第十九話 春
季節はすっかり春になった。穏やかな日が続き、外でうつ伏せになっていると日差しの心地よさから寝落ちしてしまうこともある。
「本当にミー助が言う通りだった。あれから友達がたくさんできたよ」
チョコは、今でも俺やジャンプの所へ遊びに来る。友達と一緒の時もあり、この町と隣町をまたいで交友関係が広がっているようだ。嬉しそうに話すチョコはいつも楽しそうだ。あの対決以降、隣町では『尻尾盗り』が流行り、チョコが第一人者にされているという。その話を聞いて俺がからかったら、本気で嫌な顔をされたけどね。
チョコとは勝負したことは無かったな。俺が負けるとは思わないけれど、いい勝負にはなりそうだ。
テツの所へは、最近じゃ隣町から相談に来る猫もいて、テツ兄ぃは大活躍だ。
「最初はみんなの話を聞くだけでいいって言ってたのに」
「いいじゃないか、それだけ頼りにされているんだから」
「そうだけど...まぁ、毎日楽しいからいいか」
そんなことを言うテツの横にいるのは隣町のレオ。隣町にもテツのような相談役がいればいいのにと、町を代表してテツのところへ研修に来ている。テツが他の猫とやり取りするのを見て勉強中だとか。
「レオ、テツと一緒にいると、その良さがわかるだろ」
「はい! 俺も早くテツさんのようになりたいです」
そんなレオの言葉にテツは照れるが、もう出会った頃の
ひかりちゃんの家はというと、ママの出産を目前に控えて準備にバタバタと大忙しだ。ベビーベッドに布団、ベビーバス、着る物や授乳のための道具などなど。気の早いパパは、もうおもちゃまで用意している。十年も経っているため、ひかりちゃんが使っていた物はもう無く、全て新調している。
パパとママは、出産した後の家の中の配置について相談中。
「家事をするから、ベビーベッドはリビングに置こう」
「そうね、目が届くところがいいわね」
そんな様子を見ていると、俺のことをチラチラと見てくる。乳児がいる部屋に猫が出たり入ったりは心配だろう。犬や猫が寝ている子どもに
母親というのは出産直後は一番体が弱っている。そんな状態で乳児の世話に二十四時間体制だ。ただでさえ心身ともに負担が大きい上に、飼い猫のことまで気を廻すとなると、相当なストレスになるに決まっている。
ひかりちゃんは、相変わらず時間をとって俺と遊んでくれるが、やっぱりママのことが一番心配だし、気持ちはまだ見ぬ弟へ向いているのがわかる。俺にはそんな態度に対してイジけたり寂しいという気持ちはなく、ミー子の悲しみを乗り越えたひかりちゃんの笑顔に、本当に良かったと思っている。
(そろそろ潮時だな)
とんとん拍子でこの家に飼ってもらうことになったが、そもそも冬を越すというのが俺の目的だった。それに十分な体力もついて、いつでも旅立てる状態だ。
あれ? ママの様子がおかしい。病院から帰ってきたママの顔が暗くて元気がない。出産予定日直前のデリケートな時期だし、嫌な話でなければいいんだけれど。夕食後、家族揃ってリビングにいるとママが話し始めた。
「パパ、ごめんなさい」
「どうした?」
パパもママの様子は気になっていたが、ママから話すのを待っていたようだ。
「結婚十周年にパパが買ってくれたイヤリングの片方を失くしちゃったの」
「え、そんなことか」
重い話になるかと思っていたパパが、肩透かしを食らったように笑顔になる。
「出産したら、しばらくアクセサリーとか着けられないでしょ。最後のオシャレだと思って着けて出かけたんだけれど、気が付いたら無かったの」
「そんなのまた買ってあげるよ、気にしなくていいから」
「あちこち探したんだけれど見当たらないの」
「いいよ、いいよ。そんな身体で無理しなくていい」
病院への行き帰りに利用したタクシー会社にも連絡したらしい。ママにとっては記念に買ってもらったイヤリングを無くしたことがショックだったかもしれないけれど、家族からしてみれば大きな仕事の前で些細なことなのにね。
ママの落ち込んだ様子と、それを笑い飛ばすパパを見て、俺も安心して外へ出た。
外の小屋の中でうつ伏せになって目を閉じた。ふぅ~と大きな息を吐き出す。
この町で過ごした時間は、あっという間だった。テツ、ジャンプ、そしてチョコや友達。たくさんの猫と出会い、いろいろなことがあった。
俺は、好きなように自分の生き方を選んだ。これからも身勝手に生きていくんだろう。だからといって、他の猫たちに迷惑をかけていいなんて事は、これっぽっちも思わない。むしろ、俺に関わった全ての者が幸せになって欲しいと思う。
そう、俺がこの地からいなくなった後もずっと。
翌日、ひかりちゃんはいつも通りに学校へ行ったが、パパは会社を休んで朝からママの傍にいる。いよいよ出産予定日だ。
「まだ大丈夫。陣痛が始まったら言うから、ゆっくりしていて」
「そう言われても、なんだかさ」
ママはどっしりと構え、パパは落ち着かない様子。俺がいても役に立たないだろうから、そっと外へ出る。
クンクン、クンクン
ママの匂いを頼りに庭を歩き回る。ママがどこでイヤリングを落としたかわからないが、この家の庭だったら必ず見つかるはず。俺の嗅覚の出番だ。
クンクン、クンクン
しばらく探していたが、ママの匂いがした。小さな石の下に潜り込んでいたイヤリングを発見! これじゃ目で探しても見つからないわけだ。今、俺が咥えていっても変な顔をされるだろうから、後でママがわかる所へ置いておこう。
俺が、今までさんざんお世話になったこの家族のためにできることは、悲しいかなこれくらいなんだよな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます