3rd Vamos a matar, Compañeros! 殺れ! 野郎ども、殺っちまえ!

Chapter 1


 相手の若葉色リーフグリーンの目が、アトリを見据えていた。

 手には、銃。


「キエン・エス」


 銃声。













 毛布を跳ね飛ばし、アトリは目を覚ます。叫び声を放たなくて、よかった。

 肺を絞るようにして息を吐き出し、胸を押さえる。手の平を通じて聞こえてくるのは、どっどっどっどっという、破裂の前兆を訴えかけるような鼓動、心臓の悲鳴だ。

 反射的に、胸元を探った。お守りを、両の手でぎゅっと握りしめる。

 そうしているとほんの少しだけかもしれないけれども、上がるそれが和らいだような気がした。あくまで応急的な対処かもしれないけれど、心が安定してくる。

 頭を軽く振り、現状を確認。周囲には、闇。アトリは、その中にいる。

 しばらくすると、目が慣れてきた。室内の様、そこに置かれる家具の輪郭が、ぼんやりと見えてくる。ここ数日、世話になっている宿の一室の。

 お守りのひやりとした金属の感覚を手に感じていると、次第に落ち着きが戻ってくる。同時に、頭が冴えてくる。思い返せば、リアルな夢だった。

 ここのところ、アトリはずっとこうだ。眠れないってわけじゃないのだけど、朝まで眠れなくなっていた。毎晩こうして飛び起き、お守りを握りしめて自分で自分を宥めている。

 正直、夜は恐怖の対象でしかなかった。アトリが見る夢という夢に、彼の存在――キエン・エスが現れているからだ。夢の中でキエン・エスは目を爛々と輝かせ、アトリを見据えていた。

 恐ろしさのあまり身の毛がよだつ、あの目を思い出すだけで。

 あれはどう考えたって人間の目じゃない、狂気に潤んだあの若葉色リーフグリーンの目は、化け物のものでしかない。


「……そもそも、人間じゃなくて【不死者】ですけれども」


 本来であれば、ここで「ふーん、ってことはじゃあ、俺もそうだってのか、なぁ?」って茶々が入るんだろうけれども、でも――


「……って、ブッチさん、今いないんでした」


 ふと思った。ブッチが帰ってくるのは、一体いつなのだろう?













 ここ数日、アトリはブッチとほとんど話をしていなかった。それもこれも、ブッチがアトリの側を離れてしまっているからなのだけれども。

 でも、別に仲が悪くなったとか喧嘩しているわけじゃない。お互いの関係は多分良好であるはず。

 だから。ブッチがアトリを置いて一人でどこかに行ったからって――


「……でも、せめてどこに行っているのかくらい教えてくれてもいいじゃないですか」


 それでも一応、聞いてみたのだ。そうしたらブッチは「【ネットワーク】関連だってばね」とだけしか返してくれなかった。素っ気ない口調で。


「……なんていうか、でも……根っからの悪じゃないんですよね。……無法者アウトローだっていうのに」


 もっとも、かつて【ワイルドバンチ強盗団】から襲撃と強奪を受けた側にしてみれば、ブッチは極悪ド畜生もいいところなのだろうけど。

 けれども、アトリにとってブッチは悪ではなかった。右も左も分からないアトリに、寄り添って色々と親身に接してくれた。ただ、偶然出会ってしまったってだけの、見ず知らずの他人でしかないはずなのに。

 そうやって、身近に接しているからっていうのもある。けれど、でも――


「……人間、なんですよね」


 無法者アウトローであり、元【ワイルドバンチ強盗団】の首魁ボスであり、今は【不死者】である男。

 そうである以前に、ブッチは人間だった。笑いもするし、驚きもする。戯言を言い、冗談を飛ばし、酒を飲んで酔っ払う。

 銃を握る手は大きく、触れるとごつごつして硬い。そうであるのは、無法者アウトローだからなのかもしれないけれど。でも、触れればちゃんと人間の体温の温かさが感じられた。

 アトリにとって、ブッチは一人の普通の人間でしかなかった。ただ、【不死者】であるだけの。

 でも、同じ【不死者】でも、キエン・エスは――


「……考えるの、止めよう」


 額に手を当てて、嘆息する。考えるのを、強制的に打ち切る。考えてしまえばしまうほど、思考が負のスパイラルに囚われてしまいそうだったから。疑ってしまえばキリがない、ありとあらゆる何もかもが歪んで見えてしまう。

