10. リノのしゅうげき

 隠れ家の窓に打ち付けた板の隙間から、眩しい朝日が漏れていました。

 遠くから近くから、鳥たちのさえずりが聞こえてきます。

 昨晩までの嵐が、嘘のように、穏やかな朝でした。

 目を覚ましたガラコが、弱々しく体を起こしました。まだ少し体がだるいようです。

「……ノエル」

 床にしがみつくように眠っていたノエルに、ガラコが声をかけた、そのときです。

 窓に打ち付けた板が、勢いよく蹴破られました。

「探したぜ、ノエル」

 現れたのは、リノでした。

 リノはいきなり踏み込んできて、一直線にノエルに腕を伸ばしました。

「このペテンやろう!」

 ガラコがその腕に掴みかかると、リノはそれを、思い切り払いのけ、ガラコを吹き飛ばしました。そして手荒くノエルの襟首をつかみ、ぐいと引き寄せました。

「ガラコ!」

 ノエルがガラコを気にかけるのをみて、リノは一瞬ぎょっとしましたが、やがてなにかを察したように、せせらわらいました。

「ウワハハハハ! ガラコ、ペテン師はどっちかな? うまくだましたな、お前から逃げ出さずに戻ってくるはずだ!」

 ノエルには、リノがなにをいっているのか、わかりませんでした。しかし、なにか悪い予感が、胸の中にこみ上げてくるのを感じました。

「ノエルよ、オレの正体を見破ったのは、ほめてやる。だが、ずっと一緒にいた、こいつの正体を見破れんとはな」

 リノは、床にうずくまるガラコを、あざけるように見おろしていいました。

「オレが奪ったのは、光の輪だけさ。しかし悪党っていうんなら、こいつの方が一枚上手だ。お前を見世物小屋に売り払おうって考えたのさ」

 まさか!ノエルには、とても信じられませんでした。

「うそよ、そんなの!」

「ハハハハハ! バカめ、こいつの狙いが光の輪なら、なぜお前に返したと思う?」

 ノエルは、とまどいました。リノの言う通り、光の輪は、ガラコが命がけで盗んだものです。ただでノエルに返すために、ガラコがそんな親切をするでしょうか?

