第2話 滑落の先に(後編)

暫く馬の背に揺られウトウトしそうになったところで、ロトに前を見るように耳打ちされる。

馬の進む先には、二つの塔と広い範囲で密集する建物が見えてきた。


「このまま頼光殿の屋敷でよろしいでしょうか?」

「ええ、こちらは構いません」

「では、参りましょう。いいですね、董禾とうか

「は」


先頭では頼光と晴明が何かを話していたが、二人とは離れており、尚且つ馬の蹄が響く中では緋眼には聞き取れるものではなかった。


「資料トノ類似点カラ、ココハ平安京ト推測スル」

「これが平安京?」


確かに教科書やテレビで紹介されたように、盤上のように道で建物が区切られている。

緋眼の時代の京都も昔の名残を残して都市開発がされているが、この平安京は現代と違いゴチャゴチャしていない分、建物が綺麗に整列して建てられていた。

此処が何処かという疑問や不安よりも、未知の土地に来たという好奇心が勝った緋眼は、観光気分で馬が止まるまでの時間を過ごした。


平安京の中を暫く進んだ後、一つの建物の前で皆の馬が止まった。


「お手をどうぞ」


先に馬から降りた弥彦が、緋眼に手を差しのべる。


「ありがとう…ございます」


馬に乗るのも初めてだった緋眼は、漫画でよくあるような対応にドギマギしながらも彼の手を取って馬から降りた。


「急な事もあるが、姫君は一人と思い込んでいたから、着替えは一人分しか用意していなかったな。急いでもう一人分用意させよう」

「そうですね。至急手配します」

「あっ!私の事はどうかお構い無く。何度も申し上げますが、姫ではありませんので」


頼光と綱の会話に、自分も姫に含まれていると慌てた緋眼は、急いで頼光達に近付いた。

綱に抱えられたままの女性は、もう暴れこそしていないものの啜り泣いている。


「一先ずは、貴女も私達の話を聞いてはいただけませんか?」


緋眼の様子を見た晴明は、とても落ち着きのある様子で声を掛けてきた。


「貴女にとっても此処は未知の土地でしょう。行く宛があるとも思えません。貴女が私達の求める姫であるかどうかは置いておいて、一先ず話を聞いていただけませんか?決して悪いようにはしません」

