2nd The Great Rampage 殺しは静かにやって来る

Chapter 1

 ありあわせの木箱の上に立たされ。首に太いロープをかけられる。

 絞首刑だ。それも、非公式の。新大陸フロンティアでは珍しくない、リンチである。

「ようこそ我が町へ」という歓待の言葉がペンキ文字で描かれるのは、ここオーソの町と荒野の境界線である木造の門。

 だが、今は即席の絞首台だ。彼の――キエン・エスのための。


「吊るせ! 吊るせ!」

「人殺しは吊るせ!」

無法者アウトローは吊るせ!」


 群集――オーソの町の住人たちから上がる声は、これから行われる残虐な見世物への狂熱ねつに浮かされていた。

 うるさいな――と、くびきにかけられたキエン・エスは周囲を見る。

 一人の人間が死ぬ様を娯楽として享受する人間たちの姿を、ただじっと。

 なんの感情も湧かなかった、沸き上がることすらなかった。今更何を思えばいいというのだろう、人間などに。

 思えば、キエン・エスをここまで至らしめたのは、人間だった。あの、自分を裏切った上に命と魂の炎を吹き飛ばした親友の保安官も、人間だった。

 神でも悪魔でも精霊マニトゥでもなく、人間だった。キエン・エスの生涯を弄んだ者は。


「オイ、クソガキ!」


 足元から声が浴びせられる。そちらを見れば、にきび面の男がいた。こいつは確か、気まぐれに酒場サルーンで撃ち殺してやった賭博師の取り巻きの一人だったはず。


「クソガキ、なにか言い残したいことはあるか?」

「キエン・エス」

「は?」

「キエン・エス」

「誰がてめぇの名前を墓に刻むか! おい、皆!」


 にきび面は群集に向け、声を張り上げる。


無法者アウトローに相応しい報いはなんだ!?」

「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」

「俺たちの町で暴れやがった人殺しの無法者アウトローに相応しい報いはなんだ!?」

「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」


 群集は叫ぶ。拳を上げて叫び狂う。


「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」「吊るせ!」

「じゃあな、地獄に堕ちろ! クソガキ!!」


 積み上げられた木箱が、思い切り蹴飛ばされる。

 足場が一気に崩され、キエン・エスの身体が浮く。

 予定されていた通り、処刑は執行させる。











 足場を失い、キエン・エスの身体が浮いた直後、ぴんっとロープが張る。

 首にかけられたロープに全体重がかかり、キエン・エスは文字通り首吊りの状態にされた。

 首を絞め上げられる。外ならぬ、自分の体重で。

 気道が圧迫される。同時に、呼吸が圧迫された。

 視界がどす赤い色に染まる。窒息による、名状しがたき多大なる苦痛で。

 だが、逃れようにも逃れられない。手を後ろで縛られている上、首のロープは太く頑強で千切れそうにないから。

 キエン・エスは、生きながら地獄へ引きずり落とされていく。

 そして、キエン・エスは死んだ。

 新大陸フロンティアにおいて、過剰な対処が無法者アウトローに下されるのは別に珍しいことではない。ただ、本来のルールであれば、犯罪者は法に基づいて動く保安官が逮捕してしかるべき処置をとるか、新大陸フロンティアを巡回する判事を呼んで判決を下してもらうことになっている。

 しかし、それらはほとんど守られることはない。犯罪を犯した無法者アウトローは捕らえられるや、大抵こうして吊るされる。

 恩赦がかけられることは、ほぼ皆無だ。捕らえた側の人間たちにとって、吊るされることになる人間など憎悪と呪詛の対象でしかないのだから。

 されど、それは建て前しかなかったりもする。そもそも死刑の執行は、新大陸フロンティアにおけるエンターテインメントの一つなのだから。

 だから、吊るされて呆気なく死んだキエン・エスを見るオーソの町の人間たちの目は、しらけていた。

 皆の顔に書いてある。どうして、もっと苦しんで死んでくれなかったのだと。

 自分たちがリンチにかけた人間の最期を目にして気まずいのではなく、リンチが滞ることなく終わって面白くなかったための反応だった。

 予定通りに処刑が終わり、群集は各々の日常に戻っていく。今回吊るした無法者アウトロー無縁墓地ブーツ・ヒルに運ばせるのは誰にやらせようかとか、与太話に花を咲かせながら。


 きゅばっ!


