【正体バレ回】じいちゃんがばあちゃんに真実を打ち明けたときの話

 春休み。


 黒髪を長く伸ばし、前髪は真ん中で分け、父親に買ってもらったばかりの真っ赤なダッフルコートを着た夏芽かが早苗さなえは、毎日のように桐生きりゅう家を訪れていた。


 このとき、早苗は十六歳。神佑じんゆう高校の一年生で、生徒会の副会長だ。春休みが明けて、新年度を迎えれば、二年生に進級する。


「おじゃましまりんばー!」

「あら、早苗ちゃん。今日もいらっしゃい」


 玄関に立ち、扉を開けるのは桐生総一郎そういちろうの妻、清美。


 の伝承を調査する研究者として全国を駆け回っている夫に代わって、清美が桐生家を支えている。悟朗のほかには四人の息子がおり、四男の史郎しろうは早苗と同学年である。


「えへへ。おばさん、こんにちは! 今日も来ちゃいました!」

「休みのあいだは、こっちに帰ってきているんだっけ?」

「はい!」


 早苗が通っている神佑高校は、夏芽家や桐生家のある村から通える距離にはない。

 早苗の中学時代、村の外の私立の女子校に通っていた際には家から車で送り迎えしていたが、神佑高校に進学してからは神佑高校の徒歩圏内に部屋を借りて、一人暮らしをしている。

 夏休みや冬休みといった長期休暇のときのみ、実家へ帰省していた。


「悟朗は幸せものねえ。早苗ちゃんみたいな、かわいくてやさしい子に気にかけてもらって」

「ふへへっ」


 桐生悟朗は、総一郎と清美の子ではない。

 総一郎が村の外れの草むらで途方にくれていた子を拾ってきた。


 十二歳の春に〝修練の繭〟によってクライデ大陸からこちらの世界にやってきたアザゼルは、桐生家の五男として迎え入れられたのである。その際、総一郎から『悟朗』という名前を授かっていた。


「そんな悟朗だけど、昨日の晩から何か作っているみたいよ。驚かさないように、そっと入ってあげて」

「ほよ。そうなんですか?」


 昨日の日中は、特に何も話していなかった。何かひらめくものがあったのだろうか。


「あの人が帰ってきたのよね。早苗ちゃんと入れ違いで」


 清美の言う『あの人』は、夫の総一郎を指している。なんだか迷惑そうな顔つきになった。


「ええー! お会いしたかったですぅ!」

「ほんとねえ。帰ってくるなら、先に連絡をよこせばいいものを」


 心底残念そうな反応をする早苗に、清美は総一郎への憤りを露わにした。幾度となく苦言を呈してはいる。総一郎にとっての帰宅は、取材先から取材先への移動の途中で寄れたら寄るぐらいの優先度だ。事前に一報を入れようという気遣いはできない男であった。


「早苗がもうちょっと長居していれば……! 将来は義理のお父様になられるのに、ご挨拶できていないのが悔しくて悔しくて」


 早苗は、しれっと総一郎を『義理のお父様』と称している。だが、総一郎と面と向かって話せたことがない。

 夏芽家と桐生家は同じ村の仲間ではあるのだが、交流はさほどなかった。夏芽家は代々村長を務める更科さらしな家の親戚であり、早苗も村の集まりには必ず出席しているのだが、総一郎が来たときには『もしや明日には大雪が降るのではないか』と陰でウワサされているぐらいだ。清美が嫁いできてからは、彼女が村の集まりに出ている。

 桐生家と早苗の交流は、悟朗の存在があったからこそ始まった。早苗が悟朗に一目惚れし、桐生家に足繁く通うようになってからだ。清美は、村長の姪っ子である早苗を、はじめこそ訝しんでいたが、早苗の人柄と一途な思いを知ってからは悟朗との恋を応援している。


「ごめんなさいね早苗ちゃん。あの人、悟朗の部屋に直行して、出したお茶にも手を付けずに出かけてしまったのよ」

「あやや。お忙しいですね……」


 しょんぼりとする早苗を、清美は「また急に帰ってくるわよ。早苗ちゃんのこともお話ししておくわ」と元気づけた。


 *


 清美に「そっと」と言われたものだから、早苗は音を立てないように悟朗の部屋の扉を開けた。悟朗は背中をまるめて、作業机に向かっている。


「悟朗さんっ」


 早苗は足の踏み場を考えながら悟朗に近づき、その右耳に唇を近づけて、名前を囁いた。昨日は早苗が帰宅する前にふたりがかりで部屋の中を片付けたというのに、片付ける前よりも物が散乱している。


