Chapter 6


 朝まで眠りたかった。けれども、アトリが眠れたのは大体夜中までだった。

 粗末で硬いベッドであっても、棺桶以外で横になって眠ることが出来るのであれば御の字だ。

 前に使っていたのが、たとえどこのどんな誰であったって。

 けれども、アトリは目が覚めてしまった。もっとも、目を覚ましていなければ、アトリは文字通り永遠に目を覚ますことなんてなかったのだろうけど。

 ぎしっ、とベッドが軋んだ音で目が覚める。思わずガチな悲鳴を上げかけ――しかし、口を塞がれる。


「むむぅ……むむむぅ!」

「静かにしろ」


 塞いでいるのは、人間の手。

 屋根にぽつぽつと開いた穴から注がれる月の光は、その姿を闇の中に浮かび上がらせている。ベッドに乗り、片方の手でベッドに横になるアトリの口を塞ぐ、ブッチの姿を。


「むぎぐむぎゃぐぁぶ!」

「静かにしろってんだよ、このバカ」


 バカにバカと言われたくない。大体、夜遅くに思春期の女の子のベッドにいい歳こいたおっさんが乗り上がってくるなんて。

 って、ちょっと待ってほしい。

 まるで、これって――


「っ~~!!!!」

「だから、この俺が静かにしろって言ってんのが分からねェってか、あぁ!?」


 なんていうか、声が完全に強盗だった。

 そんなことより、問題にすべきは、ブッチが「なに」をしているかなのだけれども。

 いや、この場合「ナニ」になるわけで――


「……!!」


 冗談抜きに、背筋が凍った。しかも、ブッチは強行に「ナニ」を行う意志を示すため、空いている手に得物――既に抜いたコルトM1851を握っている。

 貞操の危機に震えるしかない抵抗しなくなったのを了承の証と受け取ったようで、ブッチは言う。


「ベッドにうつ伏せになって、絶対に動くな。あとは、耳……じゃねぇ、口を塞いで目を閉じてじっとしていろ」

「……?」


 矢継ぎ早に言うブッチに、アトリは目を白黒させる。

 しかし、ブッチはそんなアトリに眼を向けることなんてなかった。「早くしろ!」と手を離された瞬間、アトリは悲鳴を上げるのも忘れ、言われるがまま動いていた。

 そのまま、体勢を変えてベッドに伏せて――


「……あの、ブッチさ」

「シッ」


 皆まで、言わせなかった。得物を構え、流れるような動作でドアの前まで行き、そして――夜の静寂を引き裂くかのよう轟く、銃声。

 ドアを喰い破って部屋の中に飛び込んできた銃弾が、ブッチを一直線に貫く!


