第3話 コーヒーに溶ける想い

 //場所 魔女の家・ダイニング


「言いたくないのなら別に良いんだけど。今の貴方、酷く疲れた顔をしているわよ」


「んー、待って。なら私が当ててみせようか」


 隣の席に座っていた魔女は腰を浮かせ、貴方の顔を覗いてくる。互いの視線が交差する時間が十秒ほど経ち、彼女は再び自分の椅子に戻っていった。



「そうねぇ。キミが私の家に来るのは、たいてい嫌なことがあったときだからなぁ」


 彼女は腕を組みながら、貴方の悩みをじっくりと考察しているようだ。


「彼女とケンカした……は違いそうね。そもそも彼女がいたら、私の家には来ないもの」


「どうしてって……女心を考えたら、理由なんて分かるでしょ? 彼女持ちの男がフリーの女の家に慰めてもらいに行くなんて、サイテー男のすることよ」


「そうだとしても、相手が私だから大丈夫? ふぅん、そういうこと言っちゃうんだ。どうせ私みたいな寂しがりのオバサンなんか、眼中にないもんね」


 ムスっとした魔女は、貴方とは反対の方向を向いてしまった。


「別にぃ? 拗ねたりなんかしてないわよ」


「彼女は居ないから安心しろって……べ、別にそんなこと、気にしてなんかいないわよ!」


「でもそっか、彼女は居ないんだ。ふ~ん。……ふふっ、そうなの」


 顔の向きを正面に戻した魔女の口元は、モニョモニョと緩んでいた。


「え? ううん、別に何も言ってないわよ」



「悩みは彼女じゃないってことは、正解は仕事かしら?」


「……なによ。そんなに驚いた顔して。当てたことがそんなに意外?」


「あのねぇ、貴方のことをずっと見てきたのよ? それぐらいお見通しよ」


 魔女は腕を組み、得意気にうんうんと頷く。


「最初は彼女とか言っていたくせにって……別に良いでしょ。ちょっとだけ気になったんだもん」


「でも仕事かぁ……社会人になって数年経って、それなりに仕事も覚えてきたころでしょ。そろそろ自分一人で仕事を回すようになって」


 何かを思い出すかのように、天井を仰ぎながら話を続ける。


「先輩に教えてもらったことを、必死に覚える時期が過ぎてさ。余裕が出てくると、周りが段々と見えてくるようになるんだよね」


「そうなると自分への評価が気になってさ」


「いざ実力を高めようと頑張っても、あんまり上手くいかなくて。上司に気に入られている同期とかと比べて、焦っちゃったりなんかして……アレは辛いわよねぇ」


 魔女は苦笑いを浮かべながら、視線をこちらへ向けた。彼女の言葉は一方的な同情というよりも、共感に近いものだった。



「どうしてそんな詳しいのかって……私も昔は、他の魔女たちと生活していた時代があるもの。状況は違えど、多少の苦労は分かるわよ~。でも今の子たちって、ほんっとに人間関係で苦労してそうよねぇ」


「でも大丈夫。貴方ならきっと、もっと仕事の腕を磨いて上手くやれるわ。私が保証してあげる」


 そう言って彼女は、貴方の肩をポンポンと軽く叩いた。


「私は貴方が頑張り屋だって、誰より知っているもの。ずっと側で見てきたんだもの、わかるわよ」


「でも、頑張りすぎないようにね。いくら若さがあっても、無理が祟れば必ずしわ寄せが来るわ」


「……貴方がこの世からいなくなったら私、今度こそ独りぼっちになっちゃう」


 彼女は影のある表情で呟いた。ただそれも一瞬のことで、すぐに笑顔に戻った。


「ともかく、何かあったら私を頼りなさい。嫌な奴の一人や二人、魔女の私が消してあげるから」


「それは止めてくれ? ふふふ、なら愚痴の聞き役までにしておくわ。今みたいにね」


「でもさっきよりマシな顔になったわよ。さぁ、コーヒーのおかわりを淹れてあげる」


 //SE 魔女は貴方のために、新しくコーヒーを淹れてくれた。


「はいこれ。今度はほら、砂糖を入れて甘くしてあげたわよ」


「ブラックじゃないって……いいの。疲れたときは、甘い物で心と体をいたわってあげなきゃ」


「でもこうして、貴方がまた私の家に来てくれて……嬉しいわ」


「……え? うん、そうよ。最近はずっと会っていなかったから。余計に心配だったの」


 魔女はテーブルに上半身を突っ伏したまま、顔だけをこちらに向けていた。


「便りが無いのは元気な証拠って言っても、やっぱり寂しいかなぁ……なんて。私は別に、いつでも会いに来てって言っているじゃない? 遠慮なんてしないでさ」


「寂しいなら、自分から連絡してくればいいって? そう、ね。そうしたいのは山々なんだけど……」


 体を起こすと、彼女は大きく深呼吸をした。


「あのね、馬鹿馬鹿しいって思うかもしれないけど。私、貴方が恐いの」


「やっぱり魔女は魔女。価値観も生き方も、人間とはまるで違う存在じゃない? 魔女っていうだけで、私たちはたくさんの人からうとまれてきたわ」


「私なんかと関わったせいで、貴方が不幸になるんじゃないかって。そのせいでもし、貴方が私を嫌いになったら……そんなの、想像するだけで苦しい」



「……うん、私は貴方のことが好き」


「貴方と過ごした日々はどれもが楽しくて。これからもずっと一緒にいれたらって願っているわ」


「来年も再来年も、何十年先だって……」



「でも思ったことは無い? どうして貴方だけが、私を“視える”んだろうって」


「ただの人間に、魔女の存在を認識することはできない。今こうして顔を合わせて会話できているのは、まさに魔法が起こした奇跡だわ」


「でもその魔法はきっと、永遠には続かない。いつか突然、解ける時がくるかもしれないのよ」


「……貴方は良いわよね。死んでも独りぼっちにならないもの」


「残された者の孤独なんて、誰にも分からないわ……」


「……ごめん。貴方の悩みを聞くって話だったのに、気付いたら私のことばっかり……これじゃどっちが悩んでいたのか、分からないわよね」


「つい気持ちが抑えきれなくなっちゃって……もう、忘れて頂戴」


「たまには吐き出した方が楽になるって? ふふ、それはお互い様よ」



 //SE 慰められて気を取り直した魔女は姿勢を正し、息を整える。


「駄目だな、私。いつからこんな弱くなったのかしら……え、どうしたの。急に私の手を握ってくるなんて」


「たとえ魔法が解けても、私を見失うことは無いって?」


「む、むぅ~。弱った女に甘い言葉を掛けるのって、ちょっと反則じゃない?」


「冗談でも嬉しかったけれど……。僕は本気のつもりだって? ふぅん。ならそれが本当か、今から確かめてあげる」


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