 炎が噴き上がった。

 目にした誰かが、悲鳴を上げる。「火事だ!」と叫ぶ者もいる。

 皆が皆、それの目撃者となる。自分たちが吊るした無法者アウトローの死体から上がる、炎の。

 悲鳴を上げて逃げようとする者、「水を持ってこい!」と果敢に叫ぶ者――とった行動は様々だ。突如上がった炎に、群集はたちまち蜂の巣を突いたような大騒ぎとなる。

 もし、もう少しまともに理性を働かせていたのであれば、皆今や自分たちが異常事態に巻き込まれていることに気づいただろう。

 炎から熱が一切伝わってこなかったとか、飛び火してなにかを燃やすことがなかったとか。


 上がるそれが、燐が放つような青仄白あおほのじろの、この世のものではないような彩色いろをしていたとか。


 そもそも何故、誰も触れていないはずの死体から炎が突如上がったのかとか。

 とはいえ、狂熱ねつから覚めたばかりの群衆にそんな事到底無理だっただろうが。

 故に、彼らは気付かなかった。外ならぬ自分たちが、地獄の扉を開いてしまったことに。

 直後、轟く――銃声が。

 恐らく、恐慌に駆られた誰かが引き金を引いたのだろう。銃弾が、無法者アウトローの頭上に命中する。

 ロープが音を立てて弾け飛んだ。吊るされていた無法者アウトローは重力の法則によって落下、打ち捨てられた麻袋のように転がる。


「な、なんだ?」


 未だ上がる炎に包まれる無法者アウトローの死体に、にきび面はおそるおそる近づいた。


「え!?」


 そして上げた驚愕の呻きは、彼の最期の言葉となる。

 がばぁっ! と、それは跳躍した。

 飛びかかり、にきび面がベルトに吊っていた銃を奪い、そして、撃った。

 銃声が轟く、群衆の心を圧するよう。

 誰も動けなかった。銃声にではなく、それへの恐怖で。そもそも、ありえない事だ。

 死した人間が、再び立ち上がるなど。

 そして、手近な相手から銃を奪い取るなど。そして、引き金を引くなど。

 事態を把握出来るはずもない群衆を、そいつは――【不死者】キエン・エスは、逃すはずなどなかった。

 最初の一人を撃ち殺したのを皮切りに、轟く銃声、銃声、銃声、銃声、銃声。

 ただ引き金を引くだけで、面白いように人間が銃弾に倒れ、呆気なく死んでいく。

 手の戒めは、既に解かれている。群衆が炎に気をとられている間、縄を解いたのだから。

 銃弾が尽きると、キエン・エスは躊躇わず銃を捨てた。そして誰かに飛びかかり、また奪い、再び撃つ。銃声。


 撃つ、撃つ、撃つ、撃つ、撃つ。

 銃声、銃声、銃声、銃声、銃声。











「『少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映して見ると、既に虎になっていた。自分ははじめ眼を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまで見たことがあったから。どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は茫然とした。そして、おそれた。全く、どんな事でも起こり得るのだと思うて、深くおそれた。しかし、何故こんなことになったのだろう』」


 青鋼色スチールブルーの目は今、おそらく自分以外の誰も耳にしたことのない【異世界】の物語への興奮に輝いている。

 聞き手のそんな様子を見つつ、アトリは話を進めた。


「『分らぬ。全く何事にも我々にも判らぬ。理由も分らずに押し付けられたものを大人しく受け取って、理由も分らずに生きていくのが、我々生き物のさだめだ。自分は直ぐに死を思うた。しかし、その時、目の前を一匹のうさぎが駆け過ぎるのを見た途端、自分の中の人間はたちまち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口はうさぎの血に塗れ、あたりにはうさぎの毛が散らばっていた。これが虎としての最初の経験であった』」

