第9話 乙と詠歌
「乙ぅ、どうしよぉぉぉおお……、これ、ヤバいやつだよぉ」
巨大竜の背に乗って詠歌は頭を抱えていた。
竜とは先ほど呼び出した式神である。大きな翼をはためかせ、悠々と空を飛ぶ。詠歌はその背にぺたんと座り眼下を見下ろしていた。
「ぜんぶ吹っ飛んじゃった……」
更地になっていた。
見える土地一帯がまるっとだ。
そこにあったはずは、詠歌の家である。陰陽師たちの結界が張り巡らされ、妖の侵入を拒んでいた家。だがもうどこにもない。一帯が大きく抉れ、くぼ地になっていた。
民家に被害はない。山の中にポツンとたたずむ一軒家だったからだ。その山も、もう山とは言えないが。
家にかけられていた結界が何かの原因で解かれた。そのせいで襲撃を受けた。それを復活した破軍巫女の力で退けた。
だが、使った式神が状況に合っていなかった。
明らかな過剰火力。人に対し戦艦の主砲をぶっ放すがごとき暴挙。
オーバーキルも甚だしい。その結果――。
「私の家ぇぇ……」
妖ごと周囲一帯をきれいさっぱり吹き飛ばしてしまったのだ。
『げはは! 笑えるじゃねぇかァ! 派手にやりやがったぜェ! こりゃいい。マジで笑える!! げははははァ!』
「笑いごとじゃないよぉ! 明日からどうするのぉ!」
家も、服も、食料も配信用のパソコンも何もかも消えた。
詠歌は着の身着のままで、生きるための生活必需品すべてをなくし、さらには今夜寝る場所も思いつかない。
「絶対オババたちに怒られるよぉ。あの人たち怖いんだよぉ……」
力を取り戻して、せっかく退魔陰陽師に復帰できそうだったのにぃ……と詠歌は嘆いた。こんなことをやらかしたら、また奴隷のようにこき使われるかもしれない。どうしよぉぉぉ、と焦っていた。
『――馬鹿かテメェ。いまさらあいつ等を頼るつもりか? そもそも力を奪ったのは、陰陽寮のクソどもだぞ』
「はえ?」
『隠してたがもういいわ。テメェの力、
詠歌は何を言われたのかさっぱりわからなかった。
頭が状況に追いつかない。
『だーかーら、な。詠歌ァ、お前騙されてんだよ。破軍巫女の力は
「……別のとこって、どういうこと?」
『ダンジョンだよ。テメェも行きたいってほざいてただろ』
最近はやりのダンジョン。配信が流行している地下迷宮。魔物と貴重な鉱物が眠る人類のフロンティアと呼ばれる場所だ。そこが、自分と何の関係が?
「ど、どういう事……?」
『力の横流しだよォ』
と乙は言った。
『陰陽寮の連中はよォ、お前が妖を全部ぶっ殺したから困ってたんだよォ』
妖とは、人の負の感情から生まれるものである。ゆえに、基本的に、人が存在する限り、その存在が消えることはない。だが一度滅された存在が復活するにはそれなりに時間を要する。
妖は大昔からいた。退魔陰陽師と妖の戦いは数千年にも及んでいる。
滅し殺され、数を減らし、あるいは増やし。
陰陽師と妖はいつ果てることない戦いを演じていた。
だがその均衡を崩すものが現れた。破軍巫女である詠歌だ。
『敵ってのは居なきゃ居ないで困るんだよォ。特に陰陽師どもみたいな特化した集団にはな。国からの援助でも打ち切られそうになったのかもなァ!? ――でだな。奴らは考えたんだ。妖は必要だ。だが絶滅されると困る。一掃された今、新たに生まれる妖どもを自分たちで管理できないか? となぁ。結果それは成功した。ダンジョンという場を介することで、ヤツラは妖を別なものに変えたんだァ』
それがダンジョン魔物と呼ばれてるやつらだ――。と乙は言う。
最近はやりのダンジョン配信。その醍醐味はダンジョン魔物と呼ばれる怪物たちと戦う事だ。詠歌が何度か見たそれも、オークやゴブリンと言ったモンスターを相手にしていた。あれは何なのだろうとは思っていたのだが……。
「え、えー、あれって妖なの? でもそれって……」
『ダンジョン配信はなぁ、国と陰陽寮が仕掛けてる新しい金儲けのカタチなのよ。あの場所は、元々陰陽寮が管理してた地下迷宮だ。魔物どもをけしかけてるのは陰陽寮だぜ。それと戦う人間どもの元締めもまた陰陽寮だ。まぁ、つまりは自作自演だな』
