第87話

 一般兵士が使う廊下を砦中央に向けて進んでいくと、鉄製の扉が行手を阻むように待っていた。

 扉を守るように左右に立つ兵士たちにアレクが敬礼をすると、一歩横に進んで扉の前を空ける。

 錆びついた金属音を鳴らしながらアレクが扉を開くと、どこかアンモニアくさいような湿った空気が吹き込み風呂上がりの髪を揺らす。

 薄暗い石造りの階段が目の前に顔を出しており、「面白みのない場所だが、まぁ我慢してくれ」と口にしたアレクが先に入って行った。


「悪いなエディッサ君。今回の件は俺の説明不足と監督責任もあるからね。このまま地下牢までは送るよ」


「送るだけかよ、オマエも入らねぇのか?」


「俺は……ほら? 責任ある立場だから処罰が難しいんだよ。その点、エディッサ君は来たばかりで大した仕事もない。俺の代わりに反省するフリでもしててよ」


 火のついていない煙草を口で噛みながらアレクは笑みを浮かべる。

 イラッとするが、それを表に出すことはしない。


 アレクの先導に従って暗い階段を下りていく。

 所々にランタンが灯っているが、道はかなり広いため、周囲全部を照らすことは出来ていない。

 靴の音、水の落ちる音が耳に響く。

 先ほどまで騒がしい食堂に居たからか、妙な胸騒ぎを感じた。


 階段を下りきると暗闇の中に檻のようなものが並んでいるのが見えた。

 看守の役割なのだろう。兵が二人待機しており、アレクの姿を見ると敬礼して扉を開いた。

 牢の中には他に人は入って居ないようで、息遣いなどの気配は感じられない。

 大量にある懲罰房の一つの檻を開いて、アレクはリドに視線を向けた。


「とりあえず、この中に入っててくれ」


「別にいいが、どのくらいだ?」


「どうだろう。早くて数時間か、数週間か……その辺はエディッサ君次第さ」


「どういうことだ?」


「……おっと、お偉いさんの到着だ。また後で来るエディッサ君」


 階段を降りてくる足音に気が付いたアレクは手を振って去っていた。


 入れられた檻の中は簡易なベッドがあるのみで、他には何もない。

 地下のはずだが、窓があるのは切り立った丘に建てられているからだろう。

 緑の匂いが強い夜風が入って来る。こんな場所だが心地よく感じた。

 スラムの時は風が吹き込んできても、どこかアンモニア臭かった為、不快感のない風というのは気持ちがいい。


「リド・エディッサ。私の花壇を燃やすとは、配属早々やってくれたな」


 窓の外を見ていたリドに背後から声を掛ける男。気配は3人。

 その声は聞き覚えがあった。


「アンタは確かこの砦の隊長だったか?」


 そして、リドをここに幽閉させろと指示を出した男だ。

 振り返ると、フィリパとモルド、レイスが立っていた。


「少将と呼べ! 無礼者!」


 レイスが棒のようなもので檻の鉄棒を叩く。

 ギィンと音が響くが、リドは構わず続ける。


「それで? 大人しく幽閉されてやったんだ。何のためにここへ来たかくらい説明してくれるんだろうな?


 レイスがリドの口調に苛立ったのか、棒を振り上げようとするが、エルドが手で制す。


「率直に言おう、リド・エディッサ。貴様は研修期間内はずっとここに居ろ」


「……なに?」


 面倒そうに言ったフィリパの言葉に、リドは眉をひそめる。


「大方、大将の命令でここを嗅ぎまわりに来たのだろう? それくらいわたしにもわかる」


(おおかた大将? ……だれやねん)


 得意げに顎を摩るフィリパと、まじで意味がわからないリド。

 全く心当たりがないが、とりあえず黙っておく。


「それだけだ、ではな。食事は出すため、安心しろ」


 フィリパはそのまま立ち去って行く。レイスも出口まで送っていくのか後ろに付いて行く。

 ただ一人、副長のモルドはその場を動かずリドを見ていた。


「……悪いね、エディッサくん」


 モルドの第一声がそれだった。


「何の謝罪だ?」


「ここではフィリパ少将が絶対なんだ。私達は逆らえない」


 苦虫を噛みしめたような表情を浮かべるモルド。


「絶対? 逆らえない? 何がそこまでアンタたちを縛り上げている?」


「……それは私の口からは言えない」


 ごめんね――とモルドは再度謝る。


「まあいい。アンタがオレに何を隠してようが関係ない。オレはオレの好きなようにする」


「……そうかい」


 優し気に微笑んだモルドは、「期待している」と言って去って行った。


(何がここで起きているんだ? オレを拘束することで得られるメリットはなんだ……?)


