07. 忘れられた教会

 水路の足場は狭く、一歩踏み違えると水の中です。ガラコは、懐から取り出した湿気ったライターを、なんどもこすって、ようやく火をつけ、ゆっくり慎重に進みました。そのすぐあとを、小さな翼がついてきます。

 水かさは徐々に増し、水面はすでに、狭い足場をひたひたと濡らすほどの高さです。暗いトンネルの中は、水の流れる低い音と、ガラコの濡れたサンダルの音だけが響いていました。


「あたし、どろぼうって、もっとうまいやり方があるのかと思ってた」

 ノエルが、ポツリと言いました。

「そりゃ、あるだろうとも」

 ガラコがこたえました。

「どうして、そうしないの?」

「そりゃ、うまくいきゃいいってもんじゃ、ねえからさ」

「それって、どういう意味?」

 ノエルが、よく意味がわからずにいると、反対に、ガラコがノエルに聞きました。

「お前、どろぼうする方と、される方、どっちが間違ってると思う?」

「そりゃあもちろん、どろぼうをする方よ」

「だろ? 間違ってることを、うまくやろうだなんて、図々しいんだよ。いつか捕まりゃ、それっきり。往生際よくいたいのさ」

 ノエルは、ガラコの潔さに感心しつつ、どうして、自分でも間違っていると思うどろぼうを続けるのか、不思議でした。

「それに、さっき走って、思ったろ? たとえ逃げ切ったって、こんな辛い目にあうくらいなら、もう二度としないほうがマシだ、って」

 ノエルは、心の底から、その通りだと思いました。

「あのやり方なら、それを忘れないだろうからな」


 トンネルは、いつまで歩いても、前も後ろも変わらぬ暗闇でした。自分たちが、どのくらい歩いたのかもわかりません。

 足音は、ザブザブと音をたてはじめました。水面は、ガラコの足首の高さまできています。雨が、ますます強まってきたのに違いありません。

 ガラコがちょっと立ち止まり、入口のほうを振り返っていいました。

「いまから引き返しても、オレたちがオモテに出る前に、水面が天井に届くだろうな」

「楽しいこといわないで」

 ノエルは、ガラコの背中を押して、再び歩かせました。

 水の高さが、ガラコの膝まで届きそうになったとき、水路に突然、広い空間が現れました。

 そこは、地下の船着場とでもいうような場所でした。

 小さなエンジンボートが一艘、ロープにつないであります。渡し場の奥には、石段があり、上から雨水が流れ込んでいました。

「地上へ出られるぞ」

 ガラコとノエルは、石段をのぼり、錆びて曲がった小さな格子をのけ、地上に出ました。

 あたりを見回した、ガラコは感心したようにいいました。

「おっと、ドンピシャ……!」

 そこは、廃墟と化した、リヴァル教会の庭だったのです。

 ガラコの言った通り、教会の敷地内は、無残な荒廃ぶりをさらしていました。

 かつての聖堂はとなりはて、聖母像は顔を失い、かろうじて残ったものは、鐘のない鐘楼の上に傾く、十字架だけでした。

 そのどれもが、つたやこけにおおわれ、雨にうたれるがままになっています。

「天使のお導きなんて、誰も聞かないはずね」

 そうつぶやいたノエルの体にも、大粒の雨が、打ち付けていました。

「な、言った通りだろ? こんな荒地にゃ、誰もよりつかねえよ」

 ガラコが、そういったときです。庭のむこうから、数人の人影が、ひとかたまりになって、ゆっくりこちらに近づいてくるのが見えました。ガラコはとっさに、ノエルを捕まえ、さっき上がってきた地下の石段に、身を伏せました。

 雨のしぶきが激しく、人影の正体はよくみえません。集団は、ゆっくりと、そしてまっすぐに近づいてきます。とうとうすぐそこまできたとき、先頭の歩く男の頭に、光の輪が輝いているのがみえました。

「リノだ! しまった、ここへ降りる気だ」

 ガラコは、小声で叫んで、慌てて石段を降りました。そして、舟の渡し場の隅の、木樽の後ろへ、ノエルと一緒に身を隠しました。


 リノは、緑色のローブの男たちを従え、石段を降りてきました。暗い地下水路の渡し場は、リノの光の輪に照らされ、明かりを灯したようになりました。ローブの男たちは、重たそうな麻袋を、いくつも抱えていました。