「……!!」


 思わず叫び声を上げかけるも、アトリは反射的に口を塞いでいた。そうでもしなければアトリの咽喉の機能が決壊してもおかしくないぐらいの悲鳴が上がっていたに違いない。

 ドア越しに、ブッチが撃たれた。真っ直ぐに、胸を。

 着弾の衝撃に、ブッチは僅かに呻いてよろめく。

 普通だったら、倒れていたっておかしくないだろう。撃たれてそのまま、死んでいたって。

 だが、普通の人間にあらずのブッチは、よろめきを堪えてそのまま引き金を引く。

 ドア越しに撃ってきた相手を撃つ、撃ち返す――銃声、銃声、銃声。今一度、夜の静寂が引き裂かれた。

 ドア越しに、どさり、となにかが倒れるような音を耳が捉える。


「……ッ! ……ッ!!」

「殺ったか!?」

「……殺ったか、って! ……ブッチさん、あなた、人を殺し、殺しておいて、よく……よく平気でそんなっ!」

「平気なわけあるかってんだ、バカ! 殺らなきゃ殺られんだよ、こっちが」

「……でも、ブッチさんは」

「俺はともかく、お前がだよ。お前は俺なんかと違ってマトモなんだから、一回死んだらそれまでじゃねぇか」

「……で、でも、だからって! だからって!」

「ごちゃごちゃ言うんじゃねぇよ、このバカ! 向こうはこっちを殺ろうとしてたってんだぞ!」

「……!」

「ずらかるぞ、急げ」


 決して大きく発せられたものではなかった。けれども、否応を言わせない迫力がある。言われるがまま立ち上がり、ブッチに続いて行きかけて――


「……っ、ひぃっ!!」


 しかし、それを目にしてしまった途端、アトリは思わず叫び、身をすくめてしまう。

 開いたドア、そのすぐ向こうに転がっていた死体を、ブッチを撃ち殺そうとしたけれども、ブッチに撃ち殺された人間の死体を見てしまったからだ。手に得物である銃を握ったまま、仰向けに倒れた襲撃者の。


「早くしろ、急げ!」

「……でも、でもっ!」

「でもクソもねぇよ。様子がどれだけおかしいかってのに、気付かねぇってのか? こんだけ銃声がバンバン鳴ってるってのに、誰も騒いでいねぇんだぞ」


 その一言でアトリは思い知らされる。そもそもここは日本ではなく、アトリが知ることのない【異世界】だってことを。 

 アトリにとっての当たり前なんて通用しない、【異世界】なのだってことを。

 そんなアトリに追い打ちをかけるよう、きゅばっ! と、ブッチから炎が上がった。

 視界が、青仄白あおほのじろの光に包まれる。

 ブッチから発せられるそれは、【不死者】の【再生】が行われる際に起こる炎。熱さはない、そもそも熱なんてないのだから。

 ブッチは先に部屋を出た。アトリはそれに続く。

 悪いと思ったけれども、ドアの前の死体は跨ぐしかない。


「……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」


 当然だけれども、答えはなかった。若葉色リーフグリーンの眼をかっと見開いたまま、襲撃者は死んでいたのだから。

 ぼろぼろの革のベストに、オーバーズボン、撃たれた衝撃で脱げたステットソンハットは明後日の方向に転がっている。そのせいで、柔らかそうな短い栗色の髪が露わになっていた。

 体格は、ずいぶん小柄だ。むしろ、華奢だって言った方がいいかもしれない。

 よく見たら、なんと少年だった。多分、アトリより年上なのだろうけれども。

 ブッチはもう廊下を歩いていた。ランプがもうとっくに消えている廊下は真っ暗なはずなのだけれども、視界は明るい。ブッチから上がり続けている炎のおかげで。

 ちなみに、ブッチによればこの炎はちょっとやそっとのこと――例えば、ちょっとした切り傷や擦り傷程で出てくることはないのだという。出てくるのは、【不死者】が人間で言うところの死に瀕する・匹敵する・直結するようなダメージを負った時に限られるのだとか。

 ということは、さっきの銃撃でブッチは――

 頭を振って、不意に浮かんでしまった考えを振り払う。今はそんなことを考えて立ち止まる時ではないはず。ブッチに遅れてアトリも廊下を行こうとした、その時――


 きゅばっ!













