Chapter 2


「それで、原住民エン・セラードスの部族を大同盟として纏め上げた、原住民エン・セラードスゲリラ総帥のティカムサは、騎兵隊に向かってこう言ったそうだ。「お前たちが今いるこの場所、この大地が立ち入ってはならぬ場所であることを、決して忘れるでないぞ!」……と!」


 旅装の婦人、身なりのよさそうな紳士、家出少年、孫娘を連れた行商の老婆、退役軍人の男と、この場に居合わせた面々は様々だった。しかし、反応は返ってこなかった。そもそも、誰も聞いちゃいない。なにせ、話を聞く余裕がないのだから。


「おじさん、うるさいよ。おいらたち食べるのに忙しいのに、ぺちゃくちゃほざかないでよ」

「死ね、クソガキ!」


 それまで漫談を語っていた興行師の男は、足音荒く出て行った。

 当たり前だ。乗合いの駅馬車で出される出来合いのものではなく、レストランで出される温かくて美味い食事を前にすれば、誰だってこうなる。


「まあ、なにはともあれ、皆無事に着くことができました」


 そして食事が終わるころ、面々を代表して身なりのよさそうな紳士が切り出す。


「そうは言っても、皆さんとはお別れなんですけど」

「あら、そぉ?」


 そう返すのは、旅装の婦人。


「別に、お別れしたところで寂しくなんてありませんわ」

「薄情だなぁ、おねえさん」


 口を尖らし、言うのは家出少年。さっき、興行師に憎まれ口を叩いた張本人。


「でも、ここでいいお相手が見つかるといいね。出来れば、アッチの相性もぴったりの」

「あたしの孫ちゃんの前で、そんな下品なこと言わんでおくれ!」

「おばあちゃん、あっちのあいしょうってなに?」

「耳をお塞ぎ、孫ちゃん!」


 きーきー喚くのは、行商の老婆。彼女の孫娘は、指をくわえて小首を傾げている。


「相性、相性でありますか……そ、それでよければ、その」


 もごもご遠慮がちに呟くのは、退役軍人の男。


「よければですけど、俺、故郷に農場を持っていまして」

「あら、ここのミント・ジュレップおいしいわ。おかわりをもらおうかしら」

「では、僕はボブ・モーゼスコーヒーワインをいただきましょう。少し濃い目で」

「おいらはいらないや」

「孫ちゃんは、おばあちゃんと一緒に山羊さんのミルクを飲もうかねぇ」

「のみたい! めぇめぇさんのミルク、のむ!」

「あ、あのぉ……」

「冗談はやめて頂戴ね」

「おやおや、これは」

「おー、修羅場……にゃならないか、ちぇっ!」

「孫ちゃんの前でンなことやってごらん。ラッパ銃が火を吹くよ?」

「うぇぇ、おばあちゃんのおかお、こわいよぅ」


 旅を終えた同士の団欒が成立することはなかった。意気投合も以心伝心もしないから当たり前なのだけれど。


「それより、ァアー、疲れたぁ」


 そんな中において、一足先にテーブルから離れる者が一人。


「おや、どこへ行かれるので?」

「軒先を借りるんだ。そこで寝るから」

「坊や、宿に泊まらないの?」

「おいら、実はそんなにお金持ってなくてさ」

「なのに家出かい? 呆れた子だねぇ!」

「そうなの? だったら、もとぐんじんのおじさんが、おにいちゃんをのうじょうのあるこきょうにつれていってあげればいいんじゃないの?」


 沈黙が降りる。ただし、ほんの数舜だけ。


「えええええええ!?」

「あはははははは!」

「っぷぷぷぷぷぷ!」

「孫ちゃんっ! なんてこと言うの!」

「なんで? だめなの?」


 彼らの集う場の空気が、和やかに沸く。


「気持ちは嬉しいけど、おいらにゃ行かなきゃいけない場所があるんだよ」


 少年は肩をすくめ、その場を後にした。













 レストランを出た少年は、目的地へと向かっていた。自然と歩調が速まる。

 早くしないと日が暮れてしまう。その前に、先に着いているはずの仲間――彼の大事な友達と合流しなければならない。

 ズボンのポケットに手を突っ込んで、中身に触れる。指に触れるのは、レストランからくすねてきたパン一切れ。そして、例のモノ。


「豚の骨も持ってくりゃあよかったなぁ」


 少年はぼやきつつ、人波に逆らって歩く。頬に当たる風、夕闇と夜陰の狭間のそれは薄ら寂しく、冷たかった。

 やがて、目的の場所へ到着する。町外れ、そこに建つ廃屋の一つを覗き込もうとして――


「やぁ、お待ちしていましたよ」


 後ろからかけられた声に、ぎくりとなる。


「だ、誰だ!」

「つれないですねぇ、先程の威勢はどこへ?」


 思わず振り向いた先に、そいつはいた。

 服装は、先程とは大きく異なっている。興行師の衣装から、チャコールグレイのスーツに山高帽子へと。


「事情をお話して、入れ替わらせてもらったんですよ。いやぁ、助かりましたけど、本職の方には大きく劣ってしまいますね。全然ウケませんでしたし」


 相手は無防備だった。「それがどうした!」と、腰の得物を抜いて容易に撃ち殺せる、あるいは、脱兎の勢いで逃げ出せる。

 どちらであれ、少年にはできた。相手が並の追っ手であれば。


「ああ、名乗るのが遅れましたが……僕はこういう者でして」


 相手の身分証明を見せつけられる。

 その手に翳されるのは懐中時計、その留めの部分。

 金の鎖の先には、盾のチャーム。