「なっ!?」


 結局は驚かせてしまった。作業机の上には、野球に使用するボールぐらいの大きさの黄色い球体が置かれている。


「これ、なあに?」


 早苗はその球体の一つを、握って持ち上げた。中に液体が入っているようだ。


「あとで使う」

「あとで?」

「これはなんだ。暗いところに投げ込むと、あたった場所にくっついて、周囲を明るく照らす」


 悟朗は球体の説明をした。それから、イスを離れてタンスを開いて、畳んである洋服の中から上下一式を選び、ナップサックに詰める。早苗の握っていた球体も、取り上げて、ナップサックに放り込んだ。


「どうしたの?」


 早苗が戸惑いを口にする。悟朗はナップサックのヒモを引っ張り、背負った。


「早苗に、話しておきたいことがある」


 ここでようやく早苗と向かい合う。紅色の瞳に、光り輝く銀髪をオールバックにまとめた悟朗は、このとき、十四歳。来年度は中学三年生となる。


「告白!?」


 早苗が嬉しそうに跳び上がる。早苗から悟朗へは、気持ちを何度も伝えていた。悟朗からは、はっきりとは伝えられていない。


「……まあ、近いものではある」


 悟朗は視線を逸らした。逸らした先に、早苗が回り込む。


「ほへへ。今ここで言ってくれてもいいのよん?」

「ここでは言えない」

「悟朗さんったら、照れ屋さん?」

「……そうだよ」


 恥ずかしいからではなく、誰かに聞かれていては困るようなをしようと、悟朗は心に決めていた。愛の告白には近いが、そのものではない。

 昨晩、総一郎には『これから早苗に話す内容』を打ち明けている。総一郎が帰宅するたびに、悟朗は早苗の『扱い』について総一郎に相談していた。以前からだ。総一郎にしか話せない。

 つまり、総一郎は早苗と会話したことはないものの、早苗の存在は知っている。


 悟朗の悩みの種。

 クライデ大陸への帰還を妨げる者、として。


「んもー! 悟朗さんってばかわいすぎー!」

「こらぁ! やめろ!」

「やめなーい!」

 銀髪をわしゃわしゃとなで回された。早苗の気が済むまでである。


 *


「悟朗さん、だっこ」

「歩けるじゃろ」

「だっこして!」

「なんで」

「だっこしてくれなかったら回れ右して帰る!」

「……はい」


 ふたりは桐生家の裏手にある洞窟どうくつへと入っていった。悟朗は懐中電灯を早苗に渡す。


「ひゅー、どろどろー」


 渡された懐中電灯を上に向けて、早苗は自らのアゴを照らした。早苗なりにおどけているのだが、十二歳までクライデ大陸異世界にいた悟朗にはネタが通じない。クライデ大陸に懐中電灯はない。


「なんじゃそれは」

「むう」

「むう?」

「悟朗さんって、たまに冗談が通じないよね」

「勉強不足ですまんな」


 それはさておき、悟朗は早苗のご所望通りにお姫様抱っこをして、早苗が懐中電灯で行き先を照らした。この洞窟は大昔にとされている。しかし、山を貫くことはできず、途中で竜は力尽きてしまったらしい。悟朗は早苗を洞窟の突き当たりまで運んだ。


