第二話 新生

ミャー ミャー

   ミャー ミャー


耳元でうるさいな。それになんなんだ、俺の体にペチペチ当たってくるのは。


目を開けると、最初はぼやけて見えていたものが、徐々にはっきりしてくる。俺の横にいたのは、褐色と黒色の毛が縞模様の子猫だった。さっきから、こいつが俺の耳元で鳴きながら、その小さい足で俺のことを小刻みに蹴飛ばしていたのだとわかった。


そして、俺の頭に当たるピンクのぷにゅぷにゅしたもの。小さなイボのようなものがあり、その子猫が必死にしゃぶろうとしている。なんか見覚えがあるが...


そうか! この子猫は母猫のおっぱいを欲しがっていたのか。俺はすぐに合点がいき、ふと自分に目線を向けてみると、やっぱり隣の子猫と同じような柄の身体と足が見えた。



「なんじゃあこりゃああ!」



さすがに自分の顔は見えないが、サイズ感も含め、どうやら俺も隣のヤツと同じ子猫のようだ。


思考停止。現実逃避。それにしても腹減った。たぶん、今までそうしていたように、俺も乳首に食らいつく。




「ゲップ」


腹いっぱいになり、ふぅ~と大きな息を吐き出す。気分も落ち着いたので、改めて自分の状況を考える。


俺は柴犬の茶々丸として、ひよちゃんたちに囲まれて息を引き取った。もちろん死後の記憶はないが、その直前までは鮮明に覚えている。


記憶はもっと遡ることができる。ひよちゃんやパパさんと毎日散歩に行ったこと。リビングでみんなと一緒にテレビを観たこと。旅行へ連れていってもらったことだって覚えてるし、ひよちゃんと初めて会った時のことだって。


 で、今は子猫。


(これって、転生ってやつか?)


ひよちゃんはその手のアニメが好きで、俺もよく一緒にテレビを観ていた。ああいうものは作り話だということは十分わかっているが、それでも、犬だった自分が猫に転生したことを、不思議と素直に受け入れることができた。


しかし、転生すると、神様とか天使が出てきてチートな能力を授けてくれたり、なんらかの使命を言い渡すのが既定路線じゃないのか?


まぁ、前世の記憶が全て残っているというのは、チートとは言えないにしても、ここにいる子猫より大きなアドバンテージだというのは間違いないか。


(ひよちゃんに会いたいな。パパさん、ママさん...)


茶々丸として息を引き取ってからどれくらい時間が経っているのか、そもそも、ここは前世と同じ世界なのか。この世界にひよちゃんがいるのかもわからない。それでもやっぱりひよちゃんに会いたい。


神様も天使も出てこない。魔王の討伐も世界平和も望まなくていい。よし決めた!

俺はこの命を、自分のしたいことだけに使おう。そう、俺は一生を懸けてでもひよちゃんに会いに行く。


決心したことで、ずいぶん気持ちが楽になった。しかし、まだ歩くのもおぼつかないこの体ではどこへ行くのも無理だ。まずはもっと大きくなる必要がある。


周りを見渡すと、俺以外に子猫が三匹。この兄弟たちとも折り合いを付けながら、ここにいる母猫にもう少し育ててもらおう。




俺たちがヨチヨチ歩きの間は、母猫が餌を運んできてくれた。ネズミや鳥、魚など、茶々丸時代には食べたことがないような生モノも、今は抵抗なく食べられる。少しグロいとは思いながらも、犬の理性より猫の本能のほうが強いらしい。


兄弟四匹はじゃれあいながら大きくなっていった。


コミュニケーションが取れるようになった頃、俺が心の中で付けていたあだ名が、それぞれの呼び名になった。


隣で俺のことをペチペチ蹴飛ばしていたヤツは『ペチ』、オスのくせに小心者で、餌の取り合いになった時には譲ってしまうタイプだったが、俺はその優しさが嫌いじゃなかった。もちろん俺も独り占めなどしないで、ペチに残してあげたりもした。ペチとは一番仲良く遊んだ。


残りの二匹はメスで、みんなの中で一番小さいのは『プチ』、顔に黒い斑点があるのは『ポチ』という名前になった。


ペチは俺のことをなんて呼んだらいいかと言うので、まだ名無しでいいから、とりあえず『ゴンベ』にしてもらった。


母猫は、メス猫の本能なのか本来の気性なのかわからないが、相当気の強い猫だった。ただ、この猫が賢いことはよくわかったし、俺たちが一匹になっても生き抜ける術を熱心に教えてくれた。ひとつだけ、人間のものを盗ることだけは許せなかったが、ノラ猫の世界にそんな価値観は通じない。さすがに口にすることは止めておいた。




そんな生活がしばらく続いていたが、ある日、母猫が俺たちを集めて口を開いた。


「今日からみんな一匹で生きていきな。私はもうあんた達とは一緒に暮らさない」


巣立ちだ。なんとなくだけど、少し前からそんな時が来そうな予感はあった。


「私も人間に飼われていたことがあったんだ、『ウメ』なんて可愛い名前で呼ばれてさ。今はこうしてノラだけどね」


俺たちを見ながら母猫は続ける。


「飼い猫とノラ猫、どっちが良いとか悪いとか言わない。せっかく生まれてきたんだから、その命を全うするまで強く楽しく生きるんだよ」


俺以外の三匹は戸惑っているようだったが、俺はとっくに覚悟ができている。そう、ひよちゃんに会いに行くんだ。そうだ、最後に大事なことを聞いておかないと。


「かあさん、ここはなんていう土地なの?」

「ここは出雲っていう所さ。縁起のいい土地らしいから、あんたにも、これからたくさんいい出合いがあるといいね」


転生したとは言え、この世に俺を産んでここまで育ててくれた母猫に感謝を伝える。


「今までありがとう。俺は行くよ」

「ゴンベ、あんたは一匹でも大丈夫だね。目の奥に強いものを持っている。元気でやるんだよ」


茶々丸として、ひよちゃんたちと味わった悲しい別れじゃない。俺が旅立つための別れなんだ。寂しいけれど悲しくはない。



今までの家族に背を向け、俺は歩き出した。

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