波乱だらけの日々の始まり

 煩悶のまま過ぎた夜が明けると、華眞の身の上は大きく変化していた。

 まず、何と位階が才人から、九嬪の一つである充媛へと昇格していた。


 次いで、慧充媛に翠鴛すいえん宮という宮殿を与えるという詔が下った。

 一夜にして昇格を果たし、宮を与えられた華眞に対して、余程お気に召したのかと人々は驚愕にさざめいた。

 本当に自分の事なのかと疑っても、宮をお移り頂きますと告げられ、あれよあれよという間に準備が為され、気が付けば新しい宮殿に落ち着いていた。

 今まで後宮に興味らしい興味を示さなかった皇帝も、これを切欠にお渡りが増えるのではないか、と色めきたった者達も多いという。


 しかし、その予想に反して。

 それ以後、慧充媛の住まう翠鴛宮だけではなく、後宮そのものに皇帝の訪れはなくなってしまったのである。

 やっぱり慧充媛は主上のご気分を損ねてしまったのではという者あり、それなら何故充媛に封じられ宮を賜ったと訝しむ者あり。

 様々な思惑飛び交う後宮にて、華眞がその間何をしていたのかというと、何と庭いじりである。

 妃嬪のされる事ではないと侍女たちは顔色を変えて止めたものの、こればかりは趣味だからと押し通した。

 せっかく宮を与えられたというのに、庭がおざなりだったのが気になったのである。

 すぐに専門の者を手配いたしますというのを制して、華眞は嬉々として庭の手入れを始めた。

 華眞の手が入るうちに、皆が驚くほどの劇的な変化を遂げていき、皆は一様に感嘆の叫びをあげる。

 個人的には花や草木だけではなく、畑を作りたい。

 だが妃嬪として与えられた宮殿の庭でそれは流石にいけない気がするので自重した。

 その代わり、薬としても有用であり、見た目の美しさだけに留まらないものを選んで植える。

 そして、不思議な事があった。

 土いじりをし始めた次の日、花の苗や苗木が置かれていたのだ。

 贈り主不明のそれらに皆は不審な顔をして怯えたものだが、華眞はありがたく庭の彩りに加えた。

 その時の華眞は、嬉しそうであり、少しばかり哀しそうに笑っていた。


 偶には後宮の庭園に行かれてはと勧められ、庭造りの参考になるかと思い足を運ぼうとした時の事。

 通りすがりの妃嬪達にごきげんようと挨拶されたかと思えば、絡まれた。

 こちらは先を急ぎたいのだが、と思って内心溜息をついていると、問われた。

 彼女達曰く、庭いじりをされているというのは本当ですか、と。


「まあ、自ら庭いじりをされるなんて」

「流石庶民の出でいらっしゃいますわね」


 名前も知らない妃嬪達は、恐らくその言葉や物腰からして名家の出なのだろう。

 それなのに、血筋正しい自分達をさしおいて、と思っているのがありありと伝わってくる。

 一夜にして昇格は果たしたが、その後お渡りが無い事は知っているだろうに、それでも目障りだということか。

 まあ、実に分かりやすい嫌味だと思って聞いていたが、妃嬪達は華眞が全く堪える様子がないのが気に障ったようだ。

 更に舌鋒は過激になっていったが、恐縮した振りをして右から左に聞き流す。


 しかし、内心で無視を決め込んだ事に対する報復は、明くる日に分かりやすい形でやってきた。

 次の日、慌てた侍女に起こされ言われるままに庭に足を踏み入れると、異変はすぐに分かった。

 妍を競うように咲き誇っていた花々が、引き抜かれ、踏みにじられ、皆無惨な姿を晒している。

 突発的な災害でも起きたのかという荒れ様だが、無論そんな訳はない。どう見ても悪意ある人の手によるものだ。


 ああ、わかった。

 これは所謂「苛め」という奴か。いや、苛めというか、嫌がらせというか。


 惨い事するものだと華眞は顔を顰める。

 花が欲しかったというわけではないだろう。単に庭を荒されて華眞がどんな顔をするのか見たかっただけだ。

 嫌がらせをしたいなら直接くればよいのに、と心に苦く呟く。

 花に罪はないというのにと深く溜息を吐きながら、自分が何とかすると片づけの手が必要では……と恐る恐る問う侍女たちを下がらせた。

 投げ込まれたであろう塵などと片づけ、もう完全に駄目になってしまった花を除く。

 黙々と作業を続けていれば、どうにか惨状からは脱する。しかし彩が消えてしまった庭は実に寂しげである。


「止められてはいたが、仕方ない」


 苦笑しつつ綻びかけた蕾を軽く撫でて、その場を後にする。

 光を帯びた蕾は、音もなく綻び、大輪の華を咲かせた。

 淡い光は漣のように伝わり行き、次々と蕾は花開いて行き。

 誰も居なくなった庭は、荒される前の美しさを取り戻していた……。



 その後も、後宮の女達による嫌がらせは枚挙の暇がない程に続いた。

 自分達と同じように皇帝に放置されている相手を苛めて何が楽しいのだろう、と疑問に思う華眞。

 数々の嫌がらせは続いたが、それと同時に、贈り主不明の贈り物も続いた。

 贈られるものは大概その時の華眞が一番必要とするものであり、華眞は心のうちでどんな情報網をしているんだ、と呟いた。

 時は過ぎても皇帝の訪れはなく、多様な嫌がらせも止む事はなく。

 ある時は虫がばらまかれ、汚物が撒かれ。動物の亡骸が投げ込まれ。

 後宮を辞して出家せよという差出人不明の怪文書にはご丁寧に小さな刃が添えられ。

 その度に宮の者達の悲鳴で静寂は破られ、空気が揺れる。

 しかしながら、標的であるはずの充媛だけは困ったものだ、という風に溜息をつくだけだった。

 動物の亡骸を丁重に葬った庭園の一角。

 作業を終えた華眞は汗を拭って一息をつく。

 汚物は堆肥としてより分けた益虫と共に土にすき込んだ。

 中々いい土になったので、これはやはり畑を作るべきかと思っていると、華眞の耳に侍女の震える声や悲鳴が飛び込んでくる。

 怯える複数の眼差しの先には、蛇が居た。

 あれは、と華眞は動きを止める。

 それは、鮮やかな鱗を持つ有名な毒蛇だった。強い毒性を有する牙にかまれたら、洒落にならない事態を引き起こす程の。

 侍女たちは主の袖を引きながら、一歩、また一歩と蛇から退く。

 しかし、鎌首を擡げて舌を覗かせる蛇を暫し見据えていた華眞は、唐突にそちらへと歩み始めた。


「じ、充媛様!?」

「大丈夫だ、噛まれたところで私は大丈夫だ。お前たちは下がっていろ」

「ど、ど、毒蛇でございますよ!?」

「まあ、噛まれなければそもそも問題はない」


 そういう問題では御座いません! という侍女たちが唱和するのを背に、華眞は蛇に近づいていく。

 しかし、後生でございますと叫びながら縋りつく侍女たちに阻まれて、それ以上は進めなくなってしまった。

 結局、蛇はかけつけた宦官たちが大騒ぎの挙句に処分した。

 あの蛇……きちんと毒の処理さえすれば、湯にすると美味しいのだけど……と思ったものの、言わないほうがよさそうだと思った。



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