思わぬ流れの後宮入り
帝都近郊の村。華眞の叔父はその村一帯の地主だった。
その兄、華眞の亡くなった父はかつて宮中に仕えた武人であったというが、ある時務めを辞してこの村にて武術道場を開いた。華眞は父から武術を、母から婦人としての教養と嗜みを厳しく教え込まれた。
厳しいけれど優しく愛情深い両親は、仲睦まじく華眞にとっては憧れだった。
両親が四年前に二人揃って流行り病で他界した後、道場は父の一番弟子に引き継いでもらい、華眞は叔父に引き取られる事となった。
大抵の人間は華眞の置かれている境遇を知ると、眉をひそめて「可哀そうに」と呟いた。
敷地の隅にある小屋に暮らし、着古しのお仕着せを与えられ、下女と共に命じられるままに重労働に勤しむ。
家族として扱われる事はなく、むしろ賃金を払わなくてよい便利な召使として扱われていたからだ。
暮らしに困っているわけではないのにと眉を顰める人や、何かと気遣ってくれる人は多かったけれど、華眞は叔父達を恨みはしなかった。
少なくとも屋根の有る場所で寝起きが出来て、着るものや食事に困る事はない。
重労働も武術で鍛えた身体にはそこまで苦痛ではないし、むしろ日々鍛錬と思えば気は楽だった。
住居の周りが放置された場所であるのをいい事に畑を作るなど、むしろ好きに暮らしていた気がする。獲れた野菜で賄いを作り、下男や下女たちと噂話に花を咲かせたりもしていた。
叔母は時々「調子が狂う……」と渋い顔をしていた気がするが、何故かは分からない。
ただ、嫁入りについては恐らく無理だろうと諦めていた。もしくは、どこかに後妻に出されるかだと。
以前はそう多くはないが縁談がきてはいたのだ。しかし、もれなく申し込みからそう経たないうちに、相手が断ってくる。そんな事が続いて縁談はすっかり来なくなり、華眞ももう諦めていた。
そんなある日、叔父の元に客人があった。
伝え聞いたところによると、客人とは何と皇太后様にお仕えしている太監であるらしい。
ちらりと遠目に見かけた姿は言葉から想像するものとは違う、優美な青年であったような気がするが……。
宮中の影の権力者とも言われるその御仁と、叔父達は何やら人払いをして暫く話をしていた。
やがて客人はお帰りになり、そうかと思えば華眞は叔父達に呼びつけられた。
『お前を、後宮に迎え入れたいという申し出があった』
『……は?』
何やら重々しい雰囲気で黙り込んでいた叔父と叔母に何事かと問おうとした時、叔父が渇いた声でそう告げた。
思わず間の抜けた声を上げながら、叔父を凝視してしまう。そして、鸚鵡返しに呟いた。
『私が、後宮に?』
『そうよ。宮女ではなく、妃嬪として後宮に迎えて頂けるの。これは名誉な事よ?』
叔母が畳みかけるように言ってくるけれど、おかしい、と華眞は感じた。
何故か顔色が良くない上に、視線が泳いでいる。声が妙な猫撫で声であるし。
『……お妃様の護衛、ではなく?』
『妃嬪としてだと言っているだろう!』
自分の何が買われての後宮入りかは分からない。
皇帝の寵愛を得られる程に際立った容姿とは思わないし、実のところ、華眞が名を馳せているのは容貌より腕っぷしである。
そちらを買われて妃の近侍というなら納得できるのだが、どうも違うらしい。
叔父によると、先だってお帰りになられた太監は他でもない皇太后陛下の命令で、皇帝の妃嬪となる者を探しており、
更なる疑問が生じて、華眞は更に問う。
『……
『お前ももういい年だろう! このお話を逃せば、嫁に行くあてなどないぞ!』
叔父と叔母の肩が目に見えて跳ねる。
叔父達には舜蘭という娘がいる。華眞にとっては従妹にあたる少女だ。
近隣でも評判になる程の美少女であり、縁談がひっきりなしに舞い込んでいる。
何時か高貴な方とご縁があればと二人が言っていたのを思い出す。
それを差し置いて、居候の姪である自分を後宮入りさせるという。
顔を真っ赤にして叫ぶ叔父に内心首を傾げつつ、もう一度二人に視線を向ける。
やはり様子がどうもおかしい。こちらと目を合わせようとしないし、どこかばつの悪そうな感じが隠しきれていない。
しかし。
『……私で良ければ、喜んで』
あっさりと承諾した姪を見て、二人は若干拍子抜けしたようだった。
華眞は所詮居候の身分である。
どうごねて見せようと、結局のところ断る選択肢など最初から無いのである……。
……といった経緯で後宮入りして、本日で一週間程になる。
一応、叔父にも面子というものがあるのか、それなりの支度をして送り出してくれたのは有難いと思うべきなのだろう。
現在のところ、窮屈さに思う事はあるが、それ以外の不自由を感じる事なく平和に過ごせている。
新参者に対する反応は様々だった。
興味津々に話しかけてくる者、特に気にした風がない者。あからさまに見下してくる者。
特に、見下す視線が多かった気がする。
理由は簡単である。皇帝のお渡りが未だないからである。
後宮入りした妃嬪のもとには、今まで皇帝は形式的なものであっても当日の夜に訪いはあった。
しかし、華眞には一週間たっても何もない。お触れも、訪れも。
新しい才人は何か早々に仕出かしたのかと囁く声も聞かれた。
しかし、如何に皇太后の命を受けた太監の口添えがあろうとも、大した後ろ盾があるわけではないからであろう。あれは脅威にならぬと判断されたようだ。
むしろお渡りを頂けない問題外とされたらしい。
それでいい、と華眞は思った。波風など望んでいない、多少窮屈ではあるが、平穏無事に暮らしていければそれでいいと。
寵を巡る争いは、したい人達に任せておけばいいのだと。
――しかし、その願いは呆気なく崩れ去る事となる。
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