「お前には、天使でいてもらわなくちゃ、困るのさ。高く売るためにな!」

 リノは、ガラコが自分の足元に食らいついてきたのを、蹴り上げました。

「ガラコ!」

 ノエルの泣き出しそうな叫びとは正反対に、リノは冷ややかな声で、ガラコにいいました。

「まったく、いい商売を考えてくれたよ。その計画は、そっくりこのオレがいただくとしよう。ハハハハ……!」

「ガラコ!」ノエルが叫びましたが、ガラコはうずくまったまま、なにもこたえてくれません。ノエルの目に、涙が浮かびました。

「ガラコ……うそよね? あたし、あなたのおんどりと同じなの?」

 ガラコは、絶え絶えの息の下から、絞り出すようにこたえました。

「そいつのいってることは、うそじゃ、ねえ……」

 それをきいた途端、ノエルの背中にわずかに残っていた翼が、枯れ葉のように、音もなく舞い散りました。

「こいつ……羽根が!」リノの顔色が変わりました。

「ええい、鳥の羽根でもぬいつけてやる!」

 リノは、そこに鳥かごが転がっているのを目ざとくみつけ、たたきつけるようにノエルを投げ入れると、ガラコのことを振り返りもせず、小屋から出ていきました。


「ゲホッ、ゲホッ!」

 何度か咳をしてから、ガラコは、やっとのことで呼吸を整え、体を起こしました。

 リノがぶち抜いた窓の向こうは、雨の雫をたたえた草はらが、朝日に照らされて、どこまでも輝いています。もう、リノの姿は見えませんでした。

 その窓から、黒い翼をはばたかせて、入ってくるものがありました。

 むらさきいろのからだに、尖ったしっぽをくねらせた、あくまのグリムです。

「なんだ、……いてて。天使の次は、悪魔のおでましか」

 ガラコは、疲れ切ったようすで言いました。

「あいにく、オレはいま、クタクタでね。いくらそそのかしたって、悪さなんてできやしないぜ」

 グリムは、ニタニタと笑いながら、ガラコのすぐそばまで寄ってきました。

「キヒヒヒヒ、よく言うよ。おい、見てたぜ。まったくあざやかなもんだ。リノのやろう、ペテン氏のくせして、自分の財布をすられたことにも気づかんとはな」

 ガラコは、まさかというように、一瞬目をパチクリさせて、袖から分厚い財布を引っ張り出すと、ポンと床の上に放りました。財布には、はちきれんばかりに札束がはさまっています。

「なんだよ。さすがあくまだな。よーくお見通しってわけだ」

「ヒーヒヒヒ! 抜け目がないのは、お互い様だ。これで、あの天使を売っぱらう手間が省けたってわけだな。そうだろ?」

「…………」

 ガラコは、そのことについては、なにも答えようとしませんでした。

「おい、悪魔よ。一体、こんなところで油を売るってのは、どういうわけだ? 用がないなら、消えちまえよ。オレはこうみえたって、忙しいんだ。いててて……!」

 ガラコは、ボロボロの体で、どこへいこうというのか、フラフラと立ち上がって、小屋を出て行こうとしました。

「ヒキキキキ。用は、あるさ。お前、もう一儲けしたいとは思わんかね? シシシシ」

「へっ、悪魔の誘惑ってやつかい? いててて……」

「契約というほうが、いいかもしれんな。なに、たいそうなことはない。ちょいとお前に魔法をかけて、その体をすっかり元気にしてやろうっていうんだ。町中をどろぼうするのさ。いまならみんな、お尋ね者のノエルのしわざにできるぜ?」

 ガラコは、耳をピクリと動かしました。

「……体を元気にしてくれるって? 見返りは?」

「そんなものいらないさ。お前の悪党ぶりを買ってのことだ。ただ思う存分、悪いことをしてくれりゃいい」

「……もし契約を破ったら? ……いや、構わねえ、やってくれ!」

「ヒキキキキ! そうこなくちゃな!」

 グリムは、さっそく、ガラコの頭の上で宙返りをして、パン!と両手を打ち鳴らしました。

 ガラコの体から、ボン!という軽い音とともに、紫色の煙が立ち上りました。

 驚きました。身体中の疲れがみな吹き飛んで、体の奥からマグマのように力が溢れてきます。ガラコの狐のようなつりあがった目が、鋭く光り、もともと悪い人相が、もっともっと悪くなりました。

「ノエルは、もうじき港に連れてかれて、売っぱらわれちまう。お前が悪さをあいつのせいにできるのも、それまでだ。グズグズするなよ、イヒヒヒヒ!」

 ガラコは、黒いマントをさっとまとうと、いきなりおもてに飛び出しました。大地に両足をついた拍子に、耳と鼻から、もう一度、ブシュッと紫の煙が吹き出ました。

「おいガラコ、もう一度いうぞ。ノエルはもうじき、港に連れてかれちまうからな! 時間はないぞ!」

 グリムはなんだか、わざとらしい口ぶりで繰り返しました。

 ガラコは、町に向かって駆け出しました。とても、さっきまで寝込んでいた男とは思えません。

 どろぼうして逃げるときよりも、何倍もはやいスピードで、まるで野狐のように風をきって走りました。

 グリムはあとを追いかけながら、またもしつこく念をおしました。

「リノはボートで、リヴァル川を下ってるぞ! いいか、余計なことするなよ!」

 とうとうガラコは、とても追いつけないほどのスピードで、グリムを振り切ってしまいました。

「ガラコー! 余計なこと、するなよー!」

 小さくなっていくガラコの背中に、グリムの駄目押しの叫び声が響いていました。

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