05. ガラコの計画

 チェッ、と、ガラコが舌打ちをしました。

「嵐の予報をうっかりしてたぜ。とっとと仕事を終えて、戻らねえと」

 空が次第に曇ってきたかと思うと、そのうちに、ポツポツと小雨が降りはじめました。

 朝日に美しく彩られていた、あのかわいいリヴァルの町並みは、いまとなっては空模様と同じ灰色に塗り替えられて、ただどんよりと佇んでいました。川の水面は、小雨に打たれて、静かにけぶっています。舟乗りたちは、みな陸へ上がってしまい、桟橋に繋がれたいくつもの無人の舟が、嵐の到来を予感させました。

 悲鳴ににた不気味な音をゆっくり響かせ、ガラコの小舟が町に入ってきました。ガラコは、桟橋に集まった舟の群れに小舟を突っ込むと、ノエルを連れて裏通りへ入りました。


「リノっていうの」

 ノエルはガラコに、光の輪を持っている人物の名を打ち明けました。

「だろうと思ってたよ」

 驚いたふうもなく、ガラコはこたえました。

「知ってるの? あの人のこと」

「いいや、知らねえ。やつのことを知ってるやつなんて、この町にはいないだろうな」

 ガラコは、目立たないように通りを歩きながら、路地の隙間や行き交う人々に、注意深く目を光らせました。

「リノってのはな。いつごろからか、あの教団みたいな連中を引き連れて、町にやってきたんだ。教会を建て直すなんて言ってるらしいが、どうだかな」

「ねえ、あたし、ぐるっとひと飛びして、町の上から探してみましょうか。きっとまたどこかで集会しているはずよ。すぐ見つけられるわ」

 ガラコはすぐに反対しました。

「ダメだ。いったはずだぞ、カリスマ性は控えとけ。お尋ね者が、町の上を飛び回るなんて、目立ちすぎる」

 ノエルは、がっかりと肩を落としました。

 そのとき、ガラコが細い路地の向こうに、なにかを見つけたようです。

「じいさん、スキッドじいさんじゃねえかよ!」

 ジメジメとカビの生えそうな石壁を背に、一人の老人が力なく座り込んでいます。

「ガラコか。お前、生きとったか」

「こっちのセリフだよ。まだくたばってなかったかい?」

 どうやら、ガラコとは古いなじみのようです。スキッドじいさんは、後ろにいるノエルの姿に気がつきました。

「おお、いかん。とうとうわしにも、お迎えがきてしもうたわい」

「あのね、おじいさん。あたしのどこが死神なのよ」

 ノエルは腰に手をあてて、不服を申し立てました。

「ノエル、ちょっと通りを見張ってろ。じいさんと話がある」

 ノエルは、スキッドじいさんに、小さく「べ」と舌を出してみせ、くるりと通りへ引き返していきました。

「ありゃなんだね、ガラコ」

「天使さ。オレの獲物だよ」

 振り続ける小雨が屋根を伝い、石畳に小さな水溜りをいくつも作っています。傘もささずに、野良犬のように濡れるがまま、二人は話をはじめました。

「あれが天使じゃと?しかし、輪っかの……」

「わかってるさ、そのことは。光の輪を持ってるのは、リノだ」

「リノ? おお、そうとも。さっきここを通っていったぞ。たしかに、たしかに。あやつ、見かけん光の輪を、ご立派に浮かべておったわい」

「じいさん、リノをみたのか?」

 ガラコは、身を乗り出しました。スキッドじいさんの白いヒゲに埋もれた口には、ほとんど歯が残っていません。

「みたどころじゃない。自分は、天使の代理人だと、近寄ってきてな。寄付をよこさんものは、神への背信じゃというて、有り金みんな巻き上げられたわい」

「こんな文無しのじいさんからもむしりやがるとは、とんでもねえやろうだ」

「と、すると、お前さん、あの光の輪を追っとるのかね? さっきのむすめにでも、せがまれたかい?」

 ガラコは、通りのノエルにちらっと目をやり、声を落としていいました。

「サーカスだよ。なにせ本物の天使だ。見世物小屋になら、いい値で売れるぜ」

 きつねのようにつり上がったガラコの目が、舌なめずりをしたかのように、光りました。


 ノエルは、短いひさしの下で壁にもたれて、雨の通りを眺めていました。

 さっき自分がめちゃめちゃにしてしまった町の中は、もう何事もなかったかのように、もとどおりにきちんと片付いています。人々は、嵐の前に、最後の用事を片付けてしまおうと、傘を傾けて足早に過ぎていきました。

「よう。天国に帰っちまったかと思ったぜ」

 隣で、聞き覚えのある嫌な声がしました。

 いつの間にか、悪魔のグリムが、ひさしに一緒に並んでいます。

「あれくらいのことで、まさか尻尾を巻いて逃げ出すわけはないよな。さすが、何十年ぶりに地上に降ろされただけのことはある。オレ、こういう骨のある天使を待っていたんだよ。さあ、第二ラウンドといこうじゃないか、キシシシ」

