Chapter 7


【再生】の際に上がる異彩いさいの炎を上げながら、キエン・エスは立ち上がる。

 その際の動きは、緩慢だった。だが――

 銃声。

 銃弾が、ブッチの左肩を貫く。


「がッ!」


 着弾の衝撃と苦痛にブッチは呻き、よろける。

 その際、腕の力が緩む。抱え込んでいたアトリを、手放してしまう。

 再度、銃声。


「がァッ!」


 間髪入れず、今度は右膝に衝撃が走る。

 撃ち砕かれたそれから力が抜け、踏ん張りがきかなくなるのと、視界が赤を通り越してどす赤く染まる激痛に支配されるのは、ほぼ同時。

 辛うじて転倒を免れるも、バランスを崩し、ブッチは片膝をつく。

 異彩いさいの炎は既に収まりつつある。

 既に腕を【再生】し終え、キエン・エスは五体満足で立っていた。

 ホルスターに収めていた得物――もう片方のコルトM1877・ライトニングを抜いている。


「クソッタレが!」


 なにかしらの奇策を有する【ピンカートン探偵社】に殺らせれば、どうにかなると思っていた。

 しかし、あれほどのダメージをくらったというのに、まだ立ち上がってくるのか。

 ぞっとするのを通り越し、最早呆れ返るしかない。

 銃声。













「……う」


 気付けば、アトリは投げ出されていた。

 銃声。

 同時に、「がァッ!」という叫び声。

 叫び声というより、悲鳴だ。ブッチが上げるそれは。


「……ブッチ、さん」


 地面に這いつくばるアトリの視界の中で、ブッチが体勢を崩す。

 なんとか片膝をついて転倒しなかったけれども、バランスは大きく崩れていた。

 やった相手は、キエン・エスだ。

 アトリを間に挟むような形で、ブッチを撃っていた。

 ブッチを、撃ち嬲って殺そうとしていた。


「……や、やめて」


 どれだけの銃弾を叩き込まれたって、【再生】するのだ。

【不死者】は死なない、死ぬことは決してありえない。傷を肉体に負わされ、刻み込まれる恐怖――それらが回避されることは約束されていないはず。

 同じ【不死者】であるはずのキエン・エスは、それを理解しているはずなのに。


「……お、お願い、やめて」


 もしかすれば、ありえることかもしれなかった。ブッチが死ぬことが。

 どれだけの弾丸を叩き込まれようとも、【不死者】は死なないという。

 でも、もしそのどれだけ以上の弾丸を撃ち込まれればどうなる?

 十発ならまだしも、百発、千発の弾丸、あるいは一万発の弾丸を撃ち込まれたらどうなる?


「……お願い、やめて、やめて……!」


 ブッチが死ぬ。

 ブッチが死んでしまう。

 死んで、いなくなる。

 アトリの前から、いなくなる。

 アトリの前から、永遠にいなくなる。


【あの人】みたいに。


 奪われる。

 理不尽に。


 どくんっ!