「下ろすぞ」

「ほいっと。……ここのいちばん奥まで来たの、初めてかも?」

「誰も来ないか?」

「うん。度胸試しでもここまでは来ない。途中で折り返すかな」


 お互いの顔もよく見えない。懐中電灯の明かりだけが頼りだ。


「ならば」


 悟朗はナップサックを開くと、中に入れていた球体を取り出して、天井を目がけて投げる。球体は天井に付着し、周囲を明るく照らし始めた。


「悟朗さん、すっごーい!」

「うまくできたな」

「早苗も投げていーい?」

「うむ」


 早苗もナップサックから黄色い球体を取り出して、壁にえいやっと投げつける。くっついて、光った。これが『ピッカリ玉』の試作品である。


「悟朗さんの発明品だったのね!」

「早苗とここに来るときのために、作っていた」

「やだもう。ここでふたりきりになりたいからってこと?」

「ああ。どうしても話しておかねばならぬことがある」

「わざわざここまで来て話すこと……?」


 なにかななにかな、と、早苗は目を輝かせて、待っている。


 悟朗には葛藤があった。クライデ大陸にいる本当の父親や、母親、そして姉たちを裏切る行為だ。アザゼルは、ミカドとなるべくして〝修練の繭〟の儀式に臨み、こちらの世界に来た。

 正体を明かしてはならない。

 そう言いつけられている。けれども、こちらの世界で生きていく上で、しぶしぶ、総一郎には明かしてしまった。信用を得るためには仕方ない。明かしたおかげで、桐生家の五男という立場を手に入れた。そして、総一郎は他の人間には話していない。


 早苗に話す必要があるのか。話したとして、早苗もまた、総一郎と同じく、黙っていてくれるのか。


「早苗には、隠し事をしたくない」

「ふへへ。悟朗さんは、早苗のこと好きだもんね。早苗は、悟朗さんが早苗を好きって思っているよりも、もーっと、悟朗さんのことが好きだよ?」

「その〝好き〟は、ボクが?」

「うん!」


 早苗は即答した。あまりにもはやすぎて、悟朗の言葉を聞き取れなかったのではないか、と疑うほどに。


「ほんとうに?」

「うん。悟朗さんがほんとうはだったとしても、早苗は悟朗さんをラブだよ?」


 的確に言い当てられて、悟朗は動揺する。過去に口を滑らせたのではないか。


「ああ、えっと、早苗ね、悟朗さんのお父様の論文を読んだことがあって。ほら、ここって『竜が掘った』って話じゃない?」


 その動揺を見て、早苗が弁明した。総一郎の研究は竜に関するものだ。


「だから、あてずっぽうよ。竜っていうのは」


 言い逃れはできない。早苗と付き合っていくとしたら、いずれ話さなくてはならない。いずれ帰らねばならぬクライデ大陸のこと。もし子を成すのであれば、帰りにくくなる。やがて生まれてくる子は〝混血種〟となるのも、前もって伝えておかねばなるまい。


 早苗とは別れたくはなかった。

 悟朗もまた早苗を愛しているから。


「ボクがこれからここで見せるものや、話すことは、すべて他言無用でいてほしい。ボクと、早苗、あと、総一郎。三人だけの秘密だ」

「秘密の共有……!」

「いい?」

「おっけー!」


 元気に答えてから、早苗は「それで、悟朗さんは早苗に何を見せてくれるのカナ?」と続けた。


「変身」


 悟朗はナップサックを下ろして、黒いドラゴンへと形態を変える。ナップサックに着替えを入れたのは、変身後に裸になってしまうからだ。裸で洞窟から帰るわけにはいかない。ましてや春先で、裸で歩くには肌寒い。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 目の前に現れた黒いドラゴンに、早苗は歓声を上げた。近寄っていき、身体をぺたぺたと触る。


「ウロコ、つめたーい!」


 なお、こちらの世界に伝達魔法がないので、意思疎通の手段はない。早苗がヒゲを引っ張る。


「悟朗さんはヒゲ薄いのに、ドラゴンになるとヒゲが長くなっちゃうのね!」


 何も言い返せない。ヒゲに飽きた早苗は、今度は尻尾のあたりをまさぐっている。


「おちんちんは?」


 あるにはあるのだが、露出させてはいない。クライデ大陸のドラゴンはオスしかおらず、繁殖は人間態でおこなう。他の種族との交配の例はない。


「ヘビには二本あるって聞いたことあってー、ドラゴンはどうなのー?」


 受け答えができないので、いたたまれなくなってきた。

 悟朗はするすると元の姿に戻る。


「あんれま。もう終わり?」

「あのなあ!」

「悟朗さん、裸じゃない! こんなに寒いのに! 早く服着ないと、風邪引いちゃうわん!」

「そうじゃな!」

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