第8話 結界、結果、決壊

『良いからいう通りにしろよォ!』


「嫌って言ったら嫌。乙こそ私の言う通りにして!」


 詠歌と乙の空気は最悪だった。言い合いが始まってからすでに丸一日が立っている。朝から喧嘩をし始め、もう夜十時を過ぎているというのに二人はまだ争っている。


 嘘をつかないという約束を取り交わしてからは軽い言い合いこそあったが、ここまで険悪な雰囲気にならなかったのだ。


 だというのに今、詠歌を口汚く罵倒する乙の声には一切の遠慮が無い。


『いい加減にしろよテメェ、腹ん中かき混ぜられてぇのか? 俺に逆らってんじゃねェよォ!』


「そ、そんな脅しには乗らないよ!」


 乙の剣幕に一瞬怯むが、ぐっと踏みとどまって詠歌は反論した。ここで従ってしまったら、本当に乙を殺さないといけなくなる。詠歌はそれが嫌だった。


「私の力は戻ったんでしょ? そんな勝手もうできないよね? やれるならやってみなさいよ!」


『ああ、ふざけてんなァ!? いいぜェ、やってやらァ! ハラワタぶちまけろやァ!』


 お腹を押さえて身を固くする。……だが、来ると思った痛みは来なかった。


『ちッ……、さかしくなりやがってェ……』


 詠歌の想像通りだった。身体に変化を加えようにも乙の力が及ばなくなっていたのだ。破軍巫女の霊的防御パッシブディフェンスがしっかり働いていた。


『――テメェふざけんなよ詠歌ァ! 俺はなァ忙しいんだよォ。いつまでもガキのお守りしてる場合じゃねェんだ。俺の目的はお前を破軍巫女に戻す事、その後のことは知ったことか! テメェは好きにしろやァ。俺は本体に戻るから、さっさと解放しろって言ってんだよォ!!』


「……お、乙こそふざけないで! いきなりやって来て、助けて理由も言わずに急に消えるわけ? 勝手が過ぎるよ!」


『知るかボケがァ! 元々敵だろうがァ』


「半年一緒に暮らして敵なわけ無いじゃない!」


『半年かかったのは、テメェがひでぇ生活してたからだァ! もっと早く終わらせるつもりだったわ、ばぁ――――っかァ!』


「馬鹿はそっちじゃん! 乙ってばほんと心ないよね! そういうとこ大嫌い!」


『大嫌いで結構だなァ! だからさっさと殺せって言ってんだよォ!!』


「ぜぇぇぇぇええええったい、嫌だ!」


 二人の主張はどこまでも平行線をたどる。


 乙はどこかに別の本体がいて、殺される事で詠歌の身体から出ていく事ができるという。目的を果たしたから解放しろというのだ。


 だが詠歌は拒否する。乙の勝手な言い分も気に入らなかったし、殺すなんて後味の悪い事は絶対に嫌だった。


「そもそも、なんで私の力を戻したかったのよ。理由も聞かずにさようならとか無理だし!」


『言うかクソボケがァあああ!! なんでも答えてもらえると思うなよォ!』


「ぐっ……、じゃあ何で急に出ていきたいのよ。乙のしなきゃいけない事って何」


『それも言わねぇ。テメェにゃ関係ねェからなァ!!』


「ぐぬぬぬ、じゃ、じゃあ――」


『あああ、うるせぇうるせぇ。時間がねぇんだよォ!』


 乙ってば、何を焦っているの? と詠歌は疑問に思った。

 剣幕もそうだが、乙の様子がいつもと違いすぎる。


『――ちッ、神贄かみにえとのえんが切れたせいで、太歳ダンジョンの成長が止まったァ。……陰陽寮の連中もう察知しやがったのか。まごまごしてたら、間に合わなくなっちまうぞ……』


 頭の中でぶつぶつとつぶやく乙の様子に詠歌はいよいよ異常を感じた。


 乙、心の言葉漏れてるよ!? そこまで焦ってるの????