 刻まれるのは【PINKERTON NATIONAL DETECTIVE AGENCY】という文字。

 そして、目を象った紋章――プライベート・アイ。

我々は決して眠らないWe Never Sleep』という、奴らが掲げるスローガン。

 無法者アウトローの絶対的な敵対者であることの証明。


「【ピンカートン探偵社】より派遣されてまいりました、チャーリー・シリンゴです。お見知りおきを、テディ・ポッソ」


 瞬間――少年、テディは、まるで全身が内臓になってしまったみたいな感覚にとらわれる。ただ、心臓が大きく脈打っているだけなのに。


「単刀直入に聞きます」


 そんなテディなど意に介さず、シリンゴは言う。


「ブッチ・キャシディは、どこです?」

「どこにいるって? ふざけんな、この人殺し!」


 なんとか発したそれは、踏み殺されるネズミの断末魔じみていた。


「お前らが、お前らが、殺したようなくせに! お前らのせいで、【ワイルドバンチ強盗団】は、首魁ボスはっ……!」

「悪行に手を染める無法者アウトローどもに、栄華が約束されるとでも?」

「お前が言うんじゃねぇよ! お前らの、お前らのせいで」

「まあ、確かに我々のおかげであなたの寄る辺はなくなりましたからね。殺人罪で追われていた、あなたの」

「……ッ!」

「些細な諍いで巡業劇団の座長の娘を殺し、逃亡。官憲と賞金稼ぎから逃げていたところを【ワイルドバンチ強盗団】に拾われた。違いありませんね?」

「あ、あれはっ、そもそもあいつが……!」


 牛に聖書を読み説き聞かせるようなものだ。いくらバッシングを並べ立てても、シリンゴが心打たれることはなかったのだから。


「では、質問を変えましょう。【ワイルドバンチ強盗団】の残党どもがここのところ動き出しているのは、ブッチ・キャシディとなにか関係が?」

「…………」

「そうでなければ、わざわざこんな場所で仲間と落ち合うはずありませんよね?」

「…………」

「その沈黙は、肯定ですか?」


 この時点で、既にテディは決定打をかけられていた。いや、話はそれ以前だ。シリンゴに、【ピンカートン探偵社】に追尾されて尻尾を掴まれたという時点で、こうなってしまうことは決まっていたのだ。


「無駄な足掻きはやめなさい」


 テディに向けて、シリンゴは一歩踏み出す。


「あなたはそれ相応のことをしでかしています。ですが、その首に即座にロープがかけられて吊るされることは、まずないはずです」


 シリンゴは、もう一歩踏み出す。


「そのために、我々は、あなたに腕の立つ弁護士を斡旋するつもりでいます、あなたには、弁護士の立ち合いを求める権利がある」


 シリンゴは、更に一歩踏み出す。


「だから」

「つまりさ、あんた、こう言いたいんだろ?」

 テディは、沈黙を破る。

「内通者になれって、【ワイルドバンチ強盗団】を、首魁ボスを売れって」

「ざっくばらんに言うと、そういうことです」

「分かったよ。……そういうことだってさ、マックス」


 シリンゴは、足を止める。


「なに?」


 生じた隙を、テディは見逃さなかった。


「マックス!」


 ズボンのポケットから取り出したそれを、放り投げる。振り返り様、なるべく遠くへ。


「っ!?」


 シリンゴの足下を、なにかが凄まじいスピードで駆け抜けていく。テディが放り投げたものへ、一直線に。


「させるかっ!」

「マックス、それを持って走れっ!」


 シリンゴは、懐から得物を――S&W モデル2・アーミーを抜き放った。

 標的をマックスに定め、引き金を引く。

 銃声。


「がぅ、っ!」

「しまったっ!」


 だが、放たれた銃弾は、マックスを撃ち抜くことはなかった。マックスを庇うよう立ち塞がったテディが――

 どうっ! と、テディは仰向けに倒れた。赤く染まる胸には、弾痕が穿たれている。駆け寄るも、既に手遅れだった。目を開いたまま、テディは絶命していた。その隙に、マックスは託されたものを持ち去ってしまっている。


「くそっ!」


 悪態を吐き捨てる。下っ端とはいえ構成員に接触し、ブッチ・キャシディへの距離を縮めかけたつもりが、まんまとしてやられたのだから。

 それにまさか、構成員としてあんなものまで抱えていたとは。

 しかし、悔しがる時間はどうやらないようだ。騒ぎ声と足音が、どやどや近づいてくる。おそらく、銃声を聞きつけた町の住人たちだろう。わけを説明すれば納得してもらえるだろうが、今はそうするだけの時間ですら惜しい。

 指笛を鳴らす。それを合図に、サーベラス――鮮やかな毛並みの黒馬が駆け寄ってくる。シリンゴの愛馬であり、相棒でもある。


「ハッ!」


 一息で飛び乗る。馬腹を蹴り、人馬一体となって荒野へ飛び出す。






 だから、結局彼らは気付けなかった。追う者と追われる者となることに徹しきってしまっていたからだ。

 彼らがそれまでいた場所、町の外れの廃屋の暗くらがり。そこにそれまで隠れ潜んでいた存在が、目を――若葉色リーフグリーンのそれを開く。


「キエン・エス」


 だが、答えるものはいない。

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