。
術を当てられた緋眼は大きく吹き飛び、そのまま倒れた。
「オオォアアアアアァァァ…」
そこで初めて禍々しい気を撒き散らしながら、緋眼に取り憑いていたモノが姿を現した。
長い髪の女にも見えるそれは、しかし半分以上が異形のものの姿をしていた。
「ギャアアアアァァァァ!」
すかさず董禾は呪文を唱え印を組む。
異形の女の姿をした怨霊は、暫く叫びをあげるとそのまま消えていった。
「何とか調伏出来たようですね。それにしても…」
ホッと一息吐いた晴明だが、直ぐに倒れている緋眼へと目を向ける。
ロトとリネットに寄り添われている彼女は、董禾の術をまともに受けてボロボロだった。
「もっと加減出来なかったのですか、董禾」
「ここまで痛め付けなければ、アレは体を捨てなかったでしょう」
着物を正しながら悪びれる様子のない董禾の姿に、晴明は苦笑を浮かべた。
「緋眼は大丈夫なのか?」
蹴り飛ばされた季武達が無事なのを確認しながら、頼光が緋眼を見て告げる。
その頼光達も攻撃を受けて、多少なりとも怪我を負ったようだ。
「怪我はしておりますが、気を失っているだけのようですね」
晴明は緋眼に近付いてから、彼女の状態を確認した。
「にしても、怨霊の癖にやりやがったなぁ」
油断もあったとは言え反撃できずに蹴り飛ばされた事に、公時は悔しそうにボヤく。
「取り憑く相手を見る目だけはあったようですね。ですがあれは怨霊の力ではなく、緋眼が持っている力のようです」
「緋眼の力?あれは緋眼の力によるものだと言うのですか?」
晴明の言葉に頼光達は驚きを隠せない様子だ。
「今までも緋眼はこの様な力を?」
晴明は傍にいるロトに問い掛けた。
「ソレハナイデス。緋眼、タダノ女ノ子。寂シガリ屋ノ女ノ子」
「緋眼ちゃん達の故郷では、妖はいないんですよね?なら、こう言う力を発揮する機会がなかっただけなのでは?」
「本人は把握していたのでしょうか?回りが気付かずとも、本人は自覚していたのではないですか?」
「緋眼ソンナ素振リナイ。緋眼モ知ラナイ」
ロトは季武と貞光の疑問に返す。
「では、この緋眼の力こそが、厄災に対抗し得る力なのでしょうか?」
「まだ断定は出来ませんが、占術に導かれた結果もあります。彼女の力が何も関係がないとは言い切れませんね。ですが…」
晴明はそっと緋眼の額に手を当てる。
「緋眼のこの身には、まだ計り知れない力が宿っているようです。力を扱うには相応の技量と制御する為の力も必要です。今の緋眼にはそれらがありません。このままではこの力に飲まれ、緋眼自身をも滅ぼすでしょう」
「そんなやべえのかよ!?」
「何とか出来ないのですか?」
公時と貞光の言葉に、晴明は一息間を置いてから口を開いた。
「これは賭けになりますが、緋眼に制御する為の力を身に付ける修行をさせてみる方法があります。それで、彼女が力を自分の意思で制御出来るようになった時、私達にとって心強い味方になるやもしれません」
「うむ、このまま放っておく訳にもいきませんからね。可能性があるのでしたらやってみましょう」
「では、私がその為の準備をしますね。緋眼が自分の力についてまだ認識していないのであれば、今日此処での彼女の事は当面の間本人に伝えないでください。動揺させてしまい、それが力の暴走に繋がってしまう虞もあるので」
晴明がロトとリネットを見やると、二体は肯定の意味で羽をパタパタさせた。
「緋眼!?」
屋敷へと戻ると、彩耶香が玄関前まで出迎えてくれた。
しかし、まだ意識が戻らずに公時が抱えていた緋眼を見て、血相を変えて近付いてきた。
「どういう事よ!?危険はないんじゃなかったの!?」
「彩耶香チャン。緋眼、気ヲ失ッテルダケ」
「ボロボロじゃないの!」
「申し訳ありません。私の判断が甘く、緋眼を危険な目に遭わせてしまいました」
「嘘つき!嘘つき!嘘つき!弥彦!」
彩耶香は涙目で後ろに控えている弥彦に緋眼を運ぶように指示する。
「緋眼は怨霊に取り憑かれました。それを払う処置をしただけです。命に別状はありません」
董禾は冷静に、淡々と彩耶香に告げた。
しかし、それを聞いた彩耶香は眉を吊り上げた。
「何よそれ!?怨霊に取り憑かれたってあんた達のせいでしょ!あんた達が緋眼を守れなかったからじゃないの!なのに緋眼をこんな風にして…」
彩耶香は涙を堪えながら緋眼の頬に触れた。
「取り憑かれた非は我々にあります。大切な姫を傷付ける結果にはなりましたが、最善の処置はしました」
「あんた達の事なんかもう信用しないわ!弥彦!」
弥彦は公時から緋眼を受けとると、彩耶香に引っ張られながら緋眼の部屋の方へ向かっていった。
「董禾、もう少し姫の気持ちを汲んであげなさい」
「私は事実を言ったまでです」
態度を変えない董禾に、晴明は溜め息を吐いた。
「しかし、このまま姫の協力を得られなくなっては困るな」
「緋眼が目を覚ましてから、また改めて話をしましょう」
彩耶香達の後ろ姿を見ながら、頼光と綱が参った様に顔をひそめた。
「そうですね。私達も明日また改めて伺います。弥彦殿には折を見て今回の事を話しておいてください」
「承知しました」
挨拶をし帰っていく晴明と董禾を見送ってから、頼光達も着替え等を済ませる為に部屋へと向かった。
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