 鼓動が、一度――大きく、響いた。

 あとは、聞こえない。

 もう、聞こえない。

 なにも。

 なにもかも。


 だから、アトリは、情動に突き動かされるがまま――


「!!!!」


 その際、声にならない絶叫を上げたのは、果たして誰だっただろうか。

 銃声。

 そして、絶望が産声を上げる。













 眼前の光景は、ブッチにとって信じがたいものでしかなかった。

 なにが起こったのかは、理解できた。

 されど、それが何故起こったのかは、理解できなかった。

 着弾の衝撃に、呼吸が詰まったのだろう。身体が一瞬、硬直する。

 後々分かることなのだが、幸か不幸か着弾はしていなかった。

 だが、銃弾は、肩の肉と鎖骨の一部を削ぎ取っていった。

 削ぎ取られた部分から、真っ赤なものがぱっ! と飛び散る。血飛沫と、皮膚の欠片と、細かな肉片が。

 それらは、ほぼ一瞬のうちに起こったことだ。

 とさっ、と――枯れ木が倒れるような音。

 軽い音でしかないはずのそれは、しかし、いんいんと響いた。

 アトリが倒れる、その音は。

 倒れたのは、ブッチを庇ったからだ。ブッチを庇って、銃弾の盾になって撃たれたからだ。

 撃たれたのは、飛び出したからだ。ブッチの身体を穿つはずだった銃弾を、アトリがその身に受けたからだ。

 立ち踏ん張って耐えたのだろう。着弾の衝撃により、その小柄な身体が放り飛ばされなかったのは、奇跡でしかない。

 だけれども、そんな奇跡はロクなもんじゃない。

 倒れたアトリは、やがて、動かなくなる。

 銃弾が穿った箇所から、不吉な赤が流れ出ていく。


「……!?」


 流れ出るそれを眼にした瞬間、言い様のない恐怖がブッチの心臓を鷲掴む。

 それは、目前でアトリが撃たれ、倒れたのを目にしたためであるはずだった。

 けれど、実際はそうではなかった。

 何故ならその恐怖は、ブッチが人間であることを否定するものだったからだ。

 お陰で、否が応にも、ブッチは最早自分が人間ではなく【不死者】という人ならざる存在であることを思い知らされる。

 アトリは【不死者】ではない、ただの人間でしかない。

 ブッチのように、どれだけの弾丸を叩き込まれようとも決して死ぬことのない異常な存在では断じてない。

 たった一発の弾丸を受けるだけで死んでしまいかねない、ただの人間でしかない。

 だから、倒れた瞬間――駆け寄って、抱き起してやりたかった。

 倒れて動かないその小さな身体を揺さぶって、名前を呼び叫んで、眼を覚まさせたかった。

「やりたかった」のではなく「そうしなければならなかった」のだ。なのに、ブッチにはそれが出来なかった、そうすることさえ出来なかった。

 この現状を受け入れられないがため、動けなかったわけじゃないのに。

 そもそも動けない、動くこと自体叶わない、そういう意志の有無以前に出来ない。

 そうしなければならないという意志に反し、行動にブロックがかかってしまったのだから。

 らしくもなく、ブッチはすくんでしまっていた。

 例えが合っているかどうか分からないが――なにかとんでもなくヤバい存在に対してビビってこんな、或いは、なにかとんでもなく恐ろしい存在に本能的に恐怖する人間の反応って、こんなんじゃないだろうか? 

 蛇に睨まれたカエルならぬ、存在しないはずの怪物との遭遇であいを感じ取った人間というのは。

 それじゃあ一体、ブッチをそこまで追い込むものとは一体――

 しかし、追い込まれていたのは、ブッチだけじゃなかった。


「¡¡Aaaaaaaaaaaaaaaah!!」


 叫び声を、ブッチは聞いた。

 苦悶と、恐怖――【不死者】キエン・エスが、怯えている。

 にわかに信じられるものではなかった。何故、そんなものが上がるのだ? 

 死の軛にとらわれざる存在たる【不死者】であり、数多幾多の人間たちを平気で殺し殺して殺し尽せる最悪の殺人者が、たった一人の少女を撃っただけで。

 キエン・エスは完全に恐慌一歩手前だった。

 得物を持たぬ方の手で自分の前髪を鷲掴み、開いた口からは声帯がぶっ壊れかねない叫び声を迸らせている。

 若葉色リーフグリーンの目にあった狂気は渇き果て、無惨にも剥がれ落ちてしまっていた。

 得物を手放さなかったのは、ガンマンの矜持――ではないだろう。

 恐らくは、拠り所であるに違いなかった。心を捕えようとする恐怖、得体の知れないなにかから逃げるため。


「¡¡Aaaaaaaaaaaaaaaah!!」


 そして――そのまま、逃げ出した。

 矜持も殺意も、全てかなぐり棄てて、なりふり構うことなく叫び声を上げながら。そうすることで、恐怖から逃れようとするのように。


「ンだってんだよ、一体……」


 ブッチはどこか茫然と呟く。なにがなんだかさっぱり分からなすぎるがために。

 この状況が幸か不幸か、ブッチには分からない。

 けれども、キエン・エスがこの場から理由はどうあれ逃げ出てくれたってことだけに限っては幸とすべきだ。

 今のうちに、アトリをどうにかしなければ、してやらなければ。

 激痛走る身体に鞭打ち、駆け寄る。

 なんとかしてやらなければ、アトリは死ぬ。

 無我夢中で、手を伸ばす。傷の具合はどうなっている?