「怖っ!」


 そこまで聞いて、聞き手ことブッチは引きつった叫びを上げる。


「つーか、アトリお前、よくこんなオソロシイ話を普通に語れるってばね」

「……いや、これ、ホラーじゃないはずなんですけど」

「でも、俺には十分ホラーだってんだよ……で、なんて話だ、ソイツぁ」

「……【山月記】です。……ひらがなで表記すると【さんげつき】、カタカナで表記すると【サンゲツキ】になります」


 メモ帳に【山月記】と書き、ひらがなとカタカナのルビをそれぞれ振る。

 ブッチはそれをしげしげ眺めていたが、やがてボールペンをルーズリーフに走らせる。


「【さんげつき】に【サンゲツキ】っと……」


 その姿は、勉強に励む人間そのものだ。

 数日前に教えたボールペンの使い方も、すっかり様になっているし。


「このシルクのようにすべらかな、混じりっけなしに真っ白な紙はなんだっ!?」


「マジかよ、インクが凍らない!?」


「ってかお前、たかが紙とペンにどんだけ金をつぎ込んでるんだってんだよなぁ!?」


 最初は驚嘆の叫びを上げまくって恐る恐る手に取っていた文具類も、普通に使用しているし。

 成り行きとはいえ、変なことになっちゃったなぁ、とアトリは思う。誰かに勉強を教えたことが今までなかったわけではないのだけれど、今教えている相手は男の人で、アトリよりも一回り上の年齢の人で、【異世界】の人で、無法者アウトローで――

 漫画やラノベで、【異世界】に飛ばされた主人公がそこで出会った人に現代の知識を教えたりするっていうのは、パターンとしてよくあることだ。或いは、飛ばされた先が【異世界】ではなく戦国時代や幕末という過去の時代であっても。


「……ここは【異世界】であるけれども、わたしが教えている人はわたしが元いた世界の史実上の人物なんですよね、一応」











 ところで、ブッチ・キャシディって誰? っていう人は結構多いと思われる。

 ブッチ・キャシディは、時のアメリカ大陸を駆け巡り、暴れまわった実在の無法者アウトローだ。本名はロバート・リロイ・パーカーといい、ブッチ・キャシディというのは通り名である。

 残念ながら、日本では知っている人は知っているけれども知らない人は全く知らないっていう、マイナーな人物である。しかし、本国アメリカにおいてはローカルヒーローの扱いを受ける有名人だ。一九六九年に公開されたアメリカン・ニューシネマの傑作【明日に向って撃て!】の題材になったことでも有名である。

 一八九六年にモンペリエ銀行で起こした銀行強盗を黎明に、ブッチは仲間たちと共に結成した【ワイルドバンチ強盗団】を、後の世にその時代のアメリカにおいて最大規模の強盗団として伝えられることとなる一団を率い、数々の強盗・襲撃事件を企画・実行し続け、そして、成功させ続けた――終焉を迎えることになる十数年後まで、一度も失敗することなく。

 とにかく、ブッチ・キャシディは【ワイルドバンチ強盗団】を率いて暴れた、暴れまくった、大暴れの限りを尽くした。

 そんな、法と秩序を重んじぬ典型的な無法者アウトローであり、強盗犯罪に手を染め抜いた歴とした犯罪者であったのにも関わらず、彼はまるでヒーローのような扱いを今も昔も受け続けている。


 義賊にあらずとも仁義をあたび、

 聖人にあらずとも隣人を愛し、

 恩人には敬意を払い礼を尽くし、

 言明すれば誓約を決して違えず、

 裏切りを許さずともそのおおもとを生まず、

 支配者でありながら民主的。


 多少の誇張や脚色はあるかもしれないけれど、意外とマトモな人間であったという。少なくとも、人を殺しまくって「豚を殺すより面白ぇぜ! ぎゃはははは!!」と高笑いを上げるような悪党ではなかったらしい。だからといって、善人でもなかったらしいけど。