「……え?」


 思わず振り返ったその先で、炎が上がる。熱のない青仄白あおほのじろの炎――ブッチから上がったのと全く同じもの、【不死者】が【再生】する際に上がるものが。

 アトリたちが宿代わりに使っていた部屋の前に転がる死体から。ブッチを殺そうとして、殺された死体から。

 死体は――いや、【不死者】は【再生】の際の炎を上げながら緩慢な動きで起き上がる。


「……う、うそ!」

「……キエン・エス」


 アトリの声に、【不死者】キエン・エスは感情のない声で応じた。


「……キエン・エス」

「……ひっ」


 思わず悲鳴を上げかけ――しかし、直後、銃声が轟く。

 キエン・エスが片膝を崩す。直後、再び銃声。キエン・エスは、倒れる。


「逃げるぞッ!」


 ブッチが叫ぶのと、アトリの片手が引っぱられるのは、ほぼ同時だった。

 余裕を欠いた声と、手に感じる体温のある硬い手の感触が、キエン・エスの異常な存在感に呑まれかけていたアトリを現実へと引き戻す。

 ブッチに手を引かれるがまま、アトリは走る。逃走が始まる。











 二階から階下へ、泊まっていた一室から酒場サルーンへ降りると、ブッチはアトリを裏口へとまわらせた。

 既に、炎は消え去っていた。光源がなくなり、閉店後の酒場サルーンは闇に沈んでいる。更にその闇の中には、バーテンの死体が沈んでいた。

 確かめたところ、一撃で仕留められている。殺ってくれやがった相手の手際のよさが伝わってきた。


「何者だってんだ、アイツぁ……」


 カウンターの裏で残弾を確認しつつ、ブッチは呟く。

 強盗にしては、恐ろしく人殺しのスキルが高すぎる。賞金稼ぎであるなら、恐ろしくやり方がスマートすぎる。殺し屋だとすれば、恐ろしく目的が掴めなさすぎる。

 それ以外だとするならば――


「駄目だ、分からねェ」


 しかし、問題はそれ以前だ。相手は【不死者】だった――ブッチと同じく。

 どういう目的があって襲ってきたのかは分からないが、意図的に襲ってきたという可能性はまずあり得ないだろう。

 なにせ、相手の方がブッチ以上に驚いていた。知らなかったとはいえ【不死者】を撃ち、その【不死者】に撃ち返されたのだから。


「【不死者】がたまたま襲った相手が【不死者】だったってか? どっちにしろ、嫌な巡り合いでしかねぇってんだ。……なァ、キッド」

 

 ここにいない誰かへと愚痴った。実際、愚痴りたくもなる。不愉快なほどわけが分からなすぎるから。

 とりあえず、足止めは出来ているはずだ。一応、膝を狙って撃ってやったから、【再生】してもしばらく痛みで動けないはずである。

【不死者】は確かに死なない身体の持ち主であるが、いかなる攻撃にも屈しないわけではない。

 殴られようが、蹴られようが、刺されようが、撃たれようが、全く平気だという超人ではない。戦意を喪失すれば、痛みや恐怖に屈してしまえば、ただの人間となんら変わらないのだ。


「そうだと思いてぇけどよ」


 銃は、人間や猛獣が相手であれば立派な武器だ。けれども、死ぬことがありえない【不死者】には、ただ弾を無駄にするだけだ。

 なにかでかい手を打ちたい。期待以上の結果をもたらしてくれるような、【不死者】すら殺せるような。

 ふと、酒棚が目に入った。ここは酒場サルーンなのだから、酒が置いてあるのは当たり前だ。ブッチは徐に、酒瓶を何本か手に取った。栓を抜いて、中身を床にぶちまける。

 馬車の支度の方法は、既にアトリには教え込んである、なにかあった時のための保険だったが、あんまりにも早く役立ってしまったから正直喜びたくない。

 正直、ブッチはこの酒場サルーンを気に入っていた。フリーランチはともかく、酒が美味かったからだ。火薬やてんびん油といった混ぜ物でかさが増されていない、真っ当な酒が。

 名残惜しいが、もうここの酒を飲む機会はないだろう。

 もっとも、機会があったところで飲めないのだけれども。

 もう金輪際、カメリオの町を訪れることはないのだから。

 指についてしまった雫を舐めて、ブッチはぼやく。


「あーあ、もったいねぇってばね」













 火の手が上がる。おかげで、カメリオの町はてんやわんやの大騒乱だ。

 銃声は、余程のことがなければ無視すればいい。無視していれば、勝手に過ぎ去ってくれる。 

 けれども、それが炎であれば? 

 酸素と可燃物を喰らっていくらでも大きくなることが可能なものであれば? それが上がるのが酒場からであれば?

 酒という、非常に燃えやすいものがたっぷり蓄えられている場所からであれば?

