09. チキータの話
ガラコは、静かに目を覚ましました。
小屋の中は、ロウソクのようなあたたかい灯火にぼんやりと照らされ、見慣れた天井が、いつも以上に歪んで見えました。
嵐はいくらか落ち着いたようですが、相変わらず降り続ける大雨の音と、ときどき強くふきつける風の音が、まだ聞こえていました。
ガラコは、横になったまま、部屋を照らすほのかな明かりの方へ、目をやりました。
光の輪のそばで、ノエルがひざまずいて、両手を組んでいます。目を閉じてうつむいた横顔は、祈っているのか、眠っているのか、ガラコにはわかりませんでした。
薬の空き箱がふたつみっつ、そこらに転がっていました。
ガラコは、自分の額に、そっと手をあててみました。固く絞った布切れが、丁寧に折りたたまれて、乗せてありました。熱は、おおかた引いたようです。
そのうちに、ノエルが首をこっくり落とした拍子に、目を覚ましました。ガラコは、すぐに気がつきましたが、わざと目をそらせて、天井を見つめました。
ノエルは、ガラコが起きていることに気がつき、じっと顔を覗き込みました。
「気がついたのね。よかった、薬がよく、効いたみたい」
ガラコは、天井を見つめたまま言いました。
「……たいしたやつだよ、お前は」
ノエルは、にっこり笑顔を作っていいました。
「そうでしょう、そうでしょう。あたし、うまくやったわ。ガラコの教えてくれたとおりに」
ガラコはそれを聞いて、なにかを思い出した様子で、口の端に笑みを浮かべました。
「オレの初めての仕事は、大失敗だったよ」
そういって、ガラコは、初めて自分がどろぼうをしたときのことを、静かに話してくれたのでした。
——いつだったか、オレはその日も、空腹だった。とにかく、あんまり腹が減って仕方がないから、こりゃもう、なにか盗って食うしかねえってことになって、どういうわけか、オレは、鶏をかっぱらおうって決めたんだ。腹が減ると、人間まともに頭が働かなくなるのさ。
鶏を囲ってある柵の中へ、こっそり入っていって、いざ捕まえようとしたんだが、これがてんで捕まえられねえ。いくら追いかけ回しても逃げられて、しまいには、あべこべにつっつかれて、こっちが逃げ回ったりしてな。
仕方がねえから、そこにいたひよこを一羽、盗ってきたんだ。簡単に捕まったよ。それで、どうせなら大きく育てて食ってやろうと思って、せっせと世話して育てたんだ。自分がろくに食うものもねえのに、間抜けな話さ。
ノエルは、ガラコが自分のことを話してくれたことが嬉しくて、目に流れ星を浮かべては、ワクワクしながら続きを聞きました。
——そのひよこは……そういや、チキータなんて、名前までつけてたっけ。とうとう、でっかい鶏に育ってな。じゃあ、いよいよ食ってやろうかってときになって……、食えないんだよ、これが。ふふふ、かわいくてな。
だけど、これじゃあんまり情けないから、せめて卵を食おうなんて待ってたんだ。ところが、いつまで経っても産みやしねえ。おんどりだったんだよ。
えさばっかり食って、卵は産まねえ、おまけに夜明け前から鳴きまくる、どうしようもねえバカ鷄じゃねえか。とうとう頭にきて売っぱらったが、翌朝になると、勝手に帰ってきてやがる。
しかも、売った先の家のとうもろこしを片っぱしからみんな食っちまったらしいんだ。
なんでわかったって? すぐにそこの主人が怒鳴り込んできたからさ。
詐欺だどろぼうだって、オレはさんざん殴られて、有り金全部持ってかれたよ。
「——これが、オレのはじめての仕事さ」
「ねえ、あたしの方が、よっぽど才能あるんじゃない?」
「そりゃ、間違いねえ」
二人は声を上げて笑いました。
雨の音は、少し小さくなりました。風も、いまは、小屋を揺らすほどの力はないようです。
ノエルは、そっと打ち明けるようにいいました。
「ガラコは、貧しいからどろぼうになったっていったでしょ? だけど、あたしはね……、あたしは……」
ガラコは、ノエルの言いたいことを察したように、そっと言葉を引き取りました。
「……いや、案外、オレがどろぼうになったのも、お前と同じ理由かもしれねえ」
「えっ?」
ガラコは、今度は笑い話にせずに、自分の昔話をしてくれました。
——幼くして身寄りをなくしてしまったこと。それ以来、どこへいってもやっかいもので、町になじめなかったこと。自分を信じてくれて、味方になってくれる人が、そばにいなかったこと。それはいまも同じさ、と、ガラコは言いました。
「ただし」と、ガラコは付け加えました。「そうやって生きてきて、わかったことがある」
ノエルは、顔を上げて聞きました。
「だからって、この町の人間が、特別意地悪なわけじゃないってことだよ。オレも、あいつらも、きっとこの町以外の誰だって、そう変わりゃしない。ただときどき忘れちまうのさ。本当は、自分が正直で、優しい人間だっていうことを」
「それを、思い出させるのが、あたし……」
けれども、それでもノエルは、そこに転がる光の輪から、目をそらさずにはいられませんでした。
「あたしの言うことに、耳を貸す人なんていないわ。あたし、ガラコと一緒よ。ね? あたしたち、いいコンビでしょ?」
ガラコは、天井を向いたまま答えました。
「言っとくがな、ノエル。この町に、泥棒は、オレ一人で十分だぜ」
「……ガラコ……」
そして、すぐにガラコは、いつものわざとらしい、いたずらっぽい口ぶりで、ノエルを振り返りました。「もちろん、お前の方が才能があるってのは、認めた上でた」
ガラコは、光の輪を手にとりました。
「お前には、お前の仕事がある。夜が明けたら町へでて、リノと一味の正体を、みんなに知らせてやれよ。あいつら、町の連中から巻き上げた金を、港の船に積んで出航を待ってるんだ。明日になったら、逃げられちまう」
なにも言えないでいるノエルを、励ますように、ガラコはいいました。
「今度はみんな、お前の言うことを信じるだろうぜ」
ガラコはそういって、そっとノエルの頭の上に、天使のお印を返してくれました。
それから、すぐに向こうをむいて、再び寝息を立て始めました。
ノエルは、何も言わず、ガラコの頼りなく丸まった背中を見つめていました。
そしてぼんやりと、空想の中で、そこに自分の背中を重ねてみました。
ノエルの翼は、みじめに縮んで、もうノエルの体を宙に持ち上げることはできませんでした。
雨は、いつのまにか上がったようです。
小屋の外では、あくまのグリムが座り込んで、二人の話をきいていました。
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