第86話

 一日の疲れを風呂で癒し、案外長く入っていたことに気がついたリドとモーリスは、全身を赤くしながらもさっぱりとした表情を浮かべる。

 脱衣所で着替えを身につけてから食堂で待っていた仲間達の元へ向かった。

 

「おっ、今日のMVPが来たな。魔物討伐お疲れ様だったな」

 

 女性陣はすでに食事を始めており、入り口から向かってくるリド達を見つけると茶化すように出迎える。

 いつも通りエマの隣に座り、用意されていた食事に手をつけ始める。

 まるで刑務所のようなイメージがあるこの砦だが、食事は案外美味い。

 隣に樹海があることもあって、獣肉が多めだ。

 そのまま食べたら獣臭いであろう肉を濃いめのスパイスで味付けしており、今日一日で塩分不足になった体に染み入ってくるような心地よさを感じた。

 

「エマとセシリアは国境警備隊だったか? なんで知ってんだよ」

 

「私とセシリアは丁度巡回終わりで鉢合わせたんだ。ジェシカ達は哨戒だから知っていて当然だ」

 

 つまりこの砦にいるほぼ全員が、リドが魔物をぶっ殺す所を目撃していた。

 空を飛んでいる敵が鬱陶しかった為、学園での喧嘩や騎士団戦でしか使わなかった炎の壁を使ったが、少し目立ち過ぎていたようである。

 

 今日の番が終わり後は寝るだけということもあり、ゆっくりと食事を摂りながら各々の仕事の報告や、早速アリシアから届いた手紙を開封して笑い合う。

 

 ――そんな時だった。

 食堂の扉がバタンと大きな音を立てて開く。

 先頭には見覚えのある女教官が立っており、その後ろには完全武装の兵士が2名立っている。

 

 なにごとだ? と周りの視線を集める中、女教官は彷徨わせていた目でリドの姿を捉えた。

 石畳に叩きつける軍靴の規則正しい音が静まり返った食堂の中に響き、その音はリドの後ろで止まった。


「リド・エディッサ准尉。砦の防衛装置、設備を破壊した容疑で拘束する」


「……あ?」


 ツカツカと軍靴を鳴らしながら近づいてきたかと思えば、件のヒステリック女教官が令状を片手にそんなことを口にした。


「……お待ちくださいレイス教官殿。私も見ておりましたが、せいぜい燃やしたのは芝生くらいのものかと。仮に柵などの設備が一部壊れていた所であの魔物の軍勢です。多少の被害は不可抗力の類だと思われますが」

 

