Chapter 5


 銃弾をくらった対象は、仰け反って倒れる。

 銃声。

 方向が転換された銃口の先で、また一人倒れる。

 撃った側から見て、左の建物の陰に身を潜めていたサンチョが。

 撃った側から見て、右の建物の階段を遮蔽にしていたクチーロが。

【ピンカートン探偵社】の探偵が二人、ほぼ同時に。


「……ッ、野郎!」

「止せ! 撃ち返すな!!」

「向こうから見えない角度からやれば問題なッがアァ!?」


 銃声。

 ガラスが破られる、けたたましい音が響く。

 同時にライフル、ウィンチェスターM1873のレバーを引きかけていたニーニョが、飛び込んできた銃弾に倒れる。

 シリンゴは咄嗟に、部下を掴んで引きずり倒す。

 銃声、銃声、銃声。

 二人が立っていたあたりを、鉛の死神が亜音速で通り過ぎていった。


「ウソだろっ! 距離はともかく、遮蔽越しだぞっ!?」


 現実では到底ないものを見せられるだけでなく遭わされ、間一髪でシリンゴに助けられたワイルドは悲鳴を上げる。


「アイツ、アイツ、人間じゃねぇ、あれは」

「気持ちが分からないでもないですが、とりあえず、喋る代わりに息を止め、鼓動と血流の音にのみ意識を集中するようになさい」

「で、ですけどっ」

「落ち着けと言っているのが分からないのか、馬鹿野郎っ!」


 その一喝で、千々乱れかけていた精神が醒まされる。

 それぐらい効果覿面だった。余裕が失われた上司シリンゴの叱責は。


「死にたくなければ、今この状況においても心神が平常のままであるよう、心構えていなさい。けれどね」


 シリンゴは言う。【ピンカートン探偵社】の敏腕探偵らしからぬ事を。


「あれを、名のある無法者アウトローや凶悪無比な犯罪者と……いや、人間と同列に考えては絶対にいけません。あれはバケモノだ、正真正銘のバケモノだ。お伽噺や伝説の中に生きる存在たちの幻想が、なんの間違いか悪夢と成り果ててこの世に這い出してきたとしか言いようがない存在でしかありえない、生ける存在に対しての冒涜の産物でしかありえない、バケモノだ。奴のような存在は……【不死者】は!」

「いや……ンなこと唐突に言われても、俺には」


 その一言に、ワイルドは疑惑を懐く。

 どう考えたって、納得出来ることじゃないからだ。

 大体、シリンゴともあろう人物の口から出るべきことじゃない。

 バケモノだの【不死者】だの、オカルティストがほざく戯言じみたものなど。

 例えの引き合いで神や悪魔や精霊マニトゥといった存在を出すのなら分かる。

 でも、鉛の死神たちが容赦なく牙を剥いて襲い来る銃撃戦で、そんなことを言うなど。

 洒落にも冗談にもならない。正直、笑おうにも全く笑えない。

 ふと、ワイルドの脳裏を横切る記憶があった。


「シリンゴさん」

「なんです?」

「アレの……【不死者】とかいうものやらに関することって、さっき【ケルビム】が言っていた【コード:Á】とやらとなにか関係が」

「平たく言えば、案件ですよ。【ピンカートン探偵社うち】が請け負わされている」

「【不死者】とかいう……シリンゴさん曰く、バケモノに関してどうにかしろっていうものが、ですか?」

「というより、ガキの使いですね」

「【コード:Á】とやらが、ですか?」

「その逆ですね」そして――「【コード:Á】とやらを除く全て、全部が全部がですよ。それこそ、【ワイルドバンチ強盗団】首魁ブッチ・キャシディの拿捕ですらも!」


【コード:Á】とやら、【不死者】とやらに関連すると思われるそれは、【ピンカートン探偵社】におけるもの全てを差し置いてなお、優先させるべきものである。

 シリンゴが言うことを要約すると、こうだろう。

 しかし、ワイルドにはちんぷんかんぷんである。話の全容が、欠片も掴めないからだ。

 されど、理解だけはできた。シリンゴが抱かざるをえない怒りについてだけは。


「実際、理不尽極まりないと思っていますよ。無法者アウトローどもとの戦いという探偵の本業つとめを果たすより、あんなバケモノをどうにかするのに全力を尽くせなど。近くに真っ先に拿捕すべき対象者がいるってことが分かっていながら! 腐れ老害のラッカー卿エドワード・ラッカーといい、脳ミソが乾燥チーズになりかけの円卓評議部といい……探偵の名分を、一体なんだと思っているのやら」