 グリムの口ぶりは、まるで友達にでも再会したかのように、嬉しそうなものでしたが、ノエルの返事はつれないものでした。

「グリム。悪いけど、もうあんたの相手は、してられないわ。あたし、天使やめたの。一人で頑張ってちょうだい」

「一人で?」

 グリムは、口をあんぐりと開けたまま、石のように固まってしまいました。

「泥棒になったのよ、あたし」

 もし本当に、グリムが石と固まっていたら、この一言で、粉々に砕けていたにちがいありません。

「待て、ちょっと待ってくれ! 一体なんの話だ? お前は天使じゃないか! 天使のお導きと悪魔のささやき、オレとお前は、ふたつでひとつだろう! どろぼうって、お前……」

「ごめんね、グリム。短い間だったけど、楽しかったわ」

 ノエルは、申し訳なさそうな笑顔をつくり、その場でグリムに小さく手を振ってみせました。

「ノエル!」悪魔は悲痛な叫びをあげました。

「待てよ、おい! さっきは悪かったな。えっと、お前は悪魔に向いてるなんて言ったんだっけ? 取り消すよ! 図に乗って、心にもないこと言ったんだ。本当だとも。お前以上に、天使に向いてるやつなんていないさ。悪魔のオレがいうんだ、間違いない」

「いいのよ、もう。お互い、過去のことは忘れましょ」

「待てったら、おい、早まるな! 泥棒だって? 泥棒がどんなことするのか、お前わかってるのか? 盗みだぞ。人様が苦労して手に入れたものやお金を、知らん顔して、横取りしようってんだぞ! こんなに卑怯で惨めで、恥ずかしいことがあるかよ! ガブリエルさまが知ったら、どう思う? お前を苦労してここまで育てて、やっと大きくなったお前を、信頼して地上に遣わしたんじゃないか! お前それで、ガブリエルさまに顔向けできるっていうのかい? あのお方はなあ、お前ならきっとやり遂げる、お前ならきっと立派な天使になって、あたしたちの待つ天国へ、清く美しい翼を羽ばたかせて帰ってきてくれる。そう思って……そう思って……うう……。グスッ。……本当はさ、心配で心配で、手元において、ずっと守ってやりたいお前のことをだよ? ひとえに、お前の成長を思えば、お前のひとり立ちを思えばこそ、心を鬼にして、送り出してくださったんじゃないか。それがなんだい、だらしのねえ! 二度や三度、失敗したからって、泥棒に鞍替えだ? 冗談じゃない、見損なったね、ノエル! これじゃガブリエルさまの気苦労も報われねえや!」

「グリム、あんたって……」ノエルはまじまじとグリムを見つめていいました。「あたしよりも、天使に向いてるわよ。天使のあたしがいうんだもの、間違いないわ」

 ノエルは、グリムのお尻をポンと軽くたたき、路地の奥で手招きするガラコの方へ、飛んでいきました。

 ひとり取り残されたグリムは、身動きもできず、ただ黙ってノエルの後ろ姿を見送るばかりでした。


「それじゃじいさん、達者でな」

 ガラコは、スキッドじいさんと握手をして、懐から金貨を一枚取り出すと、そっと握らせてやりました。ノエルはそれを見て、目を丸くしました。

「ガラコ、またこいよ。金が入ったらな」スキッドじいさんは、歯のない口をいっぱいに広げて、笑顔を作ってみせました。

 おじいさんと別れて、新しい路地へ出るなり、ノエルは我慢していた感動を、ガラコにぶつけました。

「ガラコったら! ああ、あなたって、なんて親切な人なの? あのふびんなおじいさんに、進んでお恵みを与えるなんて!」

「おいなんだよ、急に天使みてえなこと言い出しやがって」

「だって、元天使として、言わせてもらうわ。あたし、あなたのこと誤解してたみたいなの。だってほら、あのお家に、そのマントでしょ? つまりその、うまく言えないんだけど……あなたのこと、貧乏でしみったれのコソ泥だと思ってたの」

「それだけいえりゃ上等だよ」

「自分の生活もどん底だっていうのに、あんなに気前よく金貨をあげちゃうなんて。必ず神様はみてるわよ。ああ、きっとガラコに、祝福がありますように」

 ノエルは思わず、いつものように両手を組んで、お祈りしました。

「けっ、お祈りなら、あのじいさんにしてやりな。リノのやろう、あんなじいさんのけつの毛までむしりやがったらしい」

「おしりの……なんですって?」

「有り金みんな、持ってかれたってことだよ。お前のお印が、やつらにとってどんなに役に立ってるか、よくわかったろう」

 その言葉に、ノエルは、息を飲みました。

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