02. リノの集会
小さな川を中心に、ささやかに栄えたこの町は、川と同じ名前で、リヴァルといいました。
リヴァル川は、町の至る所へ細かい水路を巡らせており、小さないかだやボートが、いつも、いくつも行き交っています。そして、町中の建物はみんな古く、それでいて、どれもこれもカラフルに彩られていました。大通りを中心に、小さな路地があちこち通っていて、道のわきには、ときどき、大きな老木が、人々に憩いの木陰を作っています。お店通りには、新鮮な野菜や果物、とれたてのお魚などが並び、もちろん、それらの食材をふんだんに使った、レストランやカフェも、軒を連ねていました。
お昼時ということもあってか、通りはなかなかの賑わいぶりです。
ノエルは、そんな町の様子を空から眺めるだけで、心から楽しくなりました。そして、はやくこの町の人たちと仲良くなって、彼らのためにお導きを与え、お祈りをしたいと思いました。そうすれば、きっとみんな喜んで、すぐにでも、自分のことを必要だと思ってくれるにちがいありません。
リヴァル川の上空を、ふわふわとたどりながら、ノエルは目に浮かぶようでした。このカラフルな建物の窓のあちこちから、町中の人たちが顔を出し、ノエルに向かって手をふり、口々に感謝の言葉を投げかけるようすが——。
さて、ふとすこし先に目を向けると、広場に人だかりができています。
「なんの集まりかしら?」
ノエルは、広場の真上までひらりと飛んでいき、聞こえてくる演説に、耳を傾けました。
「リヴァル教会の再建に、ご協力を!」
集まった人々の視線の先には、少し派手な緑色のローブをまとった、若い男が立っています。ノエルによく似た明るい金髪を、肩まで伸ばした、なかなかのハンサムです。
教会と聞いて、ノエルはたちまち興味を持ちました。
「わたしたちが、神への信仰を失ったのは、いつからでしょう? 神のお導きを手放したのは、いつからでしょうか?」
聴衆は、静かに演説を見守っています。
「多くの仲間たちがいま、道に迷っています。人を疑い、人を傷つけ、そして、誰もがそれらを見捨てたまま、過ごしています」
若者は、一段と声を張り上げました。
「我々に必要なのは、一筋の光です。すなわち、信仰心に、他なりません。教会は、その礎です。リヴァル教会再建のために、心あるみなさまのご支援を!」
その言葉を聞いて、集まっていた人たちは、それぞれわずかばかりの持ち合わせを、若者の足元にある布袋の中に、投げ込みました。
ただし、群衆の中には、こんなことを言う者もありました。
「しかしね、リノさん。あんたはそうやって、もうひとつきも、あちこちで寄付を募っているじゃないか。もう割合、いい額が集まったろう。一体、工事はいつはじまるんだね?」
リノと呼ばれた若者は、答えました。
「ええ。確かにこの一ヶ月、多くのお気持ちをお寄せいただきましたとも。我々『リヴァル教会の再建を目指す有志の会』一同も、身を削る思いで、献身してまいりました」
彼の後ろには、その長い名前の会の一同と思しき、数名が並んでいました。みな、頭から深緑色のローブをすっぽりかぶっていて、顔はよく見えません。
「誠に残念ながら、それでもまだ、足りないのです!」
リノの表情は、心からの悔しさが滲み出んばかりに、歪んでいました。
「しかしながら! しかしながら、もうあと少しなのです! どうか、みなさん、あといくばくかのお力添えを!」
その悲痛な訴えに、集まった人たちは、仕方がないというふうに、もう一度ポケットの中を念入りに探り回して、ようやくみつけた小銭を、あらためて放ってやりました。それから、ひとりひとり、めいめいに帰っていきました。
この名演説を広場の上で聞いていたノエルが、深い感激からようやく我に返ったのは、群衆がみないなくたってからのことでした。ノエルは、帰り支度をしているリノの前に、小さな手で精一杯の拍手を送りながら、舞い降りました。
「素晴らしいわ!」
リノは、突然現れた天使に、あっけにとられています。
「本当に素晴らしい! あなたみたいな人がいてくれるなんて、あたしにとって、どれほど心強いことかしら!」
そういって、ノエルはリノの目の前で、とびきりの笑顔を作ってみました。
「……まさか、本物の天使さま?」
リノが驚いて尋ねると、天使はにっこり笑顔の自分を指差して、得意げに、うんうんとうなずいてみせました。
「ノエルといいます。正真正銘、あたし、本物の天使です!」
「なんたる奇跡!」リノは、さらなる驚きの表情を浮かべ、天を仰ぎました。
「これぞ、まさしく神のお引き合わせ! おお、天使さま! 私たち『リヴァル教会の再建を目指す有志の会』を、お救いくださるのですね?」
「もちろんですとも!」ノエルは、大きく張った胸を、ポンとたたいてみせました。「あいにく、お金は持っていませんが、寄付のほかにできることなら、なんでも協力させていただきますよ」