 一度ベッドに腰かけて思考を始める。


「……エディッサ……」


(十中八九、目をつけられたのは初日のオレの行動。あの林の臭いの元が原因だろう。嗅ぎまわられたくないほどの何かがあそこにはある)


「……ぃ、エディッサ……」


(分かることは、あのブタが何かを隠蔽しようとしていることくらいだ。何かを隠していて、オレに見つかると厄介なもの。それに大将とは誰のことだ?)


「おいっ! エディッサ!」


「……あ?」


 柵の外からデカい声で名前を呼ばれ、意識を思考から引き上げる。

 そこにはレイスが居た。

 フィリパを送り届けた後、何か用があって戻ってきたのだろう。


「まだ居たのか。なんか用かよ」


「……あーえっと、なんだ」


 バツが悪そうに視線を彷徨わせるレイス。


「貴様は出来の悪い兵だが、花壇を燃やした程度で、一か月も拘置されるのは、流石におかしいと私も思う」


「なんだよ急に」


 エマ達の前では凛としていたレイスだが、今は言葉を選ぶように視線を彷徨わせていた。


「私は貴様のように規律を守らない者は嫌いだが、それでもこの処置は王国への忠誠に反する。学園に戻った後、正式に軍の中枢に嘆願書を出してこの砦の内部調査を……」


「――レイスさんの言いたいことは分かったけど、それ以上はレイスさんが口にしないほうがいいよ」


 またまたアレクはレイスの言葉を遮って、右手の人差し指で何かをくるくる回しながらやってくる。


「なにをしに来た、サハン中尉」


「そうだね……工作ってとこかな?」


 レイスの言葉に、アレクは薄ら笑みを浮かべてそう口にする。


「エディッサくんに期待しているのはレイスさんだけじゃあないんだよ。俺も、そんで大将も」


 指で回していたものをリドが入っている檻の中に投げ入れる。

 二つの長い棒のようなそれは、すぐに鍵だと理解できた。


「おい、なんだこれ」


 これは俺とレイスさんの雑談だ――と前置きしたうえで、アレクは語り出す。


「ここの奥にある扉は旧罰直室と繋がっているんだ。そこから林の中に出れる。看守は眠ってしまったみたいだし、今なら誰が抜け出しても朝までバレることはないよ」


「おい、アレク・サハン……正気か……?」


「正気だよ。この砦の中では誰より正気を保っていると言ってもいい」


 アレクは珍しく真面目な顔を浮かべてレイスに視線を向ける。


「脱獄の手伝いなど、拘置だけでは済まんぞ」


「…………」


 脅すようなレイスの言葉に、アレクは何も口にせず、ただタバコに火を付けた。

 そして、その煙を正面……レイスに向かって吐く。


「このような真似を……するなど……しょうき、とは……」


 レイスはだんだん呂律が回らなくなっていく。

 そして、床に崩れおちた。


「おっとっ」


 石畳に頭を打ち付ける寸前で彼女の体をアレクが受け止める。


「ふぅ~。危ない危ない」


「オマエ、その煙もしかして」


「あ、ばれた? ネタ明かしはしたくないんだけどね。その通りだよ。魔術ってやつでね」


 魔法は自身のマナを触媒にして世界法則に干渉するが、魔法にはどうしたって才能という敷居がある。

 だが、魔術は現物による触媒と技術によって世界に干渉することができる。

 つまり、才能を妬んだ凡人が、魔法使いのまねごとをしたくて作り出したんだ。

 そうアレクは語る。


「まったく……熊も眠る煙だっていうのに、エディッサ君は全然眠らないんだもん。身体能力は落ちてたみたいだけどさ」


「この借りはデカいぜ?」


「踏み倒すことにするよ。それで、看守は眠ったけど、出る? 出ない?」


 アレクはタバコを吹かしながら問いかけてくる。


「暗い場所は慣れてるが、狭い場所は苦手だ」


 リドは鍵穴に鍵を差し込む。


「アンタに借りを作る気はないが、手元に鍵があるのなら仕方がない」


「作らせる気もないさ。君は君の好きにするといい」


「そうさせてもらおう」


 リドは鍵を開けて外に出る。


「だがな、一つだけ警告しておく。アンタが……いや、アンタらが何をオレに期待しているのかは知らないが、使うのなら巧く使え。切れすぎる刃物は自身をも斬りつけるもんだ」


「……肝に銘じておくよ」


 一度アレクに視線を向けてからリドは歩を進める。

 掛けられた手錠は自力で破壊した。


「……だがまあ、礼は言っておく。じゃあな」


 そう言って奥の方へゆっくりとリドは歩いていき、姿は見えなくなる。


「ハッ、言ってないじゃん、お礼」

 

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