「ソノ人ノ言ウ通リ。今ノママ行動スルノハ無謀、無謀」

「わかり…ました。話を聞くだけでしたら…」


緋眼としても、このままどうしたら良いのか判断がついているわけではない。

ロトの言葉もあり、頼光達に付いて屋敷の中へ入っていった。


屋敷へ入ると、先ずは足を洗ってから中へ通される。

そのまま案内された部屋には、数人の女房達が待機していた。

その部屋の奥には、とても煌びやかな着物が掛けられているのが見えた。


「わあ…」

「俗ニ女房装束、十二単ト呼バレテイル着物ダナ」

「頼光様」


廊下からは、また別の着物を携えた女房達が声を掛けてきた。


「只今ご用意出来るのはこれのみでございます」

「ふむ。一先ずこれに着替えてもらおうか」


広げられたその着物も、十二単とそう変わらないように緋眼には見えた。


「あ、あの…、私もっと簡素な着物で十分ですよ」


とてもではないが、自分が着るには相応しくない程綺麗な着物に縮こまる思いだ。


「これが女性のもので一番簡素だと思うが」


綱は何を言い出すのかと言いたげに、後から持ってきた着物ーー細長に目配せをした。


「え…」

「そなたらの着物は我等の着物とは違うようだが、今日はこれで我慢してくれぬだろうか」

「あっ、その、不満があるとかではないんです!」


困ったように眉尻を下げた頼光に、慌てて緋眼は付け加える。


「そうか。では、我々も着替えを済ませてくる。この者達の着替えが終わり次第、広間に案内せよ」


頼光は女房達にそう告げてから、綱と共に奥の間へと向かっていった。


「そなたも此方へ」


逃げ出したい思いが表れているのか、廊下側にいる緋眼に女房が声を掛けてきた。

共に連れられてきた女性はまだ啜り泣いているものの、先程よりは落ち着いたようにも見える。

女性は抵抗する様子もなく女房達に着替えさせられているので、緋眼も諦めて用意された細長に着替えさせてもらうことにした。


二人の着替えが終わると、女房達によって広間に連れていかれた。


「頼光様、お連れ致しました」

「ああ、入れ」


頼光の返事と共に、女房によって御簾が上げられる。

広間では先に着替え終えていた男性陣が寛いだ様子で談笑していた。

女房の案内によって女性と緋眼は、頼光と晴明と向き合う形で座らせられる。


「やはり見紛う事なき姫君であるようだ。そのお召し物もよくお似合いです」

「ええ、本当によく似合っていますねえ」


頼光達が声を掛けるが、女性は俯いたままだ。


「では、先ず我々の事を話そう。そちらの女子には一度話したが、私は源朝臣頼光。武士団を率いてこの京の都を守る職に就いている。そして、そこに座る者達が」

「俺は渡辺綱わたなべのつな。頼光様にお遣えしている武士の一人だ」


頼光に近い位置に座っている、茶色の短髪の男性が名乗りを上げた。


「僕は卜部季武うらべのすえたけだよ。綱くんと同じく頼光様にお遣えしてます」


卜部と名乗った男は、薄い色素のフワフワとした癖毛の見た目も相俟って優男の印象を受ける。


「私は碓井貞光うすいさだみつです」

「俺は坂田公時さかたきんとき!力業なら誰にも負けないぜ!」


クールそうな貞光とは対照的に、暑苦しい程元気な公時は、あの童謡金太郎が大人になった姿だ。

しかし、一説には坂田公時は実在せず、下毛野公時しもつけののきんときという若くして亡くなった官人がモデルとされる。


「そして、私は安倍晴明あべのせいめいと申します。陰陽寮おんようのつかさ天文博士てんもんはかせを務めております。この度、占術で貴女方がこの京の地に来る事を知り、頼光殿に保護をお願いした者です」


晴明と呼ばれていた術師風の男は、やはりあの安倍晴明だった。

頼光といい、晴明といい、有名人ではあるのだが、状況も相俟って悲しい程全く現実味を帯びない。


「そこに控えているのは、私の弟子でもあり陰陽師の橘董禾たちばなとうかです」


もう一人の術師風の男は、晴明に紹介されるなり軽く一礼した。

緋眼は綺麗に切り揃えられたオカッパがこんなにも似合う人を実際に見るのは初めてだった。


「私は蓬蝉ほうぜんと申します。見ての通り、僧侶をやっております。董禾殿の隣におりますのが、私の弟子に当たる弥彦やひこと申します」


続けて誰がどう見てもお坊さんの蓬蝉、弥彦も紹介を受けて一礼した。

裹頭かとうを取った弥彦は剃毛しておらず、短髪ながらサラサラと綺麗な黒髪をしていた。


「そなたらの名も伺って良いだろうか」


訊ねる頼光に、緋眼はチラリと隣に座る女性を見た。

女性は相変わらず俯いたまま反応が見られないので、緋眼は先に名乗る事にした。


「私は十六夜緋眼いざよいひがんです」

「緋眼、か。そちらの姫の名は?」


頼光は女性の様子を窺いながら再度訊ねた。


「此処は…何処ですか…?私をどうするつもり…ですか?お金が目当てですか…?」


漸く言葉が返ってきた女性のそれらは質問の嵐だった。


「此処は京の地です。そして、私達は貴女に危害を加える為に連れてきた訳ではありませんよ」

「ウソっ!あの化け物は何!?そんな格好して、こんな所へ連れてきて!カフェにいた筈なのに、何のトリックを使ったの!?元の場所に帰してよ!」


女性は捲し立てるなり再び泣き出した。


「いきなり見知らぬ土地に来たのだ。信じられぬのも無理はないと思うが…」

「緋眼と言いましたね。貴女は随分と落ち着いているようですね」

「それは…私も訳が分かりませんし、困惑してますけれど…」


話を振られた緋眼は苦笑いを浮かべるしかなかった。


「山蜘蛛に立ち向かってく度胸があんだもんな。でもな、あれは自殺行為だぜ。鍛えてる俺達だって、油断すれば危険な相手だ」

「山蜘蛛…」


公時の言葉を復唱する。

あのデカイ化け物は山蜘蛛と言うのか。

そして、そんなモノが存在する場所なのだ。


「今ノ暦ヲ伺ッテモイイデスカ?」

「暦?康保こうほう二年だが」

「西暦換算デ965年クライ。平安時代ダナ」

「平安時代!?」


思わず声を上げてしまった緋眼は、慌てて口を押さえる。

屋敷に来る前に、ここは平安京だとロトから聞いたとは言え、信じ難い事実にはやはり頭は追い付かない。


「すみません…」

「ほう、貴女方の世界では平安時代と言うのですか」

「デモ、ソノママノ過去トハ限ラナイ」

「え?どういう事?」


ロトの言葉に緋眼は首を傾げる。


「妖ハ確カニ伝承ニハ存在スルガ、実在ヲ示スモノハ一切存在シナイ。先程マデイタ世界トハ別ノ世界ニ来タト仮定シテモ、ソノママノ過去トイウヨリハ、平行世界ニ来タト考エルノガ妥当」

