Chapter 6


 当たり前のことなのだけど、人間は誰しも歳をとって――そして、死ぬ。人間だけではなく、全ての生き物は生まれながらにして老いて死ぬという宿命を背負っている。

 たとえ、何かしらの延命処置的な手段で遅らせることができても。

 けれども、どこかの時代でどこかの誰かが声高に訴え出る。「老いることもなく、死ぬこともなく、永遠の時を生きる存在になれないのか?」と。

 死なない存在になるということは、不死の人間、【不死者】になることを目指すということ。

 そしてそれは、幾つもの時代を経て人間の究極の夢にして野望となった。

 秦の始皇帝をはじめとする時の権力者や、中世ヨーロッパの錬金術師たちが追い求めた逸話はあまりにも有名だし、体系は違えど民族伝承や神話を紐解くと必ず出てくるし、そういうテーマを取り扱う作品は古典文学からラノベまで、数限りなく普及している。

 まあ、人間の究極の夢にして野望なのだから、そうじゃなければ逆におかしいのだろうけど。

 けれどもそれは、あくまで夢でしかありえないはずだった。











「なんつーかよ」


 あれこれ色々考えたり思い出したりしていたのだけど、声を浴びせられて意識を現実に引き戻される。

 現実におけるアトリは、ぎしかたぎしかたと揺れながら進む、幌馬車の上の人だ。


「つくづく思わざるをえねぇんだけどよ、お前が元いた世界……こことは異なるっつー世界? 【異世界】? すげぇ文明発達してんのな、俺がいるっつーこの世界とはまた別の知識で」

「……えぇ、そうですね。……あと、わたしはアトリです」

「その別の知識で色んなモンが出来上がっていて……ほら、あの【スマホ】ってやつみたいなの、あんなのが普通の雑貨屋みたいな所で売ってんだろ? それも、安価で。燃料切れで駄目になんなきゃ、仕事シゴトとか仕事シゴトとか仕事シゴトとかでさ、上手く使えそうだってのになぁ……俺なら」

「……あげませんよ」

「ケチ」

「……それよりいいんですか? ……かの悪名名高き【ワイルドバンチ強盗団】の首魁ボスだったって人が、こんなわけのわからない世界の知識にたった数日でほだされちゃうのは」

「人間である以前の問題だっての」


 ブッチは言う。おそらく、これまで何度も何度も繰り返し言ってきたであろうことを。


「今の俺は【不死者】だって、何度も言ってンだろうが」

「……そうでしたね」


 自分は【不死者】であると、ブッチは言った。

 アトリが知る限り、「トラックにひかれても、僕は死にません!」っていうようなギャグネタが昔あったような気がしないでもないのだけれども、ブッチはそういう意味で「死なない」のではない。

【不死者】という、【不】という否定の言葉で【死】を打ち消した【者】という言葉が表す意味の通り――本当に「死なない」のだ。

 そうでなければ、銃で自分の頭を吹っ飛ばしてほぼ即座に元通りになる真似なんて、出来るわけがないし、説明だってつかない。

 ハリウッド映画仕込みのVFXか特殊メイクでも使えば、もしかすれば可能なのかもしれないけれど、あれらはあくまでも映像世界においての表現法であって、現実ではないのだ。


「ところで、【異世界人】」

「……アトリです。……ってか、異世界人ってなんなんですか?」

「【異世界】の人間だからそう呼んでんだよ」

「……まあ、そうですけれど。……でもですね、そもそもわたしには浅倉アトリっていう、親からもらった名前がありまして」

「アサクラアトリって呼ぶよりも、【異世界人】の方が呼びやすいんだよ」

「……アトリです。……それと、浅倉は苗字で、アトリが名前です。……苗字の浅倉は、浅草花やしきの【浅】に、往年のいぶし銀俳優こと高倉健さんの【倉】と書いて浅倉で、名前は普通にカタカナでアトリです」


