04. どろぼうガラコ
真っ暗ななにかに閉じ込められて、どれくらいの時間が経ったでしょう。
ノエルがずた袋の中からようやく放り出されたのは、鳥かごの中でした。
「誰? あたしをこんなところに閉じ込めたのは……」
ノエルは、牢獄の囚人のように、鳥かごの格子にしがみついて、あたりを見回しました。
まるで、幽霊船のように荒れ果てた、木の小屋です。狭い床には、酒びんやトランプが散らばり、天井からは、服だか敷物だかわからない布切れが、いくつもぶら下がっていました。壁も床も傷だらけで、ところどころにナイフや手斧が突き刺さっています。ガラスのない窓からは、無遠慮に入り込んだ木の枝が、葉を広げていました。どうやらこの小屋は、木の上にあるようでした。
部屋の片隅には、草と枝と布の寄せ集めでできた、鳥の巣のような粗末なベッドが置いてあります。そこに、ひとりの男が、腰掛けていました。
男は、黒いマントをまとっていて、それは部屋の中のあらゆるものと同じように、穴だらけで、傷だらけでした。
「これまで、いろんなものを盗んできたが」マントの男は、キツネのようにつり上がった目を、嬉しそうに細めました。「これほどの収穫は、はじめてだ」
ノエルは、とっくに嫌な予感がしていましたが、一応、聞いてみることにしました。
「あなた、どうしてあたしを鳥かごに? そうね、おおかた、あたしをカナリヤかなにかと見間違えたのでしょう。ごめんなさいね、あたし、カナリヤじゃなく、天使なの。いいわ、間違いは誰にでもあることよ。さ、あたしが天使だとわかったのなら、すぐにここから、出してちょうだい。お礼に、お祈りして差し上げましょう。あなたが風邪などお召しになりませんよう……」
「お前がカナリヤなら、とっくに食ってるさ」男は、痩せたほほを覆う貧相な無精ひげを、ごしごしとなでつけながら、いいました。「見間違いだって? とうぞくガラコは、そんなヘマはしねえ」
ノエルは、力なくその場にへたり込みました。
「人間って、いったい何なの? ネコババ、ポイ捨て、魔女狩りのお次は、人さらい! いいえ、人さらいより、もっと悪いわ。よりにもよって、こんなにいたいけな天使をさらうだなんて!」
「ハハハ、天使さまよ。教えてやるがな、人間に期待なんて、するもんじゃないぜ。もっともオレは、人間以下の、野良犬だがな」
自分のことを、野良犬呼ばわりする人間がいるだなんて、ノエルは思ってもみませんでした。それにしても、こんな粗野な男のいう言葉にしては、「人間に期待してはいけない」だなんて、ガブリエルさまのご忠告とそっくりです。
そのとき、ノエルは、ガブリエルさまのお言葉を、もうひとつ思い出しました。
「——危険というのはね、ノエル。そんな人間たちを見て、失望してしまうことなのよ」
ノエルは、あのときと同じように——、いいえ、あのときよりも、はるかにゾッとしました。
なぜならノエルは、もうとっくに、人間たちに失望していたからです!
「さてと、オレにもようやく、運が向いてきたってわけだ。このくだらねえ田舎町で、幸運の天使に巡り会えるとは……」
そこまで言いかけて、ガラコは、ある異変に気がつきました。
「……ない!」
天使の頭の上にあるはずの光の輪が、影も形もないのです。
「まさか、天使のお印が……」
「おあいにく。ヘマなどしない、とうぞくのガラコさん。お印は、失くしちゃったわ」
「失くしただって?」ガラコは、さっきまでノエルを押し込めていた麻袋をひっくり返しました。「そんなバカな! どこへ隠した?」
「寄付したのよ。なんとかっていう、とても長ーい名前の団体に」
ガラコは呆れて、空っぽの麻袋を床に叩きつけました。
「なんていう間抜けだ、ちくしょう!」
「残念だったわね。天使を誘拐すれば、天国に身代金を要求できると思ったの? 無理でしょうね。きっとあたし、もうそんなに長く、天使でいられないと思うもの。誰にも必要とされないし、人間には失望しちゃうし……」
「その寄付したってのは、どこの団体だ? いますぐに思い出せ!」
ノエルの言うことに取り合わず、ガラコは詰め寄りました。
「知ってどうするの?」
「決まってるだろ、オレは泥棒だぜ?」
「まあ!」
ノエルは思わずいつもの口ぶりで、「いけません、泥棒だなんて……」と言いかけて、そこでやめました。どうせ、いくら熱心にお説教を聞かせたところで、人間が耳を傾けることなど、ありえないのです。ましてや、天使をさらった犯人が、いまさらお導きを聞き入れるわけがありません。
「やめた。どうせあなたも、あたしの言うことなんて、聞きっこないもの」
「当たり前だ。そんなもんは、もっとまともな人間に聞かせてやりな。オレのような負け犬なんかにゃ、手遅れよ」
負け犬という言葉を聞いて、ノエルは、膝を抱えました。
「……負け犬っていうんなら、あたしこそ負け犬よ」
ほんの少し前、自信たっぷりに天界から飛び降りたばかりだというのに、半日もたたないうちに、ガブリエルさまが釘を刺したとおり、天使を続けることをすっかり諦めてしまいたくなっていたからです。
そのとき、ノエルは、ふとなにかを思いついて、顔をあげました。