 家という家、建物という建物から人々が飛び出し、消火活動に当たっていた。

 消火活動といっても、水をかけて消すのではない。

 斧、鋸、金槌、その他諸々の道具を持った人々が燃える建物に殺到し、壁を打ち壊し、剥ぎ取っていく。消すのではなく、壊していく。壊して、これ以上燃えるのを防ぐのと同時に、他の建物に燃え移るのを防ぐのだ。

 消火活動に懸命に当たる者、火事場泥棒に挑もうとする者、火事に対して罵声を吐き散らす者、燃える炎を前に震える者、信仰と神の名を唱える者。

 けれども、その中にブッチとアトリはいない。

 それでも、大騒乱の夜は更けていく。ことを引き起こした立役者たちがいなくても、始まってしまったらもう終わりなのだから。

 全てが燃え尽きてしまうその時まで、終わりが訪れてくれるなんてことは、そもそもありえないのだから。

 否、終わりは唐突に訪れる。


 銃声。


 入り口付近で消火活動に当たっていた一人が、倒れた。

 銃声、銃声、銃声、銃声、銃声。

 それを皮切りに、居合わせた人々が次々と倒れていく。

 銃声の数の人数が倒れたと、人々は果たして気づいただろうか?

 それより前に、人々の前に現れる。炎に満ち満ちた酒場より、入り口から堂々と。

 青仄白あおほのじろの炎を纏った【不死者】キエン・エスが。

 居合わせた者たちは、一様に手を止め、唖然とした面持ちでキエン・エスを見る。

 その一方で、キエン・エスは新たなる地獄を始めるカメリオの町を見据えた。


「キエン・エス」


 そして、終わりの始まりが開始される。














 燃え盛る炎による熱、硝煙の臭いを含んだ生暖かい空気が沈殿する中を、キエン・エスは歩く。容赦なく行われた殺戮によって、カメリオの町の住人たちは殺された、殺しつくされた。

 

 女に男。

 子供に老人。

 商人に牧童。

 物乞いに金貸し。

 保安官に賭博師。

 聖職者に娼婦。


 皆が皆、倒れて無残な屍を晒している。

 キエン・エスは撃ち漏らしをしていなかった。一発の弾丸で、必ず一人殺していた。

 そもそも、キエン・エスには天賦の才があった。射撃技巧で確実に人を殺す才能が。気配を感じるだけで、僅かな影を捉えるだけで――そして、己が得物とする銃を自分の手足以上に操れることで。

 そんな才を存分に発揮することによって、キエン・エスは――否、かつての彼はいつしか【英雄】の高みまで昇りつめた。


 Truth and History.

 21Men.

 The Boy Bandit King.

 He Died As He Lived.


 かつて【英雄】であった彼を、人々はそう呼んで称えた。

 かつて【英雄】であった彼が死した後も、人々はそう呼んで称え続けた。

 だが、逆にいえば、彼にはそれだけしかなかった。確実に人を殺せる射撃の才能、彼にあったのはただそれだけ――この世という地獄を彼が生き延びるための術が、ただそれだけだったからだ。

 だが。彼はあの裏切りによって死に――しかし、蘇った。死の軛に囚われぬ【不死者】キエン・エスとして、この世という地獄へ、再び。

 しばらくして、キエン・エスはカメリオの町を出た。またどこかへ行き、そして殺し尽くすためだ。

 新大陸フロンティアには、まだ数多の人間がいる。だから、キエン・エスの足が向く場所に、人間はいる。

 行き着いた先に人間がいれば、キエン・エスは殺す、殺し尽くす。

 いや、それよりも――

 その目には、既に焼き付いている。先程出会った、自分と同じ【不死者】の姿が。

 キエン・エスの顔が、笑みに歪む。狂気と憎悪、殺戮への喜びに満ち満ちた、陰惨な笑みに。

 殺られた怨みよりも、どす黒い欲求の方が強かった。

 相手が人間なら、殺してしまう瞬間はたった一瞬で終わってしまう。だがもし、相手が決して死ぬことのない【不死者】であれば?


「キエン・エス」


 徐に、呟く。だが、その呟きに答える者は存在しやしないだろう。今も、かつても――そして、未来においても。

 誰に言うのか分からない言葉なんて、そもそも意味などなさないのだから。

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