「俺、今なにも聞きませんでしたからね。それより、シリンゴさん」


 返事を待つことなく、ワイルドは得物――ウィンチェスターM1873を手渡す。


「装填済みです。あと、倒れた時の衝撃でどうにかなってはいないようです」


 視線を、倒れたニーニョの方にやる。無益な死を遂げて間もない、仲間の方へ。

 それだけで察したのだろう、ライトブラウンの目が一瞬伏せられた。


「では、離れの上から援護を。とりあえず、ぼくはこれから突破口を開き、標的を射留とどめます」


 射止める、ではなく、射留とどめる。その言葉が意味するのは――


「あの【不死者】の側に……一人いたことに気付きましたか?」


 その一言に、ワイルドは悟る。

 先程破られた窓、自分たちが潜んでいた喫茶店のそれから見えたのは、逃げ遅れ、取り残された一般人の姿。


「行きなさい!」


 床を這って裏から外へと出る。

 囮役を、シリンゴはあえて御自ら買って引き受け出てくれた。ならば、部下として応答こたえなければならない。

 敏腕探偵の部下としてだけではなく、【ピンカートン探偵社】の探偵、【我々は決して眠らないWe Never Sleep】のスローガンを掲げる法の執行官の一員として。


「【ピンカートン探偵社われわれ】が本来であれば為さなければならないこと、探偵である我々【ピンカートン探偵社】が忘れるべきことではないことを、必ず為せっ!」


 そうして部下が出たのを見計らい、シリンゴは行動を起こす。

 後ろに転がしていた旅行鞄を足で引き寄せ、前へやる。


「まさかこの僕が、【不死者】を相手に無法者アウトローどもの常套手段を使うことになるとは」


 シリンゴは、旅行鞄を開く。

 名匠が作り上げたバイオリンを繊細に扱っているみたく、中身は外部からの衝撃からがっちり護られている油紙色の保護材に包まれた筒状の爆薬・雷管・導火線の三点セット――ダイナマイトが。

 威力は相当抑え込まれているはずだが、間違いなくここは目茶目茶になる。

 正直、やりたくもない。だが、背に腹は代えられない。


「ここの修繕費、ちゃんと経費で落ちますよね?」












 狂気に潤む若葉色リーフグリーンの眼が、アトリに向けられている。どうあったって逃げられない至近距離から。

 銃弾が再装填されたコルトM1877・ライト二ングの銃口が向けられる。

 けれども、アトリには現実から遥か遠くの出来事でしかない。


「……さん」


 それ故、涙と一緒に無意識に零れ出た言葉に答えは、意味などなく、ましてや、届くはずなど――


ッねぇ、さらせェ!」


 ――ありえないはずだった。

 銃声。

 一発の弾丸が、キエン・エスを貫く。

 その左肩へと着弾、炸裂し、そしてやぶく。

 銃声が耳に届くよりはやく飛来した弾丸は、キエン・エスの左腕を文字通り引き千切った。

 肩から飛んだそれが地面に落下するのと、腕の断面から血しぶきが撒かれるのと、遭わされた側の咽喉から絶叫が迸るのと――と、果たしてどれが最初だったのかは、分からない。

 けれども、分かることが一つだけ。それは、弾丸を放ったのがこの場に乱入をかました誰かであるということ。


「……!?」


 そして、前置きも御託もなしにキエン・エスにぶち当てられる。延髄に、怒れる雷神の鉄槌が。ごきゃっ! だか、めぎゃっ! だか、判別つかないけれど聴く者に怖気を感じさせるものが。

 やらかしたのが誰か知ることなど、無理だった。

 当たり前だ、肩から腕を千切り飛ばされるという暴力超えした暴力と、手加減抜きにフルスイングされた長柄の鈍器――よく見たらそれは銃身を柄に握って即席の鈍器にしただけのウィンチェスターM1873による延髄への打擲という暴力越えした暴力――それら二つが合わさった超越の暴力とでもいうべきものを一気に叩き込まれれば、流石の【不死者】キエン・エスとて――