 アトリは、ポケットからメモ帳とボールペンを取り出し、【浅倉アトリ】と書いて見せた。

 ブッチは、軽く目をみはる。


「……どうしました?」

「お前んとこの世界文化、俺からすりゃあ、カオスだわな」

「……アトリですって。……そう言われると確かにそうですね。……日本って、普段から文字が飽和していますし」

「つーか、話を聞く限り【ニホン】っていくつもの言語を掛け合わせて使うっていうじゃん。それって、なんか意味あんの?」


 いくつもの言語というのは、ひらがな・カタカナ・漢字のことだろう。

 ちなみに、この世界で主に使われている言語は、見せてもらった文字を見る限りアルファべットだったので、多分英語だ。けれど、ブッチによればそれらは英語ではなくて大陸共通言語バベルヘイム・オリジンなるものだとか。


「……そもそも、英語を創ったイギリス自体、この世界には存在していないんでしたっけ」


 それどころか、アメリカとかロシアとか中国といった国も、存在していないらしい。


「……世界に名だたる列強大国が軒並み存在していないっていうんだったら、日本が存在していないって言われても納得できるかもですね。流石【異世界】……恐るべし」











 正直、ブッチは【異世界】なるものの存在があろうがなかろうが、どうだっていいと思っている。思うにしても、あるんじゃないか? ってか、あってもいいんじゃねぇ? 程度だ。

 ぶっちゃけ、【不死者】が存在しているなら【異世界人】がいたっておかしくない。

 だが、その【異世界人】ことアサクラアトリから話を聞く限り、【異世界】の存在はブッチの想像を遥かに超えたものだった。


 空を突き抜けた果てに浮かぶ月まで飛ぶ巨大な鋼鉄の筒。

 遥か遠くの大陸にある光景を映すことができる箱。

 欲しい情報を欲しい時に好きなだけ言葉一つで電気の大河からサルベージできる技術。


 それに、アサクラアトリの恰好は、へんてこりんもいいところだ。

 狐でもミンクでもない、新雪のように真っ白で美しいふわふわの毛皮が襟周りを飾るジャケット。

 タイを巻いていない、どちらかというと酒場サルーンのバーテンが着ているものによく似ているものの、襟のデザインがやけに鋭利な白いシャツ。

 鉱山労働者の愛用品として定番のものだが、インディゴ染めの青ではなく、インクで染めたみたいに真っ黒なジーンズ。

 革足袋モカシンに見えなくもないのだが、鹿革ではなく硬い布で作られ、複雑に噛み合う紐がフリンジやビーズの代わりにあしらわれた靴。

 ガラガラヘビの鱗やアライグマの毛皮ではなく、つるつるとしたカラフルな丸い板の装飾を施した、手品師ぐらいしか被らないようなシルクハットもどき。


「……ブッチさん?」


 とにかく全部、ブッチが知る限りの常識からかけ離れすぎている。

 アサクラアトリが語る内容に登場する、宇宙ロケットもテレビもインターネットも。アサクラアトリが当たり前のものとして身に纏っている、フェイクファーが付いたジャケットも、カッターシャツも、ブラックジーンズも、運動靴も、缶バッヂで飾られたおしゃれ帽子も。

 だからこそ、思うのだ。もし、アサクラアトリが有する【異世界】の知識をうまいこと入手することが出来れば、【異世界】の知識を使いこなすことが出来れば、本来であれば不可能であるはずのことを可能にすることが、もしかすれば出来るのではないか?

