08. 嵐の到来

 とうとう、嵐がやってきました。

 町外れの草原には、大雨と強風を遮るものは、なにもありません。雨と風と、石ころや小枝までが、二人を容赦なく打ち付けました。

 目を開けるのもやっとの中、二人は、這うように進みました。

 とにかく、どこか、風雨をしのげる場所に、たどり着かなくてはなりません。

「もう、これ以上、無理!」

 ガラコのマントにしがみついて、風にさらわれそうなノエルが叫んだとき、荒れ狂う暗闇の奥から、不気味な音がきこえてきました。

 なにか、とてつもなく重たいものを転がすような、低い地響きが、途切れ途切れに近づいてきます。

 ノエルとガラコは、じっとその場に伏せたまま、嵐の中に目を凝らしました。

 やがて、巨大な黒い影が姿を現したかと思うと、二人の目の前の窪地に、ズシンと叩きつけられ、それは動かなくなりました。

 二人は、恐る恐る、首を伸ばして、その影の方を見てみました。

「まさか! 木の上から、吹き飛ばされてきたのよ! ガラコの隠れ家だわ!」

 まぎれもなく、それはガラコの隠れ家でした。川のうんと上流にあったはずのボロ小屋は、ノエルの言った通り、木の上から吹き飛ばされ、まるで主人を迎えにでもきたように、はるか長い旅路の末に、いま目の前に現れたのでした。

 二人は、夢中で転がり込みました。


 小屋の中は、なにもかも、めちゃくちゃにひっくり返っていました。

 それでも、「もとよりさっぱりしたみたい」と、ノエルは笑ってみせました。

 ガラコは、ガラスのない窓に、板をうちつけてまわると、そのまま、床に倒れこみました。

 そこらじゅうが、雨漏りしていましたが、外にいるより、うんとましです。

 ガラコに寝床を作ってやろうとして、ノエルは、ガラコの様子がおかしいのに気がつきました。ぶるぶるガタガタと、震えがとまらず、体が、ストーブのように熱いのです。

「大変!」

 ノエルは、大慌てで小屋の中を引っ掻き回し、乾いた布きれを、ようやく1枚見つけました。ガラコのマントをぬがせ、雨と汗を拭ってやりましたが、まだガタガタと震えています。