 どこまでが本当かまでは分からないけれども、人物像だけでも生きる伝説に十分匹敵する人だったという。

 しかし、そんな伝説も、やがて終焉おわりを迎える。

 一九〇八年十一月、官憲や探偵といった追跡者から逃れるために逃げ込んだ南米ボリビアの小さな村で騎兵隊に追い詰められ、自ら命を絶つのだ。

 ただ、その最期には不可解な点が多いらしい。

 そのため、家族はブッチの死を否定し続け、ブッチを信望する無法者アウトローたちは金銭を工面しあって調査隊に出資し、挙句の果てには真実を確かめるべく著名な法医学者までもが動いてDNA鑑定を行った――と、実は逃げ果せてどこかで生き延びていたという、所謂【生存説】を唱える人は、数多くいる。

 だが、この【異世界】では――


「……でも、生き延びていた……ということになれば、かの名作【明日に向って撃て!】のあの結末は否定され、ブッチ・キャシディは知られざる人生の続きを歩んでいるということに」

「歩み続けさせられているんだろうってばね」


 ブッチはどこか吐き捨てるように言う。


「ただし、今の俺は、この【山月記】のエンサンの友人ダチの……ええっと、リチョーみたくちぶれちまっているけどよ」


 堕ちぶれる――ブッチの言う通りかもしれない。なにせ、今ここにいるブッチは、【ワイルドバンチ強盗団】を率いていた頃のブッチ・キャシディではないからだ。

 引き合いとして出した【山月記】の李徴りちょうが、人間から虎に成り果ててしまったように、ブッチもまた成り果てた――【不死者】という、人間ならざる存在へと。

 かけがえのない相棒ザ・サンダンス・キッドの【存在】を失うことと引き換えに。

 正直、後悔する。数ある文学作品の中から、なんで【山月記】なんて選んでしまったのやら。


「ンぁ、どうしたってんだ?」

「……いえ、あの、その、ですね」

「俺のことを考えてるってんだったら、別に、気にせんでいいってんだよ」

「……えっと、じゃあ、さっきの続き、話しますか?」

「ソイツぁ、また今度にしてくれ。今日はもう、終いにしようや。明日も早く発つからな」


 そう言って、ボールペンとルーズリーフを置く。


「で、だ……例のモン、ちゃんと選んだか?」

「……はい、明るいうちにちゃんと済ませておきました」

「そうか、なら、明日一番にでも……と、言いてぇところなんだけどよ」


 そう言いながらブッチは、焚き火から火を移したランプをアトリの側にやる。


「出来れば、今夜中に身に着けておいた方がいいぜ。ああいうのは、早いところ身体に合わせた方がいいからな」

「……分かりました。……ブッチさん、あの」

「ンぁ?」

「……貸していただけるお洋服は、ザ・サンダンス・キッドのものだったんですか?」


 その言葉に、ブッチは笑う。


「なんでそう思うってんだよ」

「……おしゃれにこだわっていたらしい、って伝えらているので」

「確かにそうだったけどよ、アイツだけのモンじゃねぇ……アイツらのモンでもあったんだよ」

「……アイツら?」

「羽織るのは、エルジー・レイのモンだったベストかもしれねぇ。

 その下に着るのは、ローラ・ブリオンのモンだったシャツかもしれねぇ。

 腰に巻くのは、ボブ・ミークスのモンだったベルトかもしれねぇ。

 ベルトを飾るのは、デカ鼻ジョージのモンだったバックルかもしれねぇ。

 腰にぶら下げるのは、ハーヴェイ・ローガンのモンだったホルスターかもしれねぇ。

 首を覆うのは、ベン・キルパトリックのモンだったバンダナかもしれねぇ。

 穿くのは、カミーラ・ハンクスのモンだったズボンかもしれねぇ。

 履くのは、ニュース・カーヴァーのモンだった革足袋モカシン かもしれねぇ。

 懐に収まるのは、ザ・サンダンス・キッドのモンだった懐中時計かもしれねぇ」


 今挙げられた名前は、ザ・サンダンス・キッドを含む【ワイルドバンチ強盗団】の主幹メンバーのものだ。

 おそらく、もう、生きていないはずの。


「明日も早く発つからな。もう、寝とけよ」


 アトリがなにか言おうとする前に、ブッチは会話を強制的に打ち切った。

 

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