【不死者】に成り果ててしまった代償に過去・現在・未来問わずこの世界から【存在】を抹消されてしまったザ・サンダンス・キッドを、取り戻すことが。











「で、これからお前、どうするつもりだ?」


 停めた馬車の側、おこした焚火を囲んで、ブッチとアトリは食事を摂っていた。

 献立は、乾パンとベーコンという、至ってシンプルなもの。

 ただし、正直おいしくない。乾パンは堅くて味気ないし、猛烈に塩がきいたベーコンはただしょっぱいだけ。

 それらをブラックコーヒーをがぶ飲みして腹に押し込む。


「……どうするつもりだって、言われましても」


 はっきり言って、今のアトリは裸一貫もいいところである。


「……正直、分からないです」

「だろうな」

「……こっちの世界のことだって、全く分からないですし」


 スマホは圏外、日本円は使えないだろうし、電子マネーは読み取る機械がなければただのプラスチックのカード。文明の利器らは、ただの物体と化していた。

 なにせ、ここは【異世界】だ。アトリが持つ常識が一切通用しないと考えたっておかしくない。そんな中に、今、アトリはただ一人。


「……どうしよう」


 そう言ったところで、いい考えがぽんと浮かぶわけでもない。完全に打つ手なしだ。


「いや、もしかすりゃあ、なんとかなるかもしれねぇぜ」

「……え?」


 表情を曇らせて目を伏せかけたアトリだったが、ブッチのその一言に目をぱちくりさせる。


「……それ、どういう」

「要は、帰る方法を見つけりゃいいってんだろう?」

「……そう、ですけど」

「けどよ、その前に一つだけでけぇ問題がある。ソイツがなんだか、分かるか?」

「……?」

「まさかお前、今のままで新大陸フロンティアでマトモに生きていけるって、思っていねぇよな?」

「……そりゃあ、思ってません、けど」


 多分、今まで幸運だっただけだ。もし、ブッチと出会わなければ荒野で行き倒れてそのままになっていただろうし。


「それにお前、そんなナリじゃかなり目立つぜ」

「……そう、なんですか?」

新大陸フロンティアじゃ、事情はどうあれ女ってのはみんな髪を伸ばすモンなんだ。そんな無残な状態にして晒すなんざ、普通じゃ考えられねぇよ」


 アトリは、自分の髪――あんまり長いと結ったりするのが面倒だと思ってショート程度の長さにしていたそれを、少しだけつまんだ。

 そういえば、【異世界】に来てしまってから、アトリはまだブッチとだけしか出会っていなかった。

 男性はともかく女性の恰好は、文化圏や人種によってかなり異なるものだ。宗教によっては、少し間違えてしまうだけで「下品」っていうレッテルが貼られるっていうし。


「……まあ、確かにそうですね。……長い髪は、女性であることの証だって言いますし」

「それだけじゃねぇよ。新大陸フロンティアは、男性優位主義マチスモだ。女が男と同等の労役に就くことが許されても、同等に扱われることはまずねぇって思っとけ」

「……つまり「女性は男性よりも格下の存在である!」ってことですか」

「いや、なんつーか……そうじゃなくてな……」


 ブッチは目を逸らして言葉を濁す。

 ちなみに、この疑問は後にかなり面倒な形で明らかになるのだが。


「とにかく、新大陸フロンティアで【異世界】の常識が通じるって思わねぇことだ」

「……はい」

「だから、俺から一つ提案がある」

「……はい」

「俺を雇え」


 一瞬、何を言われたのか、分からなかった。


「……ブッチさん、今……なんとおっしゃいましたか?」

「俺を雇え、と言ったんだが」

「……なるほど、分かりました。……って、はぃぃぃい!?」


 我知らず、アトリは叫んでいた。


「なっ! にっ! をっ! いっ! てっ!」

「いや、そのまんまの意味なんだが」

「……って、そーいうことじゃないですってですね! ……ってか、ブッチさん! あなたっ、ご自身がなにをおっしゃっているのかっ、お分かりになっていますでしょうかっ!?」

「俺はマジで言ったんだが。まぁ、とりあえず落ち着け」

「……って、そんなのマジいくらなんでもありえないことですって! ……いや、マジでそうなんですって! ……例えを上げるなら、宮本武蔵から剣術指南を受けるとか、マキャベリから政治理論を伝授されるとか、エジソンからスカウトを受けてゼネラル・エレクトリックに入社するとかみたく!」

「だからなァ……落ち着けってんだよ!」


 一喝されて、アトリは慌てて口を閉じる。


「俺はな、真面目に話をしてるってんだよ。俺はな、真面目に真面目な内容を真面目に話してやってんだよ。そこんとこ、分かるか?」

「……分かります、けど」

「じゃあ、聞け。いいか? お前ことアサクラアトリは、新大陸フロンティアのことなど何も知らねぇってんだろ? だから、俺が側に付いて、色々逐一ご伝授してやろうってんだ」