「そうだ! どうせ天使をやめるなら、いっそあたしも、泥棒になっちゃおう! ねえ、ガラコさん。あたしにどろぼう、教えてくれない?」
面食らったのは、ガラコです。およそ天使の言い出すこととは思えない意気込みに、ガラコは頭を天井にぶつけんばかりに飛び上がりました。
「天使がどろぼうを教えてくれだって? そんなでたらめがあるかよ!」
「だって、ちょうどいいじゃない。これから光の輪を盗みにいくんでしょ? あたしも手伝うし、ついでにちょっと、コツのひとつも教えてくれれば……」
「誰が教えるか、バカ!」
「じゃ、あたしも寄付した団体のこと、教えない」
ノエルは、ツンと向こうをむいてみせました。
「このやろう……!」ガラコは、頭に血がのぼるあまり、言葉を詰まらせてしまいました。
ノエルは、今度は、ガラコに誘うような視線を投げかけていいました。
「ねえ、邪魔はしないわ。探すのを一緒に手伝うし、もしうまく光の輪を取り戻せたら、あなたのものよ。どう?」
ところが、ガラコは、にべもなくその誘いを断りました。
「いいや、結構。おれ一人で十分だよ」
そして、それ以上何も聞きたくないというふうに、くるりと向こうを向くと、冷静さを取り戻した、落ち着いた口調で言いました。
「考えてみりゃ、聞くまでもない。お前をひっかけそうな連中なんて、だいたい見当がつくさ」
ガラコは、転がっていた酒びんのひとつを拾い上げ、一口流し込みました。
「ここで待っていろ。いいか、逃げようなんて思うなよ」
自分を置いて、さっさと出かけようとするガラコに、ノエルは粘り強く交渉を試みました。
「ガラコ、いい?よく聞いて。まずひとつ。いくらあたしを誘拐したって、天国から身代金なんてとれないわ。天国には、お金なんてないんだもの」そういって、ノエルはかわいい指を一本立てました。
「ふたつ。もし光の輪を盗み出したって、あたしが天使でいられるとは限らない。いいえ、きっとあなたが戻ってくるころには、もう天使じゃなくなってるでしょうね。つまり、あたしをここに捕まえておいても、意味がないってことよ」かわいい指を二本立てました。
「そして、みっつ」
ノエルは、ちょっと上をみて考えました。
「みっつ……みっつ……。そう、こんなにかわいい助手、世界中どこを探したっていないわ!」
ノエルが、とびきりの笑顔で三本目の指を立てたとき、すでに、小屋の中にガラコの姿はありませんでした。
「ちょっと!」
ノエルは鳥かごの格子にしがみつきました。
誰もいなくなった部屋をよく見回すと、床の真ん中に、丸い穴がくり抜かれています。そこには、外へ下りるはしごがかけられていました。ガラコは、そこから出ていったに違いありません。
「戻ってきてよ!ガラコ!」
はしごの穴に向かって、ノエルがさけんだ途端、そこからガラコが顔を出していいました。
「一体なんだ、あの連中は!」
ガラコは部屋の中にとって返すと、ノエルの鳥かごを抱え、小さなガラス窓のそばへ駆け寄りました。部屋にある窓の中で、唯一ガラスの張ってある、丸くて小さな窓です。
ガラス越しに、枝葉の隙間をそっとのぞくと、警官隊と、町の人とが何人か、そのあたりを歩き回ってます。
ノエルが、そっといいました。
「あたしを探しにきたんだわ」
「お前を? 警官隊が、なぜお前を追うんだ」
「カリスマ性って、怖いわよね」
ガラコは、まるで疫病神でも見るような目で、不安げにノエルを見つめました。
「よっつ。あたしをここに置いていくと、警官に連れてかれちゃうかも。いつつ、そしたら、あたしみんな白状しちゃうわ。ここがとうぞくガラコのあじとだっていうことも……」ノエルは、右手のかわいい指を三本、左手の愛らしい指を二本立てて、横目でガラコを見ています。
ガラコは、鳥かごの扉を開けていいました。
「ひとつ、逃げるなよ、助手にしてやる。ふたつ、カリスマ性はしまっとけ。絶対に面倒をおこすなよ。いいな?」
泥棒の助手は、満足そうにうなずき、ニコニコして名乗りました。
「あたし、ノエルよ」
ガラコは、反対側の窓からそっと身を乗り出し、警官隊にみつからないよう、木の陰をつたって、すばやく地面に降りました。
隠れ家の周りは、背の高い草地にが広がっています。ガラコとノエルは、身をかがめ、追っ手を中心に円を描くように、ぐるりと遠回りしながら川へ出ました。
川には、いまにも沈みそうな、穴だらけで傷だらけの小舟が繋いであります。
一目見て、ノエルには、この舟を作ったのが、あの隠れ家を作ったのと同じひとだとわかりました。
「乗れよ」
小舟は、まるで悲鳴のような音を立ててきしみました。ガラコは、自分の背丈よりほどもある長いさおをさし、舟を川の流れにのせました。
遠く、下流には、あのカラフルでかわいい町並みが、小さく見えました。
事情はさておき、ノエルは、雲の上からいつも眺めていた小さな川の流れに、いま自分が舟を浮かべていると思うと、たまらなく嬉しい気持ちになりました。
リヴァル川は、ノエルをふたたび町へと運んでいくのでした。
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