「アトリ……アトリ、アトリ!」


 ブッチにとって、アトリはただの人間でしかありないはずだった。

 故に、ブッチは道を違えることになる。













 沈んでいた意識が、徐々に現実へと引き戻されていく。

 気付けばアトリは、地面に倒れ伏していた。仰向けの出来損ないみたいな、変な体勢で。

 そのせいか、身体が中途半端に熱せられたラードの塊になってしまったみたく、重い。

 あと、左半身が微妙におかしかった。なんていうか、自分の身体であるはずなのに、それが徐々に否定されていいくみたいに。

 なんとなく、右手で触れてみた。件の感覚が生まれ出たであろう場所――自分の左肩に。

 熱くて、ぬるぬるして――そして、真っ赤なものが、指をべっとり汚す。


「……え、っと……血、ってわたし、の……?」


 瞬間、思い出す。ああ、そうだ――撃たれたんだった。

 キエン・エスからブッチを庇おうとして、無我夢中で飛び出して。

 当たり前だ。銃口が向けられる先へ、銃弾は向かう。

 放たれた銃弾は、対象を穿つ。

 たとえその対象とやらが、何であったとしたって。

 それがただ、この場合はアトリだっただけ。


「…………」


 今更ながら、被弾の痛みがものすごい勢いでせり上がってくる。だけど、アトリは悲鳴を上げなかった。

 全く痛くないってわけじゃない。だけれども、アトリは悲鳴を上げることはなかった。

 というより、上げられなかった。


「無事、か……ア、トリ……」

「……ブッチさん?」

「無事な、らなに、より……で、いいんだっ、てば……ね」


 気付けば、ブッチが側にいた。片膝をついて寄り添っていてくれていた。


「……?」


 だけどなんだか、様子がおかしい。ブッチは頭を垂れ、俯いていた。まるで、なにかを必死になって隠そうとしているみたく。

 他ならぬアトリから。


「見る、な」


 それは、アトリが初めて聞くブッチの声だった。


「見る、んじゃ……ねぇ」

「……ブッチさん?」

「俺、を……見るんじゃ、ねぇ……!」


 アトリが初めて聞くブッチのその言葉は、震えていた。それも、ひどく弱りきって。


「頼む、から……俺、を見ないで、くれ」

「……ブッチ、さん……一体、どうし」

「お前の……せいで、こうなった、わけじゃ……お前は、なにも悪く……悪くなん、ざ」

「……っ! 傷、痛むんですか!?」

「なん、でもねぇ、なんでも、ね……ッぐ、ああァ……!」


 しかし、次の瞬間――その堪えは決壊する。

 直後、響き渡るのは、苦痛と苦悶に満ち満ちた、手負いの獣のき声。

 俄かに信じられることじゃない。ブッチが臆面も体裁もなく、そんなものをただただ放つ光景なんて。


「……え!?」


 一体どうなって? と、混乱する間もなかった。

 何故なら、アトリはモロに見てしまったのだから。

 ブッチが、ありえない状態に陥ってしまっているのを。


「……ブ、ブッチさん……!? そ、その、その手……」

「だから、よ……見んなって、言ってる……だろう、ってんだ!」

「……!?」

「見る、な! 頼む、から見る、んじゃ、ねぇ……!」


 ブッチの手は、醜く爛れ切っていた。

 哭き声に呼応するよう、ぶすぶすと煙が上がる。

 醜悪で真っ黒く、おぞましい以外の何物でもありえないものが。

 嘔吐を促す、腐った死肉のにおいを何十倍にも濃縮したみたいな、禍々しいものが。

 直感する。これは、決して癒えるものではない。


「……な、なんで」


 生き物としての摂理どころかこの【異世界】におけることわりから外れた存在の【不死者】であれば、死に瀕するダメージであったってたちどころに【再生】することが出来るはずなのに、一体何故!?

 まるで、なにか触れてはいけないものに、直接触れてしまったような――直接!?