 と言いたかったがぐっと我慢して語りかける。


「ねぇ、乙。なんだかわからないんだけど、事情があるんでしょ? 何かあるなら話してよ。私、『力』を取り戻したんだよ。なんでも手助けできるから」


『ウルセェ……、テメェはさっさと逃げりゃいいんだよォ』


「逃げるって何から?」


『ああ? そりゃあ――』


 そんな時だ。


 ドンッ!! と家全体を揺るがす音が響いた。


 その衝撃はかなりのものだ。ガラスが割れた。壁に亀裂が走った。音とともに明かりも消える。詠歌は続く衝撃にたまらず転んだ。


 転んだ後も、異常事態は続く。

 バリバリと破壊的な地鳴りのごとき音と振動が鳴り止まない。


 なに? 何が起きたの!? でもそれよりも身の安全! と詠歌は身体を丸めて床に伏せた。頭の上をいろんなものが吹き飛んでいく気配があった。


 何かが壊れる音、何かが割れる音。何かが転がる音――。


 突然の大破壊に、頭をかばって伏せるしかない。


 破壊は、たっぷり30秒は続き、そして急に静かになった。


 身体を起こすとパラパラと落ちるのはガラス片か、石つぶか。

 頭のうえの何かを払いつつ、簡易に全身を確認する。


「――怪我、怪我は、無い。けど、何があったのぉ……、トラックでも突っ込んだ? ここ山の中の一軒家なはずなのにぃ……」


 と、顔を上げる。


 月が見えた。


 家の中であったはずだ。


 裂けているのだ。壁が裂け、月明りが差し込んでいる。


 そこに。


 目の前だ。


 鬼火を灯す、髑髏どくろの落ちくぼんだ眼窩が。


「破軍、巫女ォォォ――――死、死死死死死ィ!!」


「――――ひぃ!」


 一瞬で背筋が凍った。全身が震える。そこ居たのはあまりにも巨大な髑髏だった。これに詠歌は見覚えがある。いつも家の周囲で身構えている妖の怨霊の集合体。家より大きなしゃれこうべ。


 妖どもの中でも最も古代から生きる怨念の塊「がしゃどくろ」だ。


『――クソ陰陽師どもめ。平安京みやこ級のイカレた結界だと思ってたら、直通の龍脈ライン引いてやがったのかよォ……。詠歌に流れが戻ったらそりゃ解除されるわなァ。お前を守ってた結界が消えちまったァ』


「あわ、あわわわ……、乙、乙どうしようぅぅぅ……妖、妖が入ってきてるぅぅう」


狼狽うろたえてんなよ詠歌ァ! こういう時こそテメェの力の使いどころだろうがァ!! やっちまえ詠歌ァ!!』


「え、ど、どうやって??? 私一般人だって……」


『ハァ? 腑抜ふぬけかテメェ! 力は取り戻しただろうがッ! 早くやれよ破軍巫女ォ!』


 乙の罵声が詠歌を打つ。

 衝撃で忘れかけていたがもう自分は戦えるのだと思いなおした。


「――た、助けて、白竜大典君はくりゅうたいてんくん!!」


 怒鳴る乙の声に急かされ、とっさに式を打つ。


 呼び出すのは、直轄ちょっかつ三式神さんしきじん参式さんしき。白く気高い法典を司り、神罰を与える巨大な竜を呼ぶ術式だ。


 この式で呼び出せるのは詠歌の使役する中で最も強く巨大な式神である。ゆえに打った式が詠歌の霊力を急激に吸い取る。


「うぐ、うぐぐぐぐ、コントロールが効かないィィぃ。やっぱり駄目かもぉぉ」


『ああ!? 踏ん張れや詠歌ァ! 力は戻ってる。ただのブランクだァ!』


 式が安定しない。白竜が生まれない。

 その隙に巨大な妖、がしゃどくろが迫る。髑髏が大口を開ける。半霊体であるはずのその中に広がるのは無窮むきゅうの闇だ。


(の、飲まれる――――!)


 それはあと一歩の差だった。それが無ければ妖の怨念は詠歌をかみ砕き、破軍巫女は永遠にこの世から消滅していただろう。だがそうはならなかった。


 髑髏が詠歌に迫ろうとしたその時。直下から白き竜が顕現したからだ。


 竜は長大な咆哮を響かせる。

 そして髑髏をにらみ、口を開ける。そこには魔を打ち滅ぼすまばゆい白光が集まっていた。


「う、撃っちゃって白竜――!!」


 白竜大典君から放たれた滅魔の咆哮ホーリーブレスは、詠歌を襲おうとしているしゃどくろを粉砕し、闇夜を白く染め上げたのだった。


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