 リノは、停めてあったボートの前で、立ち止まりました。残りの男たちは、麻袋を抱えたまま、みなボートに乗り込みました。

「今日は、こいつのおかげで、大きな収穫だった」

 リノが、頭から光の輪を外し、ボートに積んだ麻袋のひとつにそれを投げ入れると、水路は途端に、暗闇に包まれました。

「あたしのお印!」

 木樽の後ろで、ノエルが小声で叫びました。

「シッ!」

 ガラコは、ノエルを黙らせると、水路の流れの中へ、すばやく潜りました。

 まもなくすると、ボートに積んであったランタンに火が灯り、再びあたりの様子が浮かび上がりました。

「港で待つ」

 ローブの男は、リノにランタンを差し出しました。リオは、それを受け取って、こたえました。

「こんな嵐の日まで、船の中で過ごすこともなかろうに。どうせ、今夜の出航は無理さ」

 すると男たちのうち、なんにんかが、頭からかぶっていたローブを、黙って外しました。どの男も、傷だらけの恐ろしい顔つきです。

 リオは、決まり悪そうに付け加えました。

「ま、誰しも丘の上が居心地がいいとは、限らないよな」

 ローブの男が、ボートのエンジンをかけました。

 そのとき、ノエルだけには、しっかり見えました。ボートのすぐ近くの水面から、細い腕が一本伸びて、そっと麻袋から光の輪を抜き去ったのを! 腕はすばやく水の中へ引っ込みました。

「やった!」ノエルは、心の中でさけびました。

 ちょうどそのとき、ノエルの隠れていた木樽が、突然ぐらっと揺れました。水路の水かさがさらに増して、渡し場一帯に溢れ始めたのです。

 ノエルが慌てている間に、木樽は大きな音をたてて、ひっくり返りました。

 すぐにリノが振り返って、明かりをかざしました。

 木樽の後ろでは、ノエルが、体を半分水中に沈めるようにして、隠れています。リノは、注意深くあたりを見回しました。すると、なにか白いものが、こちらへ流れてきます。

 羽根です。見覚えのある、純白の羽根。

「……やつが?」

 リオの顔色が、さっと変わりました。

 すぐにボートのところへ戻り、さっき積んだ、麻袋の中を開いてみると、——ありません。

 そこに投げ入れたはずの光の輪が、見当たらないのです。

「おのれ、あの小娘、いったいどこから……!」

 ボートの男たちは、急いでローブをかぶりなおしました。

「探せ、下流だ!」

 ボートは、狭い水路で向きを変えるのに、手間取っています。

「ええい、急げ! 逃すんじゃないぞ!」

 リオは吐き捨てて、石段を駆け上がりました。

 地上へ上がったリノは、教会の庭のあちこちで、白い羽根が雨に打たれているのに気がつきました。今度は、リノがノエルを探す番でした。

「小娘、オレのことを、嗅ぎ回っていやがったな!」

 リノは、大雨の中、町へと出かけました。


 教会の地下水路は、ずっと下って、町の外れで、やっとトンネルを抜けます。

 その先の土手に、ボロ切れさながら、黒いマントが引っかかっていました。

 ガラコが、ようやく上半身だけ、岸にしがみついていたのです。ガラコは、水に沈めた片手を、力一杯引き上げました。

 投げ出されたノエルは、ゴムまりのように軽くはずんで、最後には、ペシャリと動かなくなりました。

「ノエル……!」

 ガラコは、流れに引き込まれそうになるのを、必死に耐えました。

「ノエル……助けろ……!」

 ノエルはゴホゴホと咳き込んでから、ようやく顔をあげました。ガラコは、肩まで流れに飲まれています。

「ガラコ!」

 ノエルの手助けが、どれほどの力になったかはわかりませんが、ガラコはなんとか、川から這い上がることができました。

 ガラコは、ずぶ濡れの懐から、光の輪を取り出してみせました。

「すごいよ、ガラコ! あなたって、本当に本当に、一流の大泥棒だわ!」

 ノエルは興奮して叫びました。

 そのとき、水路のトンネルから、追っ手のボートがこちらへ向かってくるのが見えました。

 二人は、土手の向こうに転がり下りて、息を潜めて追っ手をやり過ごしました。

 ノエルは、ガラコの耳元で、もう一度囁きました。

「あなたって、正真正銘の大泥棒よ」

 ガラコは、狐につままれたような顔で、つぶやきました。

「オレの仕事が、まさか、誰かに褒められる日がくるとはな。——それも、天使にだなんて」

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