 それでも、キエン・エスは持ちこたえようとした。

 刹那の間に、感じ取ったからだ。その誰かとは、外ならぬブッチ・キャシディだったのだから。

 だが、そこまでだった。

 相手は大きく飛び退き、キエン・エスから距離をとる。

 その際、アトリを、掻っ攫う。

 急襲した大鷲が、動けぬ獲物を狩るような鮮やかさで。

 同時に、轟音が上がる。万の銃声が一斉に上がるよりも凄まじい爆発音が。

 次いで飛来した銃弾の群れが、キエン・エスを容赦なく蜂の巣に変える。













 寝苦しさを感じて、アトリは目を薄く開く。どうやら、いつの間にか寝入っていたらしい。

 窓の外は真っ暗だった。まだ朝まで遠いだろうけれども、目が覚めてしまったのなら起きようかなと思ったら――


「まだ寝てていいんだぜ?」

「……ブッチさん、なに……やってるんですか?」

「なにって、見りゃあ分かるだろうによ」


 自分の膝に眼を向けたまま、ブッチは答える。


「うーん、やっぱ……読めねェな」

「……それ、一応、わたしの私物なんですけど」


 ブッチは、窓際の椅子に腰かけていた。膝の上には、開かれた本――アトリが元の世界から持ち込んだ文庫本があった。


「……読むなら、せめて灯りをつけてください。目に悪いですよ」

「油と蝋燭が勿体無ぇよ」


 唯一の光源は、窓から差し込む月光のみ。

 それでも、室内をとりあえず見渡せるぐらいの明るさがある。でもだからって、明るすぎるわけでもないのだけど。


「つーかさ、ンな余計なこと、考えんでもいいんじゃねぇか?」


 文庫本を閉じて、ブッチは言う。


「つまらねぇしがらみなんざ、捨てちまえってんだよ……俺も含めてさ」


 一瞬、なにを言われたのか分からなかった。


「……はい?」

「アトリは自由じゃねぇかってんだ、違わねぇか、なぁ?」

「……ブッチさん、それ、どういう意味で」

「意味もクソねぇじゃねぇかってんだ、だってそうだろ?」

「……ひっ!?」


 青鋼色スチールブルーの目が、くらく澱む。

 そこから放たれるのは、憎悪――他ならぬ、アトリへの。


「……ブ、ブッチさ、ん。……わた、わたし、は……」


 ブッチの手から、文庫本が落ちる。


「目ぇ食いしばらせて、よーく見ろや、アトリ」

「……ひっ!」

「見るんだよ、見ろってんだよ、アトリ」

「……やめて、お願い……お願い、やめて……」


 ブッチは、アトリの哀願を聞かなかった。見せつけるよう、ゆっくりと右腕を掲げる。


「他ならぬお前自身が、俺みてぇなのを、こんな風にしちまえるんだぜ?」

「……ひ、ぃ!」


 悲鳴は、アトリの意に反して上がってくれなかった。

 当たり前だ。【あんなモノ】を見せつけられたら。

【あんなモノ】こと、ブッチの右腕を。

 嘔吐を促す腐臭を放ち、濃密な死臭を纏う、醜く爛ただれきった――おぞましい変化を遂げた、ブッチの右腕を。

 しかし、それ以上におぞましいのは、アトリだ。


「……ごめん、なさい、ブッチさん……。……ブッチさん、ごめ、ごめんな、さい……!」


 いかなる怪我やダメージを負っても瞬時に回復し、決して死なないはずのブッチに――どうあっても癒えることも逃げることも敵わない滅びを植え付けてしまったのは、外ならぬアトリなのだから。













 ここで、アトリは今度こそ本当に目を覚ます。

 ここのところ、アトリはずっとこうだ。麻酔と痛み止めが効きすぎてしまっているみたいで、気を抜くと意識が沈んでしまう。


「……悪夢だったら、どれだけよかったんですかね」


 ざらざらに渇ききった声で、一人呟く。

 とりあえず、水でも飲もうと思った。部屋のテーブルに、水差しとコップが常備されているはずだ。ケサダかエメさんのどちらかが、用意してくれているはずだから。

 べッドから上体を起こそうとした――瞬間、左肩を激痛が突き抜ける。


「……ぃ、づぅ!」


 反射的につぶった目の奥で、特大の火花が爆ぜた。


「……いっ! たたた!!」

「お嬢さんっ!?」


 ばんっ! と部屋の扉が開いた。

 手に持っていた布、取り代えようと思って持ってきたものであろう包帯が、ケサダの手からばらばらと落っこちる。


「無茶しないでくだせぇ! まともに直撃しなかったとはいえ、お嬢さんはお身体に大きな傷を負っていなさるんですぜ!」


 あたふた言いながら駆け寄ってこようとする。

 しかし――


「……っ、来ないで、来ないでくださいっ! ……来ちゃ、来ちゃ駄目です!」

「お嬢さんっ?」

「……ケ、ケサダさんまでっ、死ん、死んじゃった……らっ!」


 アトリの咽喉から引き攣った声が、怯えきった悲鳴が上がる。


「……お願い、お願い、ですからっ、来ないで、ください……!」

「お嬢さん、落ち着いてくだせぇ! 頼みますから」

「……こ、来ないで!」

「分かりやした。アタシは行きませんから、誓ってお嬢さんのお近くへは行きやせんから。けれど、せめてエメかお医者先生……あと、出来ればマックスをお傍に置いちゃくれやせんか? みんな、お嬢さんを心配しているんです」

「……ッ!」

「お願いしやす、お願いしやすよ、お嬢さん……! でねぇと、アタシゃ……首魁ボスに顔向け出来ねぇんですよ!」

「……ッ!!」

「お願いしやすよ、お嬢さ……ぁだっ!?」

「このバカモンが!」


 だけどそれは、突っ込んできた横槍によって阻止される。医者の一喝と、エメさんから振り下ろされた拳骨で。


「バカモンが! 怪我人に余計な刺激を与えるなと、ワシゃあれほど言ったろうが!」

「し、しかしですね、お医者先生、ただアタシは」


 言い返そうとするケサダ。しかし、エメさんはそれを許さない。

 首根っこを掴んで、廊下へぶん投げる。

 そして、「何しやがる!」という抗議の言葉を発せさせるより早く、厳しい声で命じた。


「傷つききっている女の子に、野郎がいらん世話を焼くんじゃないよ。ここはわたしと医者先生に任せて、アンタはアンタがやるべきことをやんな。とりあえず、目を覚ましたお嬢さんになにか精のつく温かいものを持ってこい……って言うべきなんだろうけど、その前に、酒場サルーンに居座り続けて、怪我人であられるお嬢さんに事情を聞きたがっている、プレーリードッグ以上の迷惑野郎の【ピンカートン探偵社】の探偵を叩き出しておくれ!」













 全部夢だったらよかったのにと、思った。寝ても覚めても、そういう風にしか思えない。

 これは全部夢、よくありがちな悪夢、重苦しく澱んだ空気の中にいるってだけの。

 ちゃんと眼を覚ましたら、きっとブッチが側にいてくれるはずなのだ。

 正直、現実感がない。あれよあれよという間に、全てを失ってしまっていたのだから。


「わたしたちには、一体なにがなんだかなんだけれど……でも、なにがあったかだけは聞きません。お嬢さんだって、お答えになりたくなんてないでしょうし」


 包帯を取り換えてくれたエメさんの声も、遠かった。


「でも、これだけは言わせておくれ。お嬢さんと首魁ボスになにがあったか、わたしには分からないけれど。でも、これだけは言えるよ。首魁ボスはお嬢さんのことを、決して恨んだり憎んだりしてなんていないって」

「……?」

「そうでなきゃ、こんなもの、お嬢さんに宛てて残しませんよ」


 前掛けのポケットから、エメさんはなにやら取り出す。

 差し出されたのは、四つ折りにされたルーズリーフだ。


首魁ボスから預かったんです。お嬢さんの意識が戻ったら、渡しておいてくれって」

「……ブッチさんから!?」


 エメさんから受け取ったそれ、ブッチからの手紙を、しばし眺める。

 熱を出しているわけじゃないけれど、指先が震えた。

 でも、見なきゃいけない。どれだけ怖くったって。

 ブッチが残していってくれた、メッセージだけは、どんなものであっても。

 深呼吸を幾度か繰り返し、紙片を開く。

 それを眼にした瞬間、アトリから、世界の全てが消え失せる。


「お嬢さん!?」


 ただならぬなにかを察したらしいエメさんが、アトリを呼んだらしかった。だけど、アトリにとってはそんなの、外側の出来事でしかない。

 アトリにとっての全ては、胸に押し付けるようにして握りしめる、ブッチからの手紙でしかない。

 頬を、涙が伝い落ちていく。


「……そんなの、ブッチさんが言う台詞じゃないのに」


 こんなことになるのを前提に、ブッチに文字を教えたわけじゃない。






『すまなかった』――と。


 手紙には、ただ、それだけ書かれていた。

 アトリが教えた日本語、ひらがなで。

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