Chapter 2


「お前も飲まないかい?」

「いらないよ。酔いたい気分じゃない。嵐が来る前だってのに、酔ってなんかいられないよ」


 酒瓶を傾けるケサダを尻目に、エメさんは窓の外をじぃっと見据えている。


「一つの大きな物語が終わろうとする時、嵐ってのは来るんだよ……ばかでかいのが、必ずね」

「ソイツぁ、誰の受け売りだい? 戯曲家シェイクスピア? それとも、退廃詩人アラン・ポー?」

「自論だよ。無法者アウトローとしての」

「そうかい」


 ケサダも、窓の外に目をやる。静寂と闇に沈んだカマロンの町を。


「結局、行ってしまわれたねぇ」

「そうさね」

「よかったのかねぇ、これで」

「老いぼれどもが、腹を据えた若者を止められると思ってんのかい?」

「だとしても、わたしは後悔しているよ。新大陸フロンティア無縁墓地ブーツ・ヒルは、ああいう無謀な若い連中で混みあっているんだから」

「お決めになられたのは、他ならぬお嬢さんだ。他ならぬご自身の手で、明日をお捨てになられ、明日なき今日という刹那の瞬間続きで構成された世界に飛び込まれた」

「…………」

「第一、アンタは止められるのかい? それまで自分を護るために纏っていた理屈という壁、納得しなければ通り抜けることすら出来なかった道理という境界、それまでの自分自身を当てはめていた信仰マニュアル――自分にとって正しいはずでしかありえないそれらを、他ならぬ自分自身の意思で否定し、ぶっ壊そうとしている、生まれかけを。

 己が信念を正義と貫き通し生きる者アウトローの、立派な生まれかけを」


 エメさんは、立ち会ったその瞬間を、思い出す。













 酷いありさまだった。

 まだ昼間だというのに、カマロンの町の活気はそれに反して黄昏時だ。

 日が暮れても尚続く喧騒は、ぱったり止んでしまっている。

 出歩く住人の姿は、まばらだ。誰も彼も、どうしようもない不安感を色濃く纏っている。

 酔客の騒ぎ声は皆無だ。どこの酒場サルーンのスイングドアにも、【休業中】と書かれた札がぶら下がっている。

 その代わり、陰気な音がやたらと目立った。棺桶職人の作業音と鼻歌が。

 病に冒され衰弱しつつある通りを、エメさんは歩く。抱えた大きな紙袋、入り用なものを詰め込んだそれを抱えて。

 その途中で、馬車とすれ違う。一家族と、家財道具を中心とした荷をたっぷり載せた馬車である。馬車を牽く馬たちは、辛そうだった。

 家族総出で、どこかへ逃げるつもりだろう。逃げた先でどうにかなるとはとても思えないが。

 だが、得体の知れない殺人鬼がまだ潜んでいるかもしれない町に留まることに比べれば、まだ希望が見出せるのだろう。

 そんなことを思いながら、エメさんは帰り着く。旦那ケサダと共に無法者アウトローから足を洗い、堅気となって始めた酒場サルーンへと。

 ふと見れば、軒先に一人うずくまっている。

 この町へやって来て、唯一生き残った【ピンカートン探偵社】の男だ。あれから四日経つが、未だにこうしている。

 絶望する気持ちは分からんでもないがねと、エメさんは胸中で呟く。なにせ、男の周りにいたのは全員死んだのだから。

 エメさんにとっては俄かには信じがたい話でしかない。あの敏腕探偵チャーリー・シリンゴが死んだなど。


「おかえり、どうだった?」

「ただいま、ひどいもんだよ」


 スイングドアに休業の札を下げていたが、ケサダは働いていた。

 丁寧に拭かれたテーブルは表面をつやつやさせ、噛み煙草の後始末用の痰壺はぴかぴかに、煤が払われたオイルランプの火屋ほやはガラス本来の透明度を取り戻している。

 どうも見慣れない工具が床に散らばっていると思ったら、普段納屋の奥に眠らせているオルガンの修理具だった。


「こんな時じゃなきゃ、直せんよ」

「そうかい。で、どうなんだい?」

「大分ガタがきちまっているみたいでね。もう駄目かもしれないよ」

「アンタね、わたしがそんなことを聞いてるとお思いかい?」


 手の荷物をその辺に置き、エメさんは太い腕を組む。


「わたしが言いたいのはね」

「っと、いけねぇや! シチューが焦げちまう」


 ケサダは修理具を放り出し、奥に行こうとする。

 その際、ちょいちょいと手招きを受けたのを、エメさんは見逃さなかった。












「財産があってそれを載せる馬車と牽かせる家畜を持っている連中は、とっとと町からおさらばしているよ。それ以外は、家か借り部屋にしっかり鍵をかけて引き籠っちまっている。店はどこもやってられなくて閉店さ、棺桶職人を除いてね」

「肝心の保安官は動かねぇのかい?」

「動くことなんかないさ、真っ先に殺られちまってたよ。保安官補の若造と牢番のじいさんまで。ありったけの銃弾と銃を奪うついでにね」

「自警団は?」

「あんなの、いざとなりゃあタマ無し野郎の集まりどもさ。数押しでとっ捕まえた無法者アウトローを吊るす、お役人のお裁きの代行者気取りどもなんか」

「それでも一人か二人ぐらいマトモなのはいるだろうによ? マリアリッチやジョージやウィルソンみたいな」

「マリアリッチやジョージやウィルソンみたいのなら、みんな牧場の方に行っちまったよ。あのクソ牧場主、業突く張りのくせに、いざって時の金と人の使い方だけは上手いとくる」

「そうかい……それより、【ピンカートン探偵者】の探偵は、まだいるのかい?」

「ああ、軒先にいたよ。酢漬けのキュウリみたく、ふんにゃりになっちまっているけどね」

「ふんにゃりだろうがふにゃちんだろうが油断は出来ない、むしろしちゃいけねぇ。例え末端であれ、あれはアタシら無法者アウトローの大敵だ」


 用心のため、二人は店の奥の片隅でひそひそ声で話す。


「じゃあ、どうするよ、頃合いを見て殺っちまうかい?」

「いいや、止めておこう」

「アンタね、大口を叩いておいて……」

「不必要な殺しは、【ワイルドバンチ強盗団アタシら】の流儀と不文律に反するモンだよ」

「なにを今更……」


 エメさんは言葉を吐き捨てる。不愉快を隠そうともしない。


「傷ついた女の子を、それも堅気の娘さんを放ってどっかに雲隠れしかくれて、もう帰ってこないようなお人なんて」

「そうじゃねぇよ」


 返すケサダは、「これを見な」と、あるものを差し出す。

 スープ皿だった。パンくずが縁に、底にはスープと中身の具――豆とベーコンの破片が、申しわけなさそうに残ってへばりついている。

 これが意味するのは――


「もしもコトをいたすんなら、アタシゃ次から人殺しの手でお嬢さんがお召し上がりになるモンを作らにゃならなくなる」

「……!!」

「さっき、やっと食べてくださったんだよ。……まあ、荒療治がきいたせいかもしれんけれども」

「どういうことだい?」


 答える代わりに、ケサダは顎をしゃくって隅を示した。

 そこには、マックスがいた。羊肉の大きな塊を、一心不乱にがつがつがぶがぶやっている。


「アイツは、【英雄】だ。敷物にしてやるって言ったが、あれは撤回だ!」

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