Chapter 5


 きぃ、とドアが開く音。ケサダだろうか? それとも、エメさん?もしかすれば、ブッチが帰ってきてくれたとか?

 アトリは毛布をはいで、油粘土みたく重く感じる身体を起こす。

 開いたドアの隙間から入ってきた人物と、目が合う。


「きゅうん」


 訂正――人物じゃなくて、犬と目が合う。


「……えーっと、どうも。……お犬さんは、確か、マックス……でよかったんですよね?」


 フォーンホワイトの毛色のウェルシュコーギー犬だった。アトリの足元まで来ると、顎を床につけるようにして伏せる。

 つぶらな黒い目が、アトリを見ていた。耳を後ろにぺとんと伏せ、尻尾を丸めて。


「……ケサダさんはともかく、わたしはもう怒ってませんって」


 先に発した鳴き声は、どこか悲しげだった。アトリへのお詫びに聞こえなくもない。


「……マックスは別に、悪気があったのではないのでしょう?」


 実際、悪気なんてこれっぽっちもなかったはず。無防備なアトリの背中に体当たりをかましてきたのは、自分の存在に気付いてほしかったからだ。


「お嬢さん、失礼しやす。具合の方はどうですかい?」


 だみ声と共に、ドアが開いた。バーテン服に身を包んだ、黒人の男だ。

 アトリたちが逗留中の酒場サルーンの主人のケサダ、エメさんの旦那である。手には、薄黄色の液体入りのボトルとグラスがあった。


「レモネードをお持ちしましたんで、よければお飲みになってくだせぇ」

「……ありがとうございます」

「もし具合がよけりゃ、なにか腹に入れますかい? カボチャのパイかジョニーケーキぐれぇならありますぜ。温かいモンがよけりゃあ、ニンニクのスープソパ・デ・アホなんてどうですかい?」

「……すみません、なにからなにまで、すみません」

「お嬢さんが謝られることなんてありやせんよ、元はといえば、そもそもコイツが……やい、マックス! てめぇいいご身分だな。このお嬢さん、首魁ボスがお連れになられたお方にとんでもねぇことしやがって。その皮剥いで、敷物にしてやろうか、えぇ!?」

「……お願いですから、止めてください」


 追記すると、元【ワイルドバンチ強盗団】の構成員、ブッチの元部下。


「お嬢さん、この馬鹿犬にお情けをかけるのはよしてくだせぇ」

「……冗談言うにしても、きつくないですか?」

「アタシは結構本気で言ってやすぜ。無防備な相手の背中にばかでかい不意打ちをかますなんて、無法者アウトローの風上にも置けないろくでなしですよ。それこそ、フォード兄弟みてぇな」


 フォード兄弟って――多分、ボブ・フォードとチャーリー・フォードのことだろう。銀行強盗の元祖って言われる無法者アウトロー、ジェシー・ジェイムズを背後から撃って殺したっていう。

 要は、ケサダはマックスを「この卑怯者!」って罵っているわけだ。

 もしこれが西部劇だったら、マックスの行いは極悪非道もいいところだろう。

 だけれども、西部開拓時代では不意打ちは正攻法である。所謂、殺ったもん勝ち。

 あの時代、待ち伏せ、暗殺、闇討ち、その他勝つためならなんでもありだったっていうし。

 でもだからって、それで勝って周囲から賞賛されるかどうかは分からないけれど。どういう評価を受けるのかは、殺った側と殺られた側の人徳が基準になるっていうし。


「……だとしたら、パット・ギャレットなんてよっぽど慕われてなかったんですね」

「なんですかい、そりゃあ」

「……無法者アウトロービリー・ザ・キッドの暗殺実行犯ですよ。……元無法者アウトローの保安官で」


 アトリは口を噤んだ。ケサダから変なものでも見るような目で見られていたからだ。

 前に、ブッチからビリー・ザ・キッドの話題を振られたことがあったからなんとなく言ってみたのだけど、どうやらケサダには通用しない話題だったらしい。


「……どういうわけかわたしが知っている歴史上の人たちの名前……って言っても無法者アウトローばっかりですけれど、普通に出てくるんですよね、この【異世界】。……わたしが知っているのと同じだっていう保証はないんですけど」

「アタシにゃなにがなんだかサッパリ分からんのですが」


 困り果てるケサダの気持ちを代弁するかのよう、マックスは首を傾げていた。













 閃光! そして、膨れ上がる煙。

 ブッチが撃ったのは、煙幕だ。燃焼時に凄まじい量の煙を上げる、黒色火薬の特性をうまく悪用したものだ。


「っ、の野郎っ!」


 罵声が迸る。

 今度こそ、追い詰めることが出来た――かに思えた。しかし、それは慢心でしかなかった。故に、シリンゴはしてやられたのだ。

 引き金を引くが、銃弾が相手を捉えることはない。酒場サルーンに立ちこめる暗灰色の煙に紛れ、ブッチは姿をくらましていた。


「賞金首を追っている! 俺は、賞金稼ぎのミッキー・バタースコッチだ! 手助けをしてくれるなら、賞金の山分けを約束する!」


 シリンゴは、声を張り上げた。声を向ける先は外だ。外の人々に向けて、名乗りを上げる。


「セシル、ケイシー、裏へまわれ! ランドルフは、そのまま待機!」


 これらは勿論、ハッタリである。協力者シンパなんて、勿論いない。

 そもそも、状況が分からないのに協力を申し出ようとする者なんているわけない。だが、協力せざるをえない者は現れてくれるはず。


「奴の名を知っているか? スネークヘッドだ! 自分の股のムスコを笑っただけの娼婦の顔を切り刻みやがった、極悪人だ!」


 酒場サルーンの外では、既に騒ぎが起こっている。

 当たり前だ、平和であるはずの町中で白昼堂々銃声が上がれば。

 そうなれば、住人たちがとる行動は、主に二つ。流れ弾を怖れてどこかに引っ込んで震えるか、様子を窺うか。

 でも、その元凶が、自分たちにとって受け入れがたき有害なものであると、理性が判断すればどうだろう? そういう判断をする者が現れ、動くとなれば?

 手が届くところまで追い詰めたのだ。再び逃すのは論外だ。

 間違ってもブッチに与えてはならないのは、落ち着く機会である。

 得てしまえばたとえ僅かであったって、ブッチは逃走へと繋げるだろう。

 今のところ、動く気配は感じられない。何か企んでいるかもしれないが、流石にそこまで感知することは出来ない。

 こちらの行動を警戒しているのか、或いは、何か仕掛けてこようとしているのか。

 しかし、次の瞬間、シリンゴは――


「……ァ!?」


 らしくもなく、身を竦めて素っ頓狂な声を上げてしまわざるをえなかった。

 そしてそれは、致命的なミスとなる。もっとも、それを自覚できたかどうかは分からない。

 自覚する前に、シリンゴは地に沈んでいた。背後から繰り出されたブッチからの蹴りをまともにくらったからだ。

 意識が、闇に落ちていく。

 そうなる寸前耳にしたのは、鼓膜を劈いて脳を揺らすような異音、名状しがたき不快な――












「いくらなんでも、俺を舐めすぎだってんじゃねぇか、なぁ?」


 意識を失い、倒れたシリンゴを、ブッチは見下ろす。

 そもそも、ブッチは無法者アウトローである。神様にお祈りを捧げる時間よりも、襲撃と強奪と逃走を考える方に頭を使う、生粋の。

 だから、使った手段は汚い事この上なかった。


「つーかコレ、便利だわな。マジで俺、冗談抜きに欲しいぜ」


 少し離れた場所に、ブッチが言う「コレ」が置かれている。

 聞く者にとって名状しがたき不快な異音――デジタルを発しする黒く小さな薄い板こと【スマホ】――【異世界】における万能便利ツールが。

 音の正体は、【異世界】の言葉で【チャクシンオン】というのだそうだ。

【スマホ】が備え持つ、ブッチには理解できないスペックが一つである。

 持ち主のアトリによれば、本来【チャクシンオン】が鳴るのは同じ【スマホ】もしくは【イエデン】なるものから【チャクシン】が与えられていることを知らせる合図なのだとか。

 しかし、【アラーム】――こちらもブッチには理解できない【スマホ】のスペックなのだが、連動させることで、【チャクシンオン】だけ鳴らすことが出来るのだという。

 それらを上手に悪用することが出来れば、立派な罠になってくれる。


【アラーム】を設定し、床に置く。

 そこからある程度離れて気配を殺し、【アラーム】が鳴るまで待つ。

 そして、相手が【アラーム】に驚いた瞬間の無防備なところを狙う。


 やり方さえ分かれば、出来る。

 それこそ、煙幕が立ちこめる中であっても。

 月が昇らない闇夜、追っ手の影や息遣いを感じつつ命がけで逃げ回るのに比べたら、簡単もいいところだ。

 はっきり言って、「今どきありえない!」しょうもない罠である。ブッチにとっての【異世界】の人間にしてみれば。

 けれども、そういう「今どき」そのものが、そもそも全く存在していない世界の人間にしてみれば――結果は、案の定だ。

 流石のチャーリー・シリンゴ、【ピンカートン探偵社】の敏腕探偵と恐れられる相手だって、こんな手段をくらわされることになるとは思わなかっただろう。

 フェアプレイに則らない反則にしたって、限度がある。デウスエクスマキナもいいところだ。

 けれどもそんなこと、今はどうだっていい。

 ブッチは【スマホ】を拾い上げ、鳴り続ける【チャクシンオン】を止める。ちかちかとカラフルに光る表面を指の腹で軽く叩いてやると、【チャクシンオン】はぴたりと止まった。


「さて、と……」


 煙幕が薄まりつつある中、青鋼色スチールブルーの目がシリンゴを映す。これから先のことを考えれば、殺しておくべき相手の姿を。

 考えるまでもなく、殺すべき相手だ。今を逃せば、機会は恐らく二度と訪れない。

 シリンゴの手から、S&Wモデル2・アーミーをもぎ取る。今まで数多くの無法者アウトローに向けられ、その命を吹き飛ばしてきた忌まわしい銃を。

 弾はまだ、残っている。引き金を引けば、撃つことができる。それがたとえ、今までの所有者のシリンゴであったとしても。

 意趣及び趣向として、これ以上いいものはないだろう。敵の手に渡った得物で最期を迎えるのだから。

 シリンゴの得物S&Wモデル2・アーミーを、構える。引き金に、指をかける。

 だが、ブッチは引き金を引かなかった。あろうことか、照準がシリンゴから外される。

 今なら殺れる、確実に。簡単に、それこそ、鶏を絞め殺すよりもずっと容易に。

 しかし、ブッチの人間としての本心に、待ったがかかる。殺ったところで、一体なんになるのだ? 

 そのような躊躇が生じるのは、外ならぬ利潤だ。そもそも、ブッチが真に望むのは――否、望むべきなのは復讐などではないのだ。

 今の自分には、アトリがいる。

 きざはしそのもの、果ての見えぬ終わりなき悪夢の中における唯一の燈火あかり、過去・現在・未来より【存在】そのものが失われたザ・サンダンス・キッドを奪還すぶんどるための布石が。


「悪く思うんじゃねぇってばね」


 発したそれは、果たして誰に向けられたものだろうか。

 床に散乱した物らを拾い上げると、ブッチは一人、立ち去った。













 ✟✟✟✟✟✟✟✟✟✟


 Vamos a matar, Compañeros!


 イタリア語です。

 バモサマタール、コンパネロス! って読みます。

 直訳すると、「ぶっ殺そうぜ同志たちよ!」

 物騒極まりない言葉なので、日常会話で絶対に使ってはいけません。

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