「うそ……」
『お前、配信見ていて気づかなかったかよ。探索者――ダンジョンに入るやつらの事を言うんだがな。アイツらの持ってる武器、陰陽師どもの呪術武器だぞ』
そして、本題はここからだァ――と乙は言う。
『俺は元々、そのダンジョンと呼ばれている場所に住んでたのよ。なのに魔物どもがうようよ湧いて人間どもとドンパチするじゃねェか。それが鬱陶しくてなァ。もろとも消してやらァと、原因を探ったのよ。そしたらどうも魔物どもを生み出す力がどこからか流れてくるらしい。それがお前だったってわけよ』
「わ、私?」
『テメェの力が大地を通じて、ダンジョンに接続されてたなァ』
「わ、私の霊力の循環が壊れてたっていうのは……?」
『捻じ曲げられて、ダンジョンに向かう霊脈に流されてたんだよォ。それが元通り身体を廻りだしたのが今日だなァ』
ちなみに結界が切れたのも、お前の力を元にしていたからだ。と乙は言う。
『テメェは都合の良い人間電池としてここで飼い殺しにされてたわけよ。げははは! ならそんな家ぶっ飛ばして正解だなァ!』
詠歌は、にわかに信じられなかった。あのオババたちが? 確かにきつくて、冷たい人たちだったけど……。と目を白黒させた。
「それ、本当のことなの……?」
『俺はお前に嘘はつかないと約束したぜ』
乙は嘘を言っていない。半年、文字通り一心同体だった詠歌にはそれがわかる。
「じゃあ、私の中から出て行きたがってたのは……?」
『お前とのパスが切れた後、陰陽師どもはダンジョンの調査にやってくる。実際もう入り口まで来てるだろうよ。俺はあいつらを叩き出すつもりだった。だから本体に戻りたかったんだがなァ――』
びゅうびゅうと風が吹く。
更地となった土地の空に浮かぶ式神。白竜大典君。その背に乗った詠歌はどうしようもない喪失感を感じていた。
自分の半生が丸ごと否定されたような。一応でも保護者であると信じていた組織からいいように使われていたらしいという話を聞いて、心に隙間風が吹く。
自分は何だったの?
破軍巫女として生きたのは無駄だった?
戦わない方がよかった?
そのあとの扱いもひどかったし……。
おかしい。おかしいよ。
こんなのってない。なんでどうして?
私、こんな目に合わないといけないようなことした……?
詠歌の頬に一筋の涙が伝う。
また涙が出た。こんなのばっかりだ。
月夜の晩に詠歌は泣いた。
『――よぉ、詠歌ァ。こんな時になんだがなァ。テメェ行くところねェだろ。良けりゃだがな、うちに来い。ダンジョンだァ』
「乙のところ……?」
『お前を巻き込むつもりは無かったんだがなァ。テメェが俺を解放しねぇってんならしょうがねぇ。それにな、腹立たねぇか? あいつらにムカつかねぇか? ひとの人生を好き放題しやがって! ってなァ……』
「ムカつく……」
そうムカついていた。乙の言葉を契機に、悲しみは怒りに変わる。
「ムカつくよ! めちゃくちゃムカつく!!」
『だろうよ。陰陽寮の連中に一泡吹かせたいだろ』
「吹かせたい!」
『じゃあ、やる事は分かるよなァ……』
乙の言葉に詠歌は涙を拭いてこくりと頷いた。
『力ぁ貸せやァ破軍巫女ォ、目指すはダンジョンだぜ』
乙の言葉に詠歌は白竜を回頭させる。
数年ぶりの外。見降ろせば夜景が広がっていた。
「ねぇ乙。ダンジョンに食べ物とかあるの?」
『あるぜェ。冒険者どもが置いてったものが沢山なァ』
「ふーん……、お風呂は?」
『地下に温泉が湧いてらァ。ダンジョンは俺の庭だ。風呂もトイレも寝る場所も作ってやる』
「――あと、パソコン欲しい。配信する」
『了解了解、そのうち手に入れてやらァ……』
「乙」
『次はなんだァ……』
「――ありがと」
その言葉に乙は何言わなかった。
白竜の背で一人と一匹は飛ぶ。
その胸に、野望と怒りを抱いて。
阿頼耶識ダンジョンが爆破される一カ月前の話である。
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