第三話 ご縁
どこかに行くあてがあるわけでもない。細い道をポツポツと歩きながら考えた。
ここは出雲って言ってたな、島根県か。そう言えば、猫をモチーフにしたゆるキャラが印刷されたポスターをどこかで見た覚えがある。俺の好きなご当地クイズの知識が少しは役に立つ。
ただ、ひよちゃんの家は富士山の近く静岡県。ここからはずいぶん距離がある。
出雲と言えば『
パパさんもママさんもこの言葉が好きだった。俺とひよちゃんも『ご
さてさて、これからの俺の生き方を決めるんだ。歩きながら考えることじゃない。人や車から見られないよう物陰に入り、うつ伏せになって目を閉じた。ふぅ~と大きな息を吐き出す。
この世に生まれてから見聞きしたことを思い出す。人間の言葉や服装、走っている車、虫や動物たち。前世で知っていたこととさほど変わりはない。多少の違いがあったとしても地域による違いだろう。ということは、茶々丸として息を引き取ってから、それほど時間が経っていないことになるし、たぶん同じ世界だ。
パラレルワールドなんて可能性もないわけではないが、そんなことを考えていては何もできない。
つまり、俺のいるこの世界に絶対ひよちゃんはいる。もちろん島根県から静岡県まで離れているが、同じ日本だ。それに陸伝いで行けるというのは大きいぞ。
自分に言い聞かす。
俺は一生を懸けてでもひよちゃんに会うんだ。そりゃすぐにでも会いたいさ。でも今は無理だ。こんな子猫じゃ少し移動するだけで潰れてしまう。それにもう少ししたら寒い季節になる。
だから、時間をかけて体力をつける必要がある。猫の成長については詳しく知らないが、そうだな、あと数ヶ月の時間は必要だ。自分で大丈夫だと思える時までこの辺りで暮らそう。
もしどうしても困ったら、朝日が昇るほうへ歩こう。だって、ひよちゃんは朝日が昇るほうにいるから。俺が歩けば歩いただけひよちゃんに近づくことができる。それだけは間違いない。少しでも希望があれば、きっと生きていける。
俺はノラ猫?
いや、フリーランスだ! フリーランスの
自分で自分を鼓舞しながら歩いた。
喉が渇いてきたので、途中で見つけた小さな公園に寄る。水飲み場に滴っている水をペロペロと舐めながら周りを警戒している時、その少女と目が合った。
その少女は一人でベンチに座っていた。
俺が初めてひよちゃんに会ったときと同じくらい、小学校の中学年くらいか。でも、決定的に違ったのは、ひよちゃんは満面の笑顔だったのに対して、その子はとても寂しげだったことだ。
「おいで」
俺を見た少女はベンチから降り、しゃがんで俺のことを呼んだ。こんな小さな体で迂闊に人間に近づくのは危険だ。でもこの子は大丈夫、本能的にわかる。それに、動物と接する時に、できるだけ目線を同じ高さにすることを知っている。俺はその少女の前に歩いて行き、ちょこんと座った。
茶々丸の時に、こうしてひよちゃんの前に座ると、ひよちゃんは学校のことや友達のこと、なんでも俺に話してくれたな。ふと思い出す。
「いい子ね、ちゃんとお座りができるんだ」
寂しそうだった顔がすこし和らぎ、俺に話しかけてくる。
「あなたはどこかの家の子?」
(いや、フリーランスですが)
「私が食べるお菓子しかないけど、あげても大丈夫かな?」
(お、ちょうど小腹が空いていたところなんで、ぜひお願いします)
少女がスナック菓子を手に乗せ、俺のほうに差し出してくれたのを、一つずつゆっくり食べた。あまりガツガツすると歯が手に当たっちゃうからね。
「ふふふ、お腹が空いていたのね。良かった」
やっと笑ってくれた。俺が警戒していないのがわかったのか、少し距離を詰め、喉と背中を撫でてくれる。しばらく何も言わないで撫で続けてくれた後、少女が口を開いた。
「もう夕方になるから、私は帰るね。明日もここに来るから、よかったらおいで」
(よっしゃ、明日の食事もゲットだぜ!)
少女が去って行くのを見送った後、少し離れたところにある小川に行き、水の届かない草むらに今日のねぐらを確保する。うまいこと小魚が取れたので、腹の足しにしてから夜を過ごした。
朝起きて、川の流れの強くない所に入り、身体を濡らしてからプルプルする。水は少し冷たいけど大丈夫。猫は水が苦手だと言うが、どうやら俺は平気だ。ひよちゃんにシャンプーで洗ってもらうのが好きだったし、川へ遊びに連れていってもらったこともある。そのときの影響なんだろう。それに、今日もあの少女に会うつもりだから、身だしなみを整えないとね。
日が西に傾きかけた頃、昨日の公園に行くと、あの少女が一人でベンチに座っていた。
(お、女性を待たせてしまったか)
俺を見つけた少女が微笑み、おいでおいでをする。俺はちょこちょこと小走りでその子の前に行き、お座りをする。
「ちゃんと約束を守ってくれたんだ、賢い子ね」
そう言いながら、可愛いキャラのプリントされたトートバッグから缶詰を出した。
(こ、これはっ...)
缶詰を開け、自分の隣に置く。それから俺をそっと抱き上げ、俺を缶詰の前に置いた。
「どうぞ、お待たせ」
(わぉ! これは俺まっしぐらなヤツじゃん!)
茶々丸の時、お祝い事があるとひよちゃんが食べさせてくれた。ドライタイプじゃなくて、もっと肉々しいの。あれの猫バージョンだ。
生まれてから初めてのまともな食事に舌鼓を打つ。無意識に喉がゴロゴロと鳴る。
(ありがと、ありがと。あんたは命の恩人だ)
感謝を込めて思いっきりの笑顔を少女に向ける。ちょっと首を傾げるのも忘れない。
「昨日はお菓子だったから、少ししかあげなかったでしょ。人間の物をあまり食べさせちゃダメだから」
(いえいえ、そんな健康管理をするほど、今の俺に余裕はありません)
「でも、これは大丈夫。猫ちゃん専用のだから」
少女は、俺が満足してすっかりリラックスしているのを見て、俺を自分の膝の上に乗せた。そして、昨日と同じように背中を撫で始めた。
「うちにも猫ちゃんがいたんだ。でもね、少し前に死んじゃったの」
少女は、遠くを見ながら独り言のように話し始めた。
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