 エマはその令状に書いてある文字をニ、三度読み返した後、レイスに異議を口にする。


「エマ・トリエテス准尉。それはどういうことだ? 貴殿は自身の職務を全うせず、魔物との戦いを見物していたと自己申告しているのか?」


「与えられた仕事はすでに完遂しています。今はそれより、魔物襲撃の件でリドに比はないと愚考します」


「それは本当に愚考だな。そもそもこの砦の一兵士である貴様の意見を我々は聞いていない。これは砦隊長からの命令だ」


 この砦の最高権力者の直命ということで、エマは驚きを隠せない様子で目を見張る。

 そして渦中の人物であるのに、呑気にスープを啜っているリドの耳元に顔を近づけた。


「……どういうことだ?」


「オレが知るかよ」


 訝し気に眉をひそめるエマに、他人事のようなリドは食事に手を付け続ける。

 それが癪に触ったのか、レイスは一度メガネの位置を直しながらリドを睨みつけた。


「なぜまだ食事に手を付ける? 話を聞いていなかったのか貴様?」


「聞いていたぜ。どうせ拘束先ではまともな飯も出てこないんだろ? だったら今くらいオレの好きに飯を食わせろ」


 上官へ視線を送ることもせず、心底くだらなさそうに鼻で一笑にふしたリド。とうとう我慢の限界が来た様子でレイスは食事をテーブルの上から叩き落とした。


「……いい加減にしろリド・エディッサ准尉。私は貴様の上官だぞ? それでも名誉あるエルセレム王国に仕える名誉騎士かッ!」


 リドの首元を掴み、引き上げたレイスは睨みを利かせる。リドの表情は前髪に隠れて伺い知ることは出来ないが、愉快な表情を浮かべていないことを周りが雰囲気で悟る。

 仲間達はいつリドが暴走するかハラハラとしながらも黙って事の行く末を見守っていた。


「りどが牢に入るならわたしも入る」


 本人が耐えているうちは、自分たちも耐えようと仲間達が固唾を飲んで見守っている中、唯一目に光のないセシリアが椅子から腰を上げ、レイスの腕を掴んだ。

 ギリギリと音を立ててめり込んでいく指先に、レイスは思わず顔を顰めた。

 セシリアの顔を見ただけで誰もが理解した。

 光の消えた目にはただ一つ言葉が浮かんでいる。「今すぐリドからその汚い手を離せ」と。


「ッ……! 貴様は何もしていないだろう。引っ込んでいろ」


「――なら、今この場であなたを斬り殺した罪って言うのはどう?」


 セシリアはわずかに殺気を発しながら剣に手を伸ばす。

 冗談を言っている雰囲気でないのは醸し出される殺気の質で分かる。

 一瞬でもセシリアから視線を外せば、レイスの首は間違いなく飛ぶだろう。

 レイスも思わず自身の腰に携えられている鞭へ手を伸ばした。


「やめろセシリア」


 今にも死人が出そうな一触即発の空気を散らしたのは他でもないリドだった。


「でも……」


 僅かに視線を向けることでセシリアを黙らせる。

 殺気を霧散させたセシリアが、しゅんとして椅子に座るのを待ってから、リドは視線をレイスに戻してからポツリと呟く。


「……くだらねぇ」


 「なに?」と整った眉を歪めるレイス。リドは嘲笑にも似た憐れむような表情を浮かべて、レイスに言葉を繋いだ。


「上から降りてきた指示なら疑いもせずに従うのか?」


「――ッ」


「エマが言った通り、俺が燃やしたのはせいぜい野原くらいなもんだ。本当に設備が壊れたというのなら、その証拠をもってこい」


「黙れ、砦隊長の命令は絶対だ。指令が下った以上、貴様の反論は意味をなさない」


「リスクリターンの計算もできない上司の指示に従っていれば、下の奴らを虐められて楽しいよな? 上の奴らには体と媚びを売りながら頭下げて、自分の思い通りにはいかない部下には容赦なく体罰だ。アンタにお似合いの仕事だと思うぜ」


「なにを言っている……?」


「オマエはオレに名誉ある王国に仕える騎士かと聞いたよな? 国の敵である魔物の侵攻を防いだ兵士を威圧するオマエは、それでも誇り高い騎士なのか?」


 胸ぐらを掴まれつつ、リドはわずかに口元を歪める。


「一つ教えといてやるよ。失うものが何もないなら頭空っぽにすればいい。考える力のないやつにまともな仕事は来ないからな」


 自身の過去が一度チラつき、一瞬だけレイスから視線が外れる。


「だが表に生きてる人間達で、いやここにいるもの達で失うものがない奴はいないだろ。だったら指示を受けた時は、指示を出す人間が正しいかどうかを判断してから従え。一緒に首を並べられたくなければな」


「き、貴様ッ! いい加減に……」


「――はいストップストーップッ! レイスさん。こいつは俺が罰直室に連れてくからその辺にしておいて貰えないかな? エディッサ君も言い過ぎだよ」


 話に割り込んだのはアレクだった。先ほどまで何かを考えるように遠くのテーブルで顎を触っていたはずだったが、とうとう見かねたのかレイスが振り上げた拳を止めるように腕を握っていた。


「サハン中尉、これは何の真似だ? 罪人を庇う気か?」


「罪人なんて言い方しないでよ。今エディッサ君は俺の部下なんだからさ。それに今回の件は任せた俺にも責任はあるしね。この腕を振り下ろすのは止めてくれない?」


 口は笑っているが、アレクの目は笑っていない。

 握っている腕がわなわなと震えていることから、相当な力の拮抗が起こっていることが分かる。


「もし、この振り上げた拳の落とし所が見つからないって言うなら、フィリップ辺りの眼鏡をかち割っててよ」


 アレクの言葉に、遠くの席に座っているフィリップが「なぜ僕が!?」と眼鏡をくいっと上げながら悲鳴を上げる。

 周りにいた討伐部隊の面々は「どんまい」と言いながらフィリップの肩を叩いた。


「……もういい。離せ、サハン中尉」


 リドの首元から手を離したレイスはアレクの腕を振り払う。二回ほどリドに視線を向けた後、立ち去って行った。


「じゃあ、行こうかエディッサ君」


「……あぁ」


「君たちもせっかくの食事中に水さしてごめんね? とりあえずエディッサ君は俺に任せてくれ」


 エマ達の方を見て……いや、主に殺気を放っているセシリアに向けてアレクは言うと、リドを先導するように食堂を出て行った。


「まさか初日に脱柵、二日目に収容とはな……アンリ様になんと報告したものか……」


 騎士団戦にて准尉という階級と【名誉騎士】という勲章を授かったとはいえ、一介の学生――この砦ではただの兵士として数えられるエマ達に出来ることは無く、リドの背中を見送るしかなかった。

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