【あの人】だって、そう言っていたはずだ、多分。

 毛布を被り直し、再び横になる。目を閉じて、再び眠りにつこうとする。


「……一人で寝るの、慣れていたつもりなんですけどね」


 なかなか訪れてくれない睡魔への恨み言は、びっくりするぐらい弱々しかった。

 窓の外はまだまだ真っ暗だ。夜はまだまだ、明けそうにない。

 考えすぎかもしれないけれど、アトリの心境を投影しているみたいだ。













 結局、夜が明けて、東の空が明るくなっても、睡魔は訪れなかった。

 腫れぼったい目を擦りながら、階段を降りる。眠ることが叶わないんだったら、ベッドに横になっていても仕方ないし。

 階段を降りた先、階下に広がっているのは酒場サルーンである。二階建ての家屋のうち、一階が酒場サルーン、二階が宿になっているっていうのが、新大陸フロンティアにおける酒場サルーンの主な様式だ。宿じゃなくて、娼婦の仕事部屋だっていう場合もあるけど。

 時間が時間だから、お客の姿は見当たらなかった。マホガニーの長いカウンターでの立ち飲みも、テーブルを囲む酔漢も、スイングドアの向こうから内部を覗く目も。

 アトリ一人しかいないせいか、ひどく広々と感じられた。

 なんとなく、近くのテーブル席に着く。頬杖をついて、薄ら闇の中に沈む酒場サルーンをなんとなく眺める。しぃん、と静かだ。今ここは、とても静かだ。

 朝までまだ時間がある。そんなしぃんとした中に、アトリは一人。

 ぽつんと、ただ、独り。

 かなりの日数が経ってしまっているはずである。なんの因果か、アトリが【異世界】にやって来てしまってから。

 どう間違っても、「アトリは諸事情でイスタンブールにいるに違いない」なんて本気で思っている人なんていないはずだから、警察とかマスコミとかが動くぐらい大騒ぎになっているに違いない。

 ふと、思う。もし、帰ることができて、周囲から説明を求められたらどうしよう?


「……山手線のホームで電車を待っていたら【異世界】に行ってしまいまして、そこで出会ったブッチ・キャシディっていう【不死者】の無法者アウトローに色々助けてもらって、帰ってくることができました」


 宇宙人か妖怪か地底人に拉致されたところを根性で逃げてきたって言った方が、内容的にまだ信用されそうだった。正直、まともな発言として受け取られないに違いない。嘘をついていなくても。


「……それより、帰ったら、なにをしましょうかね?」


 そう言わずとも、なにをするかなんて決まっている――はずだったのだけれども。


「……って、あれ?」


 そんなの、全然考えていなかった。そもそも、考えるのなんて忘れていた。

 やることがないわけじゃない。

 学校に行く。

 コンビニでお菓子を買う。

 撮り溜めしていたアニメを見る。

 積読していたラノベや漫画を読む。

 こんな感じで、やることなら色々あるはず。ただ、それだけだっていうのに。


「……いや、だからってですよ? 帰らないとっていう気持ちがないわけじゃないんですよ? ……そうなんですけど、けれど……でも」


 だって、ここは【異世界】で、アトリが本来いるべき世界じゃない。だから、帰った方がいいのに決まっている。

 でも、【異世界】にこのままいてもいいかな? っていう気持ちがないわけじゃない。

 もし、アトリがいなくなってしまったら、ブッチはどうなるのだろう? 一人ぼっちになってしまうのではないだろうか?

 否、心配には及ばないだろう。アトリが元の世界に帰る頃、その側にはザ・サンダンス・キッドがいてくれるはずだ。唯一無二の終生の相棒と再び二人で共にい続けること――それが、ブッチが本当に望むことであるはず。

 元々、ブッチの側にいるべきなのは、ザ・サンダンス・キッドだ。

 どう間違ったって、【異世界】からやって来てしまっただけのアトリなんかじゃない。

 きしっ、と小さな音が胸元で上がる。無意識のうちに、アトリは胸元のお守りを握りしめていた。それは、無意識のうち強く握ってしまったために上がった、軋みの音だったはず。

 苦痛の叫びを上げているみたく、お守りはきしきし鳴る。アトリは、それに気付いていない。

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