「……まさかっ!?」














 例えばの話――

 ヴァンパイアは、純銀に触れられないという。

 妖精は、鉛に触れると火傷を負うという。

 鬼は豆が苦手だし、バジリスクやメデューサは鏡を見ることが出来ないし、悪霊とか悪魔とかアラビアンナイトの悪い魔神とかは祝詞のりととかみたいな呪文が嫌いだという。

 要は、どれだけすごい存在にも必ず弱点は存在しているってことだ。

 だけど、これは別に想像とか空想上の世界に限られることじゃなかったりする。

 犬や猫はタマネギが、馬や牛や羊はワラビが、インコやオウムやモルモットはアボカドが、それぞれ駄目だっていう話がある。体内に取り入れることで、中毒症状を引き起こすからだ。

 このように、人間にとって大丈夫なものが、他の生き物にとっては有害になるという話は実は結構ある――そしてその逆も、また同じく。

 カイコが常食する桑の葉、ニホンジカが食べるトリカブト、ヤマカガシが好むヒキガエルなんて、人間が食べたら大変な事になる。

 もしもこれと同じようなことが、【不死者】にあったらどうだろう?

 人間に無害であっても、【不死者】にとっては害毒にしかなりえない【なにか】があれば、どうだろう?

 その【なにか】とやらが、今この場に存在していたとしたら?

 例えば、ブッチが触れてしまったものが、その【なにか】だとするならば?


「……そんなことって」


 可能性としてありえないわけじゃない。

 だって、そのなにかとやらは、今この場に存在している。

 それも、ブッチが触れてしまわざるをえないものとして。


「……血、わたしの、血……?」


 アトリは思わず、自分の手を見る。

 それを汚すのは、一体なんだ?

 そもそもそれは、アトリのどこから流れ出た?

 左肩の傷だ、キエン・エスに負わされたものからだ。

 ブッチのことだ。倒れたアトリをなんとかしようと行動を起こしてもおかしくない。

 その際、傷の具合を確かめようとして、触れてしまうってことだって。

 可能性としてありえないわけじゃない。

 ブッチは【不死者】だ、この【異世界】のことわりから外れた存在だ。

 だけどもしも、それ以上にことわりから外れた存在がいるとすれば?

 可能性としてありえないわけじゃない。

 実際、そうあることに他ならぬアトリは――


「……わたしの血、血は、ブッチさんを……」

「言うなッ、アトリ!」

「……他ならぬブッチさんをそういう風にしている、元凶は、わたしの、血で……」

「その先を言うなッ……! 他ならぬお前自身が、ンなこと言うんじゃねェっ!!」

「……わたしの血、血は……」

「アトリっ!」

「……ブッチさんを、【不死者】を殺せてしまえる……!」


【不死者】の天敵――謂わば【不死者殺し】とでもいうべき存在でありえるわけで。


「バカヤロウッ! 他ならぬお前ぇが……お前ぇ自身が、ンなこと認めるんじゃねぇッ……!」


 だけれどもその一言は、アトリにとって死刑宣告同然だった。

 アトリを断罪する弾丸となって、容赦なくその心を穿つ。

 そのままアトリは、意識を手放した。

 崩れ落ちる最後の瞬間口にした絶望の呻きは、もしかすればアトリの心の断末魔だったのかもしれない。













「俺を許してほしいとは言わねぇ、許してほしいとも思わねぇ。許してやるべきなのはよ……アトリ、お前自身なんだぜ」

 無意識のうちに、ブッチの口から言葉が零れ落ちていく。

 届くことが叶わないそれが。

「それになにより、お前ぇの血が殺すのは、間違っても人間じゃねぇってんだよ。殺すのは、【不死者】というただのバケモノだけだ。気なんざ揉むんじゃねぇぞ、絶対に。お前は悪くなんざねぇんだからよ……ただ、たまたまお前が持ち得ていただけだってのが、【不死者】を殺せる唯一の手段だったってだけだ。だからアトリ、お前ぇ……一線だけは絶対越えんなや。望まずしてなにかに成り果てちまうにしたってよ。今日しかねぇ俺なんかが持っていねぇような明日を生きてくれ……頼むから」


 ✟✟✟✟✟✟✟✟✟✟


 Gadjo Dilo


 ガッジョ・ディーロ


 ロマニー語(ロマ族――ヨーロッパで生活している移動型民族の言語)で「愚かなよそ者」を意味する言葉です。

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