天使ノエルと川の町
新星エビマヨネーズ
01. 10才になったノエル
大天使ガブリエルさまは、物うげな表情で、ため息をひとつつきました。
雲の上の
背もたれの高いイスに、足を組んでこしかけたまま、ガブリエルさまは、さきほどからすいぶんとこうしておられます。
しばらくすると、目の前に、小さな天使が飛んできました。人間の赤んぼうのように小さくて、背中の羽根も、くつ下の先っぽほどしかない、小さな小さな天使です。
その小さなつばさをパタパタと動かし、天使は、大きな声で言いました。
「お話があります、ガブリエルさま」
ガブリエルさまは、ため息をつくのをがまんして、なるべくおだやかに答えました。
「そのお話は、もう済んだはずですよ、ノエル」
「でも」ノエルと呼ばれた天使は、もうすこし前へ出て、言いました。「やっと10才になったんですよ? あたし」
ガブリエルさまは、もう一度ため息をがまんして、言いました。「たしかに、あなたのおっしゃりたいことは、わかります。10才になった天使は、下界に降りて、迷える人間たちを、正しくお導きする。それが、一人前の天使になるための、私たちの古くからのしきたりですからね」
ノエルは、その言葉を待ち構えていたかのように、とびきりの笑顔で言いました。
「あたし、その10才になったんです。ようやく!」
しかし、ガブリエルさまは、その笑顔をふりはらうように、首を横にふりました。
「残念ですが、あなたを下界に下ろす訳にはいきません」
「どうしてですか?」
「いまの人間は、危険すぎます」
ノエルは、続けて聞きました。
「危険って?」
「人間たちは、もう誰も、昔のように、私たちのお導きに耳をかたむけようとはしません。わたくしは、ずいぶん前から、このことに頭をなやませています」
ノエルは口をはさまず、お話の続きを待ちました。
「いいですか、ノエル。一人前の天使になるためには、人間にとって必要とされ、心から大切な存在とならなくてはなりません。ところが、——とても残念なことですが、いまや、われわれを必要とする人間は、どこにもいないのです」
ガブリエルさまは、ノエルをまっすぐ見つめて、続けました。
「危険というのはね、ノエル。そんな人間たちを見て、わたくしたち天使が、失望してしまうことなのよ」
ノエルの心に、ひやりと冷たいものが走りました。
「いつまでも、だらくしきった人間と一緒にいると、天使でいることを、あきらめてしまうの」
「でも、あたし、きっと……」
ノエルがなにか言おうとしたとき、ガブリエルさまは、とうとうがまんしていた大きなため息を、ふうとはき出しました。
「いままで、そのために、何人の仲間たちを失ってしまったことか……」ガブリエルさまには、なにか、思い出したくない、つらい思い出があるようでした。「ですからノエル、あなたを地上に下ろすわけには、いかないのです」
ノエルは、ガブリエルさまの悲しくふせられた
ノエルは、ガブリエルさまの前を下がると、ふらふらと雲の切れ目までやってきました。そこで、そっとこしを下ろし、両ひざの上にちょこんとほおづえをつくと、自分の小さな足のはるかさきに広がる風景を、ぼんやりとながめました。
ノエルの足元を、いくつかのちぎれ雲が、ただよっています。そのうんと先にある大地には、ところどころに雪をかぶった山脈が、青々と連なっていました。いくつもの大きな雲のかげが、その山はだをなでるかのように、ゆっくりと流れています。山のふもとは、こい緑色の森におおわれ、その中で、ときどきぽっかりと、鏡のように青空を映しているのは、湖です。さらに外へ広がるのは、明るい緑色をした草地です。森から流れる川が、グネグネといくつも横切り、海へとつながっています。海は、見る時々によって色を変え、水色だったり、真っ青だったり、こん色だったりしました。それから、明け方や夕暮れ時には、燃えるような赤や、宝石のような黄金色にかがやくときさえもありました。
ノエルは、この地上の景色をながめるのが、大好きでした。神様は、どうやって、こんなに美しい世界をお創りになったのでしょう。山も、森も、雲も、毎日ながめていて、あきることはありません。ノエルはいつも、夢中になって想像するのでした。あの山には、どんな動物がかくれているのだろう。あの森の中には、あの草かげには、あの川の中には……。いったい、どんな生き物たちが暮らし、どんなことを語り合っているのでしょう。
そして、そんなノエルの興味をもっとも引いたのは、やはり、何と言っても人間でした。
よく注意すれば、はるか雲の上からでも、人間の町の様子を見ることができました。
たとえば、ある小さな川の
ノエルは、人間が好きでした。
建物をつくり、橋を作り、船を作り、みなで力を合わせて、町や暮らしを発展させていく人間たちをながめては、いつもほほましく
あの小さな町で寄りそい、いじらしく暮らしている人間たちが、ガブリエルさまのいうように、危険な生き物だとは、とても思えませんでした。
「もし本当に、人間が、危険な生き物だとしたら」ノエルはつぶやきました。「それを正すことこそ、天使のお役目だわ」
ノエルは、自分の言葉をきっかけにして、胸のおくに、強い決意がわき上がってくるのを感じました。その決意とは、自分が天使としてのお役目を、立派に果たすことへの決意です。試練に立ち向かうことへの決意です。
ノエルは、10才になる日を、ずっと待ちこがれていました。それなのに、今日ここであきらめてしまったら、昨日までの自分が、どんなにがっかりするでしょう。
「どうしても、試してみなくちゃ! あたしが、一人前の天使に、なれるかどうか!」
ノエルは、ガブリエルさまの方を小さくふり返って、自分に言い聞かせるようにささやきました。
「きっと、一人前の天使になって、帰ってきます。心配しないで、ガブリエルさま」
そして、すべり台でもすべりおりるように、こしかけていた雲の上から、ぴょんと反動をつけて飛び降りました。
とたんに、ノエルの体は重力に引っ張られ、地面に向かって、ぐんぐん加速しはじめました。雲の上では、いつもふわふわと軽くはずんでいた自分の体が、まるでなまりにでもなったかのように、とほうもない力で地面に引っ張られていくのを感じて、ノエルはおそろしくなりました。
あわてて小さなつばさを力いっぱいばたつかせると、ノエルの体は、次第にやんわりと速度を落としました。そしてようやく、いつものように、ふんわりと空気にただようことができるようになったとき、ノエルはふと顔をあげてみて、おどろきました。
見渡す限りに、広がる雲のすきまから、お日様の光が、いくつもいくつももれ注ぎ、水平線のはるか先まで、いくえにも重なる、光のベールを作っていました。雲の下には、こんなにも神秘的な芸術作品が、かくれていたのです。
それは、雲の上で生まれたノエルが、生まれて初めて見た景色でした。
ノエルは、その景色が、自分の門出にとって、これ以上ない神様からの祝福のように思えて、なりませんでした。
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