「…………」

「それだけじゃねぇぜ? 俺は今はこんなんでも、射撃技巧だったら一応並みのガンマンよりは腕が立つ……まあ、そうであってもアイツらの内じゃ中の下かもしれねぇけどよ。でも、なにかあった時のことを考えりゃあ、な?」

「…………」

「それによ、旅をするんだったら、連れがいた方がいいんじゃねぇか?」

「……旅、ですか?」

「おうよ」


 旅するのだ、【異世界】を。

 この、【異世界】を。

 全く未知の領域である、【異世界】を。

 そんなことが、アトリの脳内をぐるぐる回る。


「……えー」

「嫌か?」

「……いや、正直、この状況に付いて行けていないだけ、でして……」

「つーか、早いとこ決めた方がいいぜ。うじうじ悩んだところで、なんの解決にもなりゃあしねぇよ」

「……うぬぅ」


 確かに、その通りだ。うじうじ悩み抜いたところで、現状が打破されるわけではない。

 だけど、ブッチの提案に乗るのに、不安がないわけじゃない。


「……一つ、いいですか?」

「なんだ?」

「……わたし、お金持ってないんですけど。……だから、金銭による報酬とかは……でも、お金の代わりになるものだったらあげられると思いますけど。……スマホとか」

「ソイツぁ、魅力的な案だな。……けど、却下」

「……えー、じゃあ、なにを……」

「コレだよ、コレ」


 こつんこつん、とブッチは自分の頭を指で叩く。


「……え、頭?」

「俺が欲しいのは、その中身だな」

「……ええーと、それはつまり……」

「知識だよ。俺にとって未知なる【異世界】の」

「……ぇ!?」

「ソイツを、俺に教えてくれりゃあいい」

「……えぇ!?」

「あと、出来りゃあ【異世界】の文字も教えてほしい」

「……えぇっ!?」


 要は、ガイド兼用心棒として旅に同伴する代価に、アトリが元いた世界の知識を教えろって事?


「駄目か?」


 青鋼色スチールブルーの目が、アトリをじっと見つめている。

 アトリはしばらく、目を閉じた。閉じたまぶたの裏で、【あの人】が頷いた気がした。


「……分かりました。……やります」


 アトリは目を開き、ブッチを見つめ返し、言う。


「……教えるって言っても、わたしがやれる範囲にもしかしたら限られてしまうかもしれないですけれども……でも、それでもいいって言ってくれるんだったら……わたし、やります」

「ああ。可能な範囲で構わねぇよ」

「……はい!」

「旅に慣れたら、教えてくれる範囲を徐々に広げていってくれりゃあいい。こちとら、気長に待っていられるんでね」

「……はい!!」

「よっしゃ、決まりだ!」

「……でも、あくまでも、わたしが教えられる範囲内ですよ……って、聞いてないし」


 願いが叶った少年のように快哉の声を上げるブッチには、どうやら届いていないようだった。


「……教えたところで、変なことに使われることはないでしょうけれど」


 ただの十五歳、現代日本の一介のJKにすぎないアトリが持っている知識など、限られている。ブッチが一体どんな知識を所望しているかは分からないけれど、これまで学校で習った文学や数学ならうまく教えられる自信がある。


「……流石に、相対性理論を教えろとは言われないでしょうけれど……」

「契約成立だな!」


 すっと、右手が差し出される。


「改めて名乗らせてもらうぜ。俺はブッチ・キャシディ・ブッチでいいぜ」

「……浅倉アトリ、です」

「そんじゃ、これから色々教えてくれってばよ、アサクラアトリ」

「……あの、フルネームじゃなくて、出来れば……アトリって、名前で呼んでほしいんですけれど」

「ああ、分かった。じゃあ……アトリ、よろしく頼むな!」

「……こちらこそ、よろしくお願いします」


 おずおずとではあったけれど、アトリは手を伸ばし、ブッチと握手を交わしたのだった。

 こうして、旅が始まる。

 無法者アウトローであり【不死者】であるブッチ・キャシディと、ただの少女でしかなかったはずのアトリの旅が。

 出会うはずなどありえなかった、二人の旅が。


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