「町にいって、薬をとってくる!」

 ノエルがいうと、ガラコは苦しい息の下で言いました。

「頼むから、バカはよせ……! これくらい、寝てりゃ治る」

「大丈夫よ、すぐ戻るから!」

 ノエルは、小さな丸いガラス窓から、外の様子をのぞいてみました。嵐は、さっきよりも、さらに勢いを増しています。

 ノエルは、構わずに、嵐の中へと飛んでいきました。


 町は、嵐の闇に、すっぽりと包まれていました。

 建物たちは、互いに手を取るかのように、くっついたまま、身じろぎもせず、激しい雨風に耐えていました。

 ある酒場通りの一番端っこに、小さな明かりがひとつ、ポツリと灯っていました。そこでは、他にいくあてのない人たちが、寄り集まって、安酒を囲んでいました。

 突然、店の扉が、勢いよく放たれました。

 立っていたのは、リノでした。

 全身濡れるがままのリノの姿に、店の主人は驚きました。

「どうしたね、リノさん。こんな嵐の夜に」

「なに、見回りみたいなものですよ。みなさんご無事でなにより」

 リノは、ずぶ濡れで乱れたままの服装について、いっこうに構う様子もなく、なめまわすように、店の中をジロジロとあらためました。

「探し物かね?」と、店の主人が尋ねました。

「そんなところです」

 リノはそのとき、店の奥に、一人ののんだくれた老人の姿をみつけました。

 老人は、懐から金貨を一枚取り出してみせ、上機嫌で注文しました。

「ほれ、もっと酒をよこさんかい。金ならあるぞ」

 取り出した金貨を、カウンターの上に転がしてみせたのは、スキッドじいさんでした。

 リノは、金貨をみて、目つきを変えました。

「あのじじい、金は根こそぎむしってやったはずだが……」

 浮かれたじいさんは、伸び放題のモップのような髪の毛に、白い羽根を一本さしていました。

 それを目にした途端、リノは、スキッドじいさんにたちまち詰め寄りました。

「じじい、その金貨を、どこで手に入れた?」


 吹き付ける嵐の中、ノエルは、小さく縮んだ翼を精一杯ばたつかせて、町をさまよっていました。

 町中の建物は、みんな扉や窓を、固く閉ざしています。ノエルは、この暗く押し黙った町並みで、どうやって薬屋を探していいのか、まったくわかりませんでした。

 こんなことなら、ガラコのそばにいてあげたほうがよかったかもしれない、と、ノエルは思いました。

 いつも、後先を考えずに飛び出してしまって、どうしてこう、自分は軽はずみなんだろう。

 ノエルは、この町におりてきてから、自分のやることが、どれもこれも思うようにいかなかったことを思い出して、本当に、情けなくなってきました。

 一人前の天使なんて、程遠い、自分は、なにをやらせてもダメな天使なんだと思えてきました。

 でも……、それでも、あの苦しむガラコの顔をみて、やっぱり、あのまま隣で、じっとはしていられなかったでしょう。

 そのとき、不意の突風が、ノエルの体を、いきなり空高く吹き上げました。

 あまりにも突然のことで、ノエルは叫ぶ間もありません。

 自分の翼で舞い上がるときの、何倍もの勢いで、ノエルは気がつけば、町のはるか上空に浮かんでいました。

 すると今度は、さっきと一転、同じ勢いで、真っ逆さまに落っことされました。

 風の力はものすごく強く、なすすべもありません。

「ガブリエルさま……!」

 ノエルが地面に激突するという直前、黒い影がさっとよこぎり、ノエルの体をひらりとさらいました。

 ノエルは、固くつぶったまぶたを、恐る恐るあけてみました。

 ノエルを救ってくれた黒い影は、美しい大きな瞳の持ち主でした。片方の目が緑色、片方の目が青色に輝いています。

「ニャオ」

「あなた、お昼の黒猫ちゃん! 助けてくれたのね、ありがとう!」

 ノエルは、黒猫を思わず抱きしめ、キスをし、お礼をいいました。

 ゴロゴロと喉をならす黒猫に、ノエルは尋ねました。

「あなた、薬屋さんを知らない? 大事な人が病気なの」


「ガラコだと? いまいましい、町外れのケチな泥棒だ!」

 酒場を出たリノは、再び雨の中を歩き始めました。

 荒れ狂う嵐は、まるで、リオの心の中を、現実の世界に解き放ったかのようでした。

 ふと、通りの先に、なにか小さく輝くものが、目にとまりました。白い、小さな鳥のようなものが、フラフラと宙を横切っていきます。

「あいつだ!」

 例の天使が、リオの目の前に、あらわれたのです。リオは、目を光らせて、あとを追いました。

 少しいくと、天使は、建物と建物の、ほんのわずかな隙間に忍び込みました。

 リオはこっそりと建物に近づき、看板を読み上げました。

「薬屋……?」

 そのとき、ぱっと明かりが灯きまました。

「どろぼう!」

 中から叫び声が聞こえ、さきほどの隙間から、天使が飛び出してきました。

「こいつ!」

 出てきたところを、リオは必死で捕まえようとしましたが、ノエルはその腕をうまくすり抜けました。

 ノエルは、両腕に薬の箱を抱えています。最初は、翼を羽ばたかせていたノエルでしたが、小さな羽根は、次々と抜け落ち、ついに天使の裸足は、地面についてしまいました。それでも、ノエルは構わず全力で走りまくりました。

 リノはノエルを追いかけました。

 ノエルがどんなにその短い足で駆け回ろうとも、とても逃げられまい、と、リノは思いました。

 ところが、ノエルの逃げ足の、速いこと速いこと。

 リノは、天使の駆け足がこんなに速いとは、夢にも思いませんでした。

 短い足をプロペラのようにくるくる回して、ノエルは命がけで走りました。

 そして、曲がり角を3つ曲がり、4つ曲がり、とうとうノエルは、リノから逃げおおせてしまいました。

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