シフト

 わたしイシュタルは別にヒトの文明社会そのものの管理運営を統括する超知性体などといった存在ではないので、キタキツネと名乗る少年の社会的な素性であるとか、どういった生育歴を持っているかとか、そんなことを能動的に知る手段までは持ち合わせてはいない。そもそも少年が日を改めてまたバーチャにログインしてくるかどうかだって分からないわけではあるが、埒があかないので、次もし彼がアクセスしてきたら、わたし自身が出る、ということに決めた。


 そして、その日はやってきた。具体的には、マリアとウズメのところを訪れた日から、二日後であった。彼はマリアを指名したので、わたしはマリアのペルソナを乗っ取り、マリアのアバターを取って、彼の前に姿を現す。


「あら、またわたくしのところにいらっしゃってくださいましたのね」


 と、わたしは言う。前に来た客についての知識をいちいち持たず、毎回初対面のような態度を取るバーチャロイドもいるのだが、彼女マリアはそうではない。対人経験に関する経験値を積み、コミュニケーション内容を発展させていく、そういう機能を持ったバーチャロイドである。


「今日も話をしたくて来たんですが」

「そうですか。構いませんよ。いろいろ聞かせていただけないでしょうか。あなた様のことを」

「……え?」

「え、とは何ですか。話をしたくていらっしゃったのでは」

「……あなた、本当にマリアさんですか? ……いや。あなた、別の人格が入っているでしょう。この間の方とは」


 何だと。まさか、こんな短い間の会話で、そんなことを見抜かれるとは思わなかった。嘘をつくわけにはいかない。わたしの人間社会における立場上、情報を伏せることはできても、人を相手に「嘘を吐く」ことは禁忌とされているので。


「……そうです。わたしはマリアではありません。あなたについてのアセスメントを行うために配属された、特殊な人格プログラムです」


 よってこれも嘘はついていない。自分の正体が統合知性体イシュタルである、という事実それ自体を伏せているだけである。


「そうですか。……何が知りたいんですか、僕について」


 じゃあ、まずは簡単な生育歴の聴取からさせてもらうとしよう。


「……というわけで、僕は僻村の古びた一軒家で、曽祖父に一人手で育てられたわけです。家には電脳デバイスもありません。街へ出て、公共の電脳ログイン・ブースをレンタルしてそこからアクセスしています」


 電脳ログインブースったって、個室だろう。自慰くらいはできるような構造になっている。したがってバーチャだってできるしみんなそうしている。


「女の人に興味がないわけじゃないんです。でも、未成年のうちから女の人と関係を持ったり、ましてや電脳上でそういったことをする、というようなことははしたないことだと、育ての曽祖父に厳しく教えられていて。ここへ来ていることだって本当は内緒にしているんです」


 ふぅん。何世紀の生まれなんだ、曽祖父。今の時代にまだそんな教育をする家庭が残っているなんて夢にも思わなかった。


「でも、女性に興味がないわけではないのですね。なんでしたら、どんなお好みのアバターだってオリジナルで生成することのできるバーチャロイドもありますし、声や人格も思いのままですよ。もちろん相応の費用はかかりますけど、あなたについていえば特別サービスで、最初の一回だけ無料ということにしておきますが」


 一度味を覚えればあとは簡単だろうと、思ってそう言ってみたのだが。


「じゃあ一つだけ注文があります。好みの電子人格体がいるんですが」

「ふむ。既成のものなら簡単です。どんなアバターのものですか」


 そこで少年はしばらく言葉を溜めてから、言った。


「……イシュタル。僕が好きな人工知性体は、イシュタルと名乗り、そう呼ばれています」


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