「お金ですって?」リノは、またしても大げさに驚いたあと、首を横に振りました。「当然ですとも! 高潔な天使であられるノエルさまに、ご寄付を願い出るほど、このリノ・ボルケーノは、
「あら、不埒だなんて。ごめんなさい、そんなつもりじゃ……」
ノエルの言葉を
「しかし、そうは言ってもです。世知辛いかな、そのお金の力を借りずして、教会の再建を成し遂げるのは、正直に申し上げまして、不可能といえましょう」
ノエルは、もちろん、というようにうなずきました。
「そこでです。いかがですかな? あなたさまのその頭上に輝く、光の輪。それを我が有志の会に、ご寄贈いただくというのは……」
リノは、ノエルの頭上に光る輪に、からめめとるような視線を送りました。
「この光の輪を、あなたに?」今度は、ノエルがびっくりする番でした。
「いいえ、わたしにではありません。再建する教会に……、つまり、ひいては、そこに希望を見出す、町中の人たちのために、です。どうか、ぜひ、お贈りいただけませんか?」
「だって……、だってこれ、天使のお印よ? あたしが天使だっていう、目印よ? そう簡単に、あげちゃうわけには……」
リノは、その言葉を聞くと、顔色を変えて、不躾な頼みを取り消しました。
「おお、仰せの通りでございますとも、天使さま! 欲深きわたくしめの由無し事にございます。どうかお忘れください」
手のひらを返したように謝られて、ノエルは、却って戸惑いました。
「そんな、あの、どうぞお気になさらず……」
「ただ……その光の輪、そのお印さえあれば……。天使さま自らが、かの教会の再建のためにご寄贈を給われたという証さえあれば、おそらく町のものたちも、一層信心を厚くすることでしょう。うまくいけば、はや明日にでも、工事に手がつけられるかもしれません。いいえ、忘れてください。愚かなわたくしめの、ほんのつかのまに見た、夢物語でございます」
ノエルは、なんとこたえてよいのか、わかりません。リノは続けました。
「天使さま。あなたがここに舞い降りてきてくださったというだけで、わたくしどもは、百万の味方を得た思いです。お印をせがもうなど、浅ましい考えは。いまここできっぱりと捨てました。たとえ千年かかっても、必ずこの教会を建て直してみせましょう」
「せ、千年ですって?」
「地道に歩むのみです」
ノエルは、煙にいぶされたヤブ蚊のように、クラクラとよろめきました。
もし、この町の教会が直れば(それも、この町によく似合う、カラフルでかわいい教会になれば、なお素敵だと、ノエルは思っていました)、きっと町の人々の信心は、春の高原のように花開き、天使のお導きをよく聞き入れるようになるでしょう。ガブリエルさまも、きっと人間を見直してくれるに違いありません。
しかし、千年も先となると、とても待ちきれそうにありません。
ノエルは、頭上に光る天使のお印に、チラッと目をやりました。
この輪っかひとつで、千年先の夢が、明日にでも叶うというのです。ボロボロに朽ちて、見向きもされなかったかわいそうな教会が、生まれ変わって(それも、ピカピカ光るかわいい鐘のついた教会なら、言うことないと、ノエルは思っていました)、そこが、町の人たちの憩いの場になるなんて、どんなに考えたって、これほど素晴らしいことはないように思えました。
ノエルは、頭の上の光の輪に、そっと手を伸ばしていいました。
「『リヴァル教会の再建を目指す有志の会』のみなさま。あなたがたは、今日まで大変なご尽力をなさいました。あたしができることは、あなたがたの足元にも及びませんが、これは、せめてもの気持ちです。どうか、お役に立ちますように」
そう言って、ノエルは光の輪をそっと取り上げ、リノの目の前に差し出しました。
「おお、なんと……」
間近でみるその光の、なんと神秘的で美しいことでしょう!うっすらとした青や緑、ピンクや黄色のほのかな輝きが、止まることなく溶け合い、混ざり合い、次々に新しい色彩を織りなしています。
息を飲んで見つめるリオの顔も、淡い虹色に照らされました。
「神に、永遠の忠誠を……!」
リオは、それをさっと引き取ると、自分の頭上に浮かべました。
「おお…」周りを囲む緑色のローブたちから、
ノエルは、少しだけ不安な気持ちがこみあげてきましたが、笑顔のままでいました。
リノは、はつらつとした笑顔で、ノエルに言いました。
「おかげでもうひと稼ぎ……、いえ、もうひと頑張りできそうですよ、天使さま」
「ええ、応援してますよ」
緑色のローブの集団は、リノを先頭に、次なる演説会場を探すべく、ぞろぞろと広場をあとにしました。
ノエルは、その後ろ姿を、ニコニコと手をふって見送りました。
やがて、彼らの姿が見えなくなると、大きな深呼吸をひとつして、いいました。
「さあ、あたしも頑張らなくちゃ! これからが、天使の本当のお仕事だ!」
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