「その、へいこうせかいって言うのはどう言うものなのかな?」


季武が興味深そうに訊ねてきた。


「一ツノ仮説。今、コウシテ生キテイル世界トハ別ニ、全ク同ジ世界、似タヨウナ世界、過去ヤ未来ニ似タ世界、自分ガイナイ世界。ソウイッタ世界ニ、今自分ガ生キテイル世界トハ別ニ時ガ流レ、ソコデ同ジ様ニ生命ガ生キテイル。人間ガイルトハ限ラナイ。未発見ノ生キ物ガ台頭シテイルカモシレナイ。ソンナ世界ノ事ヲ平行世界ト呼ブ」

「………」


ロトの説明を聞いた面々ではあるが、今まで考えもしなかった内容なのだろう。

各々が難しい表情をしている。

緋眼だってドラマや小説、漫画等で異世界トリップだとか過去に飛ばされただとかの内容を目にしているから、そんな突拍子もない事を説明されてもある程度は理解できるし、時に憧れたりもする。

事前にどれだけの知識があるかないかでも、こういう時の心持ちも変わってくるのかもしれない。

とは言え、直面した時に受け入れられるかと言われれば、また話しは別だが。


「私達の預かり知らぬ世界がまだまだある、と言う事なのでしょうね」

「別の世界、と言うものがどの様なものなのか想像しがたい事ではある。しかし、晴明殿が占術で導き出し、現にそなたらが此処にいる。世界については不確かではあるものの、そなたらが来たという我等の住む世界とは別の世界なるものが存在する事は疑う余地はないな」


晴明と頼光は落ち着いた様子で述べた。


「単刀直入に申し上げます。直にこの世界は混沌の渦に飲まれます。ですが、その最悪の厄災を回避する為に、ある姫の力が必要。そうして占術の結果、本日あの老の坂にその姫が現れると出たのです」

