第四話 ボール
少女は、遠くを見ながら独り言のように話し始めた。
「ミー子っていうの。もうすぐ私のお誕生日だから、一緒にお祝いしようって用意してあったんだ」
さっき俺が食べた缶詰のことだな。
「ママが、もう食べる子がいないから捨てちゃおうかって言ったんだけど、私が捨てられなかったの」
少女の声がだんだん震えてきているのがわかり、俺は膝の上からその顔を覗きこんだ。
「!!!」
俺が逝った後、ひよちゃんも、こんなにも切なくて壊れそうな顔をしていたんだろうか。いっぱい泣いてくれたんだろうな。俺は俺はって、自分のことばかり考えていたけれど、残された人のほうが、よっぼど悲しくて辛い時間を過ごしているんだよな。
この子はミー子の姿を俺に重ね、俺もこの子にひよちゃんの姿を重ねた。苦しいくらい重い時間が支配する。
「ごめんね、残り物みたいで」
少女は手の甲で涙を拭い、俺に微笑んだ。
「どうしていいかわからなかったから、あなたがあんなに喜んで食べてくれてよかった」
(いえいえ、ミー子さんの供養になったようで。俺もご馳走様でした)
少女の気持ちが少し落ち着いたようなので、涙を拭った手の甲をペロペロと舐めた。悲しい味がする。胸の中にある辛い気持ちを、涙と一緒に流し出すことで、少しずつその悲しみが薄れていくんだろうか。
家にいるとミー子のことを思い出していたたまれなくなるので、この公園に来ている。でも、この公園もミー子と遊んだ思い出があるから、やっぱり辛くなる。
どうにもできなくてベンチでぼんやりしている時に、俺の姿を見かけたらしい。
「これで遊びましょうか」
少女がトートバッグの中から小さいボールを取り出した。そして、俺を地面に降ろし、そのボールをコロコロと転がす。
(よっしゃっ!)
茶々丸時代に得意だったヤツだ。ボールに向かってダッシュ。そして口に咥えて少女のところまで戻り、ボールを置いてお座り。そんな俺の姿を見て少女が驚いている。
「すごい、ワンちゃんみたい」
(そっか、猫はこんな芸はしないんだっけ)
今度はもう少し遠くまで転がすが、俺がまた走って持ってくる。そんなことを何回か繰り返していたら少女が大喜びしてくれた。
「なんか楽しいね。こんな楽しいの久しぶり」
俺の背中をわしゃわしゃと撫でてくる。俺だって楽しいよ、ひよちゃんといっぱい遊んだ時のことを思い出す。
そうして楽しい時間を過ごしていた時、彼が現れた。
「ひかり、また公園にきて落ち込んでるのか」
「ユウキくん」
声のするほうを見ると、少女と同い年くらいの男の子がいた。スポーツバッグを肩に掛け、野球の練習帰りという感じだ。この二人は知り合いなんだ。この女の子の名前は『ひかり』、男の子の名前は『ユウキ』っていうのか。
「いい加減忘れちまえばいいだろ」
「そんなこと言っても...」
ユウキはひかりちゃんが落ち込んでいる理由も知っているようだ。
「死んだのは還ってこないんだぜ」
「だって...」
ユウキに悪気はないんだろう。顔を見れば、ひかりちゃんのことを心配しているのがわかる。にしても言葉選びが下手だな。
「なんなら、うちのテツを貸してやろうか」
「ばか!! いらないわ、あんなブサ猫!!」
ひかりちゃんが、俺と一緒に遊んでいたボールをユウキに向かって投げつけた。ボールはユウキの肩口に当たって、勢いよく向こうの道路のほうへコロコロと転がっていく。
「んだよっ」
ユウキはその場にスポーツバッグを落とし、ボールに向かって走り始めた。
(まずい!!)
俺にはわかった。車がこっちへ向かってきている音がする。俺はユウキの後を追い、そして、ボールじゃない方へ向かう。できるだけボールから離れるように必死に走る。
もう少しで道路に出ようかという所で、角を曲がってきた車が見えた。俺は車の前に飛び出すが、運転している女性は俯き気味でこっちに気が付いていない。
思い切ってジャンプをしたところで、やっと俺に気が付いた。俺はそのまま伏せると、身体の上を車が通り過ぎた。
キキキーッ!!!!
ブレーキ音を残して車が停まった。
良かった。ユウキにはぶつからなかったようだ。
車の下から這い出し様子を見に行くと、ユウキは驚いた顔で立ち止まっている。運転していた女性は放心状態でユウキのほうを見ていたが、ふっと我に返り、真っ青な顔をして慌てて車から降りてきた。
「ママ!」
様子を見ていたひかりちゃんが、慌ててこっちへ走ってきて声をかける。ひかりちゃんのママだったのか。
「ユウキくん...ごめんなさい」
ひかりちゃんママは涙目でひどく動揺している。今にもその場に崩れてしまいそうだ。
「少し前から具合が悪くなって、あまり前のほうを見ていなかったの。本当にごめんなさい、怖かったでしょ」
「いや、俺は大丈夫だよ。びっくりしたけど大丈夫」
「あっ、ネコちゃんは? 轢いてしまったのかしら」
急に思い出したように焦って辺りを見渡し、俺の姿を見つけたひかりちゃんママは、安心してしゃがみ込んでしまった。俺くらいのサイズじゃ、車の下に潜り込めば怪我なんかしないんだけどね。
「あなたがママに危ないって教えてくれたのよね」
ひかりちゃんが俺の背中を優しく撫でてくれる。
「ママ、私も一緒に行くね。具合が悪いんだったら早く帰らないと」
「うん。ユウキくん、本当にごめんなさい」
「大丈夫だよ、おばさん。お大事に。それとひかり、さっきは悪かったな」
ユウキ、本当はいいヤツじゃん。ひかりちゃんママは恐縮したまま車に乗り込む。ひかりちゃんも車に乗ろうとしたが、もう一度俺のところに来た。
「今日は楽しかった。それにママのこともありがとう。また明日ここへ来てね」
ニャー
(明日もなにか食べさせてもらえるといいな)
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