「それが、この者達で間違いないのですか?」

「ええ、恐らくは」

「わ、私は違いますよ!姫ではありませんし、そんな特別な力なんて全くないですから…」


急に話が大きくなり、追い付いていない頭で何度目か分からない否定を示す。

この人達の探している姫というのは、ただのお姫様ではなく、よくフィクションであるような世界を救えるようなミラクルなお姫様ではないか。

普通の人間でしかない緋眼には全く無縁のものだ。


「あんた、山蜘蛛吹っ飛ばしてたじゃん」


横から公時が口を挟んできた。


「え…?」

「確かに、鍛えててもなかなかあんなに吹っ飛ばせる事は男でも珍しいかもね。呪術でも使わない限りは」

「緋眼、術ナンテ使エナイ。デモ、確カニアレハ、ロトモ予想外ダッタ」


皆、緋眼の蹴りで山蜘蛛が吹っ飛んだ事を言っていた。

あの時は緋眼もまさかあんなに吹っ飛んでしまうとは思っていなかったが、必死の事だったし構えや防御体勢がなっていなければ、然程気にするような事ではないと思うのだが。


「混沌とか厄災とかよく分からないですけれど…、そんな事に力になれるような特別なものは持ち合わせてないです…」

「姫君がどの様な力を持ち、はたまたどの様に力を貸してくださるのかまではまだ分かりません。ですが、来るべき厄災に対抗するのに必要なお方である事は間違いないのです」

「訳の分からない事ばかり言ってないで、元の場所に帰して!」


困り果てる緋眼の気持ちを代弁するように、女性が泣きながら叫んだ。


「ドッキリにしたってあんなの質が悪すぎるわ!誘拐じゃないってのならもう帰るから!貴女もこんなのに付き合ってないで帰ったら?」


女性は緋眼を見てから立ち上がった。


「どちらへ向かわれるのですか?」

「帰るって言ってるでしょ!これ以上変な事したら、パパに言い付けて訴えるから!」

「此処ガ何処ダカ分カッテマスカ?」


ロトを見て女性は一瞬固まったようだが、直ぐ様眉を吊り上げた。


「こんなセットがあるくらいだから映画村じゃないの?」

「スマホ、持ッテルナラ開イテミテ下サイ。圏外デス」


ロトに指摘され、着替えさせられたもののスマホはずっと手に持っていた女性はスマホの待受を見る。

確かに電波は圏外だった。

緋眼もハッとしたように、荷物を預けていたリネットを呼んでスマホを見るも、やはり圏外になっていた。


「なら、外に出てパパに連絡するから」

「外ニ行ッテモ、何処ニ行ッテモ圏外変ワラナイ」

「何なのよ!コイツ!」

「す…すみません…」


ロトに怒鳴った女性を見て、申し訳なく思った緋眼は思わず頭を下げた。


「緋眼、駅前デ貰ッタ ビラ、覚エテルカ」

「え?うん…」

「モウ一度見テミロ」


不思議に思いながら緋眼はロトの言う通り、駅前ーー京都駅に立ち寄った際に貰ったビラをリネットの荷物から取り出した。


「!」

「何?」


緋眼は、目の前の女性とビラを交互に見た。


九条くじょう彩耶香さやかさん…ですか?」

「なんだって言うのよ?」


不愉快そうに顔を歪めて、女性は緋眼からビラを奪った。


「こ…これ…」

「京都駅で配られていました…」


ビラには目の前の女性と同じ女性を写した写真と、九条彩耶香と言う名前、服装や身体的特徴が記載されていた。

行方不明者に関する情報を呼び掛けるビラだ。


「パパとママが探してるんだわ。行かなきゃ!」

「あ…待ってください!」


部屋を出ようとした彩耶香を、緋眼は思わず呼び止めた。


「何よ?」

「あの…その…、九条さんは五年前に行方不明になったとされています」

「は?」

「そこに記載されている行方が分からなくなったとされる日付は五年前のものです」

「あんたも何言ってんのよ!今日の日付でしょ!」

「私にとっては…五年前です…」


言いにくそうに緋眼は俯いた。


「結局あんたもグルなんじゃない!最低!」


彩耶香は唐衣や表着を脱ぎ捨てて出ていってしまった。


「………」

「どうしたものか」

「取り敢えず、気の済むまで放っておきましょう。あの様子では何を言っても受け入れてくれないでしょう」

「では、私が護衛に付きます」

「ああ、頼む」

「私も行きましょう」


綱と貞光が立ち上がると、彩耶香の後を追った。


「しかし、驚きましたね。貴女と彼女は五年も月日が違いましたか」

「……」


今別の世界にいる事もまだ信じられないが、同じ境遇の彩耶香は緋眼から見れば五年前に行方不明になっていた女性である事も更なる不安材料となった。

もしかしたら、このまま元の世界に戻れずに、自分の事も家族が五年・十年・それ以上と探し続ける事になるのではないか。

そう思うと、急に不安が押し寄せてきた。


グゥゥゥゥーーー


「!」


どこか夢心地でいたところに不安が現実へと引き戻したからだろうか。

その場に緋眼のお腹が鳴る音が響いた。


「何だ?腹の虫か?」

「オ昼マダ食ベテナカッタカラナ」

「そうであったか。我々も夕餉がこれからだ。急いで支度をさせよう」


赤くなって縮こまる緋眼を余所に、頼光は女房を呼んで指示を出した。


「晴明殿達も食べていってください」

「折角ですからねえ。お言葉に甘えましょう、董禾」

「解りました」

「蓬蝉殿と弥彦は、今宵お泊まりください。今から東寺へ戻るのは大変であろう」

「では、我々も甘えさせていただきます」


そうこうしている内に、広間には高杯たかつきに並べられた食事が次々と運ばれていった。

夕餉の準備が整って少しすると、彩耶香が疲弊しきった様子で戻ってきた。

少し離れて綱と貞光もいる。


「姫よ。夕餉の準備が整ったところだ。さあ、お座り下さい」


彩耶香は特に抵抗する事もなく、促されるまま緋眼の隣に座った。

散々歩き回って疲れ果てて抵抗する気力もないのかもしれない。


「…きっと大丈夫ですよ。元の世界にきっと帰れますから…。今はご飯を食べて、少しでも元気を出しましょう?」

「腹ガ減ッテハ戦ハ出来ヌ」


その言葉は緋眼自身にも向けた言葉だった。

そう自分を奮い立たせないと、不安に負けてしまいそうだった。


「出来る限り不自由はさせぬ。何かあれば、遠慮なく言ってほしい」

「じゃあ、早く元の場所に帰してよ」

「それは…」

「出来ないんじゃない。嘘つき!」

「元の場所に戻す術を私達は持ち合わせておりません。貴女方にどの様な力が働いてこの世界へ来る事になったのか、はたまたどの様にしたら元の世界に戻れるのかも、申し訳ないのですが存じ上げないのです」


晴明の言葉は、緋眼達が元の世界に戻れる保証がないと言うものだった。

流石にそれを聞いては、緋眼も血の気が引く思いだ。


「そうやって訳の分からない事言って誤魔化したって無駄なんだから!」


彩耶香はそう言うと立ち上がった。


「懲りずにまた外へ行くのですか?」

「明るくなるの待つのよ!」


彩耶香は十二単を引き摺りながら、着替えた部屋のある方へと行ってしまった。


「困った姫さんだな」

「無理もない。この状況を飲み込めと言う方が酷であろう」

「緋眼ちゃん、だったっけ?山蜘蛛に立ち向かうだけあって、やっぱ落ち着いているね」

「い…いえ…」

「緋眼モ動揺シテル」


此処に来た時の観光気分が嘘の様な言葉の数々に直面し、言葉さえ出てこない緋眼に代わってロトが話す。

これが夢ならばどんなに良いか。

寧ろ滑落して変な夢でも見ているのかもしれない。

そう思わないと不安に押し潰されそうだった。


「今宵は夕餉を取って、しっかりと休むと良い。状況が変わるわけではないが、そなたとて疲れているであろう」

「はい…」


緋眼は目の前に置かれた高杯を見て、一つ息をこぼした。

高杯に並べられた食材は、山盛りのご飯の他、干し魚や干し鮑に汁物等豊富だった。

しかし、味と言った味付けはされておらず、別の小皿に盛られた液体や粉のようなものが添えられ、皆それを付けたりして食べていた。

ロトによると、それらはひしおという味噌や醤油の元となったものや、煎汁いろりという干し魚を煮出して濃縮したもの、塩、酢、酒だという。

平安時代と同様、そういった調味料を各々付けて食べるのだそうだ。

食べ慣れない食事ではあるものの、不安な気持ちとは打って変わって、空腹もあったからか箸が止まる事はなかった。

否、現実逃避したくて食べる事に集中したのかもしれない。

折角の平安時代とよく似た食事を味わう余裕もなかったが、お腹が満たされると、不思議と気持ちも少し落ち着いたような気がした。


「ご馳走様でした。では、私達はここでお暇致しますね」

「ああ。今日は助かりました」

「いえいえ。保護をお願いしたのは私ですからね。また明日改めて伺います」


食事を終えた晴明と董禾は立ち上がると、会釈してから玄関に向かった。


「さて、そなたの部屋の準備も出来たようだ。案内しよう」

「ありがとうございます」


頼光に連れられ、一つの間に案内された。


「此処は元は荷物置きに使っていたので、少々手狭だと思うが…」

「いえ、十分過ぎる広さです」


畳六畳くらいの広さもあるその部屋は、人一人なら十分過ぎる広さだろう。


「そなたにとっては不本意であろうが、…戻れるか現段階では解らぬとは言え、故郷へ戻るまでの間は此処に住まう事になる。何か不便があれば遠慮せず女房へ伝えてくれ」

「ありがとうございます」

「では、しっかり休んでくれ」

「はい、お休みなさいませ」


頼光の背中を見送ってから、用意してもらった部屋に入った。

広間もそうであったが、部屋と言うものの壁で仕切られている訳ではなく、壁代や屏風、几帳等で一角を仕切っている形であった。

部屋には置き畳としとねが一つ置かれていた。


「寝具ト呼バレルモノハナイカラ、着テイル着物ヲ脱イデ、ソレヲ敷イテ寝ル。ブランケットハ持ッテルカラ、ソレヲ使ッテモ良イゾ」

「うん…」


食事もそうであったように、当然生活様式も違う。

元の世界に戻れる保証もない上、こんな見知らぬ世界で慣れない生活を送れるだろうか。

それ以上は考えないようにして、持っていたボディーシートで身体を拭いてから床に就くことにした。

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